2017年07月30日
結婚式とワークショップ
現場監督のヤマモトくんの結婚式があり、社員のトミマス部長とコバヤシ部長とタナカ部長の4人で参列する。主賓の挨拶を仰せつかると、結婚式の2週間前ぐらいから、どんなコトバを話すのが良いのか、気になる瞬間が、唐突にやってくるわけで、式の日取りが近づくにつれて、その頻度が増してきて、おめでたい席なのに、微妙な憂鬱が、心の隙間から入り込んでくる「間」があって、それを見逃さずに、軽やかにやり過ごさないと、憂鬱が、積層し、嗚咽とまではいかないまでも、緊張の塊になってしまうのだろう。
それなりの数の結婚式に参列したが、挨拶はなくても、式の数日前は、なぜか、微妙に、気が重い感覚に、囚われる時が、何度かやってくる。それが不思議。なのに、いざ披露宴に出席し、最後の新郎新婦のお見送りを受けて、終わると、幸せなエネルギーをいっぱい頂戴し、参列して良かったなぁ.....と、エエ気分になっている「私」を発見するわけで、「祝福」というか、「祝祭」みたいなものとして、結婚式は、それはそれで、やっぱり、エエものだなぁ.....と、終わってから、おもう。
最近の結婚式は、久しぶりだったような気がして、披露宴での、過度な演出が、少なくなり、あの披露宴独特の緊張感を、和やかな雰囲気にするための、進行と演出が、随所に工夫されているのが、ひとつの傾向なのだろうか。新郎新婦の友人達による祝福と余興のようなものも、ビデオメッセージになっていて、新郎新婦のどちらとも、それなりのレベルで、楽しい演出と編集になっているのが「現代的」だった。いまという時代性は、パソコンの性能向上に伴って、「編集力」が問われる時代性なのかもしれず、そんなのを象徴しているかのような、ふたつのビデオメッセージを眺めがら、披露宴を楽しんだ。
主賓の挨拶というのは、ちょっとした試練のようなものだが、今回は、結婚式のこの日が、瓦ワークショップの日と重なっており、「まちのえんがわ」ワークショップが始まって、5年が経過し、一度たりとも、ワークショップを欠席したことがなく、もちろん、「私」が司会進行役のようなもので、それゆえに、当然のコトなのだ。が、それでは、さて、いったい、今回のワークショップを、開催するか、中止するか、どうしたものか、悩ましい、出来事でもあって、大げさに言えば、もうひとつの試練のようなものだった。
幸い、今回のワークショップの瓦コースター製作のミチガミさんと、瓦虎工業のワタナベくんが、ワークショップに熟れているコトもあって、まちのえんがわスタッフのアオキさんも含めて、安心してお任せすることにした。今朝の9時頃に、加工場にいって、空調やプロジェクターやコンピュータやパワポの準備だけを済ませ、アオキさんに、パワポの使い方などを言づてし、用意万端のつもりで、11時前に、結婚式場に出向いた。
ところが、教会式の結婚式に、新郎が入場した瞬間、スマホの振動がブルッ、ブルッとした。正確には、スマホになってから、腕時計をしなくなったが、ポケットにいれた、スマホの振動を感じずに、やり過ごしてしまう事が度々あった。それで、最近、「wena」という、スマホの着信を、腕時計のバンドリストに、振動として、伝達させる、そんな時計をはめだした。その時計のもうひとつの良さは、コンビニで、腕時計のバンドリストをかざして、ID決裁できることで、ま、それはともかく、その腕時計のバンドリストが、ブルッ、ブルッと振動した。
新郎の入場の真っ最中だった。フェースブックのメッセージに、「コンピューターが不調で、パワポが動作しないのです。どうしましょうか。なんとかなりませんか。」というメッセージだった。結婚式開始は、12時15分。メッセージは、12時16分。ワークショップ開始は13時30分。ちなみに、披露宴開始は13時。主賓の挨拶は13時10分頃なのだろうか、その挨拶のちょっとしたプレッシャーも入り交じっていた。
意識の、3分の1は、新郎新婦の様子。3分の1は、主賓挨拶の緊張感。3分の1は、ワークショップ開催前のトラブル。で、もはや、笑えるような状況だった。新郎が新婦にキスをする瞬間に、腕時計は振動を繰り返し、左手にスマホを持ち、右手の指でメッセージを送りつつ、目は、スマホと正面をチラチラとチラ見を繰り返しながら、指示と祝福にあたふたしていた。きっと、それが、いつもより、新郎の新婦へのキスが、異常に長く感じた理由に違いない。
皮肉なことか、幸いなことか、結婚式終了と同時に腕時計の振動が治まった。どうやら、長男のタカノリが、偶然、その時間に、ワークショップを覗き、パソコンの修復作業をしてくれたらしい。その12時43分の報告で、腕時計の振動は治まった。披露宴は13時にはじまり、直後の私の主賓としての挨拶も、無事、フツウに、終え、安心した気分で、ビールを飲み、料理の味を楽しめる、エエ披露宴となった。
披露宴が終わり、すぐさま、タクシーで、「まちのえんがわ」に戻ると、ワークショップが終了する、少し前だった。ワークショップの参加者に不在だった挨拶をしながら、ワークショップを楽しんでくださった様子が、うかがい知れて、安心し、参加者とスタッフの皆さんに感謝した。
そんなこんなで、記憶に残る、「結婚式とワークショップ」という、日曜日になった。
投稿者 木村貴一 :22:59
2017年07月23日
「私を変えたレコードとスポーツ」
グランフロントの「世界を変えたレコード展」へ立ち寄る。あのなかの、30枚ほどのレコードは持っていたのだろうか、あらためて、こんな形で、レコードジャケットを見ていると、あの当時、音だけでなく、ビジュアルでも、音楽を楽しんでいたのだな。と、レコードジャケットを見ながら、そのアルバムの音楽が蘇ってきて、ちょっとワクワクした。
ただ、ワタクシ的に、ちょっと残念なのは、JAZZのブルーノートレコードのアルバムが、ほんのちょっとで、体系的に並べられていなかったこと。高校生になって、レコードジャケットを、棚から、手で持ち上げ、ジャケットの雰囲気を見て、ロックのレコードを買うようになったが、大学生になり、JAZZを知るようになって、特に、ブルーノートのレコードジャケットと、遭遇するようになるにつれて、「デザイン」というものに、あらためて気付くようになった。タイポグラフィーと写真と余白の組み合わせが、デザインとして、カッコエエのだ、と知るようになった。
そんな訳で、木村工務店の社員紹介のコンテンツは、ブルーノートレコードのアルバムから、各自、好きなジャケットをチョイスし、その中に写っている写真を、自分の写真に置き換えて編集している。ホームページのコンテンツを長年手伝ってくれている、アシダさんの力作でもあるが、ちなみに、私は、ジョンコルトレーンのブルートレインというアルバムをチョイスした。こちらから、どうぞ →
海の日の連休に、しまなみ海道のLINK輪空さんに宿泊する。5月の連休に続いて、今年2度目の、自転車で、島々を巡礼する旅だが、今回は、その宿で、知り合った、二人の男性と一緒に、ひとつの部屋に宿泊し、一緒に島々を巡った。
とびしま海道を自転車でまわる。これで3度目。大崎下島の御手洗(みたらい)のまちも、3度目になるのだろうか。素朴な洋館ぽいモダンでレトロな建築が、瓦屋根の古い町並みに、混在しているのが、まちを魅力的にしていて、それに、雨が少ない、陽気な気候が、まちに明るさをもたらしているのだろう.....。また、ちょっと、立ち寄ってみようかとおもう、まち、でもある。
大崎上島にある木造5階建ての建築を見るが、かつての建物と見比べると、ちょっと味気ない。1階の格子がなくなったり、2階3階にある、海を眺めながら楽しんだであろう、縁側的な部分もなくなり、床まである木製建具が腰高のアルミサッシュに変更されているのが、情緒的でない、原因だろうが、実際の生活を考えると、木製建具の隙間風など、仕方ないのだろう。
それにしても、「文化的価値に気付き残す」というのは、さまざまな、きっかけと、我慢と、工夫がいるものだな。とおもいながら、暫くのあいだペダルを回した。そうそう、山田洋次監督が、この島で、映画の撮影中に、いつも食べにきていたというラーメン屋さで、細麺の醤油ラーメンを食べたが、素朴な味で、美味しかった。建築より、食文化のほうが、残りやすいのだろうな。
竹原の竹鶴酒造の前で記念写真を撮ってみる。古い街並みを自転車で巡ると、歩くスピードの3倍速か4倍速で、建物が、早回しで流れていくわけで、建物より、街並みや、道への意識が強くなるのが、面白い。
はじめてのまちは、無駄に、2、3回ほど、ぐるぐる自転車で回ったほうが、いろいろな発見があって、より面白いのかもしれない.....と、黒漆喰の微妙なムラと、微妙な黒色の素材感、本葺き瓦の心地良いリズム感、などなど、最近の住宅では、失われたものだな.....と、家で写真を眺めながら、旅の余韻を楽しんだ。
そうそう、「私を変えたレコードとスポーツ」っていうのも、ありそうだな.....。
投稿者 木村貴一 :23:48
2017年07月16日
空調服。
今週に入って、突然、とっても暑い日々。13日の朝に、庭で、今年最初のセミの鳴き声を聞いた。あっ、夏が始まったなぁ.....って感じ。この猛暑日に、板金職人さんが、ガルバニュウム鋼板の一文字葺の屋根工事中で、試しに、足場に登って、屋根に上がり、ガルバニュウム鋼板の屋根を触ってみると、熱っつ!熱っつ!ほんと目玉焼きが出来そうな感じだった。
最近、夏になると、職人さんの多くが、「空調服」なるものを着用していて、服に乾電池で作動するファンが、脇腹の両サイドに着いていて、そのファンで服の中に外気を取り入れ、体の表面に大量の風を流すことにで、汗を気化させて、涼しく快適にすごしやすくした作業服。2万円近くするらしいが、「これないと、屋根の上で作業出来ませんわ」っていうぐらい快適らしい。着用してみたい気がするけど.....というと、シャチョウ、これ着ると、快適やけど、服が、すぐ汗臭くなるから、自分で買い!っていわれた。
そういえば、塗装屋さんは、アノラックみたいな薄っぺらい生地の作業服を着ていて、ファンだけを交換し、服は、ペンキですぐ汚れるし、汗もかくし、使い捨てみたいなもん。って語ってくれた。熱中症を乗り越えるのに、こんなアイデアを考えて、多くの職人さんのニーズに応え、それを新しいビジネスとして、新たなお客さんを創造するっていうのが、企業として凄い事だなぁとおもう。
こんな空調服を見ていると、35度近くになり、麦わら帽をかぶり、Tシャツを着て、涼しげな感じで仕事をするより、密閉された暑苦しそうな服に、ファンを付けて、フードも被って、仕事をした方が、涼しい。というのが、見た目と違う、不思議感で、そういえば、最近の家造りも、猛暑日には、窓を開けても、涼しい風が入らず、断熱気密を、しっかりして、第三種換気などで、ゆるやかに空気を対流させながら、冷房を効かす方が、「快適度」が増す傾向にあるのと、同じなのだろう。
とはいえ、これは、猛暑日が続く日々のコトで、春や秋は、窓あけて、心地良い気候を、家の中にまで取り込んで、内と外が一体になって過ごす、日本的快適さを、失いたくないもので、そうそう、大工さんで、空調服を着ている人を、私はまだ見たことがなく、一昨日、現場に行くと、オキ大工は、扇風機を回しながら仕事をし、休憩の時は、扇風機の前に、現場の余った合板で自作した椅子に、座って、暫く涼んで、また、仕事を始める。というスタイルで、こんなプリミティブな猛暑を乗り越える工夫もエエよなぁ.....と。
いろいろな工夫をし、猛暑日を乗り越える。そんな楽しみを持つのも、面白そうではないのかと、ふと想った、猛暑日の現場での出来事だった。
投稿者 木村貴一 :00:01
2017年07月09日
長細公園
長細公園(ながぼそこうえん)というのが、会社の所在地の小路にあって、もとは運河だったらしいが、それを埋め立て、公園としたのが昭和30代のことらしい。ながぼそ~い、通路のような公園に、ブランコや鉄棒やジャングルジムやうんていなど、遊具が設置されていた。家から1分のところにあり、もちろん、私も、そこで、小さな頃から、毎日のように遊んでいたので、小学校に入ると、誰よりも速く、そういう遊具を使った運動ができるようになっていた。
小学校低学年の時は、その長細公園の鉄棒で、前回りや逆上がりを何回連続回れるかを争い合ったりしていたので、ある日、転校したAくんが、わざわざ、長細公園まで、回転数の対決にやって来て、争いあったのが、良き想い出で。あれぇ、これ、いつかのブログに書いたっけ。そういえば、長男は、幼稚園の時に、長細公園のブランコから飛び降りて、こけて、目の下を切ったが、長男にとっても、良き想い出でなんだろう。「まちのえんがわ」写真ワークショップでは、長細公園が写真撮影の舞台にもなって、大人がはしゃいでブランコする姿が、カメラショットとなった。
その遊具が、最近撤去された。
当時、小路には、長細公園だけが公園だったが、近くに、フツウの公園らしい、スクエアーで、光が差し込む明るい小路公園ができて、そこが子供達の遊び場になり、薄暗い長細公園で、子供達が、歓声を響かせて遊ぶ姿は、ほとんど見られなくなっていた。いまの時代背景からしても、長細公園の、遊具のある公園としての役目は、終わったのだろう。
それに、聞くところによると、公園の管理は町会長さんに委ねられており、もし、遊具で事故が起こった時は、町会長さんが、その責任を取る事になるらしく、そんな世の中の、大人の事情が、遊具撤去の早期決断の背景にあったのかもしれない。
小路のまちの、ユニークなアイコンとしての長細公園が、ただの通路に戻った。
あんな公園、いままで、見たことない。面白いですね。と、初めて、「まちのえんがわ」に来るために、小路の町を訪れたひとが、話題にしてくれることが、頻繁にあったが、世の中の、ぎすぎすしたムードが、こういうところにも、しわ寄せが来たのだろう。考えて見れば、まちの住人の「寛容さ」が、まちの「ユニークさ」を育んでいたのかもしれない。
こんな公園に興味を持った学生さんたちがいた。
近畿大学の建築と都市再生の宮部ゼミの学生で、「小路のまち未来探しワークショップ」というテーマとして、生野区の行政の方々の協力のもと、うちの加工場で、数回のワークショップがあり、この月曜日には、まちのひとや行政のひとを交えての最終プレゼンがおこなわれた。
もともとは、長細公園に隣接した空き長屋の再生計画が、メインテーマだったが、数回のワークショップとまちの住民への聞き取り調査を通じて、長細公園の再生計画が、まちの再生というテーマとして、重要度が増してきて、ついに、そのプレゼンに組み込まれることになった。
エエ人が住んでいるまちや、エエ建築があるまちが、魅力的なまちになる、大きな要素だろうが、まちの「オープンスペース」が、魅力的になることが、良いまちになる、もうひとつの大切な要素だと、あらためて気付かされるわけで、長細公園という、通路のようなユニークなオープンスペースを、魅力的なオープンスペースにすることが、魅力的なまちの要素のひとつになり、魅力的なまちにひとが集まり、それが空き家の再生にも繋がるのではないかいう。ま、そんなワークショップでのコミュニケーションが、さてさて、この「現実」のなかで、どんな展開になっていくのだろうか.....と、可能性と不可能性が交錯する月曜日のプレゼンテーションとその後の懇親会だった。
投稿者 木村貴一 :23:34
2017年07月02日
イッケイ。
住宅相談会の日曜日。とっても蒸し暑い大阪的気候の日曜日だった。
午前中のAさんは、寝屋川で、ハウスメーカーの家にお住まいで、その家の1階をリフォームしたいというご要望。以前、リフォームさせて頂いた方のオトモダチだというコトでお見えになった。プランと概算見積は以前に提出していて、今回は、設計契約の合意に向けた、細かな部分での、予算調整とプランや素材の説明。設計担当のタナカくんと一緒に、あれやこれやとお話をしている時に、イギリスのブロンプトンという折りたたみ自転車を奥さまの分と2台お持ちだという。羨ましい。
ロードバイクは、スポーツとして楽しいが、ふと立ち止まって、周辺を見る。という感覚に、おっくうになってくる。折りたたみ自転車を持って、ふらっと電車に乗って出かけ、知らない「まち」や集落を訪れて、自転車でプラプラしたい。ちょっとだけ峠も越えて、その向こう側の集落にも行ってみたい。朝のまちや夜のまちもブラブラしてみたい。そして、行き当たりばったりで泊まるとか.....。深夜、電車に乗って、家路に着くとか.....。「建築好き」は、朝や昼や夜の、まちと建築を、ただ見ているだけで楽しいもので、そんな要望をかなえてくれそうな、折りたたみで高額な自転車。
午後からのBさんは、西宮の阪急沿線沿いの土地を検討中で、ご主人のご両親との二世帯住宅として検討。ハウスメーカーによる家とか、地元のビルダーによる家とか、建築家との家づくりとか。その検討のひとつとして、工務店との家づくりがあり、その候補として、木村工務店にお越しになったのが、先月のコト。その時は、ご家族でお見えになり、今月は、ご主人とご主人のお父さんとのお二人でお見えになった。プランと3Dによる外観と内観を提案させて頂いたが、工務店の家は、他のいろいろな家と、何が違うのですか.....。というのが、最大のテーマだった。
工務店にもいろいろなタイプの工務店があり、いま、そのコトに、明確で判りやすく応えるのが、ムツカシイ時代だが、「ものづくり」とか「手仕事」とか「職人」とか「現場監督」とかが、キーワードになりそうで、それらを「クラフトマンシップ」と定義するのかどうか別にして、そういうコトを活かす、設計や、会社の体制とシステムが、もっと重要な時代になってきたのかもしれない。
午後からのCさんは、東大阪で、両親から譲り受けた、土地に、2世帯住宅を計画中で、「まちのえんがわ」ワークショップにも参加頂いた方。本日は、詳細な概算見積と3Dの外観と内観を提案する日で、2世帯のご家族全員でお越しになった。最近、2世帯住宅が増える傾向にあり、2世帯が一緒に住むことで、別々に住むより、トータルでコストを節約出来る。というメリットが大きいのだろうが、最近の最大のテーマは、子育てと介護なのだろう。2世帯で住むことで、お互いに助け合うことが、国家予算に対するメリットにも繋がるのかもしれない。やはり、こちらのご家族も、工務店の家づくりは、コストとスペックを含めて、それ以外にも、どんなところに、違いがあるのか、知りたい.....。というのがテーマだった。
午後5時前に、打ち合わせが終わり、家に戻ると、孫のイッケイが、ブラブラしていた。それで、イッケイママの電動ママチャリを借りて、二人で、大阪城まで、サイクリングすることになった。
そういえば、昨日の土曜日の夕方すぎ、イッケイママが運転するママチャリに乗せられたイッケイが、自転車から降りたくなく、ぐずついていたので、運転を代わった。近くを、ちょっとだけ、ぐるっと回って帰るつもりだったが、清見原神社に着くと、かつての日曜日の早朝ランニングを想い出し。いつも、ここを起点に、大阪城まで走っていたコトが蘇ってきて、その衝動に唐突に突き動かされ、そのまま、大阪城まで、イッケイを乗せて、サイクリンがをしてしまった。大阪城に正対すお堀の前の大きな石のベンチに、一緒に腰掛けて、笑顔で遊ぶ姿を見ているのが、それなりに楽しい時間だった。
そうそう、早朝は、午前6時すぎから、ロードバイクに乗って、八尾を経由し、葡萄坂から、のどか村、信貴山朝護孫子寺を参拝し、フラワーロードを通り、十三峠を下って、家に戻ると、午前9時頃。ここ暫く、運動を怠ると、体重がすぐに、1kg超オーバーし、晴れたなら、何がなんでも、自転車に乗るつもりだったが、坂を上がりだすと、その不摂生が、汗とともに、一気に吹き出して、アカン、アカン状態のモーニングライドとなった。
朝の運動としての、ロードバイクの走行距離不足感や、モーニングを食べられなかった。などの、フラストレーションがあったのだろうか。それに、運動だけでない、まちをブラブラする感覚を、土曜日の夕方のイッケイとの電動ママチャリサイクリングで、久しぶりに味わって、またそれを欲していたのだろうか。そんなこんなで、打ち合わせ終了後の黄昏時に、意気揚々と、イッケイと大阪城までサイクリングしだすと、ハンドルの前に乗るイッケイの首が、前後左右に、コックリコックリとしだした。大阪城に到着した時には、爆睡状態で、大阪城に正対するお堀の前の大きな石のベンチ前では、グーグーと大きなイビキをかいて寝ている状態だった。ま、子供とは、こんなもんだな.....。
投稿者 木村貴一 :23:34
2017年06月25日
まちに参加する
19日を生野の日とする生野区の企画があり、それに乗っかる形で、毎月、何かのテーマで、「まちのえんがわ」ミーティングを開催するようになって、6ヶ月ほど経過した。そのほとんどが、「空き家カフェ」(生野区空き家活用プロジェクト)というテーマで催していて、この19日も、加工場に20名ほどのひとが集まって談義した。生野区に住みたいひと、空き家をお持ちの家主さん、不動産のプロ、建築のプロ、まちづくりに関わる方々、行政の方々、日本政策金融公庫の方など、多彩な顔ぶれでのコミュニケーションだった。
こういう場に参加して、空き家を探そうとするひとは、「まち」と関わりを持ちながら住みたいというひとたちで、「生活を営む家を探す」という不動産的な土地探しや中古住宅探しという感覚だけでなく、その「まち」に暮らすひとたちと繋がりを持ちながら、自らも「エエまち」にする住民として、まちに「参加」しようとするひとたちなのだろう。「私」も、「まちに隠れて住む」、というような感覚を持っていた時期もあったが、「まちのえんがわ」を始めてから、「まちに参加する」という感覚に気付くようになった。まちの「観客」から、まちの「参加者」になるような感じ。
おなじように、この場に参加される家主の方々も、空き家を借りたいひとと出会いに来る、という感じだけでなく、もちろん、ビジネス的には、それは大切なアプローチなのだけれど、それだけでなく、まちの活性化に関わりたいというひとに、家を貸したい、と願っている方々で、「まちづくり」に参加するというのは、ちょっと大げさで、「まちに参加する」という、軽やかな感覚を持っているひとに、家を借りて欲しいというニュアンスなんだとおもう。家主さんも、自分たちのまちを良くしたいという、「まちに参加」しようとする家主さんなのだろう。
日本政策金融公庫の方が、「企業活力強化資金」という融資をレクチャーをしてくださって、そのなかに、最近出来た、<空家等対策関連>という融資があり、「空家等対策計画を策定している市町村の区域内において不動産賃貸業を営む方で、老朽化した賃貸用不動産の改修を行う方が対象です。」という貸付だそう。
老朽化した空き家を持つ家主さんの多くは、その空き家の水回り等の設備を含め、仮に、300万円ほどのお金をかけようとする時、手持ちの現金がなくなると、将来発生するであろう相続の問題を考えると、将来の相続税を支払う現金が少なくなることに不安が大きく、銀行の融資は、担保等の面倒な問題があり、また、改修しても借り手がいるのかどうか、などなど、あれやこれやと、改修を躊躇することが多い。
そうそう、ある会合で、いま、若いひとが、車や家にお金を使わないのは、将来の年金が支給されないかもしれないという不安が大きく、現金を使いたくないし、ローンを組むことにも躊躇する状況で。65歳以降、生活できる最低限の年金は、必ず支給されます。と政府が約束をするのが一番大切やとおもう。と語ったひとがいた。いろいろなひとが、それぞれの立場で、なんとなく躊躇してしまう気分の時代なんだろう.....。
それにしても、空き家が、大きな社会問題になってきた昨今、いろいろな立ち位置のひとが、それぞれの立場で、まちの観客から参加者になってみる、そんなライフスタイルが、求められている時代なのかもしれない。
投稿者 木村貴一 :23:54
2017年06月18日
ポリリズム
唐突に、マイルスの「BITCHES BREW(ビッチェズ・ブリュー)」を聴きたくなる時があって、おそらく7年に1度ぐらいの割合なのだろうが、この歳になっても、聴く度に、新たな発見のようなものがあるのが、マイルスの面白さなのだろう。そんなコトより、そういう時の「私」の精神状態というものが、いったいどういう時なのか.....というコトで。いわゆる、ぶっ飛びたい気持ちになりたい時なのか.....。どうしても何かを革新したい時なのか.....。とにかく変化を求めている時なのだろうが、聴きながら、こんな、多彩で個性的なメンバーで、複合的なリズムを奏でる工務店として、マイルスが吹いているように、活動してみたい.....、建築を造ってみたい.....と、おもっていたのかもしれない。そうそう、時折、ミンガスグループのような工務店になりたいと、想うときもある。ついでに、2枚組のCDを、通しで、聴いている間、時折、同居する孫が、乱入してきて、腰を振って、そして、どこかに立ち去っていくのが、3度ほど続いた。
今日の日曜日は、左官ワークショップがあり、版築という手法で造る傘立てで、想定以上に時間がかかって、皆で、粘り強く、土を突く、トントンという、複合的なリズムが響くなかで、時間をかけて作り上げた甲斐があり、それなりに素敵な傘立てが出来たワークショップだった。参加してくださったお客さんが、多彩なメンバーで、最近の「ものづくりが好きな層」というのは、職業も年齢も性別も多彩で、個性的なのが、特徴だとおもう。そんな、ものづくり好きな方々と、家づくりが出来るコトが何よりのコトなのかもしれない。
この木曜日の夜、Ms建築設計事務所の「三澤康彦さんお別れの会」があり、おそらく、日本中の工務店が、「木の家」を、いま建築出来るのは、三澤さんご夫妻の、木造建築に対する、木取りと伏せ図を含めた丁寧な木の家の設計と、「木」を山から製材所を通じて町へ供給するシステムをトータルにオーガナイズした、そのパイオニア的な努力があってのコトで、「私」も、かつて、三澤さんと一緒に仕事をする機会を得て、「木の家」の造り方を学んだひとりであり、その恩恵を受けた、「工務店」といえるわけで、三澤康彦さんへの感謝とともに、ご冥福をお祈りしたい。
投稿者 木村貴一 :23:44