2016年02月07日
初午の学び
初午の日というのが、今年は2月6日土曜日で、一年で一番運気が高まる日だとか。今年一年の豊作を祈願するお祭りが、昔から各地の農村にあったらしい。京都の伏見稲荷大社に神様が舞い降りたのが初午の日で、その日に大祭をするらしく、豊作を祈るお祭りと稲荷信仰が結びついて、初午祭が催されるようになったと、インターネット上にあるのだけれど、「私」が物心ついた頃には木村工務店にお稲荷さんを祭っていて、初午祭というのを催して、おでんと日本酒で、社員や大工さんたちと一緒に、お祭りをしていた。そういえば、うちの家では「関東炊(かんとだき)」と呼んでいて、「おでん」っていうコトバを使うようになったのは結婚してからだとおもう。
初午の日は、いなり寿司を食べる習慣があって、お稲荷さんのお使いが狐で、その狐の好物が油揚げで、それで、お寿司を油揚げで包んだのをいなり寿司と呼ぶらしく、うちで催す初午祭のお土産に、いなり寿司を持って帰ってもらうのが定番で、そういやぁ、バレンタインデーとか、クリスマスだって、昔からの風習と宗教的な信仰と何かの食べ物と商売が結びついているのだなぁと、初午の謂われを調べているうちに、あらためて気付かされたりする。
このブログに木村工務店の初午祭りのコトが登場したのは2008年で、何年かぶりに、稲荷祭りを復活し、それで、2009年からは加工場で催すようになって、最初は、会議用のテーブルと椅子を並べたシンプルな宴会だった。2013年頃から会場セッティングにも「こだわる」ようになって、カウンターとか大テーブルとか照明とか、「工務店」という立場を考えてみても、会場セッティングを考えるコトが、「空間」の勉強にもなるわけで、職人さんたちを社員皆で「おもてなし」をするコトが、コミュニケーションの勉強でもあるのだと....それらしいコトをこじつけながら、食材や料理も少しずつ工夫して、お祭りとして楽しむコトを模索しだした。
木村家本舗というイベントの経験が、加工場を空間として演出するコトのきっかけになったのだけれど、加工場は、文字通りの工場で、2月の最も寒い日に、シャッターの隙間などから風がスゥースゥーと通り抜けて、ストーブをガンガン焚いても寒くて寒くてしかたなかった。それに、90名近いひとのざわめきが、板張りの壁の隙間から漏れて、近隣にご迷惑もお掛けしていた。
それが、5年ほど前から北海道の断熱気密住宅を見学するようになって、気密シートを貼れば、隙間風を押さえて、断熱以上にそのコトが大切なコトなのだと体験して、2013年からはシャッターの大開口部に簡易の柱を建て気密シートを貼って、隙間風を押さえると、暖房がいっぺんに効くようになって、参加者の苦情も出なくなったが、近隣への音の問題は依然と解消されなかった。それで、昨年の春頃から、加工場の屋根と外壁の傷みを改修する機会に、断熱気密と音の問題を兼ねて、屋根と外壁に断熱材と防音シートを貼る工事をすると、音の問題もかなりカイゼンされ、夏の暑さも解消された。
秋過ぎてからの「まちのえんがわ」ワークショップや初午のために、シャッターの大開口部に簡易的に取り付ける隙間風を防ぐための気密シートの施工を、毎回毎回手伝いさんに、現場に行く前の早朝より頼んでいたのが、かなりの労力になっていたので、なんとかカイゼンの方法がないのかと模索していたが、風通しと気密が両立する簡易な方法が思いつかなかった。ところが、昨年の暮れに、可動式の格子の間仕切り戸の中に、ハニカムロールスクリーンを組み込むコトで、風通しと気密の両立と、簡易な設置と撤去の共存を思いついて、発注と工事でバタバタしながら、なんとか初午の当日まで工事をして間に合った。快適な空間デザインだけでなく快適な温熱環境も大切な時代なんだとおもう。
そんなわけで、豊作を祈る稲荷祭りが、工務店にとっては、沢山のお施主さまに恵まれますことを願うお祭りであると当時に、協力会社の職人さんや大工さんたちに、木村工務店の姿勢を伝える場でもあり、段取りや後片付け、空間デザインや温熱環境やおもてなしなど、ものづくりとコミュニケーションを学ぶ場にもなりながら、2月6日土曜日の初午の宴は深夜まで続いた...。
投稿者 木村貴一 : 2016年02月07日 23:58 « ドメイン騒動 | メイン | あるある »