2005年09月04日

和菓子

栗原さんちのおすそわけ とろけるパンナコッタ」 というのを食す。甘いものは好きなのだが朝から別に食べたかった訳ではない。朝食のテーブルの上に置いてあった。日曜日の朝だし、まぁ、 ええか。っていうような感じで食べた。「朝から甘すぎる!」と思いながら、面白いタイトルだなぁ・・・って考え、この商品を売り出すまでの 「流れ」を想像してみた。このタイトルが決まるまでの過程を思い描いてみたのだ。片方では、新聞も眺めていた。

日曜日の朝日新聞の読書という欄の書評は、楽しみのひとつだたりする。「岸和田だんじり祭り・たんじり若頭日記」江弘毅著とあった。 だんじりかぁ、遣り廻しかぁ・・・そういえば、うちの次男は、家でいつも、太鼓と鐘の練習をしている。不思議だなぁ・・・。 と脳味噌が語り出した。そうそう、たんじりとは、神社の神様が外に出歩いて、町の皆に幸を届けに来るのだから、 もっと畏敬の念をもってだんじりを引くべきだぁ・・・・なんて言った人がいたなぁ・・・。と連想が広がる。

次の欄にある、「魂の民主主義」星川淳著という本の書評に興味が引かれた・・・・・と思ったら、頭の中では、そうそう、 選挙が始まるなぁ・・・などと、脳裏が回転しだした。そういえば、長い間、投票したことないなぁ・・・。流石に今回は絶対的に、 投票に行くよなぁ・・・・。などと、脳味噌が呟きだしていた。

同じ新聞の広告欄に千変万化に描く北斎の富嶽三十六景という本の広告があった。私のデスクットップの壁紙と同じ絵だなぁ・・・などと、 またまた、心が呟く。そして、今度は津和野の北斎美術館に行った事を思い出した・・・・。一瞬にして、思い出にはまり込みだしたのだ。

ところが、思い出に浸るまもなく、口元のパンナコッタの甘さが影響し始めた。今度は北斎を見て、日本的と頭が連想し出した。 甘さと日本的の二つの感覚が解け合って、何と、「和菓子」と心が呟いた。その和菓子が、全くどういう訳か、 鶴屋八幡の和菓子に結びついたのだ。鶴屋八幡の和菓子が、O先生という明治生まれのダンディーなおじさんの姿を思い起こさせた。 そして心に何とも言えぬ感情が沸き起こった。

通称O先生は所謂、宗教家だ。詳しい事はよく知らないのだが、御嶽教といわれる宗教に属するらしい。 家も私も全く信心などなかったのだが、私がまだ学生の頃、よく、家に遊びに来ていた。そうそう、まだ、祖父が元気な頃、家には誰かしらが、 遊びに来ていたものだ。学校の試験があろうが、受験であろうが、麻雀の音が鳴りやむ日はなかった。いつもいつも、来客があって賑やかだった。 まぁ、世の中全体がそういう時代だったのだろう。

その客人のひとりにO先生が居た。麻雀に来たわけではないのだが、家に酒を飲みに来て、ぐでんぐでんになりながら、帰って行った。 他の目的もあったのだろう。けっこう偉い宗教家の先生らしいのだが、酒をおいしそうに飲み、豪放な笑いをし、四方山話を聞かせ、そして、 ぐでんぐでんになりながらも、しゃっきりとして歩いて帰っていった。千と千尋の神隠しの神々が癒しに来る湯屋を見た時、 O先生とうちの家との関係性を思い描いたものだ。

どんな時も、山高帽かぶり、仕立てのよい背広を着てダンディーな出で立ちでやってきた。お土産に、 いつも鶴屋八幡の和菓子の詰め合わせを持ってきくれたのだった。日本的な色鮮やかなお菓子の詰め合わせ。 色の付いたお菓子に楊枝を入れるとその中から鮮やかな餡が出てくる。おいしさもさるものだが、お菓子としてのビジュアルも素敵だった。 O先生と話をする事と鶴屋八幡の和菓子は楽しみのひとつだった。ある時、御嶽山に一緒に登ろうと誘われ、登山した。そして、 新幹線の食堂車に連れて行かれて、ビーフシチューをご馳走になったのだ。帝王学や気学を教えるぞ!というその事は、 もう 亡くなってしまったので、叶わぬ夢になってしまったのだが、ダンディーにそして一生懸命「生きる」 というその姿が印象としてハートに深く刻まれた事は確かだ。

な~んだ。思わぬ旅になってしまった。外は猛烈な大雨が降る狐の嫁入りだった。

 


 

投稿者 木村貴一 : 2005年09月04日 14:49 « シール | メイン | 挑戦 »


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