2015年10月04日

木村家本舗

10月の体育の日の祝日を含む土日月の連休の3日間を「木村家本舗」といって、オープンホームを始めたのが2010年で、それから5年連続で続けてきて、今年もその季節がやってきたので、楽しみにしてくれている方々もおられるかと思うのだけれど、今年は「1回休み」をすることにした。

そもそもの始まりは、家を新築施工をしたコトバノイエのカトウさんと一緒に、カトウさんの家の古本をうちの家に持ち込んで、アート的な要素も織り交ぜながら、飲んだり食べたりして、コミュニケーションをしながら、「ひとのおうちで」楽しい時間を過ごそうとよ!という「遊び」を「オープンホーム」として始めて、それに、工務店の「私」が住む家と庭というのを見せて一緒に過ごせる事も、ま、ビジネスとしてもオモシロイかなとおもえて、はじめた。

うちの家は、祖父が戦前戦後に自分で設計施工した何棟かの長屋をひとに貸しながら、そのひとつに自分たちが住み、家族が増えるに従って、隣の長屋を合体してリフォームを繰り返し、時には長屋を解体して庭を造ったり、隣接していた小さな町工場を解体して2階建ての木造住宅を新築したりもし、ある時は、その家を曳家して、庭を大きくしたりして、それは庭というより広場のような存在で、一番多い時は、4世代9人が、その広場のようなオープンスペースを囲んで暮らしていた。

私が高校生ぐらいの時に、暮らしていた長屋の一部を解体して2階建てを新築したのが親父で、私は26歳の時に結婚することになり、その庭に面してかつて曾祖母が住んでいた7坪ほどの平屋の上に増築をして暮らすことになった。祖父母の棟と親父の棟と私たち夫婦の棟が広場のような庭のようなオープンスペースを中心にして暮らすことになって、15年ほど前には、その庭に面していた賃借人が住んでいた長屋をその住人の移転をきっかけに、その長屋を合体して、私たちの居間や子供部屋にリフォームした。そのリフォームがビフォーアフターのテレビ番組などに登場することになり、木村家本舗の舞台になることにもなった。

家という箱物だけがメインであればオープン「ハウス」だが、オープン「ホーム」故に、木村家の家庭事情が、微妙な形で、さまざまに反映するわけで、2010年に木村家本舗を始めてから、祖母が亡くなり、母が介護施設に入り、昨年は父が亡くなって、広場を囲む家族が、私たち夫婦と次男の3人になり、この4月からは、その次男が長男の後を追うように東京でひとり暮らしを始めることになって、ついに、私たち夫婦二人だけの木村家本舗になってしまった。それは当初、祖父母が結婚して二人で長屋に住んだ状況と同じなんだろう。

夫婦二人だけの、いわゆる夫婦水入らずの生活が、何年間続くのだろうかとおもっていたら、この9月に長男が東京の槇文彦設計事務所を辞めて、木村工務店に入社する事になり、今住んでるこの家で同居する事になって、5ヶ月間だけの夫婦水入らずの暮らしとして、ほとんど想い出もなく終了し、再び3人になった。それに、9月27日の日曜日には、福島県の喜多方で結納を交わしたDSC05583長男のお嫁さんが、うちの家に引っ越してくる事になって、木村家本舗でも活躍する、庭のクスノキとモミジの下のテーブルで、ウエルカムパーティを開いて、新しい家族を迎え入れた4人暮らしの同居が始まった。

その若い二人の結婚式を、うちで施工した地元の清見原神社で執り行う事になり、その日が、10月10日大安で、通常は木村家本舗の開催日なのだけれど、そんなこんなで、今年の木村家本舗を休止することは当然のような成り行きで、ま、それもこれも木村家本舗というオープンホーム故の出来事として、端で見守ってもらいながら、来年は再開することを目指したいとおもう…。

そうそう、うちの長男は、お嫁さんと共に、私たちの孫にあたる赤ちゃんも今年暮れ頃に授かる予定で、なんかいろいろな順番が違うような気もするけれど、ま、それは、流行という事にして、そんな家族の変化に伴って、家をリフォームをするのが、工務店を生業とする木村家の伝統で、その伝統を引き継ぐ3代目としては、その伝統に従って、新たないまの暮らしにあったリフォームを模索するのが、シゴトでもあるわけで、私たちの家を長男夫婦に譲り、私たちは、親父が住んでいた家と祖父の住んでいた家をリフォームして、私たち夫婦と次男と母親の住まいとする計画で、庭というオープンスペースを囲みながら世代が交代して暮らしていく家族(ホーム)と家(ハウス)を模索しながら、来年は、少し変化した、木村家本舗というオープンホームを開催したいとおもう…。

投稿者 木村貴一 : 2015年10月04日 23:33 « 神社と高層ビル | メイン | 長屋にまつわる人々。 »


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