2014年12月07日
命のエネルギー
丹波でツリーハウスを見ると、なんだか急に造ってみたい気分に襲われて、それで、この敷地のどこかに、「まちのえんがわ」で、というか木村工務店で、ツリーハウスを造るわ!なんて事を軽々しく云って、そんなのをここでこうして書いてしまうと、あっ、また、シャチョウ、あんな事云ってしまってるでぇ!と社員や職人さんたちの声が聞こえてきそうで、ま、そんなのをちょっと楽しみながら、とにかく春か秋のエエ日和に、社員や職人さんやその家族とかがいっぱい集まって、それに今まで一緒に家づくりをした家族の皆さんも集まってもらってもエエよね、とにかく、あーでもない、こーでもないとわいわい言いながら、ツリーハウスを造って、一緒にお昼ご飯食べたりし、夜に焚き火で、上棟の宴を催したりして、そんなんどう!
とうとう冬がやってきたな・・・。そんな感じのする今日の日曜日は、「まちのえんがわ」の丹波遠足があって、昨年に引き続いて、丹波の猟師の足立さんのお宅で、獅子肉と鹿肉を食べるツアーで、昨年は酒造に立ち寄ったが、今年は「おおじこどもの森」で、ツリーハウスを見学することにして、ロープのブランコやステージもあり、森の前には小学校があって、子供達が遊びに来て、自分たちの秘密基地のような居場所を造ってあり、そんなのが羨ましく思えてきて、「私」など、長屋と長屋の間の路地を駆け回りながら鬼ごっごをする事が遊びだったので、「里山の森」で駆け回る子供達の姿を想像すると、エエなぁと思うわけで、いや、もちろん小学生時代に遊んだ路地裏や道に「ローセキ」で線を引いてケンパをしたりし、とにかく道と路地を駆け回っていてた頃はそれなりに楽しい想い出で、動きと共に心身に刻み込まれた躍動感みたいなものが、「生きる」という感覚のひとつだったのかもしれない・・・。そうそう、都会の下町に住んでいると、森に対する憧れのようなものもあって、そんな欲求を満たすために20代30代はキャンプをしていたのだとおもう。
猟師の足立さんの話を聴くのは、ほんとうに面白くて、仕掛けの罠を造る話などは、大工の棟梁や、ものづくりの職人さんたちと、共通する何かがあって、今流のコトバで言えば、それをクリエーティビティと呼ぶのかもしれないが、面倒くさい事を面倒くさがらずコツコツとやり続ける人たちのことだとおもう・・・。そういえば、そんな手仕事的な仕事の後継者がいない事も今の時代に共通する出来事なのだろう。
鹿肉の絶品のたたきや、塩こしょうだけで食べれる猪の焼き肉も、まったく臭みがなく、食の基本は塩味だけで食べる事だ!という足立さんのコトバを体感するのだけれど、なによりも鹿や猪の命を奪って、野菜や米だって、その生命を奪って、それを食して、自分のエネルギーにしているのだから、その命に敬意をはらって、余すことなく食べる方がエエし、食しない殺生は良くないのでは・・・と語る。そんな話を聴きながら食べる食事は、それなりの趣があって、ハートにも栄養を与えられたような気がしてきて、年末に行くのが楽しみのひとつになってきているのだけれど、もう、わしも歳で、肉の臭みを無くすためには、息がある間に血を抜く事が必要で、罠に掛かった、80kg以上もあるような猪と格闘して、川まで引きずって運んで、内臓まで綺麗に洗い出して・・・。そんな体力なくなってきて、来年あたりは、もう辞めようかとおもってる・・・と語る。そんな話を聴くと、心臓やレバーも有難く食すことになり、「生命」とか「生きる」とかそんなコトを「肉」を食べながら考えさせられるのだった・・・。
投稿者 木村貴一 : 2014年12月07日 23:59 « 火のエネルギー | メイン | 「知りながら害を為すな」とドラッカーさんが云う »