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2011年11月27日

分岐点

地下鉄千日前線の小路駅は、大阪の下町のごく普通のおっちゃんおばちゃんが乗り降りする駅で、うちの会社と家がある駅。奥方と二人で、その小路駅から、難波に向かい、地下鉄御堂筋線に乗り換えて梅田で降りる。梅田から阪急神戸線で、夙川に向かう。出発待ちの電車の座席に座わっていると、地下鉄の乗客と比べて、何となく、雰囲気が上品。

阪急甲陽線に乗り換えるために、夙川駅で降りると、駅の中に、スーパーの成城石井が入っていて、それを見るなり、奥方が、うわー、駅ナカに、成城石井があるわ、凄いわ。流石、ちょっと違うわ。という。なんだか田舎もんのようだけど、めったに、二人で、電車に乗ることがない上に、奥方は、夙川駅で降りるのも、甲陽線に乗るのも初めて。

出発待ちの電車の座席に二人並んで座って、待っていると、乗客は、梅田より、もっともっと上品な感じがする。暫くして、電車が走り出して、その窓から流れていく光景が、夙川の並木と、閑静な住宅の景色で、それに、停車する駅で、乗り降りする乗客や駅のムードも。やぱり上品。

電車が動きだして、暫くすると、奥方が、どこで道間違ったのかなぁ・・・と呟く。え、それ、何のコト。と返すと、大学生の頃は、結婚したら、この阪急沿線で住む予定やったけれど、なんで、大阪の生野区の小路になってしまったのかなぁ・・・・。そうそう、今、ここで、人生を振り返って、ちゃんと、「検証」してみようよ!!と言う。もうお互いに、50歳を超えたのだ。

今や、すっかり、大阪のおばちゃんとなって、小路や布施や今里の下町周辺を自転車でブイブイと乗り回し、それも、それなりに、ご機嫌な様子で、ママチャリを乗っている姿を見ているのだけれど、たしかに、こんな日和りの良い日に、この電車の雰囲気ならば、本当は、この周辺の駅を乗り降りする私の姿があって、ママチャリを乗り回す今の私の姿と、目の前の乗客とを置き換えて眺めているのだろう・・・・。どこで、人生の間違いが起こったのかと、「私」に問う。もちろん笑顔ですけど、30年ほど前に戻って検証せよ。と笑顔で訴求するのだった。

確か、それは、大阪、ミナミの、アメリカ村と呼ばれるあたりでのコトで、今は、アップルのお店が建っている角のあたりから、北側の歩道を三角公園の方角に向けて歩いている、3、4人の女性のグループがいて、それは、当時二十前の女子グループ。

当時のアメリカ村には、ギャラップとか、マイウエイとか、ペパーミントとか、いう古着屋さんが数件と、エルパソとか、パームスという喫茶店とか、数件のディスコとか、とにかく数件のお店がパラパラとしかなく、ガランとした状態で、学校なども残っていて、でも、心斎橋筋の押し合いへし合いしながら歩く、賑やかなムードとは全く違う、独特の、のんびりとした、エエムードがあって、それを、当時の、若い世代が好んだのだとおもう。

密集して店舗が並ぶ心斎橋と違い、通りをかなり、歩いて、ポツンポツンと、店舗があるのを、のんびりと、たわいもない話をしながら、若い故に、ふざけたりもしながら、ぶらぶらと歩いて、店を回わって、服や靴を探し、喫茶店に入るのが、楽しかったのだと、今、振り返って、おもう。限りなく上向きに進み続けると思われた経済情勢と、世の中のアメリカ文化迎合的雰囲気が、学生をそんなムードにさせたのかもしれない・・・・。

確か、「私」は、そのアメリカ村の南側の通りを、三角公園の方角から、御堂筋と心斎橋を横切って、周防町筋にある、喫茶店に向かうために、歩いていたのだ。誰と待ち合わせしていたのかは、思い出せないが、少し、急ぎ気味に、歩いて、西から東に向かっていた。道路を挟んで、北側の歩道を東から西に、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩く女性グループがあって、そこに目を向けると、その中に、大学で建築学科の同級生の友人の彼女がいて、お互いに目が合って、通りを挟んで、声を掛け合う。

それは、ほとんど、すれ違い状態で、「私」からすれば、一対多の状況だったので、その時、その当時の奥方の顔を見たのかどうか、それに、その姿の記憶もないが、そのグループの中にいたのだ。という存在の記憶と、その時の状況だけは、はっきりと、克明に記憶に残っていて、今でも、そのアメリカ村の通りを歩くと、時々、その記憶が蘇ってくる。奥方も、そうそうと頷く。

甲陽園駅に向かう、阪急電車の座席に二人並んで腰掛けて、走馬燈のように流れる上品なムードの車窓をながめながら、その記憶が蘇って、その話をすると、そうそう、それそれ、あの時、あの瞬間、あれ、あれ、、あれが、分岐点やったのね。この阪急甲陽線に乗るかもしれなかった私と、地下鉄千日前線に乗る私。成城石井で買い物をするかもしれなかった私と布施のスーパー万代で買い物をしている私。苦楽園や目神山の邸宅に住むかもしれなかった私と生野区小路の長屋をリフォームして住んでいる私。あの一瞬に「分岐点」があったのね・・・・・・と。

それは、先々週の日曜日に催された石井良平さんによる、「ヤネメシ」パーティへ向かう電車での出来事だった。この週の23日の祝日には、矢部達也さん設計で、弊社で施工した「コトバノイエ」で、「特別理由のないオープンコトバノイエ」という、かれこれ6年目を迎える家でのオープンハウスがあって、木村家本舗でお会いした多くの人を含む、50人近い人たちと、飲んだり食べたり話しをしたりと、楽しい時間を過ごした。

その帰り道の事。奥方と二人で、今回も、やっぱり、初めて乗る、能勢電鉄妙見線の、夜の、小雨まじりの、一の鳥居駅の、プラットホームで、二人並んで、座って、電車を待つ、その時に、向かいのプラットホームの、椅子を眺めていると、なぜか、あの「分岐点」が、蘇った。

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2011年11月20日

ヒューマンウエア

「まちの縁がわ」プロジェクトというのが、12月1日オープンに向けて、本や備品や内装や棚やワークショップの準備などなど、調整作業をしているま最中で、なのに、つまり調整中なのに、朝の8時前から、夜の8時過ぎまで、シャッターは、開けて、オープン状態にしていて、それは、オープンまでの工事の作業の様子から、本の設置作業や打ち合わせの様子などなど、「まちの縁がわ」が出来るまでの「ものづくりのプロセス」をオープンにして、あからさまにしていこうと・・・。

そんな訳で、通りを行く人が、この店何?と、興味をもったり、不思議な様子で、通り過ぎていく。時折、立ち止まって、覗いていく。工務店なのに、本屋さんのような雰囲気。でも、本屋さんでもなさそう。それに、店に誰もいなかったり、時折、誰かが座っていたりして、店に入っても良いのかどうか躊躇する。これお店なの、事務所なの、ライブラリーなの、オープンしているのかどうか、まったくもって定かでない・・・と。

そんなこんなで、12月1日のオープンに向けて、こんな一文を葉書で送る事にした。


まちの縁がわ_小学生3「まちの縁がわ」とは、
住まいの「ライブラリー」として、
それぞれの「ライフスタイル」に思い巡らす、
木村工務店の路面店です。
「家づくり」のプロセスを伝えるお店として、
新たなご縁を結ぶ場所であります。

寛ぎと憩いのカフェスペースとして、
「ものづくり」を学ぶ場として、ホームページのリアル版として、
「住まいの相談室」として、出会いの「縁側」として、
皆さまに親しまれるスペースとなれば幸いです。

また、イベントを発信する「木村工務店ワークショップ」として、
住宅相談会、お餅つき、木村家本舗、左官教室、端材で工作、塗装教室、・・・・、
といった様々なイベントを発信していきますので、
ご家族やお友達をお誘い合わせの上お越し下さいませ。


ここ最近は、打ち合わせの後に、1階の「まちの縁がわ」に立ち寄ってもらったりしながら、いろいろなご意見をお伺いし、フィードバックを繰り返しながら、調整作業を進めている。木曜日の夕方4時頃の事、「まちの縁がわ」に着座して、パソコンで作業をしていたら、近くの小学生が自転車でやってきて、店の前を、覗き込んだりしながら、うろちょろしていた。丁度その時、うちの奥方が、店の前を通りかかった。その小学生が、「ここ何ですか、入っても良いですか?」と尋ねる。「エエよ。エエよ。どうぞ。どうぞ。」と奥方。「おじゃまします。」と礼儀正しく、子供が中に入って、素直に、まったくもって、自然に、吉野杉の床板に腰掛けた。

今までは、不思議な事に、大人は、入ってきても、すぐに腰掛けない。ちょっとした、躊躇い(ためらい)があって、立ち話になる。どうぞどうぞと促してからも、躊躇(ちゅうちょ)しながら、ぎこちなく、腰掛ける場合が多い。DSC03709そういえば、先日、大学生と一緒に、服部緑地の日本民家集落博物館を見学した時の事、南部曲屋で、解説をしてくれたおじさんが、縁側に座る学生に向けて、ハードウエアーとソフトウエアーというコトバがあるが、縁側というのは、ヒューマンウエアーと呼べるのかもしれませね。と言ったのが、とっても印象的だった。

ひょっとして、私たちは、建築的なヒューマンウエアの作り方と使い方を忘れてしまったのかもしれない。さて、眠れる遺伝子を呼び覚ませる事が出来るのでしょうか・・・・。

DSC03728その小学生は、腰をかけて、本棚を眺め、「本見てもエエのですか」と聞くので、「どうぞどうぞ、遠慮せんと・・」と答えると、おもむろに手に取ったのが、青い色の背表紙に「死ぬまでに見たい世界の名建築」と書かれた本だった。腰掛けて、本を見ながら、「これ、カッコエエなぁ・・・」と呟く。「私」も掘り座卓式のテーブル席から立ち上がって、「どれどれ」とそちらに向かう。ごっつい厚みの本を床板の上に置いて眺める小学生。

暫くして、その友達が、自転車でやってきて、「ここに入ってもエエのぉ」と言いながら、中に入って来て、友達の横に腰をかける。同じように、本棚を見て、一番下の棚にある「琳派」という尾形光琳などが載っている、渋~い本を手に取って、本の中をパラパラと見ながら、「この写真、カッコエエな」と呟いた。チラッとしか、その本を見ていないのに、「そやぁ、カッコエエやろ!」と見栄張った「私」。

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その友達の友達が吸い寄せられるように自転車でやって来て、遠慮気味に中に入ってきた。3人が並んで、もう一方の棚のほうに向かって立ちながら、「このでかいのぉ、何?」と聞くので、「オガという鋸ぎりで」「ほら、この、絵と一緒」、北斎の富嶽三十六景遠江山中の絵を指し示すと。「へぇ~~」。・・・・。・・・・。

あの石、カッコエエな。と、会社の前にある石を指して言うので、イサムノグチの人が、作ったんやでぇ。と言って、インサムノグチの本を見せると、暫くその本を手に取って眺めて、唐突に、今、何時? と聞。4時55分。と答えると、あっ、もう、帰らなアカンわ。「また来てもエエですか」「エエよぉ」「ありがとうございました」と言って、扉を開けながら、「イサムノグチ・・・」と呟いて、帰って行った。

まちの縁がわ_小学生6まちの縁がわ_小学生5

次の日の朝、「まちの縁がわ」の前を通勤する、小学校の校長先生と「おはようございます」と、毎朝の挨拶を交わす。偶然にも、高校時代の同級生が、地元の小学校に赴任してきている。そうそう、昨日、こんな事があって・・・・と、写真を見せながら、話しかけると、「迷惑かけてへんか・・」「挨拶、ちゃんとしてるか・・・」「行っても大丈夫か・・・」と心配する様子。「礼儀正しかったでぇ・・・」と答える。お互いに「ありがとう」と言いあって仕事に向かった。

同日。朝。棚の取り付け作業前に、ササキ大工が、縁がわに座って、本を読んでいた。お昼。先日、住宅特集の表紙になった、スガアトリエのスガさんが、ふらりとお見えになって、「まちの縁がわ」で、本を読みながら、昼食中の「私」を待ってくれていた。店の感想など聞きながら、仕事のお話を・・・・。同日。午後。設計の林敬一さんが、夜に、お施主さんと打ち合わせをする事になっていて、その数時間も前から、ノートパソコンを持ち込んで、「まちの縁がわ」で図面を書いていた。そしたら、例の小学生が、またやってきて、「死ぬまでに見たい世界の建築」を眺めて、礼儀正しく帰って行ったのだと・・・。その応対を、ハヤシケイイチさんが、してくれていて、「あの小学生、なんや、ムツカシイ本読んでましたよぉ・・・」と言うコトバを耳にしながら、その光景を想像すると、なんとなく、笑らけてきた・・・・・。同日。夜。「まちの縁がわ」で、ハヤシさんと二人並んで、机の上のコンピュータに向かい、1時間ほど一緒に作業をした。道行く人から、見れば、不思議な光景だったかもしれない・・・。

IMG_0028IMG_0029「まちの縁がわ」2011年11月18日

ヒューマンウエアとしての「縁がわ」を通じて、「集い繋がる広がる」となれば、素敵だなぁ・・・・と願う。

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2011年11月13日

ヤネメシ

屋根の上で、食事をする宴を「ヤネメシ」と名付けたのは、建築家のヤベタツヤさんだったのかどうか、それは定かでないが、建築家のイシイリョウヘイさんから、その「ヤネメシ」のお誘いがあった。石井修さん設計による、「回帰草庵」という名建築があって、その草屋根の上に、タープを張って、宴を催すというのだった。

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この草屋根の下に、あの超有名なリビングダイニングがある。↓ 正確には、そのリビングは、上の写真の右下の方角の写っていない屋根の下にあるのだけれど・・・・。
DSC03992DSC03955建築されてから35年ほどが経過し、ほとんど、山と一体化されて、どこからが山で、どこからが屋根なのか、全く判別できない状況の「草屋根」。上の写真の天窓の下には、2世帯住居になっている、子供世帯のキッチンがあって、3寸勾配の屋根に、手作りしたベンチをかけて、テーブルをしつらえて、炭火で串焼きをするという・・・。

皆で、串にさされた、焼鳥や、椎茸や、肉などを、ワイワイと食べるのだと思っていた。いや、フツウは、そう思うでしょ。それが、全く、違った。イシイリョウヘイさんは、鍋奉行ならぬ「串奉行」として、炭火の前に君臨するのだった。そのまわりをお客さんが、丁重に取り囲む。そして、もはや暴君のごとき様相で、誰ひとりにも、串を触らせることなく、ひたすら串を焼き続けて、一本ずつ、お客さんに、丁寧に、配膳するのだった。

午後1時過ぎから、日が暮れた午後6時過ぎまで、お客さんに一本の串も触らせることなく、まるで、私たちは、イシイリョウヘイパークで飼い慣らされた動物のごとく、ひたすら与えられた、串を食べるのだった。オーダーストップを発するか、ネタがなくなるまで、延々続くような感覚。ところが、それが、めちゃくちゃに美味い。そして、楽しい。

何というのか、それは、建築設計の感覚で、串焼きを設計し施工しているような雰囲気。まず、建築でも、一番大切なのは、「素材」なのだ。と。それで、ネタには、とにかく拘る。あちらこちらから、良質のネタをセレクトし、集めてきたのだという・・・。串も自ら、一本ずつ串を刺し、その串の刺し方にも拘っているような感じ・・・。「炭」の素材にもこだわりの雰囲気が漂い、見るからに、上等そうな、細長い炭。

「私」の友人の鰻屋のタケウチくんが、「串刺し3年焼き一生」という諺を教えてくれたのだが、まさしく、その「焼き」を一本ずつ丁寧に、しかも、6時間ほどの間、まったくもって、集中力をきらすコトなく、火加減と、具材の焼き加減と調味料を全く独りで調整し続けるのだった。その集中力は流石に設計のプロ。きっと、図面も、こんな集中力を発揮しながら書き続けるのでしょうね・・・・・。

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串の出し方の順番や下ごしらえと準備も、それは、まるで、見るからに、設計図のような雰囲気で、用意周到に、準備されているのであって、客人は、カトウさん夫妻、写真家のタダユウコさん、施主のシオザワさん、石井良平事務所のナガエさん、建築家不動産を主催するクヤマさん夫妻、私たち夫婦にイシイリョウヘイ夫妻。そうそう、そういえば、日もすっかり暮れてから、grafのオーナーのハットリさんも、到着したのでした。

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それにしても、これだけの人間をひとりで、串だけでなく、ワインを開けたりしながら、軽やかに「もてなす」「姿」に、そして、今日のこの日までの下準備の大変さを想像してみても、それにそれに、この草屋根という、気付いてみると、圧倒的な存在感のある「場」、このイシイリョウヘイワールドには、教えられるものがあったね・・・・。
とっても「感謝」です。

PS
草屋根だけでなく、独特の雰囲気を醸し出す、薄暗い、リビングダイニングの素晴らしさをあらためて、体験する。これで、何度目かだが、毎回、あらたな発見がある。石井修さんが好んで座っていたというコルビジェの椅子が、未だにその位置にあって、今日はお留守で、どこかに出かけています・・・。なんていう雰囲気で、まだまだ故人の「気」が宿っていた・・・。「合掌」。
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↑ それにしても、このコーナーの使い方の、この素晴らしさ。
↓上の写真の対面にある丸テーブルの角からの眺め。
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暖炉の「火」の素晴らしさも再体験する。うちにある「薪ストーブ」とは、また、ひと味も、ふた味違う「暖炉」の素晴らしさ。それは、「焚き火」が、家の中でできる感覚であり、暖炉からの、煙の「におい」と、「火」の燃える形の美しさに、魅了させられた。

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2011年11月06日

「住宅相談会」と「まちの縁がわ」

1ヶ月に一度ほど、日曜日に、住宅相談会を催していて、全くお客さんがいらっしゃらない時も年に1度ほどあり、それが前回で、1組の時や2組の時もあり、様々。本日は、3組+1組のお客さんが重なったという、1年でも珍しい日だった。

9時頃にFさんがお越しになった。現在、お父さんの事務所がある場所に、小さな小さな賃貸マンションを造る計画で、うちで提案したプランにに対して、こんな案にして欲しいという、その要望をお伺いする打ち合わせだった。日曜日しか休みが取れない人も多く、予約が詰まっていたが、1時間の中で、集中して、お打ち合わせをする。

職業が、住宅金融公庫のローン債務不履行者に対する整理をするお仕事だという。それは、住まい手の年齢によって、債務不履行になっている人が多かったりするのですか?とお聞きすると、まだ、統計はとれていないのですが、年齢ではなく、住宅を建ててから10年から15年の人が多いのです・・・・と。

確かに、考えて見れば、15年前に今の経済情勢を予測出来た人は少ないだろう。給料も経済もどんどんどんどん、まだまだまだまだ上がり続けていくのだ。と、思えた時代だった。今のように、仕事が減り、売り上げが減少し、就職難が訪れ、それに、何度も大地震がやってきて、こんな原子力発電の問題まで勃発するとは、想像できなかった。振り返ってみれば、土地や建物に多額のお金を費やした時代だったのだな・・・・・。

その方が言うのには、こんな仕事に携わっていると、家は有り余っているのを実感するので、これからは新築ではなく、賃貸したり、リフォームをする時代だと、はっきりと認識しているのに、自分自身も住むつもりの小さな賃貸マンションを建てようとする、この矛盾をひしひしと感じていて、でも、自分の年齢を考えても、やるのなら今しかないのかなぁ・・・・と。皆が、シチュエーションは違っても、同じようjに、迷っているのだとおもう。

10時、ご夫妻と男の子二人のお子さん連れでお見えになったAさん。大阪市内のご実家を譲り受けて、新築をしようという計画で、もちろん、リフォームも考えるのだけれど、増築を繰り返していて、かなり、ヘンな状態になっているので、やっぱり新築しかないのかな・・・。というお話がスタートだった。

玄関に土間があり、キャンプ道具やスキーの道具などが仕舞えればれば・・・。それに、仏壇があるので、法事の事もあって、和室は8畳ほど必要で、それにそれに、先祖があるのを常に意識して欲しいので、いつも仏壇のある和室を通過してからリビングダイニングに行けるようにして欲しい・・・・。というのは、とっても珍しい要望だった。本棚がリビングに欲しい。収納は一カ所にあれば、共働きなので、洗濯と洗濯物を干す作業がうまく出来れば・・・などなど。

LDKを中心とした住まい。という事に於いては、日本の住まいのスタイルには、さほど大きな違いはないが、食事の仕方やテレビの見方や収納などなど、細かい部分では、それぞれの家庭によって、多様性があって、それを、細かく対応しながら、編集作業を繰り返して、その家族にあった家づくりをするのが、木村工務店のスタイルなのだとおもう。

「家そのもの」が持つ価値というよりも、「家」によって、「新たなライフスタイル」がもたらされるという、そういう「付加価値」を造りだす、そのための努力が、木村工務店の家づくりのスタイルであって、それには、「家づくりの過程を一緒に共有する」というコトが、大切で、そういうコミュニケーションを施主と設計士と現場監督と職人さんが、ひとつのチームとなって、地道に面倒くさいコトを続けて行く以外に、そんな付加価値を創り出す道はないのではないのか・・・・・というのが、最近、感じているコト。

応接室や会社の玄関で、子供達が元気よく遊び、時々、その騒がしさに、お父さんが、子供を窘めたりしながら、初めての顔合わせが、進んだ。こういう、雰囲気と過程の中からこそ、その家族に応じた、「家」とその家族の「ライフスタイル」が産まれるのだとおもう・・・・。

帰り際には、会社の1階ガレージをリフォームして、「箱物」としては完成した状態の、「まちのえんがわ」に案内する。「まちのえんがわ」は、木村工務店の路面店であり、住まいのライブラリーであり、住まいのライフスタイルを考える場であり、木村工務店の仕事を伝える場であり、木村工務店のホームページのリアル版であり、新たな縁を結ぶ場所でもある。今日は、「まちの縁がわ」の、コンテンツである、古本の搬入と本を棚に展示する仕事が、コトバノイエの加藤さんによって行われていて、その作業の真っ最中だった。

午後1時過ぎ、業界では有名な設計事務所の設計士である、Kさんが、お見えになる。デザインイーストというイベントに、木村家本舗のフライヤーが置いてあって、それに興味をもったKさんが、開催日には行けないのだけれど、両親のセカンドハウスの計画があって、その相談をしたいので・・・。というコトだった。セカンドハウスと言っても、大阪市内に、両親や親戚や知り合いが、集まれる場所として、出来れば、借家をリフォームして住めれば・・・と考えているので、その家探しから、お願いできますか?というのがその概略だった。そんなセカンドハウスを大阪市内に作ろうという、そういう考え方もあるのだなぁ・・・と、興味を持ってお聴きする。同じように、帰りがけに、「まちの縁がわ」に寄って頂きながら、本も家具もすっかりなくなってしまった、木村家本舗にも、少しだけ、うちの奥方が、案内した。

午後3時、Tさんがお見えになる。先週に書いた、「そして誰もいなくなった」号で、一週間に2回もあった、ゴルフの話をしたが、その1回目の協力業者とのゴルフの会が終わって、会社に戻り、作業をしようとして、「まちの縁がわ」の前を通過したその時に、偶然、、ロードバイクに乗った男性が、通りかかって、目が合った。「ここ、何ですか、工務店ですか、何の場所ですか?」と、言って、自転車を止められた。それで、「まちの縁がわ」の意図を説明して、まだ、コンテンツが未完成の中を案内して、お話をお聞きする。

それが「縁」で、本日の相談会に、ご夫妻でお越し頂く。ある小学校の地域を限定して、建て売り住宅を探していたのだが、どうも納得いかず、家づくりを諦めかけていたその時に、偶然、「まちの縁がわ」に出会ったのだと・・・。不動産会社の日住サービスのナリタさんが、たたき台になる物件を用意しくれていて、設計のタナカくんと一緒に、あーだこーだと物件を検討する。土地や中古住宅探しというのは、まさしく「縁」と「決断」の問題であって、いつもながら、単純には行かない、ムツカシイものだなぁ・・・・とつくづくおもう。

そんな訳で、次回、一緒に物件を見るお約束をして、ご縁を持った、「まちの縁がわ」を、ご夫婦で、見てもらう。夕方5時過ぎ、まだまだ、カトウさん夫妻は、本棚の編集作業の真っ最中だった。、ツイッターやFacebookには、

 加藤 博久
「まちのえんがわ」の雑誌の棚ができたよ。

http://t.co/sOmGAgu1

20111107とあり、今は、メインの本棚の奮闘中だった。それは、なかなかの格闘状態でもあって、本の数と種類にも熟慮する要素が多々あって、そんなこんなで、まぁ、今日の作業としては、この状態で終えて、また、後日という事となったのが午後7時過ぎのコトだった。

「まちの縁がわ」は、まもなく、グランドオープンで、それは、不完全だけれど、成長していく「まちの縁がわ」として、また、皆さんに親しまれる、木村工務店ワークショップとして、オープンする予定。それに、「住宅相談会」や「お餅つき」「木村家本舗」「左官教室」「塗装教室」「障子貼り教室」「ブリキで小物造り」「端材でブックエンド造り」「スプーン造り」「リース造り」や「加工場アート展」「加工Bar」などなど様々なイベントを「まちの縁がわ」から提供しつつ、オーソドックスな「住まいの相談室」としての機能と共に、新たな「縁」を結んでいく予定です。・・・・。

そんな訳で、様々な「縁」が重なった日曜日だった。感謝。

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