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2011年10月30日
そして誰もいなくなった
木村家本舗という、新たな「縁」を繋げるイベントを終えたのが、10月23日日曜日のコト。その日、うちの次男が、学校からホームステイでアメリカへ行くことになって、その準備とか見送りとかで、奥方は大わらわだった。もちろん、木村家本舗も開催中だったので、奥方はまさしくバタバタしていた。
ここで、少し、注釈を加えると、木村家本舗の正式発音は「キムラケホンポ」で、木村家(キムラケ)で、まぁ、それは、漫才の中川家みたいなもので、つまり、「キムラさんのおうちでする古本屋さん」から発祥された。そんな訳で、この発音の仕方によって、ネイティブがどうかを見分けたりして・・・・
その次男のホームスティ中の2週間ほどの期間を利用して、同じ学校に通う奥さんどおしで、イタリア旅行を企てたのが、我が奥方。もちろん、木村家本舗を頑張ったご褒美として、行くのぉ。というものの、その木村家本舗が始まる、何ヶ月も前から、そのご褒美を用意しているあたりが、流石。その出発が、10月25日火曜日の朝のコトだった。
つまり、7日間の延べ人数で、200人ほどの出入りがあった、あの賑やかだった、木村家本舗のイベントが終わり、訪問者は誰もいなくなり、本来の「家族の家」に戻るのかとおもいきや、息子だけでなく、奥方も、どこかに行ってしまった・・・・。
そして誰もいなくなった・・・・
もはや、単なる「家」となって、かつては、ツタイミカのマンガ皿が置かれてあった、2400mmの長さのあのテーブルに向かい、Yチエアーに独りポツンと座って、ブログを書く、いまここの「私」。先週とのギャップの激しいこと激しいこと・・・・。
その上、この週には、年に4回しか、それも、コンペの4回しか行かないゴルフが、一日おいて2回もあり、どの2回とも、天気は、雲ひとつない秋晴れのスカッとした天気なのに、スカッとしないスコアーしが出ない、この腕を嘆いてみたい心境だった。何時かは、「メンバーに恵まれまして・・・、」何て云う、おきまりの文句で、優勝の挨拶をしてみたいものだなぁ・・・。
建築という現場生産の「ものづくり」において、もっとも大切なコトのひとつは、「コミュニケーション」という問題で、それは、設計士や現場監督や職人さんが、家を造るために、「建築に貢献」し、「施主に貢献」し、「技術者どおしが貢献」するという、「貢献」という大前提がないと、良好なコミュニケーションは成立しにくいなぁ・・・と感じる今日この頃。
そのコミュニケーションの「潤滑油」として、ゴルフがその役目を担う場合も多々あって、建築の専門工事業者の中には、ゴルフ好きが多く、ゴルフを「接待」としてではなく、コミュニケーションの「潤滑油」とするのも、それはそれで、エエではないのかとおもう。本来的には「接待」は、コミュニケーションの「潤滑油」程度の軽やかなコトだったのだろうが、肥大化と賄賂化と談合化が、いきすぎてしまったのかもしれない・・・。
またその上に、今日のこの日曜日は、弊社の設計士の川本建太くんの結婚式があって、社員共々で、お祝いをした、たいへん良き日でもあったのだが、主賓の祝辞を依頼されると、もちろん、心より引き受けるのだけれど、その一週間前ぐらいから、どんな挨拶にしようかと気になりだして、それに、意外と、社員のコトを知っているようで知らない「私」にも気付いて、心の片隅で、祝辞のコトを気にしている一週間でもあった。
独りっきりの「おうち」で、日々の食事のコトや、一週間に、二回もあったゴルフの用意や洗濯物、それにプレー前日のちょっとした緊張感もあり、また、結婚式の服の用意や祝辞の前のほんのちょっとした心労もあって、勿論、奥方の名誉にかけて、声を大にして、用意周到に準備をして出発してくれているのであります。と公言するものの、木村家本舗が終わって、ほっとするどころか、気の抜けない日々が続いて、神様は悪戯好きなのね・・・・とおもう。
昨日の土曜日の夜、そのゴルフから帰って来た時に、ツタイミカが、マンガ皿の搬出にやってきた。誰もいないひっそりした、どちらかと云えば、「ひとけ」のない木村家を見て、「賑やかな木村家本舗しか知りませんからねぇ・・・」と独特のあの笑顔で、まるで、マンガ皿のように、クゥクゥクゥクゥクゥと笑った。傍らにいた、ミカワ嬢が、「天照大神がお隠れになっているようですね。賑やかにして、呼び戻さなくては・・・・」と呟いた。
おうちで静かな独りも悪くはないが、なるほど、「家」というものは天照大神が照らしていたのだな・・・・。
2011年10月24日
多謝
木村家本舗という催しが終わり、いまの時刻は、10月24日月曜日の午前0時30分で、毎週日曜日にブログを書くという、誠に持って個人的ゲームのような遊びは、成立せず、そういえば、確か、昨年の木村家本舗のオープニングパーティーがそんな状況であって、やっぱり今年もか・・・。木村家本舗のエンディングパーティーでは、もはや日曜日のブログ書きは諦めるしかない。
これが、今年の木村家本舗、最後の写真で、テーブルの脇に置かれた「私」のカメラでカトウさんが撮影したのだろう・・・。午後11時を過ぎ、このライブラリーを提供しくれたカトウさん夫婦が帰られた。お互いの労を労った握手をかわす。最後のお客さんは、建築家のヤベさんで、二人っきりのデッキで、30分ほど語らう。実に、心地良いひと時。午前零時を過ぎて、ヤベさんが帰られた後、ほんとうに、誰もいなくなった、このダイニングテーブルで、いま、パソコンに向かう、ひとりっきりの「私」。
そうそう、今朝、目が覚めたのは、午前7時30分で、いつもなら、5時30分頃に目が覚めて、ランニングをするのだが、まったくもって熟睡して、そんな意識すら起こらなかった。奥方が、今日は走ったのぉ。と、何となく嬉しそうに聞く。日曜日の10kmのランニングを続ける「私」に少々の敬意を表しながらも、継続できなかったのを、喜ぶ側面もあって、いやぁ、確かに、律儀に、日曜日にランニングして、ブログを書くというのも、「嫌み」といえば「嫌み」
前日のトークショーの服部滋樹x木村貴一 ナビゲーターBOOKS+コトバノイエ 加藤博久 は、10人ほどの予定が、当日参加が重なって、27名ほどの参加があり、狭い「大ホール」がいっぱいになるという、参加者の方々には深く感謝したい気持ちでいっぱいで、それとともに、その後の懇親会を小路の「なんどきや屋」で催して、なんどき屋名物の最後に出されたカレーライスで、超満腹感と共に、何だか気分的には、これで、全イベントが終了したという、錯覚に陥り、疲れが毛穴からカレーライスと共に吹き出しそうな感覚を伴いながら、猛烈な睡魔に襲われて、ベットに倒れ込んだ。それが午前零時をかなり過ぎた出来事だった。
そして、いまここ。
「縁」を持った皆さんに対する「多謝」と共に、短いブログにて、眠りにつきたいとおもう。
また、いつかお会いしましょう!
2011年10月16日
準備
朝、5時30分に、パッと目が覚める。雨かどうか、デッキに出て、天候を見る。止んでいる。アスファルトや木のデッキや土は濡れ濡れ。まぁでも良かった。何となく晴れそう。今日の木村家本舗のイベントは三つあって、一つは写真展。これは、加工場でするので、雨の心配はいらない。昨日は雨にもかかわらず、盛況だった。もう一つは、大村君による■Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場で、天気でないと困るぅ。あと一つは、■ graf tea salon et autum garden 茶事 : graf 川西万理で、ガーデンと名の付くとおり外。天候が何よりも大切・・・・
それにしても、昨日の雨は思った以上に激しくて・・・。そうそう、その雨の中で、木村家本舗があり、その日の様子は、木村家本舗のホームページに掲載するとして、そのイベントが終わったあとに、うちのベッショ大工の家の竣工パーティーがあって、社員皆で、お邪魔する。
奥さんの親と二世帯で同居する家を自分で基本設計し、自分で大工仕事をしながら建てられるのは、大工ならではで、羨ましい限り。何よりも、家のデザインかどうのこうのという問題よりも、そういう、「ものづくりの過程」を家族で共有しながら、一緒に住む家を建てるという、その行為の中に、幸せの源泉があるのだとおもう。仲良く暮らす家として、末永く愛される家になってほしいと願って、最後は皆で一本締めをした・・・・。
そういえば上棟式も雨だったね。と、ベッショ君の奥さんが帰り際に呟いたが、帰り道は、それなりの雨が降っていた。明日のコト、つまり、今日のイベントのコトが気になったが、家に帰ると、その前日も宴会があったので、ほんとうにベットにバタンと倒れた瞬間に、意識がなくなり、まさしく死んだように寝た。
その前日の宴会は、暮らし向上リフォーム研究会という野池さんが主催する研究会がうちの会社の三階の会議室であり、その後の懇親会をうちの家=木村家本舗で、催すコトになって、時折激しく降る雨の中、15人ほどで、あれやこれやと盛り上がった。その上に、木村家本舗の写真展を加工場でするための準備作業がその日に重なり、社員全員と女性写真家の3人で、会場造りをし、キュレターのノモトさんや、カトウさんも、成り行きを確認しにやって来て、その慰労会も一緒に重なるという、もう、何の宴会だか、全くよく分からない状況になって、おそらく、うちの奥方が、もっとも戸惑いながら、右往左往して、活躍したのだとおもう。感謝。
その暮らし向上リフォーム研究会では、耐震補強の構造評点1を確保するという、その問題をどう解釈し、どう位置づけをするのかで議論したり、ネガティブ情報の取り扱い方や、シロアリ、雨漏り、などなど、それらが、成果となって発表出来ればとおもう・・・・。
そうそう、午前5時30分に目が覚めたのだった。天気を確認し、いつものように走ろうという気持ちが沸き起こって、それで、ゴソゴソとランニングの用意をし、走り出す。西の空には月。午前6時30頃の大阪城には、ウォーキングやランナーの人たちが、かなりいて、昨年の今頃よりメチャメチャ多い。きっと、大阪マラソンの準備運動なのかもしれない・・・・。そういえば、ランニングを始めてから一年が過ぎたのだ。
ランニングを終え、15分ほど静かに過ごした後、朝風呂に入ってすっきりする。髭そって、歯を磨いて、身支度し、庭に出てみると、落ち葉だらけだった。きっと、昨日の激しい雨のせいだな。それを掃除し、ゴミを捨てに道路に出て、暫くしたら、赤い、ルノー・キャトルがバタバタというエンジン音とともにやってきて、カワイイイ車の中から、長身の大柄な大村君がニョキッと現れた。それが午前9時の出来事。そらは青空。
セッティング前に、木村家本舗の中と、写真展の加工場と、まちのえんがわをひととおり案内して、駐車場に戻ると、大村君はセッティングを開始した。その時、ど派手なカスタマイズされたエスティマがバリバリという音と共に、現れた。それが、ベッショ大工の車で、そうだ。そうだ。昨日、カメラを置き忘れたのだ。それを、今日のコトを考慮して、わざわざ朝から届けに来てくれた。窓が開いて、昨日のお礼とともに、カメラを渡してくれる。こちらこそ、ありがとう! どうも、最近、もの忘れが、始まりだしているような感じ・・・。
私は、庭に戻る。まだデッキは濡れている。朝ご飯に、プロテインとパンとコヒーを食べることにして、口にパンを入れている時に、携帯が鳴った。grafの服部さんで、キムラさん、まだ声、寝てるでぇ。が第一声だった。今日の茶事の準備のための到着が10時頃になるらしい。
そのコーヒーがまだ飲み終わらないうちにカトウさん夫妻が独特のエンジン音と共に、サーブで到着した。おはようございます!と挨拶をかわして、それぞれの準備に入る。私は、マキタのコードレス掃除機で、玄関周りの外から中、廊下、階段、2階デッキ、2階のLDKと掃除していると、grafの服部さんと川西万里さんが静かな音の車で到着し、レンジローバーから降り立った。茶事の準備に入る前の服部さんを写真展とまちのえんがわに案内して、暫し、歓談する。
こんな感じで、■Traveling Library 大村家本舗 at 駐車場の準備が整った。その畳にカトウさんが座ってツイイターをし、大村君はスタンバイして、お客さんを待つ。
garafの川西万里さんとそのお友達が、■ graf tea salon et autum garden 茶事 の準備に追われながも、庭が、どこかのホテルのガーデンのような雰囲気に変貌していく。不思議といえば不思議。服部さんは、うちの次男の自転車に乗って、小路から布施に向かって、みかんを買いに走って、それを陶器に入れると、いっそう、場の雰囲気が昇華して、エエ感じになって、これで、スタンバイOK。
奥方はリビングダイニングで、片付けと拭き掃除に大わらわ。次男は、少々ふて腐れ気味で、なんで、俺の家に知らん人がこんなに沢山やってくるのかぁという態度と顔で、英検の試験があるらしく、その試験前に本を見ている。まぁ、家族もスタンバイOKっていう雰囲気か。
そして、気付いたら、もう、午前11時になっていて、5分ほどしたら、ひと組目のお客さんがやってきた。2階から玄関に降りると、うちの専門工事業者の川端建具さんで、木製建具を担当する川端さん夫妻とそのお友達二人がお見えになった。こうして、準備が終わり、木村家本舗の10月16日日曜日オープン5日目が始まった・・・・。
2011年10月09日
陽気
実にエエ気候。最高に心地良い季節。特に戸外が圧倒的に気持ち良い。10月8日の土曜日に、「木村家本舗」というイベントをオープンしたのだけれど、この心地良い季候に誘われて、窓は全開で過ごす。部屋以上に、庭やデッキで過ごす時間がとっても居心地が良い。きっと、多くの人が、あちらこちらの公園や郊外に出て、この数日間のとっても気持ちの良い気候を楽しんでいるのだろうなぁ・・・。
今年の一番のりは、建築家林敬一さんの事務所に勤めていた設計のシモカワさんで、2歳になる女の子を自転車に乗せてやってきてくれた。久しぶりの再会で、嬉しい。そんなことを Facebook に書くと、私の知り合いが、彼と同級生だと、名乗り出て、以外な繋がりを知って驚く。Facebookというものが、新たな「縁」を結ぶ、縁側的な役割をしているのだな。
それにしても、1~2歳の子供と二人っきりになるのは、何ともいえない「恐怖」があって、泣かれたらどうしようかとドギマギするし、おむつを替えるのもどうもね・・・。っていうのが、「私」。でも、若いシモカワくんは2時間以上も二人っきりでいられるのは、とっても勇気があるねぇ・・・なんて、話すと、いや、最近の若いお父さんは、半分ぐらい、そんな感じで、平気ですよ。と云う。
いやぁ。そんなのムリムリと云っているのは、私やカトウさんや吉野からわざわざやってきてくれた、阪口製材の息子さんのサカグチさん。建築家のコンドウさんは、私には奥さんの持っているような、お乳が出ませんからねぇ・・・と、とっても微妙な言い訳をしていた。さて、皆さんはどっち・・・・。
さてさて、ゆっくりとした出足だったが、午後3事頃から、OB施主のお客さんがゾロゾロとお見えになった。うちの会社の駐車場の裏で、眼鏡の3D金型を造る山岡製作所の社長さんが、ふらりとお見えになった。息子さんの家もリフォームしている。
こういうイベントの楽しさのひとつは、家づくりではない、コミュニケーションをする楽しさ。人の出入りが少ない時は、いろいろな話をじっくり聞けたりし、またあれやこれやと、私も話す。山岡さんからは、眼鏡の製造の歴史を聞くのが面白かった。私は途中で席を外したが、カトウさんにとっては、初対面だったけれど、全開の窓の袂で、話がはずんでいたようだった。
なんでも、今の大阪市生野区の田島で、昔から鏡を磨く技術があって、いつしか硝子を磨くことになり、それで、ついでに、べっ甲で、眼鏡も造るようになったのだと。べっ甲って、水が糊の役割となって、くっつくのだそうだ。へぇ・・・。それが150年ほど前の出来事だというから驚き。ある日、福井から人がやって来て、眼鏡を造る技術が、福井の人々の冬の仕事として、伝授されて、眼鏡製造の町、福井になったのだと・・・。ある時、映画でロイド眼鏡が流行し、そんな眼鏡を造ってくれという大阪人がいて、セルロイドで型抜きで造る技術から、やがて、鋳型に流し込んで造る技術を山岡さんのおじいさん達が造りだし、それが、2.5Dの鋳型の技術に発展し、数年前には、アメリカのスタンフォードの人たちが、この小路の町に沢山やってきて、アメリカのコンピューターの技術と、日本のCAMの技術が融合して、3Dの眼鏡をつくる技術が産まれて・・・。などなどと、一部、間違っているかもしれないが、そんな四方山話を聞くのが、実に楽しい。
昨年も沢山の古本を買って頂いた、タカヤマさん設計によるSさん親子が、今年もやってきてくれて、あちらこちらで、寛いでくれた。昨年は、工事中に、このイベントがあり、今年は、完成した家から、この木村家本舗にやって来てくれたのは、とっても嬉しい出来事。
なのに、ご主人が、千葉へ転勤するコトに決まって、来週には、単身赴任するのだと云う。超大手企業って、イジワルなのね・・・・。まぁ、それでも、Sさん一家が愛する家で、奥さんが心地良く過ごしている姿を思い描けるのは、ある意味、幸せなコトでもあって、亭主がたまに帰ってくるぐらいが、丁度、エエのと違いますぅ。なんていう冗談を交えながら、エールを送った。
うちの経理部長のコバヤシくんの同級生で、ただ今リフォーム工事が終盤にさしかかっているKさんが、家族でお見えになった。コバヤシくんも、会社からこちらにやって来て、庭のデッキや、あちらこちらで、ゆったりと過ごしながら、あれやこれやと話をする。
木村家本舗の玄関前の行き止まりの道に偶然迷い込んできた若い二人の男性がいて、偶然にも私と玄関前の道路で居合わせて、それで、行き止まりやでぇ、と告知し、迷いついでに、木村家本舗にでも迷いこんでみるぅ?と、声をかけてみると、そのうちのひとりが、じゃぁ。と云って、入ってくれた。まぁ、彼らにしてみればワナにはまったような、とってもおかしな「縁」。でも、それなりに喜んでくれた。
その後は、昨年コンクリートの外断熱の家を施工した、OB施主のNさんが、次の店舗工事の打ち合わせを兼ねてお見えになり、設計のヤマガタくんも会社からこちらに来たり、一緒に会社に戻ったり。ただ今、計画中のSさんも立ち寄ってくれて、あっそうそう、長男の同級生で、高校生の頃、よくうちに泊まりに来て、やんちゃに遊んでいたトガワくんが、彼女を連れて、来てくれたのも、それぞれの成長と時の移ろいを感じさせられる嬉しい出来事だった。
15日16日の写真展の準備も兼ねて、キュレターをしてくれている、印象的丸坊主頭のノモトヒロヒトさんが、女性写真家の詫間のり子、山元彩香さんを連れ、会場セッティングの事前打ち合わせに来てくれて、うちの工事部長のトミマスくんを交えながら、あれやこれやなんだかんだ・・・。
こんな感じで、初日の木村家本舗の幕が開いた・・・・。そしてオープニングパーティー。
うちの社員。grafのスタッフ。写真家のメンバー。ツタイミカ、ヤマサキミノリの、やべガール。ミカワ嬢の同級生の女性トリオ。カトウさん夫妻。近くに住むチーママのトンちゃん。退院リハビリ中の顧問フクモトさんも家から駆けつけて、それに会長も飛び入り参加して、それにそれに私たち夫婦。などなど30数名が、異業種交流のごとき様相で懇親する。そういえば、この宴で、カトウさんより「現場監督」=「クリエーティブディレクター」という命名がなされて、きっと何時しか、うちの現場監督の名刺には、そのように刻印されているコトでしょう?
「縁」を結ぶ可能性が薄い人たちが、木村家本舗という「縁」で出会い、楽しく「宴」を催し、新たな「縁」を結ぶのは、実に楽しい。それもこれも、この陽気のお陰だな。いや、ひょっとすれば、それは、妖気だったのかもしれない・・・・。まぁ、でも、とにかく、この気候に感謝したい。
PS
そうそう、ツタイミカさんによるマンガ皿が実にエエ感じ。
↑ レイアウトを考えるツタイミカ
↓ マンガ皿を見た、大人も子供も笑顔する。
今月号のANA翼の王国の「ANA MEETS ARTS」に紹介されていて、長谷川祐子さんの文章には・・・
「マンガ皿」は文化と人間の肉体を繋ぐその瞬間をテーマにしているのではなかろうか。
料理は作られればそれで終わり、ではない。口に入れる行為が食物と人間とを脈絡付ける儀式である以上、その接点はおろそかにしてよいものではない。
もちろん、古来、人類はその重要性を知悉していたから、器に関して、長い研鑚と深い考慮を重ねてきた。「マンガ皿」のおもしろいところは、そうした文脈を現代の問題へと昇華させている点にある。
食事という行為を食事が持つ文化を「読み取る」行為へと一歩推し進めようとする姿勢が、「マンガ皿」にはある。「食べる前に読め!」と提言するかのような愛らしくも鋭利なお皿たちを前にすると・・・・
ツタイミカ本人は、そんなに深く考えてませんけどねぇ・・・。と、ホンワカと語りました。
時間があれば、是非、ご覧下さい。
2011年10月02日
貢献
「善良な管理者として・・・」というコトバが、建築の契約書の中にはあって、それは、例えば、台風などがやってきた時に、台風養生もせず、その管理している現場だけに被害があって、世間の他の現場には、被害がほとんど発生していない時は、善良な管理者としての義務を怠っている。というようなニュアンスなんだろう・・・・
曖昧だけれど、奥行きの深いコトバだとおもう。それで、ある広告代理店に勤める方のリフォーム工事の契約があって、その契約の内容を説明し、契約した後に、雑談の中で、日本の広告代理店が世界一の規模だそうで、アメリカに世界一の規模の広告代理店の企業があってもよさそうなのに、なぜ、日本が世界一なのですか・・・・と問う。
と、例えば、ある日本の広告代理店は、トヨタも日産もホンダも、所謂、ライバル会社の広告を同時に、同じ企業の中で、取り扱う訳で、それは、企業の新商品などの情報が漏れる可能性もあるのだけれど、そこは、社内の中で、社員が、いわゆる、「善良な管理者として・・・」良心をもって、仕事をして、情報を守り合う。そして、クライアントは、その事に信頼する。そんな事が日本人同士の中では、可能であるので、それで、一社で、広告を扱う量が、かなり多いのだ。・・・・と。
「善良な管理者として・・・・」というのは、「プロフェッショナルとしての良心」のコトなのだろうし、心構えと自分の立ち位置と姿勢を示すコトバなのだな。と、そんな話を聞くと、あらためて、考えさせられて、日本人の持つ特質なのか・・・と、印象深く、心に残ったイイ話。だった。まぁ、でも、原発に関連する様々なコトは、「善良な管理者として・・・」どうなんだろうか。という疑問と議論が、心の中で、沸々と湧いてきたのも確か。
さて、この10月8日の土曜日から第二回木村家本舗がはじまるわけで、その打ち合わせのために、プロデュースをしてくれている、カトウさんが、今日のこの日曜日、木村家本舗にきて、あれやこれやと、いやぁ、実は、ほとんどが、四方山話なんだけれど、午後3事頃から午後9事頃まで、話題がつきるコトなく話続けた。そうそう、そういえば、近くに住むトンちゃんが、「家の玄関の鍵が開かへんので、どぉしょぉ!」というSOSがあって、それを見に行って、暫し、会話を中断したのが、いかにも工務店的ではあった・・・。
何というのか、お互いに、「善良な管理者として・・・」シゴトをしようよ。という、暗黙の了解があるのだとおもう。この木村家本舗は、皆が無報酬で参加してくれていて、勿論、代金をもらう商品やイベントはあるものの、基本的には、何らかの「文化的貢献」をしてみようよ。というのが、奥底で静かに流れているリズムなのだとおもう。そんな事をカトウキムラの二人が中心になって楽しみながら、勿論、それなりの苦しみも伴いながら、いろいろな人たちを、ちょい強引、ちょいムリムリに巻き込みつつ、「文化的な繋がり」を広げていく、「貢献」的「遊び」なのだとおもう。
それで、木村工務店も大いに関わっているので、商売抜き。なんていう偽善的なコトバを堂々と使うのも可笑しいのだけれど、社員の皆は、シゴトを調整して、本や家具を運搬したり、写真展示会場設営などに、「貢献」してくれる予定で、こんな作業を通じて、皆で一緒に、「貢献」というものを学ぶ機会になればとおもう。
grafの服部さんも会社ぐるみで参加してくれて、木村家本舗のあちらこちらに新作家具も含めて、置かれるのだけれど、もちろん、それは、木村家本舗というイベントゴト以上に、文化的なものに広く「貢献」していこうとする企業姿勢なのだとおもう・・・。この機会に、暮らしの中に置かれたgrafの家具を体験してみては・・・・
写真家のノモトヒロヒトさんも自分のシゴトをやりながら、女性写真家をキュレイションしてくれて、ほんと、無報酬の「貢献」なわけで、女性写真家の方々も、人が集まるのか集まらないのかよくわからないイベントにノモトさんを信頼して参加してくれる。感謝。「私」は、この機会に、ノモトさんから「写真」を教えてもらおうと考えているので、もし、時間がとれる方は、私と一緒に、ノモトさんから写真を学んでみませんか・・・・。
この9日の日曜日には、建築を設計する「林敬一 / 高山佳久 / 近藤英夫 」の三名が木村家本舗に遊びに来られて、この機会に、建築家と会ってみたいとか、住まいの相談をしてみたいとか、そんな方々がいらっしゃるのなら、「私」が、仲をとりもちますので、お越し下さい。勿論、三人とも、何かに「貢献」してみる。というのがテーマなので、リラックスしたムードだとおもいます。
そんなこんなで、この8日からはじまる木村家本舗は、私たちにとっては、「善良な管理者として貢献する・・・」っていうのを学びつつ、皆さんと一緒に、寛ぎ、楽しむ、遊び。なのだとおもう・・・。都合がつけば、遊びにお越し下さい。
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