2012年07月01日
「ハート」
加工場で大工さんが構造材の刻み加工をしていて、そこで、コバヤシ大工さんと久しぶりに会う。で、職人事務所の中で、あれやこれやと話をしていると、「材木屋の岡房商店のシンチャンから聞いたけど、毎週、日曜日ランニングしているらしいな。一年ほど続いているらいしやんか。」と言う。「毎週やないけど・・・。」などと、にこやかに答えながらあれこれと短時間に交わす何気ない会話の中に、「ハート」のやりとりのようなものがあって、「大工さんがんばってや、よろしく頼むで、よっしゃわかった、まかしとき。」みたいな事が、会話の背後に含まれているのだとおもう・・・。
今朝、起きると、ちょい雨。6月の日曜日は1回だけしか走っていなくて、それは、会社の慰安旅行があったり、雨だったり、朝から予定が詰まっていて、何となく躊躇したり、それに、走らないでエエような理由や出来事を何となく探しているような「心」が、言い訳がましく、うだうだと呟いている6月でもあって、そんな状況下で、何となく、前日の夜から大工さんとの会話が背後霊のように付きまとっていて、そんな個人的な事情とは関係なく、仕事として朝9時頃からお客さんが来る打ち合わせがあり、そのあと、例の住宅風呂巡礼が、ブッキングの都合で、2周連続になってしまって、ちょいハードな予定が重なって、それらの予定がやっぱり背後霊のようにくっついていて、まぁ、でも、ここは、あの時の大工さんとの会話の力を借りて、ランニングをする事にした。
「ハート」に従うなんていう心のありようもあるが、内的にぶつくさぶつくさと言い訳がましく呟く「心」のありようもあって、そういう内的な、ぶつくさとした呟きに考慮することなく、物事を為す事をもって、無と呼ぶのか、無為と言うのか、それは全く定かではないが、とにかく「心」というのはあれやこれやと面倒くさいもので、意外と言い訳がましい。なのに「ハート」のつながりややりとりが、物事を動かすエンジンの役目を担って原動力となりながら物事を為していくのであって・・・と、心とか「心」とか「ハート」とか、そういうあいまいな表現で、エエ加減な使い方をしている訳で、まぁ、そんな面倒くさい話より、小さな事実は、兎に角、小雨の中で、ランニングをした。それを助けてくれたのは、大工さんとの会話である。そして、「心」のぶつくさに耳をかさなかったことである。・・・。
朝早くから新築の打ち合わせに来て下さったお客さんとの打ち合わせを終え、お昼から第八回住宅風呂巡礼があって、今回は、演出やブッキングを協力をしてくれている、コトバノイエのカトウさん宅で催された。撮影そのものは、「身内」的な乗りで、そんな事情もあるので、縁のある見学者に観客として参加してもらいながらの住宅風呂巡礼だった。
見知らぬ温泉ソムリエぐっちが我が家のお風呂に入り、それを大まじめに撮影するという「馬鹿みたいな出来事」という面白さがあるものの、その撮影後の雰囲気からうまれる「家族写真撮影」というのが、新に加わった楽しみのひとつ。それに今回は、その撮影後の雰囲気からうまれる「小宴会」をする。という楽しみがもうひとつ加わった。
なぜか、独特の和み感が家全体を包む小宴会。「住人力」と住まいの雰囲気が持つ「建築力」という根源力が最も大きいが、住宅風呂巡礼というチンドン屋さん的ちょっとした馬鹿騒ぎの後に、参加者の中に育まれる「ハート」のつながりとやりとり。本当に、そんなやりとりががあったのかどうか、全く定かでないが、「お互い、楽しく、創造的に生きよね。仕事も気楽に、でも、がんばろね。ちょっとした反骨精神もいるよね。」なんていうやりとりがあったような、なかったような・・・。
投稿者 木村貴一 : 2012年07月01日 23:49 « まとわりつく | メイン | クリエイティブな層 »