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2011年02月27日
バス宴
岐阜の高速道路の渋滞の帰りのスキーバスの中で、ノートパソコンに向かう。道路の両サイドの雪は、溶け出して、土の黒い部分が交じる、雪と土のブチ状態。スキー場でもパラパラと雨が降って、時には、雪になったりと、不順な天候だった。今年の冬は、かなり寒い冬だったが、寒さが徐々に暖かくなっていく、というより、一気に、いや、唐突に、春をお迎えするような感覚。もう、2月が終わろうとしているのだ。まさに、逃げていく。というコトバが相応しい・・・。
2年に1回ほどの割合で、社員や協力業者の有志が集まった、スキーツアーをしていて、うちの会社では、ゴルフ好きは、高齢化して、ゴルフが、コミュニケーションの役目「も」担うのは、どちらかと言えば、協力業者の社長さん達との関係で、社員の30代前後の若手と、若い大工さんと、協力業者の職人さん達が、17名集まってのスキーツアーは、若者とのバス宴&コミュニケーションでもある。
土曜の夜の11時に会社に集まって、生野区小路からバスに揺られて、岐阜のダイナランドに向かう。このツアーには、集合の2時間前に、会社の近くにある居酒屋に集まって、前夜祭をする。という変な、「しきたり」というか、「癖」があって、その宴会の参加者は、有志の中の有志数名で、流石に、ワタクシは、それには、参加しない。
そんな訳で、バスに乗り込む時には、もう既に、参加者の半数のひとが、ハイテンションな状態で、いわゆる「できあがって」いる。なので、夜の11時から夜中の3時頃まで、バスの中での、若者のハイテンションなバス宴が続く。今回は後部席が、向かいどおしになって、テーブルがある、サロンカーだったので、盛り上がりも絶好調だった。
協力業者の会長をしてもらっている、岡房商店のシンちゃんは、55を越えているのだけれど、その昔は、学生ツアーというスキーバスを何台もしたてて遊ぶ、その会長をしていて、というよりも、そういう学生ツアーの創始者のひとりでもあるという。そのシンちゃんを、うちのスキーツアーに強引に誘う。勿論、昔取った杵柄のていで、それなり楽しみにしてくれているのだと、ワタシは、勝手に、そうおもっている。
そのシンちゃんは、兎に角、参加するけど、バスの席は2席とってもらえへんかったら、寝るのが辛いから、行かへんでぇ。という要求を突きつけてくる。確かに、ワタシも、社長という特権をこの時ばかりは、絶対的に行使して、2席をもらう。まぁ。それぐらい、バスの中で、寝るというのは、辛い。そのうえ、後席では、ハイテンションの若者が、声高らかに、騒ぐのである、いや、ふざけあうのである。益々、寝られへんのですわ・・・・。
50を越えて、まともに寝ることも出来ない、どちらかと言えば、寝ることに関しては、かなり辛い若者向けスキーバスツアーを主謀するのは、馬鹿げた事のように、思える瞬間もあるのだけれど、実は、あの「馬鹿騒ぎ」、それも、かなりの大馬鹿者の集まりなのだけれど、それを側で、見聞きするのが、楽しくて、嬉しい。のだ。
2年前のスキーツアーでは、バスの運転手があまりの馬鹿騒ぎに、怒り出して、このままでは、スキー場まで、運行できません。と言われる始末。確かに、ワタシも、居酒屋かどこかで、見知らぬ若い社会人が、こんな馬鹿騒ぎをしているのを見ると、腹が立つに違いないとおもう。それで、今回は、会社の旅行を依頼している、旅行者の若い男性添乗員が、自分もスノボを練習がてら、同行してくれることになって、ひと安心。貸し切りバスという、密室空間での、ごく私的な出来事の世界として、お許しを頂きたい・・・。
今回も、スキー場に到着して、運転手さんに、騒ぎのお詫びを伝えると、ニコニコ顔をこちらに送りながらも、確かに五月蠅かったな。という、表情が所々に、吹き出していて、それでも思い直したように、もう一度笑みを返しながら、「とにかく、お客さんが、楽しそうに、喜んでもらえるのが、何よりですわ」と、言ってくれた。ちょっと涙ぐましい、プロ魂。
今回の寝るは、首枕を持ち込んで、幾分、睡眠の助けになったものの、それでも、寝たのか寝ていないのか、ほとんど判別がつかないほどの眠りの状態で、朝の5時をむかえ、ダイナランドでは、サンライズ営業というのがあって、朝の5時からリフトが運行していて、勿論、それに行く気満々の若者の勢いに乗せられて、朝の6時過ぎからスキーをする事になってしまった。・・・・・。
梅林にて。スキー行きたかった・・・http://twitpic.com/448pzq
社員と協力業者の有志で、貸切バスに乗って、ダイナランドへ、バス宴&スキー。そろそろ帰り仕度。http://twitpic.com/448zen
スキーの後の温泉。面倒臭いから、入らんでも。と思ったが、入ったら入ったで、やぱり気持ちエエねぇ。さて、帰りもバス宴が続くのか、それとも、爆睡か?http://twitpic.com/449sl9
帰りのスキーバスの中で、これを書く、そんな、いまとここ。バスの中は、静まりかえっている。流石に、バス宴は続かず、爆睡なのだ。時折、イビキすら聞こえる状況でもある。この馬鹿騒ぎとスキーの後の、心地良い疲れが生み出す、心地良い静寂が、このブログ書きを誘発するのだろう。そういえば、きっと、バスという密室空間で、寝たか寝ていないのか、朦朧(もうろう)とした状態にさせてくれる、あの夜中の馬鹿騒ぎが、「私」にも、カタルシスと共に、ある種のハイな状態を与えてくれているのだとおもう。
thanks 大馬鹿者達。
2011年02月20日
施主力
大阪ガス住宅設計アワードの表彰式というのが水曜日にあって、矢部達也建築設計事務所のヤベさん設計で、弊社で施工をした、「コトバノイエ」が、最優秀賞を受賞し、その表彰式でもあった。
ひと組、3人まで、出席出来るらしい。それで、ヤベさんのはからいで、施主のカトウさんと施工の木村工務店のワタクシを招待して頂いたのは、特に、施工者の私たちに気配りを頂いた事は、工務店という、ものづくりをする、現場監督や見積者や職人さん達を代表して、とっても有り難い事だった。
大阪ガスビルの8階食堂の一角で、表彰式があり、ガスビル食堂には、ちょっとした憧れもあって、一度は行って見たい食堂でもあったのだけれど、何となく、敷居が高く、それに、わざわざ・・・という感じもして、未体験だった。レトロなイメージを抱いて、会場に訪れたのだが、新たに改装されたのだろう、オシャレで、いま風な感じで、イメージの継承というのはムツカシイものだなぁ・・・とおもう。
待合のロビーで、今回の審査員のひとりでもある、中原洋さんに、久しぶりにお会いして談笑する。2003年の夏頃に、大阪ガスの雑誌「住まう」の取材のために、「私の自邸」を訪問して頂き、その時の様子をホームページに掲載してもらった。当時は、そういう業界の事に無知で、住宅建築に精通した有名な編集者だとも知らずに、しごく気軽にお話しをしながら、スタッフの方ともご一緒に、うちの奥方も交えて、たこ焼きなどを食べながら、歓談した。後々その高名を知って、暫く前の事だったのに、一瞬、汗が出た・・・そんな思い出。お会いした時に、うちの家のことをしっかりと記憶に留めて頂いていた事が、何よりも嬉しかった。
審査員長でもある、木原千利さんとも、初めてお会いする。実は、10年ほど前に、高校時代の同級生が、木原さんに、病院と住居併用の建物の設計を依頼していて、その時のプランが二つあり、どちらが、エエとおもう・・・・と相談された事があった。中庭のある、建築的には、かなり魅力的なプランを推薦したが、鬼門とか風水の問題で、別のプランで竣工した。そんな話を木原さんと談笑すると、あの時ね、あの中庭のプランね・・・。と、その時の事を語られて、中庭のあのプランが実現できなかったのが残念そうだった。建築家との家造りには、捨て去る事も必要なのだなぁ・・・と再認識する。
表彰式の審査員の挨拶に、「このコトバノイエの建築は、施主にも賞金の半分を渡してあげて下さい・・・」という、コメントがあって、会場内に笑いが渦巻いたのだが、確かに、建築家との家造りにおいては、「施主力」というのが必要なのかも知れない。施主の建築に対する理解力と辛抱が求められるのだろう。設計力と施主力との協働による建築力。それに、ものづくりをする工務店力もちょっと、付け加えておきたいところだね・・・・。
建築の持つ力、建築力というのが、話題にのぼった。コトバノイエの建築を通じて、施主のカトウさんは、自分自身の内向的なある部分が、解き放たれたのだ。と云う。この建築のおかげで、コトバノイエという古本屋さんを始めようと、思いついたのだと。過去の囚われからの解放をもたらし、住まうひとに、内的な自由を与える建築。エエねぇ・・・。
表彰式終了後、わざわざ、本町から、生野区の小路にある、チリトリ鍋の「げんや」まで移動し、ヤベ夫婦とカトウ夫婦とキムラ夫婦で、ホルモンを食し、その後、木村家本舗に移動して、深夜まで歓談した。カトウさんのツィートには・・・
kotobanoieFeb 17, 2:22am via Web
木村夫妻と矢部夫妻の前で、誕生日ケーキのふーができるとは、夢にも思いませんでした。望外の喜びです。どうもありがとうございました。
コトバノイエという建築を通じて、設計のヤベさんと施主のカトウさんと施工のキムラさんとが、不思議な繋がりと関係性を保ちながら、付き合いを続けている。もちろん、施主と設計者と施工者という、ビジネス的な関係性を背後に含めながらも、それらから解き放たれたサムシングエルスも存在しているのだろう。きっと、お互いどうしが、「良心」を保持しようと、ちょっとした努力をしていることからうまれる関係性なのかもしれない・・・。
そういえば、今週は、建築家の林敬一さんが設計し、昨年の秋にお引き渡しをした、西宮M邸のお施主さんから、お礼のお手紙を頂戴した。その文面の中には、「・・・・中略・・・・家と親友になれた私たちは、ほんとうに今を大切に「笑顔」を感じあえています。これもひとえに・・・・中略・・・・・」とあって、ここにも、建築家との家づくりからうまれる、施主の心の解放を垣間見て、何ともいえない、感動が湧いてきた・・・・。
今日の日曜日、大阪ガスの授賞式で、同じく受賞し、ヤベさんから紹介してもらった、設計事務所のアルファヴィルさんから、オープンハウスへのお誘いがあって、訪問する。沢山の設計関係のひとがお見えになっていて、偶然にも、先日、木村家本舗で催した、「音の宴」のDJをつとめた、カブハウスの久山さんと、建築家の林敬一さんにお会いする。そのツィートには・・・・
アルファヴィルさんの茨木のオープンハウスに林さんとお邪魔し、現地で偶然木村工務店の木村さんとか屋根裏設計の中山さんとか・・・・・
その住宅は、壁が斜めに傾斜し、平面が長方形ではなく・・・と、設計者は、見た事もないような、新しい空間性を創造する事に挑戦したのだろうし、きっと、その背後では、施主力も大きく貢献したのだろう・・・・。勿論、工務店力も必要不可欠だろう・・・。
建築家との家づくりには、工務店の設計施工では、創造できない、魅力的な空間性があって、それには、設計力はもとより、何よりも施主力なくしては、為し得ない事なんだとおもう。そんな施主になるのも、家づくりのひとつの選択肢だなぁ・・・・。
2011年02月13日
ラーメン
ベランダで、職人さん達と、ドーナツと缶コーヒーを一緒に飲んだ、そのマンションリフォームの引き渡しがあった。壁は、漆喰ペンキ塗り。床材には、久しぶりに木童の土佐栂を使った。淡いピンク色で、独特の堅さと柔らかさと暖かさがあって、好きな床材のひとつだなぁ・・・・。
それが終わったあと、間口が1間半の長屋の全面リフォームの引き渡しだった。現場監督のツジモトくんが中心となって、設計のカワモトくんと大工のノブヤマくんの意向をうまくとり纏めて、補強工事から細かなディテールまでを調整してくれて、狭小だけれど、心地良いリフォームになった。こういう、現場監督と大工と設計の協働が、工務店の設計施工の良さだと思う。
そんなこんなで、10日の夜遅くに、引き渡しが終わり、会社に戻って、作業をしていると、奥方から電話がある。サトちゃんが来て、飲んで、待ってるでぇ。という。サトちゃんとは、私の妹の旦那の愛称。そのサトちゃんが、50才を越えて、スキーに「はまって」いるのだという。それで、一緒にスキーに行こうよ。というお誘いがあり、そんな訳で、明日の11日の祭日に、岐阜まで、車の日帰りスキーに行くことになっていた。ワタシにしても、「50才越え男二人スキー」のその姿は想像しにくいし、勿論そんな経験は初めて。
家に帰ると、サトちゃんは、ちょっと酔っ払いながら、スキーのビデオを見て、イメージトレーニングをしていた。その様子が、どことなく滑稽だったので、ちょっと、笑ってしまう。一緒に見ろ。というが、それは、丁重に、お断りし、雑談を交えながら、ご飯を食べ、暫くして、明日のスキーの用意をする事にした。
午後10時をまわっていた。明日は4時頃出発だと伝えると、サトチャンは、明日に備えて、寝るわ。と言って、そそくさと、寝床に向かった。普段は9時過ぎに寝るらしい。職業は整形外科医。とにかく、マイペースなのだ。そのマイペースぶりに、夫婦で苦笑しながら、スキーの用意や雑談をしているうちに、午後11時を廻っていた。それにしても、明日の事を考えると、ろそろワタシも寝よ。と、布団に入った、その瞬間に、電話が鳴った。
1年前から入院していた93才になる祖母の様態が、急変したらしい。という、父からの電話だった。急いで、服を着替えて、父と母を車に乗せて、3人で病院に向かう。看護婦さんは、酸素マスクを付けて、調整作業をしているところだった。暫くして、当直医がやってきて、事態を説明してくれた。どうも、突然、熱が出て、肺炎を起こしたらしい。このまま、最悪の事態の可能性もあるが、回復の可能性もあるのだという。一旦は、家に帰ってもらっても良ろしいですよ・・・・・と。
その雰囲気からして、スキーは中止する事にした。その事を、寝息をたてながら眠るサトちゃんを揺り起こし、iphoneのビデで撮影したその様子を見せると、ふらっと体を起こして、危ないかもしれんな・・・・と、呟き、そのまま、また、バタンと眠りこんだ。まるで、ドラマの一場面のようだった。そして、ワタシも寝りにつく。
明くる朝、起きると、大阪には珍しく雪が積もっていた。記憶に残る、2月11日の祝日の朝だった。お昼前、祖母の様態と、スキー中止の知らせを聞いた、妹の家族がやってきて、うちの家族と一緒に病院に見舞いに行く。岐阜のスキー場に一緒にいるはずだった、病院に勤務するサトちゃんが、今は、よその病院で、うちの祖母の様態を見て、首を横に振っていた。いや、ほんと、人生とは不可思議だとおもう。時間を前後して、弟の家族も見舞いに駆けつける。
なぜか、ほんとうに、なぜか、皆で、ラーメンを食べようという事になった。ここから車で数分の高井田の金久右蔵門に行く事にしたが、その途中で、日曜日と祝日が休みなことに気付いた。もはや、すぐ近くまで来ていて、別の場所に行くのには、手遅れだった。とりあえず、前を通過することにする。と、それが、偶然にも、「臨時営業」だった。店内は、いっぱいだが、客待ちはゼロ。そして、その時のツィートがこれ・・・・・
kimutaka1Feb 11, 1:26pm via Echofon
予定外が、いっぱい重なって、金久右衛門で、ラーメン。
そして、その日の夜、祖母は他界した。おいしいおいしいと言って、初めて食べた妹家族にとっての、そのラーメンは、忘れられない味となった事だろう。もちろん私たち家族にとっても。祖母の生前からの願いもあって、家族葬として、12日お通夜、13日告別式として、しめやかに執り行われた。
小学校の6年生まで、なぜか、祖母が、着物を着て、毎回、私の参観に来てくれた。そんな思い出と共に、謹んで「感謝」の意を捧げたいとおもう。
2011年02月06日
癒し
土曜日、マンションリフォームの現場確認に行くと、お施主さんが、職人さんのためにドーナツを差し入れしてくれていて、3時の休憩に、職人さん達と、缶コーヒーを飲みながら、そのドーナツを食べて、歓談する。それが、どういうきっかけで、そういう話題になったのか、思い出せないのだけれど、家に帰ってからも、奥さんのお手伝いをして、簡単な大工作業や、器具の取り替えなどをするのかどうか・・・・。という話題だった。
電気工事のオカモトくんが、現場では、微妙な器具の位置出しや配線をとっても上手にこなすのだけれど、「家では、電球ひとつ取り付けるのが、イヤで、面倒くさいのですわ」と言うと、廻りを取り囲んで、一緒に休憩していた、塗装屋さんのテラガミくんや、設計のタナカくんや、その他、職人さん皆で、ニコニコしながら、うん、そうそう、と頷く。
こないだ、家のクーラーを取り付ける時も、器具だけ買って、自分で取り付けるのが、面倒くさくなって、家電屋さんで、取り付け共でやってもらって、取り付ける時に、監督だけしましたわ。と言うと、それを聞いて、同じ、電気工事の職人さんが、ほんと、そうですわ。うちなんか、奥さんと一緒に、ミドリ電化にクーラーを見に行って、奥さんが、店員さんに、取り付けは、旦那がするので、取り付け費を値引きして下さい。と言うと、クーラーは、取り付け費を含んでいるので、ダメです。と言われて、しめしめ。と思ったんですわ。
ところが、実際に買う時は、ヤマダ電器で買うことになって、同じように、奥さんが、取り付け費は引けますか。と聞いたら、はい、引けますよ。え~、引けますぅ。って、言いよったんですわ。横で、聞いてて、そりゃないでぇ、と思いましたわ。家でも、仕事のように、クーラー取り付けなアカンようになってしもたわ。と、ぞっとしましたわ。そのうえ、洗濯機も買って、主人が設置しますから、設置料引いてもらって・・・・。うゎー、言ってまいよったわ。洗濯機まで、取り付けなアカンようになってしもたわ・・・。と。そんな、現場での職人さん達との、たわいもない会話が、、実に楽しい。意外と、癒される。
という話を、第二名神高速道路をドライブしながら、助手席に座る奥方に、語る。後の座席では、息子がイヤホンで音楽を聴きながら眠る。何がきっかけで、伊勢神宮に行こうという事になったのか、よく、思い出せないが、午前11時頃に、大阪市内の自宅を出発した。
朝、ランニングをし、その爽快感を持続するためにも、銭湯に行こう。と、奥方を誘うと、行く行くという。それで、息子も誘う。と、こんな日曜日の朝、早くから、今、何時、7時半、え、眠たい。行かへん。と連れなく断られる。流石に、中学2年生の後半になると、ちょい、反抗期になって、小学校の時のような素直な少年ではなくなってきている。それはそれで、良い事なのだ。そんな訳で、車に乗って、5分ほどの高井田のユーバスへ、二人で朝風呂に入りに出向く。
ゆったりと、入るつもりだったが、それが、予想に反して、駐車場はいっぱい。お風呂の中は、おじさん、おばさんで、かなり、いっぱいで、ワタシも、まわりの皆と、同じ、れっきとした、おじさんなんだ。と、あらためて、寂しい認識をする。
いつものように、寝湯、露天風呂、サウナ、水風呂、塩サウナ、電気風呂、洗髪、体洗い、ひげ剃り、最後に、体を湯がく程度に、お風呂にに入って、あがり、着替え、そのまま、お風呂屋さんで、モーニングのスクランブルエッグを食べながら、家から持ってきた、朝刊を読む。
家に帰ると、10時前で、息子は起きて、食事室で、お腹を空かせながら、お笑いを見て笑っていた。日曜の朝からの、お笑いは、ちょっと、絶えられない。と、なぜか、その時は、そう感じた。その事を伝える。と、反抗期をむかえている息子との、ほんのちょっとした、バトルになってしまった。いつか、テレビで、アグネスチャンが、反抗期は、ホルモンのせいだ。と言っていたっけ。
暫くの時間が経過して、その様子に、奥方が、割って入って、そうそう、以前に行こうと言っていて、用事が出来て、行けなくなった、伊勢神宮へドライブをしに行こう。と言い出した。ついでに、竜王に出来た、三井のアウトレット。
「私」は伊勢神宮と法隆寺が結びつき、伊勢神宮を見た帰りに、西名阪道路の法隆寺インターで降りて、法隆寺を見れば、日本的なものと、中国大陸的なものとの違いを感じられて、オモロイのでは・・・と、おもうタイプなのだけれど、奥方は、伊勢神宮とアウトレットが結びつくタイプだった。当然、3人で、伊勢神宮とアウトレット。になる。
午後2時頃の伊勢神宮で、驚いた事は、予想に反して、駐車場がいっぱい。臨時駐車場までいっぱい。普通の冬の日曜日なのに・・・。それに、おじさん、おばさんでいっぱいの朝風呂と違って、伊勢神宮は、若い女の子達も、それに、若いカップルも沢山いて、暫くぶりの伊勢神宮に参拝すると、人の多さと、その人気に驚かされた。横で、奥方が、パワースポット、パワースポットと連呼していた。歩きながら、奥方のまわりでのパワースポットにまつわるお話しを拝聴する。知らぬ間に、奥方も、パワースポット教になっていのだ。
きっと、世の中全体が、「癒されたい」症候群なのだ。それにしても、いつ行っても、内宮の正面の階段に至までの、あの長いアプローチはエエな。とおもう。長い木の橋を渡り、右折れし、砂利を踏む音を聴きながら、広い砂利道を直線的に歩く。暫くして現れる右手の五十鈴川で手洗いをし、左折れをすると、木立が見える。直線的に天に向かって伸びる木立の間の緩い上り坂を歩く。左手にある、神社建築的建物群を見ながら進み、ほんの緩い左カーブの向こうに、突き当たりが見える。右手に象徴的な屏風のような塀。そこで、左に向く。木立の中。数十段の階段を見上げる。その一番高いところに、独特の形の鳥居と御門が見える。内宮の正殿は、何重にもある木の塀の向こうで、全く見えない。そんな静謐なムードの伊勢神宮には、日本的カッコ良さがあるねぇ・・・・。
そうそう、奥方が、ケチやな、あの中、建物、ちゃんと見せてくれてもエエのに。と、呟いたのが、印象的だった。確かに、そういう、こころも、一瞬湧いてくるよな。それと、若いひとも含めて、二礼二拍手一礼でお参りするひとが、増えたのも、印象的だったな・・・。
そんなこんなで、竜王の三井アウトレットに到着したのは午後5時をまわっていた。それでも駐車場は、ほぼ、満車だったのには、やっぱり驚かされる。流石に、ここは、若いカップルや家族連れでいっぱいだった。私も息子と仲良く買い物をする。消費する事が、癒しを誘発するのだろうか・・・・。
「ランニング」+「銭湯」+「伊勢神宮」+「アウトレット」+「ブログ」 = 「癒し」 なのか。
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