2012年09月02日
1985巡礼団
「Forward to 1985 energy life」2012年秋の大集会というイベントが、9月1日の土曜日に、埼玉県の埼玉会館大ホールというところであって、サブタイトルは「家庭の省エネから日本を変えよう」という、ちょっと大上段なタイトルで、「私」などは、家庭の省エネから暮らしを変えようという小さなアプローチでもエエのだとおもうが、まぁ、それはともかくとして、その主旨は・・・
- 最終的に目指すのは、豊かで、人間的な、究極の省エネルギー社会をつくること
- そのアプローチとして、まずは1985年当時のようなエネルギー消費のあり方を目指す
- その目標達成のために、家庭部門がその先頭に立ち、年間のエネルギー消費量と電力消費量が1/2になることを目指す
- その目標達成のために、すべての家庭において、年間のエネルギー消費量と電力消費量が1/2になるように取り組む
この運動の言い出しっぺの野池さんは、仕事やプライベートでも関わりがあって、何よりも「まちのえんがわ」という名称を提案してくれた人でもある。そのノイケさんが言うのには、原子力発電による発電量と家庭の電力消費はほぼ同じで、家庭の電力消費を半分にすれば、原子力発電も半分でいけるのだという。それが上の表。
それで、原子力発電に頼らない電力消費の時代はいつなのだろうかと調べてみると、1985年当時の電力消費のスタイルになれば、原子力発電は不要になりそうだという。
そこで、1985年の電力消費と今の電力消費を詳しく比べると家庭部門の電力消費が約2倍、産業部門の電力消費は約1.5倍となっているらしい。ならば、今の家庭の電力消費を2分の1にすれば、産業部門は節電しなくても、そのままの活動で、1985年当時の電力消費となり、あとは業務部門と運輸部門の節電と自然エネルギーによる発電で賄えば、原子力発電に極力頼らない日本社会が実現出来るかもしれないと・・・・。
そうであるとして、家庭の電力消費を今の2分の1にするために、我慢の生活をするのかというと、それは、断熱や遮熱をしたパッシブデザインの家を新築やリフォームし、省エネ機器を導入したり、それに省エネなライフスタイルを楽しみながら暮らす事によって、電力消費を半分に実現できるという。それでは、そんな生活は具体的にはどんなライフスタイルなのだろうか?皆で知恵を集めて工夫してみよう!。というのが、おおよその1985運動の内容で、詳しいことは → を参考にして欲しい。
とにかくその集会が埼玉であって、こんなスケジュールと内容だった。
ウエノくんという47歳になる設計士がいて、彼は、関空を設計をしたレンゾピアノ事務所で働いた経歴の持ち主で、もちろん関空の設計担当者にもクレジットされているらしい。その彼が埼玉で催される1985集会に行くお金を節約するために車で行こうよ! と言い出したのは暮らし向上リフォーム研究会の懇親会での出来事だった。ウエノくんは東北の気仙沼大島でボランティアをしていて、昨年のお盆休暇の時は、家族でボランティアのウエノくんをボランティアするために、二日間、気仙沼大島でキャンプをし、家族ぐるみで気心を知る仲となった。
オオツカくんという明石で大塚工務店を若干35歳で経営する元気な青年がいて、彼は設計事務所での勤務経験を経て、実家の工務店を引き継いだという。そのオオツカくんとウエノくんは、ノイケさんが主催する暮らし向上リフォーム研究会の会員であり、その研究会は3ヶ月に1度、木村工務店の3階会議室で会合をしていて、まぁウエノくんとオオツカくんと「私」とノイケさんがそんな縁で結びついていた。
ウエノくんとオオツカくんは、どちらも、いわゆる建築オタク系で、建築を見て回る事が好きで、そういう方面の建築知識が豊富だった。その二人が、暮らし向上リフォーム研究会の懇親会で顔を合わせて、それで、それを意気投合とよんでよいのかどうか微妙だが、とにかく、絶妙な建築知識の掛け合いトークを巻き起こして、懇親会では、ノイケさんや女性の参加者も含めて、爆笑の渦に包まれた。
その時の抱腹絶倒の勢いに乗っかる形で、1985大阪埼玉弾丸日帰りツアーを「私」の車で行く事になり、参加者を募るも、当然のことながら、誰もエエオトナが、そんなしんどそうなツアーに参加するはずもなく、紆余曲折のすえ、結局、ウエノオオツカコンビ&キムラの3人で行く事になった。
8月31日金曜日の夜遅く、うちの家に二人が集合し、ビールでも飲みながらウダウダと建築談義をしているうちに気がついたら午前0時となり、慌てて寝るものの、午前4時には起床し、大阪生野区の小路を車で出発したのが、午前4時30分の事だった。
どちらかというと、高速道路の長距離運転が好きな「私」という気質があって、自宅から第二京阪、京滋バイパス、新名神、西名阪、伊勢湾岸、名神、東名、新東名の浜松SAまで快適に運転を担当する。その間、ウエノオオツカコンビのトークは一瞬たりとも止まる事がなく、建築の話から身の上話、女性の話まで、延々と続き、残りの埼玉会館までは、二人のコンビが運転してくれたのだけれど、とにかく、車の中の会話が3秒以上途切れる事がなかったのが、とっても驚愕な出来事だった・・・。
その日の高速道路は渋滞もなく、おもいのほか快適で、10時30分頃には現地到着予定だとカーナビが伝えていた。それで、建築オタクコンビの提案もあって、近くの建築でも見てから、埼玉会館に行こうかと、海老名SAで、ケンケンガクガクと談義し、そうこうするうちに、ウエノくんが知り合いの東京の設計士に、どこに行くのがエエのかと、携帯メールを送ると、「川越の古い街並み」と、それはまるで、「ミッション」のような返信メールが送られてきた・・・・。
そんな訳で、渋滞する東京の街を、途切れる事がなく延々と続くウエノオオツカトークにニタニタしながら通過し、迷い込んだように、カワゴエの街に降り立つケンチク好きな30代40代50代の不思議なトリオ。
川越から埼玉会館まで、予想外の渋滞に巻き込まれ、開演時間に間に合うかどうか心配し、食事をする時間もとれないまま、なんとか間に合って、埼玉会館に到着したものの、プログラムの前半は、流石に、睡魔に襲われて、半分ほどコクリコクリとしていた事をカミングアウトしておこうとおもう。
第二部の「家のコトは生きるコト」というサブタイトルがついた「家事塾」を主宰する辰巳渚さんの講演は思いのほか面白くて・・・。パネルディスカッションは、あと1時間ほどあっても良かったぐらいで・・・。そんなこんなで、700人ほどの参加者があった講演が終わり、ついでにスタッフの懇親会にも出席し、関東の人たちと懇親を深めて、結局のところ埼玉会館を出発したのは、午後9時前で、大阪の生野区小路に着いたのが午前3時頃だった。
当然のコトながら、帰路の6時間ちかく、ウエノオオツカコンビから放たれる、建築から身の上話までに及ぶなんとも摩訶不思議な会話は、一瞬たりとも途切れる事がなく、「Forward to 1985 energy life」がエネルギー問題の奇跡的解決になるりえるのかどうかまだまだ定かでないものの、1985巡礼団車中ノンストップトーキングは、ほんとうに奇跡的な出来事だったのだ・・・・。
追伸
楽しい道中にしてくれたウエノオオツカコンビに感謝の意を捧げておこうとおもう。
投稿者 木村貴一 : 2012年09月02日 23:59 « 「森」と「木」と「木材」吉野遠足 | メイン | 模型製作ワークショップ »