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2016年02月28日
ピーチとスープカレー
ここ5年ほど、毎年この時期に、北海道に行くことが、ルーティーンになっていて、きっかけは、北海道にある建材店のキムラさんの大阪支店が2011年に出来て、そこの所長に抜擢されたサトウさんが、縁起をかついで、キムラ繋がりの木村工務店を最初の訪問店にし、うちの会社に営業にやって来たのが始まりだった。
断熱気密のコトを知りたかったら、是非、冬の北海道に来て、実際の住宅を見て欲しいという、強いお誘いがあって、それが2月のこの最終週に、キムラの建材ショーと共に、見学ツアーをするので、来て欲しいというコトだった。それまでに、自立循環型住宅に興味を持ち、その講習会に行くと、その講師が知り合いの住まいと環境社のノイケさんだったこともあって、温熱環境のコトはそれなりに学んではきたが、北海道の住宅に対する興味など、正直言って、全くなかった。
2012年が最初の北海道断熱気密住宅の訪問で、その時は、偶然ご一緒になった南雄三さんと旧荒谷邸を見学し、その後キムラのサトウさんと施工中の現場を何軒か見学して、その夜の懇親会では北海道の有名工務さんとご一緒する機会にも恵まれるなかで、断熱気密の技術は、北海道の工務店で発展してきた技術だと知ることになったが、何よりも体感的だったのは、そういう住宅の居心地の良い暖かさだった。
2013年は、前年に誘ってもらったお礼として、再び冬の北海道を訪問し、これからの住宅の目指すべき方向性のようなものを再確認することになって、それで、2014年からは、社員の誰かを連れて一緒に冬の北海道の断熱気密住宅を訪問するコトにしたのだけれど、もちろん、実際の現場で作業する大工さんの気密の技術を学ぶコトがエエのだけれど、それ以上に、冬の北海道の断熱気密された、居心地の良い暖かさを体感することが、こんな住宅を造ってみたいという、プリミティブな衝動になって、設計者や施工者にとっては、技術以上に、そういう「衝動」こそが、最も必要なコトに思えるのだった。
2016年の今年は、この2月23日の早朝より、現場のタツタくんと設計のカワモトくんと車で連れだって、関空第二ターミナルの駐車場に1泊させて、Peachに乗って北海道に向かったが、ちなみに、2012年はANAで、2013年は、前年にオープンしたばかりのPeachに乗ってみると、早い時期に予約すれば、北海道まで7000円ほどの価格で、ま、これぐらいの座席でも充分だとおもえる飛行機だったので、2014年以降の社員を連れての北海道断熱気密住宅見学は、ピーチが就航していなければ、きっと継続されていなかったとおもう...。
それと、KIXカードを使うと、駐車場料金の割引もあって、1泊3800円ほどで、バスでも電車でも片道ひとり1000円以上かかることを思えば、3人以上なら、高速代金やガソリン代を含めても、お得感があり、なによりも乗り換えや待ち時間がなく、帰りなどは、午後8時頃、関空に飛行機が到着し、午後9時には、会社に戻ってきている状態だった。そういえば、この時期の北海道便は学生のようなグループでいっぱいで、ビジネスマンはピーチを使わないのでしょうな....。
この日は全国的に寒波が押し寄せてきて、大阪でも寒く、北海道は吹雪で、午前7時15分発、午前9時5分着の便は、着陸態勢に入って、徐々に高度が下がって、もうしばらくすると着陸かと思いきや、急にエンジン音が大きくなり上昇しだしたのには、思わず読んでいた本を閉じて、えっどうなったのぉ?という空気感を皆と一斉に発したのだけれど、雪のため多くの飛行機が発着が出来ず、ターミナルゲートが全部詰まっている状態で、この飛行機のゲートがなく着陸出来なかったそうで、しばらく旋回を続けて1時間ほど遅れて新千歳空港に到着した。その日は、その数時間後に、エンジントラブルで飛行機から脱出したひとたちのニュース報道もあり、旭川や函館など、別の飛行場に着陸した便もあったそうで、それはそれなりに幸運だったのだろう。
この北海道旅行の食事のルーティーンというのもあって、夕食の懇親会や2次会や3次会のあと、締めのジンギスカンをだるまというお店で食べる事で、夜中の1時や2時頃にジンギスカンを食べるなど、大阪では、全く想像すらできないが、しばれる寒さの雪のすすきのでは、そんな時間に行列が出来ていて、女性だけのグループもあり、一度味わうと癖になる感覚で、そんな気候風土と文化の違いを体験するのも大切で、おそらくこんな文化の違いが、断熱気密住宅の探求にも反映されているのだろう。
そうそう、2次会のバーで、地元の女子に訊くと、最近の夜の締めの流行は、ラーメンではなく、スープカレーだよ。と言っていて、うちの家でも奥方が好きで、最近たまに食べるのだけれど、今回の旅行でもお昼にスープカレーを食べて、その後に話題になったのは、スープとご飯をどういうふうに食べるかで、スープとご飯を交互に食べる。ご飯をスプーンに盛ってスープの中につけて食べる。ご飯をスープの中にどばっと入れて食べる。ま、そんなん、どっちでもエエんですけど、とにもかくにも、スープカレーも札幌発祥らしく、これからは、断熱気密住宅の普及と共にスープカレーも普及するのかもね...。
2016年02月21日
ロータリー
運転免許証の更新に、生野警察まで電動ママチャリで行くと、警察署の手前に交通安全協会の事務所があって、そこで免許証用の写真を撮影してもらうことにした。フツウの民家を事務所にリフォームした素朴な協会で、窓際に置かれたダイニング用の椅子に座って下さいと言われ、自転車で髪の毛乱れてたので、手で髪を直していると、事務所の壁に貼ってある鏡をゆっくり覗くようにと事務所のおっちゃんに笑顔で言われ、テキトウに笑顔でなおすと、事務のおばさんが、インスタントカメラを手持ちで撮影してくれた。窓から入る朝日で眼鏡が反射するからもうちょっと顎を引いて、もうちょっともうちょっと、と言われて、3度も取り直しをしたら、おっちゃんが、このひと男前に写真撮るんやでぇ!。おばちゃんが、いやぁ~ん、なに言ってはるのぉ! っていう、まるで、ドラマかコマーシャルのような一場面があって、写真が出来上がると、免許証の提出を求められて、申請用紙に印紙も貼って、名前も書いてくれはって、はい、このまま隣の警察に提出して、視力検査してもらったら、ここに戻ってきて、次は10時40分からの1時間のビデオ講習を受けてもらって、郵送代800円を払ったら、それで終わるから、それでよろしいですか?と訊かれたので、なんとなく勢いと流れで、はい。と答えてしまった「私」。
ビデオの上映開始まで40分ほどあり、ちょうど生野警察署の道路を隔てた前にある生野区役所で、先日開催した、「生野区空き屋リノベーションアイデアコンペ」をフォローアップするイベントを「まちのえんがわ」で開催する予定があって、その待ち時間を利用して、区役所の方々とあれこれ打ち合わせをした。「まちのえんがわ」が生野区持続可能なまちづくり活動支援事業として認定されたのが一年前で、いやべつに、補助金があるわけでもなく、ただただ生野区と協力関係を維持しながら、持続可能なまちづくりを考えていこうという合意を形成しただけの事で、ま、そんな縁で、3月13日日曜日の13時30分から「空き家を商うあきない話」というお題で開催する予定なので、興味のある方は、是非。
そのあと、ビデオ講習を受けるために、交通安全協会の事務所に戻って、事務所の奥にある、荷物置き場のような、講習会場のような、椅子だけが15脚ほど置かれたフツウの部屋に、プロジェクターとスクリーンがあって、その横には段ボールとか、楽屋裏のような光景で、それが、なんと講習者は「私」ひとりで、講師のおじさんと私のマンツーマンの講習が始まったのには少々面食らったが、そのつど、怖いですねぇ、、、危ないですねぇ、、、と問いかける相手は私ひとりなわけで、なんとなく、ダラダラっとビデオを一時間見るだけだとおもっていたら、一生懸命その問いかけに答える必要性に迫られて、こうなったら、この状況を楽しむしかないわけで、いやぁ、ほんと怖いですねぇ、、、いや、ほんと気ぃ付けなあきませんねぇ、、、とその都度相づちを入れながらの講習会となった。もちろん最後には、お疲れ様でした。ありがとうございました。と笑顔で挨拶を交わすのですけどね....。
講習の中で、ロータリー式の交差点の説明があって、大阪では堺のどこどこにあって、交通量の少ない道では、信号機なしで交差点を行けるし、震災の時などに信号機が切れても安全なので、これから増えてくるかもしれません...という話を聴きながら、昨年のお盆に、フィアット500で、イタリア1500km山岳都市を巡る旅をした時の映像が脳裏をかすめたのだけれど、イタリアの田舎道は、ほとんどが、ロータリー式の交差点で、信号で止まったのはミラノやローマなどの都市の中だけだった。iphoneのグーグル地図が、日本語で音声案内をしてくれるのだけれど、4つ角の交差点にさしかかって左折をしようとおもうと、イタリアのロータリーは左周りなので、右から3つめを右折して下さいと案内されるわけで、最初は戸惑ったが、慣れてしまうと、信号で止まらないストレスのなさは、それなりに快適だった。
それにしても、5つ角とか6つ角になると、混乱してきて、2度ほど間違って曲がり、運転手の息子とナビゲータの私で、ささいな口論がはじまったりするわけで、とんでもない方角に走る事になり、Uターンしようと広い敷地を見つけて車を入れ込むと、奥からイタリアのおばさんが出てきて、怒鳴りつけられたりし、ある時は、グーグルさんが、方向を正すために、とんでもない山道をチョイスしてくれて、山奥の小さな村に迷い込むように走り続けて、アップダウンやくねくね走ってようやく元の道にもどったりするわけで、そんな時に見たイタリアの小さな村のなんでもない小さな教会が印象に残ったりするのだった..。
本日は住宅相談会の日曜日で、午前中にご主人ひとりでお越しになったAさんも、お昼からの若いBさんご夫妻も、午後3時からの二世帯住宅を目指すCさんご家族も、3件とも土地探しというのは珍しい相談会で、日住サービスのナリタさんに同席してもらって、プロジェクターに映し出されるグーグルのストリートビューを一緒に見ながら、いろいろな土地を見て、あれやこれやとコメントしあう訳けで、そんなのが意外と楽しい時間なのだけれど、それにしても最近、土地が動きだしているのでしょうか...?
Aさんは、一週間前に見て気にいった生駒のフラットな土地が、この日、ナリタさんに確認してもらうと、別のひとが予約をいれたとの事で、それはそれでショックな話だったし、Bさんは、中古住宅を購入してリフォームするという覚悟のようなものがあるものの、大阪市内か生駒市かと場所をどこにすれば良いのかと迷っておられて、Cさんは、2世帯住宅が建てられそうな、安くて大きな土地を八尾に見つけたものの、問い合わせてみると、車が入れそうにもない、2mほどの接道で、そんなこんなで、土地探しというのは、ロータリーのようにグルグルグルグル回り続けながら、違う道に迷いこんだりもして、いつか自分に合った道を見つけて、ロータリーから抜け出していくような、そんな気がした、土地探しな住宅相談会だった....。
2016年02月14日
ドメイン騒動
2月10日水曜日の夜、社内で、「あれぇ、木村工務店のホームページが変やぁ!」と、タカノリが叫んだので、慌ててホームページにアクセスしてみると、こんな画面になっていた....。タカノリというのは「私」の長男で、昨年秋から木村工務店に入社し、只今、その長男家族と同居中で、当然ながら同じキムラなので、ここでは、タカノリと呼ぶことにしようとおもう。
「kimuko.net」というドメインが乗っ取られたのか、それともホームページを置いているレンタルサーバーのプロバイダーに問題が発生したのか、何が何だかまったく理解出来なかった。kimuko.net と kimuko.co.jpを所有していたので、とりあえず、kimuko.co.jp と入力すると、木村工務店のホームページは見られるのだけれど、現場ブログと、このシャチョウブログと「まちのえんがわ」は、写真が全く表示されない状態で、kimuko.net と何度も何度も入力し直しても、いつものうちのホームページではない、見た事もない外人の男性の顔が表示され、インターネット上の木村工務店が消滅したような感覚に囚われて、なんだか一気に喪失感が襲ってきた。
レンタルサーバーの会社にメールで問い合わせをしたのは午後9時をまわっていて、翌日は祝日でもあり、もっと早い時間に気付けば、電話問い合わせでも出来たのに...と、ブツクサ呟く「心」を尻目に、「いま」という時代にホームページにアクセス出来なくなるという事は、1997年から公開して積み重ねてきた木村工務店のホームページがなくなり、このブログの歴史のようなものも消滅し、それは、バーチャルな木村工務店が消滅しただけなのに、あたかも会社の実在そのものが消滅してしまったに等しい感覚に囚われてしまうのが、とっても面白い体験だった。
11日祝日の朝になっても「kimuko.net」は、見知るぬ西洋人の男性が表示されるだけで、事態は改善されていなかったが、祝日にも関わらず午前中にレンタルサーバー会社からのメールは届いて、サーバー上の問題ではなく、「kimuko.net」ドメインの有効期限が切れているのが問題のようです。という回答だった。という事は、このまま他人に「kimuko.net」ドメイン名が渡ると、ほんとうにインターネット上の木村工務店にアクセス出来なくなり、インターネット上の存在が消えてしまうのだ...と、世間の祝日ムードとは裏腹に、私の心の中は、そわそわして、落ち着かない状態だった。
そのレンタルサーバー会社でドメインの更新手続きをしてもらっていると思い込んでいたのが、そうではないらしく、どこでドメインを登録していたのか全く思い出せず、祝日にも関わらず、経理担当のコバヤシくんに電話をして、何年か前に振り込んだはずの「kimuko.net」ドメイン登録会社を検索して探して欲しいと依頼するも、明日、会社に行かないと解らないという事だった。それもそうだ。その間、タカノリに、Whoisというツールで、ドメイン名の登録状況や登録情報を確認してもらうと、海外のドメイン登録プロバイダーで登録していたことを探り当ててくれて、英語でその登録会社にメールの問い合わせをしてくれた。
それとともに、フェースブック上とツイッター上に、「kimuko.net」ドメインからの木村工務店ホームページアクセスが不通な件をメッセージし、その後、急いで、午前11時からの、お得意さまの葬儀に参列して、昼すぎに帰ってきたが、依然として「kimuko.net」ドメインからの木村工務店ホームページアクセスは全くカイゼンされておらず、怪しい会社な雰囲気のままだった。
そん状況のなかで、午後3時頃、電話連絡とともに「まちのえんがわ」にリフォームの相談にお客さまが飛び込みでいらっしゃった。お話をお聞きすると、どうやら、祝日のその日、娘さんがリフォームをするために見つけた木村工務店のホームページを父に見せると、とっても怪しいホームページになっていて、それで、検索すると、フェースブック上の不具合のメッセージがあり、とりあえずフリーダイアルで電話をして、会社は休みでも「まちのえんがわ」だけでも見て、木村工務店の「実物」と「実態」を確かめに来たとの事だった。そんな話を交えて、フェースtoフェースでコミュニケーションをとりながら、なんとなくの信頼を得たようで、後日うちの担当者から連絡をし、現地調査にお伺いする事になった。それにしても、世の中の縁とは不思議なものだとつくづくおもう。
夕方になっても事態はいっこうにカイゼンされず、その海外からのメールを待つしかどうしようもできない状況で、落ち着かない心の状態が続いていたが、こんな時こそ、果報は寝て待ての諺に従って、布施の映画館のただ券を利用して、スターウォーズを夫婦で見に行く事にした。その日の最終上映で、観客は若いカップルと女性ひとりと私たち夫婦の計5人だけのプライベートシアターのような状況で、映像としての飽きさせぬテンポの良さとは別に、暗黒面やフォースや戦闘シーンや親子関係に象徴されるアメリカ社会が牽引するメンタリティーの問題点を微妙な心境で映画鑑賞しながら、私の内面では、フォースの覚醒とドメインの覚醒が、もやもやと同時進行していた。
12日の朝8時すぎ、タカノリが、海外のドメイン登録会社に直接電話をして、カードによる振り込みによって、「kimuko.net」ドメインは無事に木村工務店のドメインとして更新されて、いままでの木村工務店のホームページが見られるようになり、それとともに、妙な喪失感は一掃されたのだけれど、いろいろと調べてみると、9年前に「kimuko.net」ドメインを「私」自らが、海外サイトで9年更新をして、その9年目が2016年2月10日だったらしく、更新を促すようなメールが来たのか?。迷惑メールに紛れ込んでいたのか?。「私」にとっては、大臣答弁のような、記憶が曖昧で、きちんと整理し説明したい....という顛末だった。
それにしても、とにかく、いまという時代は、ドメインの更新というのは、とっても大切なコトなのだと、身につまされた訳で、次回ドメイン更新日の予定を社員数名で共有登録し、今後ドメイン更新手続きはタカノリに託すことにして、フォースの覚醒もドメインの覚醒もエエ親子関係の構築如何に関わるコトなのだと、身の引き締まるドメイン騒動だった。
2016年02月07日
初午の学び
初午の日というのが、今年は2月6日土曜日で、一年で一番運気が高まる日だとか。今年一年の豊作を祈願するお祭りが、昔から各地の農村にあったらしい。京都の伏見稲荷大社に神様が舞い降りたのが初午の日で、その日に大祭をするらしく、豊作を祈るお祭りと稲荷信仰が結びついて、初午祭が催されるようになったと、インターネット上にあるのだけれど、「私」が物心ついた頃には木村工務店にお稲荷さんを祭っていて、初午祭というのを催して、おでんと日本酒で、社員や大工さんたちと一緒に、お祭りをしていた。そういえば、うちの家では「関東炊(かんとだき)」と呼んでいて、「おでん」っていうコトバを使うようになったのは結婚してからだとおもう。
初午の日は、いなり寿司を食べる習慣があって、お稲荷さんのお使いが狐で、その狐の好物が油揚げで、それで、お寿司を油揚げで包んだのをいなり寿司と呼ぶらしく、うちで催す初午祭のお土産に、いなり寿司を持って帰ってもらうのが定番で、そういやぁ、バレンタインデーとか、クリスマスだって、昔からの風習と宗教的な信仰と何かの食べ物と商売が結びついているのだなぁと、初午の謂われを調べているうちに、あらためて気付かされたりする。
このブログに木村工務店の初午祭りのコトが登場したのは2008年で、何年かぶりに、稲荷祭りを復活し、それで、2009年からは加工場で催すようになって、最初は、会議用のテーブルと椅子を並べたシンプルな宴会だった。2013年頃から会場セッティングにも「こだわる」ようになって、カウンターとか大テーブルとか照明とか、「工務店」という立場を考えてみても、会場セッティングを考えるコトが、「空間」の勉強にもなるわけで、職人さんたちを社員皆で「おもてなし」をするコトが、コミュニケーションの勉強でもあるのだと....それらしいコトをこじつけながら、食材や料理も少しずつ工夫して、お祭りとして楽しむコトを模索しだした。
木村家本舗というイベントの経験が、加工場を空間として演出するコトのきっかけになったのだけれど、加工場は、文字通りの工場で、2月の最も寒い日に、シャッターの隙間などから風がスゥースゥーと通り抜けて、ストーブをガンガン焚いても寒くて寒くてしかたなかった。それに、90名近いひとのざわめきが、板張りの壁の隙間から漏れて、近隣にご迷惑もお掛けしていた。
それが、5年ほど前から北海道の断熱気密住宅を見学するようになって、気密シートを貼れば、隙間風を押さえて、断熱以上にそのコトが大切なコトなのだと体験して、2013年からはシャッターの大開口部に簡易の柱を建て気密シートを貼って、隙間風を押さえると、暖房がいっぺんに効くようになって、参加者の苦情も出なくなったが、近隣への音の問題は依然と解消されなかった。それで、昨年の春頃から、加工場の屋根と外壁の傷みを改修する機会に、断熱気密と音の問題を兼ねて、屋根と外壁に断熱材と防音シートを貼る工事をすると、音の問題もかなりカイゼンされ、夏の暑さも解消された。
秋過ぎてからの「まちのえんがわ」ワークショップや初午のために、シャッターの大開口部に簡易的に取り付ける隙間風を防ぐための気密シートの施工を、毎回毎回手伝いさんに、現場に行く前の早朝より頼んでいたのが、かなりの労力になっていたので、なんとかカイゼンの方法がないのかと模索していたが、風通しと気密が両立する簡易な方法が思いつかなかった。ところが、昨年の暮れに、可動式の格子の間仕切り戸の中に、ハニカムロールスクリーンを組み込むコトで、風通しと気密の両立と、簡易な設置と撤去の共存を思いついて、発注と工事でバタバタしながら、なんとか初午の当日まで工事をして間に合った。快適な空間デザインだけでなく快適な温熱環境も大切な時代なんだとおもう。
そんなわけで、豊作を祈る稲荷祭りが、工務店にとっては、沢山のお施主さまに恵まれますことを願うお祭りであると当時に、協力会社の職人さんや大工さんたちに、木村工務店の姿勢を伝える場でもあり、段取りや後片付け、空間デザインや温熱環境やおもてなしなど、ものづくりとコミュニケーションを学ぶ場にもなりながら、2月6日土曜日の初午の宴は深夜まで続いた...。
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