2004年09月20日

環境問題

自宅をリフォームする少し前に出入りの造園屋さんが北山杉を数本植えてくれた。なんでもある家で植えることになっていたのだが、 杉花粉が出るからいやだと言われたらしい。それで、ちょうど自宅の庭をやり直すところだったので、 うちの家に引き取られるてくることになった。細い幹がスラーっとまっすぐに伸び上がった繊細な杉だった。

リフォーム最中に建物の足場がその杉にあたることになってしまったので、枝を何本か紐で縛って幹に括り付けた。 暫くの間なので大丈夫だろうということだった。ところが思った以上に工事が長引いた。その繊細そうな北山杉の数本の枝は窮屈な姿勢で、 夏から冬にかけての工事期間を耐える事になった。かれこれ4年ほど前の事だ。

リフォーム工事が終わり、その枝達が窮屈な姿勢から開放された。もう正月を迎えようとしていた時のことだった。。冬が過ぎ。春がやってきた。 ところが、残念なことにその中の数本の枝の葉は、新緑の緑にはならず、茶色い葉となって枯れたままの状態だった。造園屋さんが言うには、 枯れた葉を持つ枝にも新芽は出て来ているので、回復するまでには、ちょっと時間が掛るけれども、枝は落とさずに、 このまま育てて行きましょう。ということだった。そして4年の月日が流れる。

一度、傷つき痛んだりしたものが正常な状態に回復するのには、やはり結構な時間が掛る。人間の心身だって同じ事なんだろう。 茶色い杉の葉がゆっくりと、ほんとうにゆっくりと緑色に回復してきた。その回復の様を眺めていると、頑張れ、いつかは緑になってや。 と応援したくなる。それでも、未だに茶色い葉は残るのだ。

ちょっとした環境の変化によるバランスの崩れとそのことによる痛み。それらを回復させるのには時間と根気強さが必要なようだ。いっそのこと、 引き抜いて新しく植え直した方が・・・・・・と。そんなふうな考えがよぎる時もある。しかし、そうするには、ちょっともったいないし、 また可哀想だ。それにお金もかかるしなぁ・・・・と。そんな思いが今の環境を何とか維持し、改善し、 時には構造改革も断行しながら生きていこうとする力だと思う。リフォーム全般に言える事だ。

いずれにしても環境を維持していくのは大変な事だ。ちょっとした変化を見逃す事が大きな痛みになってしまう。 建築に限らずあらゆる仕事にもそんなところがある。プロとアマチュアの違いの差は、 大きそうに見えて実際はそんなに大きくはないのかもしれない。だが逆に、プロ同士の表面的な差はそんなには大きく見えないし、 ちょっとした差なのだけれど、実際のところ、その差が以外に大きかったりする。そして、 それがらがほんのちょっとしたところの差に努力を注ぎつづける差であったりするのだ。 そんなことを浴室に浸かってその痛んだ杉を眺めながら考えた。

そういえば、会社の玄関ホールにある水草水槽の環境は最悪な状態なのだ。 ちょっとした環境の変化を面倒くさいという気持ちで放っておいたがために、コケだらけになってしまった。 水を入れ替えてはみるもののもう昔のように、葉っぱから光合成よる酸素の気泡を気持ち良くふき出す姿と、飲めそうなぐらいきらきら輝く水。 そうゆう状態にはほどとおいのだ。こちらはもう一度、一からやり直すしか回復の可能性がないのかもしれない。

ちょっとした差違が、大きな変化を生む。住まい手の方々が家に求めている事も、そんな、ちょっとした事と、その積み重ねなんだろうと思う・・ ・・・。そして、それを乗り越えて行くのがプロの道なんだけれど、それが、案外めんどくさい事ばかりで・・・・・。 いつもいつも現実と思いの狭間で七転八倒しながら・・・・・・・・・なのだ。

投稿者 木村貴一 : 2004年09月20日 19:37 « 運動会 | メイン | 青すじアゲハ »


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