2007年03月04日

インターネットの旅で、

B29という大型の爆撃機があって、日本の本土を空襲して、その襲来した一機が撃墜され、東大阪の高井田というところに墜落した。 というのをインターネットで知った。そのページには

  川西飛行機鳴尾製作所への単機レーダー偵察後、大阪桜島上空でレーダー捕束され、探照灯照射、 電探発射された恩加島高射砲陣地からの初弾命中により東大阪市高井田3丁目に墜落。 便乗した第21爆撃機集団レーダー観戦員Hamilton大尉だけがパラシュート降下できた。

中部憲兵隊に送致されたHamilton大尉は、7月20日信太山演習場において他の14人とともに戦時重罪犯として銃殺された。

レーダー能力を強化したB29Bを標準配備した第315爆撃団にとって、唯一の戦闘損失機となった。

と書かれてあり、日本人もアメリカ人も悲惨な運命にあったのだなぁ・・・・と、その情景を想像すると、イヤーな気分になった。その、 高井田という場所は会社の近くで、阪神高速道路に乗り降りする時には、高井田インターを利用する。いやぁ、別に、 そんな事に興味があったわけではなくて、インターネットを旅する途中で、そこにぶち当たり、その内容を読んで、 2時間ほどのインターネットの旅を止めたのだ。それにしても、「本土空襲墜落調査」なんてものがあり、 そんな記録まであって、インターネットを通じて誰もが見られるのだなぁ・・・・と感心した。

このインターネットの旅のきっかけは、ツインタワーにある、松下電工のショールームに行った事から始まった。 自然素材を積極的に扱うようになってからというもの、松下電工の製品を使う機会はめっきりと減り、それに、 キッチンやユニットバスもあまり使う事もなくなり、ショールームも面白くなくと・・・・・。

エクシモというキッチンを見に行った。組み合わせると600万円近い金額になり、まるで、トヨタのレクサスみたいだなぁ・・・・。 ちょっと、定価が高すぎるのとちゃう。とおもいながら、あたりを見渡すと、かなりの人が朝早から来場していて、相変わらず、人気があるのに、 少し驚いた。それにしても、オシャレなショールームに変身していて、それなりに良かったのだ。 隣接するビルにあるパナソニックのショールームも綺麗になっていて、時代の変化に適応させて、パナソニックも工夫しているのだなぁ・・・・ と、おもった。

それで、家に帰って何気なくパナソニックのホームページを見た。見ているうちに松下幸之助の生涯と書かれたコンテンツがあって、 どんどん引き込まれて、読んでしまった。その中の項目に「独立を決意 1917(大正6)年」というのがあって、見ると、 東成区猪飼野の借家に住んで3人で起業したと書いてあった。猪飼野は当社から車で5分~10分ほどのあたりだ。グーグルで 「東成区猪飼野」 と検索して、その検索結果の最初の項目をクリックして読み進むうちに 「松下幸之助起業の地」の地名の変遷なんてところにぶち当たった。へぇー、いろいろな人の努力によって、場所が特定されたのだなぁ・ ・・・とあらためて感心した。

そういえば、松下幸之助の生誕地の話をおばあちゃんから聞いた事もあったっけ。とおもい出していると、「猪飼野」という地名と 「松下幸之助起業の地」という結びつきから、私の中に様々な連想が波のように押し寄せてきた。

猪飼野といわれる地名の場所から、弊社のあるこの生野区小路、東成区、東大阪市にかけては、日本でも一番、 中小企業が密集している場所だ。特に、生野区や東成区には零細企業が多い。松下幸之助さんが起業したのと同じような形態で、 長屋の玄関の扉を開けると土間になっていて、ゴム製品やガラス製品・鋳物・金属・メッキなどの製造工場が出現する。

小学生の頃、友達の家に遊びに行くと、ある友達の家では、ミニカーをレールの上で競争させる遊びをするために、 レールの端をテーブルに固定する。そのテーブルでは、その友達のお母さんが、洋裁かなにかの家内工業をしていて、 その仕事をしている横で遊んだものだ・・・・。

ある友達の家で人生ゲームを一緒にすると、その奥の部屋では、彫金か何かをしているお父さんの姿と音が聞こえた。何時の日だったか、 何かにイニシャルを彫ってもらった記憶がある・・・・。

ある友達の家の玄関の広い土間には機械がいっぱい並べてあり、仕事の休みの日曜日に遊びに行くと、その機械の間と間に潜り込んで、 製品として出来上がってくる網のようなものをいっぱい並べて、基地を作って遊んだものだ・・・・。

数年前も東成で、外観は普通の長屋風の家で、一歩中に入ると、東大寺などに使う鋳物の蝶番を作っている店があって、驚いたものだ。 会社の近くにも、外からは普通の家だけれど、中では、アメリカ人がやってきて、最新の3D化工が出来るCADCAMを設置し、 3次元的なメガネの型をつくっているところもある。万年筆の製造をする匠もいたりもする。中には、ルイビトンなどの偽物を作って、 取り締まられた所もあったのかもしれない・・・・。その他、間口の狭い長屋風の家の奥で、 衣食住を共にしながら様々な家内工業を続ける人たちがいる。

いやぁ、沢山いたのだけれど、後継者がいなかったり、時代の変化によって、めっきりと、その数が減ったというべきだろう。 そういう家内工業的な家のリフォームは、かつての玄関土間にあった工場を駐車スペースに替えたり、 その土間をリビングダイニングにビフォーアフターするのだ。まぁ、それか、売り払って、建て売り住宅に変貌していく場合も多い。

そんな、衣食住を共にしながらの家内工業的にしか作れない「製品」と「ものづくり」もあって、いまの時代となれば、そういう 「ものづくり」も結構、ええのではないのか・・・と思えてくる。そうだなぁ・・・、ニートよばれているひとたちも、生野区や東成区で、 松下幸之助の起業精神と、この土壌の持つオーラーを受けて、衣食住を共にする家内工業的なものづくりに挑戦してみたらどうだろうか・・・・ と思い描いてみた。そうそう、その時のリフォームは木村工務店で・・・。何て言う宣伝もたまにはしてこうかな。

そんな猪飼野に関するホームページを読み進むと、「猪飼野」は「「猪甘津に橋為す。即ち其の處を號けて小橋と曰う。」これは、 書物に登場する最古の橋の記述といわれ、「日本書紀」仁徳十四年の条の一節である。」とあり、ふっと、 以前、 ブログに書いた、釧路湿原と鶴と鶴橋の事がよぎった。また、「古代において稲作文化、鉄器文化、 土木技術などの先進技術がこの地にもたらされ大阪の文化と歴史の土台が作られ・・・・、 」なんていう記述があって、 松下幸之助さんもそんな土壌の空気をたっぷりと吸い取って、発展していったのだろうか・・・・・。

そうそう、インターネットの旅の話だ。「猪飼野」をキーワードにインターネットをさまようと、「猪飼野ドッドコム」というページがあり、LINKをたどると、「猪飼野公民館」というホームページに至って、 そのコンテンツをクリックすると、 だんじりの写真に写っているのは、我が社で50年以上の最も取引の古い、コーリアタウンの入り口にある、 岡房商店という材木屋さんで働いている、番頭さんの通称「ジャイアント馬場」さんが写っているではないか・・・・と驚く。

司馬遼太郎さんも一番最初は猪飼野のあたりの印刷屋さんで働いたのか・・・。竹村健一さんも猪飼野あたりにある生野中学の出身なのか・ ・・。何て、意外な発見をする。LINKを辿るうち、猪飼野にある「居酒屋ガレージ」 なんていうホームページに至り、商売としての居酒屋だと思ったら、さにあらずで、何だか雰囲気が良さそうで、いいなぁ・・・・、なんて、 思いながらそのブログを何気なく読み進むうちに、 B29の記事にぶち当たったというわけだった。

そんな訳で、松下幸之助さんに親近感を覚え、最後にはB29を撃墜するドラマとその人間模様を想像して、戦争って辛い出来事だなぁと、 何ともいえない感覚を持つに至る・・・・・。インターネットの旅は、おもいもよらぬ出発点からおもいもよらぬ場所に到着してしまうのだ。

バーチャルな今日の心の旅とは別に、リアルな今日の日曜日は、3月とは思えない暖かさと良い天気だった。会社では、 「土地探し家造り相談会」という催しをやっていて、出勤だった。それを終えて、帰宅すると、炭火をおこして、「外メシ」 の準備が出来ているという奥方からのサプライズがあった。本年最初の外メシだ。満月を見ながら、外で焼き肉を食べた。この陽気な気候。 いったい、私たちが搭乗する宇宙船地球号はどこに飛んでいくのだろう・・・・・。まさか、撃墜されることはあるまいよなぁ・・・・・。

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投稿者 木村貴一 : 2007年03月04日 23:11 « 1200の夢 | メイン | 変化 »


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