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2010年04月25日
秘密基地
事の始まりは、生野警察から電話がかかってきて、おたくの自転車が保管されてあるので、取りに来て下さい。という電話だった。家の玄関の横に、自転車置き場があって、それは、オープンなのだけれど、家の中でもあって、そこに、鍵を掛けずに停めておいた、息子の自転車が盗難にあったのが、2週間ほど前の事。
それが、偶然、東部市場で放置されてあるのが見つかって、今日の朝10時に引き取りに来て下さいと警察に言われ、車で、息子と同乗して引き取りに行く。その担当の警察官は感じの良い人で、息子が書類に自筆で書き込む間、世間話をした。自転車を引き取るにも、印鑑とか、いろいろな手続きがそれなりに、面倒だな。とおもうけれど、まぁ、それもひとつの社会勉強でもあって、仕方の無いこと。
小路のそのあたりは、カーナビを取る空き巣とかが、頻繁に発生しているので、注意して下さい・・・・。なんていう会話。そういえば、本町で改修工事をするお施主さんは、家の前に、それも敷地内なのだけれど、一晩泊めておいたワゴン車が、朝起きると、消えてなくなっていた、その時の驚き・・・・が会話にあがった。
うちの廻りでも、この頃は、昔のように自転車で回っている警察官を見かけるようになってきて、亀有公園前派出所の両津勘吉さんのごとく、地域の界隈には派出所があって、自転車でまわる、地域の顔のような警察官がいるのは、安心感と共に「地域」とか「界隈」とか「街」とか「町」とかいわれる雰囲気をつくる、町には絶対的に必要な「役者」であるとおもう?。吉本新喜劇にも必ず、おもろい警官が登場する・・・・。
「事業仕分」けでは、両津勘吉のような人は、どうなるのだろう・・・・。そうそう、ある朝、洗濯された服類が、収納棚の、自分にとっては、違うとおもう場所に入っていたので、そのように奥方に伝えながら、軽やかに、「蓮舫」にうちに来てもらって指導してもらわなアカンな。というと、もし「蓮舫」が、うちに来たら、あなたが、一番最初に仕分けされるとおもうワー。と見事に突っ込まれる。でも、この頃の「蓮舫」さんは、少々優しそうになったような気がするけどね。と言うと、側で聞いていた息子から、何言ってんねん「仕分けの時代やで」と、息子にまで突っ込まれる始末。
自転車を引き取って、家に戻り、車を駐車場に入れて、そうそう、ゴールデンウィークがはじまるので、キャンピングカーの手入れと準備でもするか。とおもい、車を家の前まで乗り付けようとすると、偶然、道路で、親父に会う。ちょうどええワ。O議員の集会があって、そこに行くのに送ってくれ。というので、ワゴン車に乗っけて、送った。
その議員と桝添さんと二人の講演会のポスターが貼ってあって、そうそう、桝添さんは、新党を立ち上げたのだから、こういう講演は、どうなるのかね・・・と、混沌とした世の中を垣間見る・・・・。そもそも、政治の世界では、私は、どこに属すると「仕分け」されるのかと考えてみると、きっと、その動向が問題視されている、無党派層といわれるやつに「仕分け」されるのだろう。政治難民としての私の混迷は、まだまだ続きそう。こういう時にこそ、しっかりとした、政治理念のようなものが、必要なのかとおもうけれど、そもそもの、「理念」そのものを、考え直し、創造しようとする時でもあって・・・・?。いづれにしても、国民皆で、どう「協力」すれば、国は良くなるのかね・・・。
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理念で、おもいだしたけれど、月に一度、大工や手伝い職の人たちと、お好み焼きやたこ焼きを食べながら、パワーポイントを使って、ミィーティングをする。中には缶ビールを飲むものもいる・・・・。4日ほど前がその日だった。彼らの中で、社員の大工は一名で、それ以外は、社員ではなく、でも、仕事があるかぎり、うちの会社以外では、働きたがらない、人たち。
彼らは、彼らなりの職人としての、どこにも所属しない誇りと自由を持ちながら、技術と心意気で、木村工務店に仕えてくれる。私たちは、彼らに遊ばさないように仕事を提供できる事に一生懸命になり、その事に、少々だけれど誇りを持つ。そんな、昔ながらの関係性。それが、今の時代に相応しいのかどうか、わからないけれど、そんな心意気を持った職人さんたちとのミィーティング。
そこで、楽天の社是 1. 常に改善、常に前進 2. Professionalismの徹底 3. 仮説→実行→検証→仕組化 4. 顧客満足の最大化 5. スピード!!スピード!!スピード!! をパワーポイントの画面に写し出してみる。と、意外にも、大工という職人の姿勢に、ぴったりと当てはまるのだった。言葉の使い方は、全く違うけれど、昔からの、古参の人たちに、言われてきたような内容ともいえた。まぁ、「仕組化」が目新しいのかね。そして、それが、商売の秘訣かもしれないけれど・・・?。それはともかくとして、すんなりと聞き入る職人さん達の目に、「私」の方が、新鮮な驚きを感じ、大工という伝統的な職業に宿る「何か」を垣間見る思いがした・・・・・。
・・・・・・・・・
タイミングというのは、誰が決めるのだろう。「神」なのか。そんな、偶然の、いや必然なのか、こんな物事が重なったタイミングで、家の前に、ワゴン車を停車させると、このタイミングで、自転車に小学生が乗ってやってきた。駐車場をウロチョロしている。うちの前の道路は行き止まりで、その先は、会社の駐車場になっているのだけれど、そこの中で、友達を待ちながら、あたり見回している。吉本新喜劇的タイミング。
「何、してんのぉ」と聞く。モジモジしている。それで、その子の目をしっかり見ると、殺気だった目つきなわけでもなく、反抗的な目つきでもなく、困惑した目つき。こちらも、柔らかく問い詰める・・・・と、駐車場とうちの家の横の路地に、するすると自ら入っていった。
路地を見ると、驚いたことに、子供達の「秘密基地」を発見したのだった。
駐車場に置かれてあった、ブロックやコンクリートの平板を、それなりの重さがあるのに、運び込んで、それに家から椅子や、漫画の本や、黄色い色のケースや、緑や青の絵柄のシートなどを持ち込んで、子供達の「基地」を造っていたのだった。路地の敷地の所有者としては、驚きと、怒りが、一瞬持ち上がった・・・。が、子供達の悪気のなさそうな、その雰囲気が、それを消滅させる・・・・。
暫くして、数人の子供達が集まってきてた。建築に携わる「私」としては、その秘密基地が素敵に見えた。「秘密基地」をつくろうと考えた子供達。それも、とりあえず、実行する子供達。自分たちで、モノを持ち寄って、重いモノを運んで、何かを創造しようとするその姿勢は嬉しい。おそらく、もう少し、時間があると、「屋根」を造り、もっと建築的になっていったのだろう・・・・。きっと数日間のわくわくする秘密の時間。
でも、敷地の所有者としては、他人の敷地に入る事や、他人のモノを持ち込む事。安全性。などなど社会のルール。・・・。子供達は素直に、悪びれる様子もなく、皆で、元の場所にブロックを戻し、持ち込んだモノは自転車やキックボードに積み込んで、帰っていた。帰り際に、ひとりが、振り返って、「スミマセンでした」と子供らしい大きな声で叫ぶ。
私も小さいときは、路地で、遊んだものだ。かくれんぼ、ぽこぺん、などなどをしながら、あちらこちらの路地を隠れ場にしながら、遊んだ。今から思えば、他人の敷地であり、共用の空間でもあった路地・・・・・。
様々な因果関係が重なり、タイミング良く「秘密基地」を発見した「私」。そして、「秘密基地」を「消滅」させた「私」。その「秘密基地」は、大人になって久しい「私」に向かって、「まち」や「子供」にどんな「理念」を持つのが良いのかね・・・と、問いかけるのだった。
2010年04月18日
551の豚まんでエエんとちゃう。
朝、起きて、急に思い立って、家族を起こし、スーパ銭湯に行くことにした。女湯はガラガラだというが、男湯は、けっこういっぱいで、おじさんばかり。もちろん、「私」も、もはや、そのおじさんのひとりになってしまったのが、少々寂しい限り。中学生の息子が、ひとり場違いな感じで露天風呂に入りながら、お気に入りの、関口宏の番組で、「カツ!」と叫ぶやつを見ていた。私はサウナと水風呂で汗を流しながら、「カツ!」という叫び声が時折聞こえてくると、自分の筋肉がだれてきているのを、「カツ!」されてるように、聞こえた・・・・・。
モーニングのスクランブルエッグと珈琲をそこで食べて、帰りがけに、おばあちゃんのお見舞いに病院に立ち寄る。90歳を超えて、入院している、その姿を見ると、自分自信の「老い」を、どのように生きていけばよいのだろうかと、暫し考えさせられる・・・・・。
家に戻り、さて、どうしようかと、思うまもなく、ミナミへ散歩がてら出掛け、息子のスポーツシューズを買って、本屋さんにでも行って、お昼でも軽く食べ、早い時間に家に帰ろ。という事になる。それで、日曜日の地下鉄に乗る。そう言えば、2週間ほど前に、目神山にお花見に出掛けた時は、千日前線の地下鉄小路駅から難波。難波から御堂筋線で梅田に出て、次は阪急神戸線で、夙川まで行って、そこで、阪急甲陽線に乗り換えて、甲陽園駅まで行った。電車に乗り換える度に、乗客が、どんどん上品になっていくような気がして・・・・というのを座席で、イヤホンから流れてきたマイルスを聴きながら、思い出し笑い・・・・・。
スポタカに行くのに御堂筋を歩くと、クラシックカーの走行フェスティバルをしていて、何もわからないままに、突然、旗を手渡される。まったく縁もゆかりもない、クラシックカーに向かって旗を振ると、クラシックカーに乗る、服装までバッチリと決めたダンディーな人たちから、手を振り返してくれた。というか、とっても滑稽で、コミカルなシチュエーションだったかもしれない・・・・。その上、その背後から「竹島返せ」というシュプレヒコールをした宣伝カーが、何台も通っていくのが、今の日本の世情というやつなんだろう・・・・ね。。
学生の頃からあるスポタカが、息子の世代にもあるというのは、企業として、エエなぁ・・・とおもう。若いカップルがデートがてら商品を眺めているのを見ると、かつては、私たちもあんな感じだったのだろうかね。そして、今は、息子と一緒に来ているという、このシチュエーションに時代の流れが感じられて、不思議な感覚でもある。今の私の立場としては、そんな持続可能な企業となりたいものだ・・・・。
そのあと、スタンダードブックストアーに行く。別に、本を買う目的があったわけでもないが、本の選択と並べ方に、個性があって、時として刺激になる。
「ブルータスの博物館ラブ」というバックナンバーを買ってしまう。5月の連休にでも行って見たいな・・・と、思えてきて、何となく買った。かつては、万博の国立民族博物館の会員になっていた時期もあったのだが、もう何年も行っていない事に気が付いた。それに紙面の中にもあったけれど、確かに、たまには、「縄文のアイドルに会いたい」
東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史編 を買う。それが、数年前の事。うちの長男のルームメイトが、T大学生で、まったくジャズを知らない彼は、そのジャズ講義を聴いて、メチャクチャ面白かったと言い、それにモグリの学生の方が多くて300人近くも聴いているのだと聞かされていた。それを聞いて、長男がモグリで受講したらしい。やっぱり、実際に曲も流れて、メチャクチャ面白かった。と絶賛していた。何だか、T大学の凄さを垣間見たおもいがした。それが、文庫本になって売っているのに偶然出会ったのだ。それで、迷わず買う。
1959年は私の生まれた年であり、ジャズではコードからモードへと、大きな変革があった年であって、その年の前後あたりから1964年前後ぐらいまでの、マイルスやコルトレーンやミンガスやエバンスやその他・・・を繰り返し聞く事が、確かに多い。私のジャスのアイドルでもあって、もちろん、電化されたマイルスも充分受け入れる事が出来るし、好きでもある。それとは別に、ボブマリーだって、アイドルだったし、ニールヤングとか、ザバンドとか、ウエストコーストの数々にもアイドルが沢山いたし、ストーンズとか、クラプトンとか、ハードロックやプログレなんかにも思い出の曲が沢山ある。
輸入盤をよく買いに行ったものだ。何枚もの重ねられたLPレコードを手でリズム良くトントンとトントンとめくって見ていく、あの感覚が懐かしい・・・・・。「音楽を聴く」事から学んだ事も多い・・・。まぁ、その話は、きりがないのでまた何時か・・・・。
その本を家に帰って読み出すと、止まらなかった。ついつい読み進んで、ブログを書き出すタイミングを逃してしまい、今日も「締め切り」が迫ったこんな状態という訳。その本には「コード」の事や「モード」の事など実に分かり易く講義されいて、まだまだ理解していなかった事がいっぱいあったのだなぁ・・・・と、あらためて気付かされる。そう言えば、前回の野池学校の3次回でも、noikeさんと、そんな会話をしたのだ。どちらかと言えば、小さな工務店というのはジャズ的であって、「コード」から「モード」へなんて話だったけ・・・。
そうそう、本屋さんを出てから、道頓堀の前に出来た、H&Mを「見学」した。以前に建っていた、高松伸のキリンプラザがあれば・・・ともおもうが、確かに、「中」は使いづらそうだった。けど、道頓堀に独特の景観と魅力を放っていて、無くなったら、無くなったで、やっぱり寂しくおもう・・・・。
それで言えば、黒川紀章のソニープラザがないのも寂しくおもうし、村野藤吾の歌舞伎座だって、好き嫌いは別にして、あんな建築、二度と出来ないと思う。それも解体されるのだ。「効率の良さ」というのも難しいテーマだな。
道頓堀を通過して、インデアンカレーで、カレーを食べる。相変わらずの辛さと独特の味で、たまに食べると、美味しい。息子はヒーヒーと唸っていた。丸福の珈琲でもとおもったが、何だか、早く家に帰りたくなってきたので、すぐ向かいのアラビア珈琲で買ってきた本を眺めながら珈琲飲んで、地下鉄の駅に向かう。
今日の夜は、簡単に、551の豚まんで、ええのとちゃぅ。というのが、大阪人のよくあるパターンかどうか知らないが、地下鉄に乗る前に、本店で、豚まんを買う。そんな訳で、帰りの地下鉄で、奥方の横に座ると、豚まんのにおいが、ぷんぷんとしていたのだ・・・・・。
3時過ぎには家に帰りついて、買ってきた本を読み始め、豚まん食べながらサザエさんを見、龍馬伝を見、ブログ。そして、ようやく、これから寝ることにしようとおもう。明日もエエ1日でありますように・・・・。
2010年04月11日
山笑う
「山笑う」というのは春の季語だという。「春が近づき山々の木々が芽吹き、陽を浴び緑の葉を広げ、花が開く。この情景のように山が微笑みを浮かべることをいう。・・・」「故郷や どちらを見ても 山笑う --子規--」というのが「歳時記カレンダー」に書いてあって、これを読んだのは、例の便所。最近は便所で雑学をする日々なのだ。
奈良に行く所要があり、 阪神高速から第二阪奈のトンネルに入る手前で、生駒山が、くっきりと見えた。所々に、山桜が咲いている様子が、「山笑う」を連想させて、おもわず顔がほころんでくる・・・・。奈良公園のあたりを抜ける。桜が満開で、歩道を歩く人たちの顔が、うきうきした顔に見えて、こちらも、うきうきした気分を頂く・・・・・。
「転害門」の前を通過する。女性がひとり、門の前に立ち、門越しに桜を眺める光景に情緒があって、このまま車を止めて、私も佇んで眺めてみたいと迷わせる雰囲気。門に興味を持ったのか、桜に興味を持ったのか、女性に興味を持ったのか、脳の中は、いつもながら、不可思議だとおもう。
今まで、何十回も、この門の前を通過しているのだが、いつも、不思議な気持ちにさせられる。それが、なぜなのかわからなかった。帰り道が渋滞し、門の前で車が停車したので、iphoneで撮影し、その画像を眺めてようやく気が付いた。東大寺というお寺の門なのに、しめ縄が飾ってあるのだ。・・・・不思議。そして興味深い。
柳生の方面へ向かう。遠景として見える、東大寺の裏の「立面」を見ながら、その背景の山にパラパラと咲く山桜と新緑を眺めると、やっぱり「山笑う」を連想させて、おもわず、キレイやな。と車中で、つぶやいた・・・・・。
山間のくねえくねした道を何度もターンすると、柳生の里が、独特の雰囲気で開けて、なぜか、「日本」を想う。その家々と山々に、新緑と桜が点在し、これこそ「山笑う」だな。と「目」が喜んでいて、車速が一気におちた。道路から車輪がはみ出しそうになりながらキョロキョロしていると、運悪く後続車が来たので、後ろ髪が引かれる思いで、そのまま通過・・・・。
里と山と道が織りなす、「日本的」を走ると、小さな川沿いになって、川と満開の桜という、あちらこちらの日本でみられる、いわゆる日本らしい光景が、やっぱり、ここにもあって、ここはここなりに見事だな・・・・と見惚れた。そのピンク色の桜と桜の隙間に古民家が見え、勾配のきつい三角屋根の黒。漆喰の白。その背景の山のグリーンと前景の土手のグリーン。そのコントラストが美しく、停車して、運転席から、フロントガラス越しに、iphoneで撮影をこころみたものの、その感じ、伝わるかねぇ・・・・。
こんな山間の家々が、日本の光景の一部であるのだけれど、そんな光景の一部として、許されるような家々や工場や倉庫を、私たち現代の工務店か造っているのかねと、問われれば、少々辛い立場かもしれない。工務店という立場で、山と里と建物を眺めると、近代の工務店としての考え方や在り方を反省せざるおえないなぁ・・・・・とおもう。
それにしても、そんなことに関係なく、確かに、山は笑っているように見えたのだ。
ツイッター上のスターのひとりにソフトバンクの孫さんがいて、最近のツイートに「春の新芽を見た時、厳しい冬の後の喜びを実感す。時代は新芽を求めている。」と書かれてあった。それを読んで、私の脳は、またも「山笑う」を連想した。
うちの庭では、桜が葉桜になって、ピンクより緑の割合が増えた。ジューンベリーが白い花をほんの数日間だけ咲かす。その花の上をモンシロチョウが飛んでいて、今年初めての蝶々をみる。ハナミズキのつぼみが花になろうとしている。春のつぼみや新芽。少々センチメンタルだけれど、木村工務店も時代が求める新芽となれますように・・・と願う。
「山笑う」ように、ものづくりに関わる皆と一緒に笑いたいものだね・・・・・。
追伸
そうそう、川沿いの桜を今年は車で通過しながら、あちらこちらで見たけれど、コンクリートの護岸工事のされていない、川沿いの桜に、より、情緒があることに、先ほど気が付いた。そんな護岸のない川を守りたいね・・・・。
2010年04月04日
お花見
地下鉄 小路駅に、午後11時過ぎに着いて、地上に上がる。すぐ前に、たこ焼き屋さんがあって、そのたこ焼き屋さんのおばちゃんが、店じまいの片付けをしていた。
「お帰り」「只今」「こんな遅くまでどこ行ってたん」「お花見」「そうそうおかあちゃんは(うちの奥方のことだけれど)さっき東京から帰ってきて、たこ焼き買って帰ったでぇ」「そうなん、今日は、別行動やったから」と、ちょっとした、うちの関所。そんな会話を残像のごとく、声だけを残して、通り過ぎると、後から声が聞こえてきて、「○○○○おめでとう!」と声が飛んでくる。それを聞いて、後を振り返り、「どうなるかわかれへんけど、ありがとう!」と片手をあげて応え、その暖かい言葉に、ニコニコしながら、小走りに家へ急ぐ。
そんな訳で、今日は、目神山で、お花見をする。そのお花見と2次会が、あまりにも居心地が良かったので、ついつい長居をしてしまい、ブログを書く事を忘れる。いやいや、正確には、心の中で葛藤はあって、「はやく帰ったほうがエエでぇ・・・」と、「私」はつぶやいていたが、もうひとりの「私」は、「その居心地の良さと、はずむ会話に身を任せようよ!」と、つぶやいていた。まぁ、そんな訳で、日曜日に更新するという、ゲームのような勝手な決まりは、超法規的措置で、ここらで更新・・・・。
続く・・・・午前0時をまわり・・・
印象的なお花見の宴は何度かあって、学生の頃だったか、東京の友人宅に遊びに行って、国立駅前の広い道路の歩道の様なところでしたお花見の宴。堺の兒山家という文化財の広いお庭でしたお花見の宴。25年前に買ったほんの小さなしだれ桜がようやく、しだれ桜らしくなって、社員や職人さんと一緒に、会長宅の庭でした最初のお花見の宴。そして、今日の目神山のお花見の宴。
今年は、冷たくて、雨の多い、とっても不順な天候。その合間をぬって、満開少し前だったけれど、会社の花見を催す。もちろん、「宴会」が社員や職人さん達の潤滑剤のような役目をしてくれることや、桜という自然を愛する気持ちを持つことなども大切だけれど、そのための段取りとか、片付けを体験する事は、現場監督として、しっかりと学ぶべき事だ。とおもう・・・・・。
そうそう、それで、今日のお花見。目神山の住人の建築家のI井さん夫婦からのお誘いで、建築家のヤベッチさん夫婦、K藤設計ご夫婦とスタッフ、S倉事務所の面々。それにうちで、施工した、二組のお施主さんが集合し、目神山の「回帰草庵」から歩いて、グランドの土手沿いの「大御所」がお気に入りだったという場所で花見の宴をする。
満開で、そのうえとっても良い日和りであって、気分がうきうき。それに、出発前に、メールをチエックすると、昨年リフォームしたお施主さんから、リフォームをしたばかりなのに転勤の指令が出てというメールがあり、「大好きなこの家としばらくお別れですが、また三年後帰ってこれるように頑張ってきます! 素敵な家を作って頂き本当にありがとうございました。」なんていう、リフォームをした家の窓から見える、桜の写真が添付された携帯メールを送って頂いた。それが、嬉しかった事も、今日のお花見に影響していたのだろう・・・・。
宴もひとしきり盛り上がり、廻りの花見の宴を楽しむ姿もなくなり、太陽も沈みそうになって、桜や眼下に見える街や海を眺めて歩きながら、二次会の「回帰草庵」へ向かう。何度か拝見しているのだけれど、行く度に、建築的な何かを発見する。丸太による力強くて、どことなくモダンな木組み。「ちり」の処理。高さ関係。外部の納まり。何よりも、「外」との関わり方。などなど。やっぱり、名建築だ。とあらためておもう。
暖炉の火の側で、長々と話をしているうちに気が付いたら午後10時を回っていた。それほど、居心地が良かった。建築的な話も大いにあり、建築家の設計による家づくりという話題もあり、施主さんからのメンテ依頼の件に関する柔らかいお言葉による反省事項もあり、それに、設計のヤベッチさんによる、「119番に電話をするのを間違って、1192番に電話をすると、鎌倉幕府に電話がかかるでぇ・・・」なんていう、たわいもない話で盛り上がったのも、きっと、お酒と、この何とも言えない空間の御陰。
そうそう、何よりも、共感したのは、帰り際の、「贅沢な時間だったなぁ・・・」という何人かの人たちのつぶやき。とにもかくにも感謝です。
追伸ながら、帰りの電車で、K藤事務所の若いスタッフが横に座り、彼が、「30半ばですか?」「いやいや50越えてます。」「えぇぇぇ」と、つぶやいたその事実を、家で熱いお茶を飲みながら、奥方に伝えると、「そんなアホなぁ・・・」「冗談もはなはだしい・・・・」「ちゃんちゃらおかしい・・・・」と大笑いしながら吉本新喜劇ばりに、何度も突っ込んでくれた事は、記録として残しておこうとおもう。
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