2012年08月05日

「木陰」

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朝、クマゼミの大合唱を聴く。先週のブログで、クーラーの事を書いたり、別にそんなに大層におもっていない、太陽光発電の事を書いたりして、なんか自分のコトバに自分自身が毒気をあてえられて、それで、なんとなく反省のようなものがあって、今朝は外の木陰で、風を感じながら過ごす事にする。曇り空。時折強く吹く風。時折ゆらぐ木漏れ日。

物心がついた頃から、という事は40年もっと前から楠木の大きな木があって、10年前に自宅をリフォームをした時に、その大きな木の下で木陰を楽しめるように、デッキを作って、それからウミヒラ造園さんに頼んで、少しずつ丁寧にその楠を剪定をしてもらった。その木の下にモミジも植えて、それが10年経って、ちょうど頃合いの大きさに成長し、お陰で、「木陰」なるものが出来た。

「眺める庭」というのがあって、それはそれで、心の広がりを感じて、エエのだけれど、「過ごせる庭」という感覚もあって、いつぞやのブログに書いた、ヒッグス粒子発見風に云うと、体の回りにまとわりつくように存在している自然(じねん)といわれる何か。そういう、人間にまとわりつくように存在して環境を構成する粒子のような、光や風や臭いやゆらぎやその他さまざまな要素を五感で感じながら、一体感のようなものを伴って、「軽やか」に過ごすひととき。そんなのが「過ごす庭」の感覚なのかとおもう。

長男と次男がそれぞれが小学校5年生の時に縄文杉を見に行った。1回目に長男と見た時は縄文杉の根本までいけて、その木の下に佇んで、暫く休憩し、その時に、おもいのほか木が前に傾斜していることに、妙なリアリティを感じた。2回目の次男と一緒の時はすでに10年を経過していて、とっても多くの人がいて、木を守るために、デッキから縄文杉を眺めるようになっていた。それはそれなりの良さがあったのだけれど、あの初回に体験した一体感とは少し趣が違った。

テレビで見たり、本で読んだりした話に、ブッタが悟りを開いた菩提樹の木というのがあって、悟りはその木の下で座って寛いだ時の事らしい。その事がどんな意味を持つのかは別にして、「木の下」とか「木陰」には独特の寛ぎ感があって、フリーのキャンプサイトなんかに行くと、まぁほとんどフリーのキャンプサイトしか行かないのだけれど、とにかく居心地の良さそうな木を探して、その木の下でキャンプをしたものだった。そうそう、「木」には「神」が「宿る」らしい。

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家にもそんなスペースを作ってみたいとおもったのが10年前のリフォームの時。ようやく2年ほど前から、木陰のデッキスペースが心地良い状態になって、そこで過ごす時間が徐々に増えてきて、楠の木に感謝したい気分なのだけれど、それはそれとして、そのスペースにキャンプ道具の椅子とかベットとか机にテーブルクロス、バーベキューコンロなんかを置いていて、そんなので過ごしていると、キャンプ道具でないアウトドアー用のエエ椅子とかソファーがないものかと思い始める・・・。

それで、インターネットで検索してみると、カッシーナからLC3 OUTDOORなるソファーが発売されている事を知り、そのホームページの写真を眺めながら、あぁ、うちのデッキに置いてみたい・・・と、朝からブツブツと言いながらの物欲というやつ。

いや、その値段が90万円以上もして、当然、全く、すぐに買える値段でもなく、ところが先日オーバーヒートをして動かなくなったキャンピングカーの修理費が80万円近くすると言われて、流石に躊躇して、諦めかけている状況で、お金のコトを考慮しないのなら、「キャンピングカーからLC3アウトドアーソファーに乗り換える」というのがエエのかも。

悟りの話なんか持ち出してきたはずなのに、とっても物欲的な話な訳で、朝から、そんなアウトドアーソファーを置くことを夢見て、このブログを「木陰」で書いて過ごす「私」。もちろんちょっとしたエコ意識も大いにあり。ところが、リビングキッチンの大テーブルでは夏休みの宿題をぎんぎんにクーラーを効かせて過ごす「次男」。友達とランチやわ・・・といって朝から出掛けてしまった「奥方」。まぁだいたい家族ってこんなもんですよね。

投稿者 木村貴一 : 2012年08月05日 12:43 « お盆休みの朝 | メイン | 我慢とか忍耐とか貢献とか省エネとか »


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