2011年08月07日

受け継がれる職人気質

木曜日の朝、ふらっと、左官屋の阪井さんがやって来た。いや、正確に言うと、もと左官屋さんで、もう15年以上前に引退をしているサカイさんで、それは、年齢的な事ではなくて、これからは、左官屋さんの仕事はどんどん減っていくし、その上、二人の息子さんが、医者になるといって、医学部に行っしまった。左官屋を継がない。それで、廃業する事にした。というのだった。

そのサカイさんのお父さんは、丸坊主の大きな体の人だった。私がまだ、小学生の頃、その左官屋さんのサカイさんと、材木屋さんの岡房商店のオカフサさんの先代社長が、二人で木村工務店にやってくると、私を呼んで、お小遣いをくれた。それは、子供にとっては嬉しいハプニングであって、そんな事が何度もあったと、鮮明な記憶として残る。

いま、50という年齢になって、その出来事を思い返すと、それは、左官屋さんや材木屋さんが、仕事上での木村工務店の先代や先々代の社長に対する感謝であったのだろうし、それが、その孫としての私へのお小遣いとして表現されたのであろう。また、立派に育ちや!という、メッセージでもあったのだろうとおもう。

「三つ子の魂百までも」というコトバがあるが、小さな時に受けたそういう恩のようなものは、大きくなっても潜在意識のどこかに潜伏していて、材木屋さんや左官屋さんに対して無意識に好意的な印象を持っている「私」に気付く。もちろん何らかな形で、その恩をその左官屋さんや材木屋さんの次の世代の人に、返そうという、目に見えない力に動かされている時があって、悪意に取れば、マクドナルドの子供戦略的だが、そこは意識して好意的にとらえ、その好意を返せる機会には返しておこうという気持ち・・・・。

大学を卒業して、木村工務店の現場監督をしている時には、その左官屋のサカイさんに、皆がノブちゃんと呼んでいたのだが、左官職人の考え方や癖を教えてもらい、左官仕事の技術を端から見る機会に恵まれたのは、今にしておもうと、有り難い事だった。

ところが、そのノブちゃんが、息子さんにその左官技術を継がせず、左官という職業を放棄した事に対して、微妙な憤りを感じていた。いや、ほんとうに、その木曜日までは、ノブちゃんの先代に対しては、お小遣いをもらったという、懐柔されたのかも知れないにしても、それなりの好意持っていたが、ノブちゃんには、左官という職業の面白さを教えてもらいながらも、憤りを感じていた。

ノブちゃんは、蓬莱のアイスキャンデーと共に、古びた箱を携えて、数年ぶりにフラリと会社にやってきて、なんでも、倉庫を整理していたら、真っ新のこんな「箒目」というものが出てきて、これは、漆喰に、これを使って模様を付けていく道具で、昔昔は、こういうものを使って、壁に模様を付けたのだ。と解説をしてくれた。私は、未だに、木村工務店の事を忘れずに気に掛けてくれて、わざわざ届けてきてくれた、その気持ちが嬉しかった。

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弊社の会長を含めた三人で雑談をする。ノブちゃんの息子さんの話に及ぶと、長男の方は、医者でも研究の方に従事していて、論文がサイエンスやネイチャーという雑誌にも掲載されて、アメリカ在住で日本とアメリカを行き来して、講演も数多くしているのだと。

そんな話を聞いているうちに、そうか、日本の職人的な気質とそのハートは、左官職人には受け継がれなかったが、左官職人が持つ、根気強さとか、粘り強さとか、手先の微妙な力感覚の繊細さとか、そういう気質が、医師として、受け継がれたのかもしれないなぁ・・・・・。と思えてきた。

表面的なスタイルや職業は違っても日本の職人が持つ、そのハートや気質が、職種を変えて受け継がれていくのだなぁ。10数年前の「私」の浅はかな憤りをちょと恥じた。
Thanks 三代にわたるサカイさん。

投稿者 木村貴一 : 2011年08月07日 21:55 « 沈黙 | メイン | うしろ姿 »


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