2004年09月13日
青すじアゲハ
テレビ・ビフォーアフターの終わりに流れるクレジットを見ながら、スタッフの皆さん元気かなぁ・・・・・と、漠然と考えて、
当時のことを思い出した。
あの時はあの番組があれほど話題になるなどは思っていなかったので、何となく引き受けてしまった。
スタジオ収録の時や放映される1時間ほど前にはちょっと気恥ずかしさとともに、出演するんじゃぁなかったなぁ・・・・と後悔したりした。
それでも撮影中の現場での様々な出来事や撮影のディレクターをはじめとするスタッフとのやりとり、
職人さんや現場担監督と夜中まで一緒に頑張った思い出。それらは、まるで青春時代の思い出のように鮮やかで密度の濃いものであったなぁ・・・
・とあらためて思った。リフォームとして、テレビドラマとしての出来ばえはともかく、いい経験をさせてもらったと、
依頼者の元井さん川口さんをはじめテレビスタッフの皆さん、それに当社の職人さんや現場担当者・協力業者の人達に、
おそまきながらこの場で感謝したいなぁ。と。こういうことは今更、面と向かっては言いにくいのだ。
テレビ番組をつくるという制作現場に出演者として関れた経験は面白かった。
テレビ番組を作る事の中にも建築を作るという事の中にも同じような「ものづくり」
としてのムードが流れているのを肌で感じられたのが良かった。当時の、
ほんの少しかじった経験から黒沢映画やスタジオジブリの制作現場での様子を想像してみると、その現場でのものづくりへの葛藤と戦い、
それとともに生まれる仲間意識を思い描いてみるだけでも、何とも羨ましく、また、想像を越えた修羅場でもあるのだろうなぁ・・・・と、一種、
憧れにも似た気持ちになった。
そんなことを思い浮かべながらテレビを付けたままにしておくと、クリントイーストウッド主演の映画が写っていた。
手持ちの200LXという小さなPDAの設定作業で遊びながら、なにげなくテレビを見ていた。
クリントイーストウッドが身を挺して大統領の狙撃を食い止めるシーンのまさにその瞬間、
一羽の青すじアゲハが私の頭上をかすねてテレビの奥にある障子に止まったのだった。なんとも不思議な光景と瞬間だった。
今日は蒸し暑かったので窓を開けたままテレビを見ていたのだが、夜のこの時間とこの場所とこのタイミングの青すじアゲハは、
まるで座禅を組んで眠りそうになっている人を後ろから棒でやさしくコツン叩く棒のようにフワーッっとやってきて、
埋没しそうになっていた私を目覚めさせてくれた。そして、そのチョウのお影でこの文章を書く気になったのであった。
投稿者 木村貴一 : 2004年09月13日 01:19 « 環境問題 | メイン | 自然の力 »