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2010年07月25日
遮熱と風
暑い。家の中で、「涼」を感じられる、居心地の良い場所を転々とする。梅雨が明けた途端に、こうも、極端に、熱くなるものかね。このごろの、神は、自然(じねん)は、意外と過酷。それは、私たちが、自然に対して、辛い仕打ちしているかららしい・・・・。
CO2、CO2と連呼されるのも、政治的な思惑に翻弄されそうで、いまいち、頷ききれない「私」がいて、それでも環境問題が経済を牽引してくれるのなら、それはそれで、エエのかもと納得させてみる日々・・・・。
この暑さ、日本の家屋は夏を旨とすべしという言葉が、確かに身に沁みてくる。高気密高断熱の家づくりが、当たり前のようになってきて、「断熱」性能ばかり、冬の事ばかりが、頭にあって、ついつい、「遮熱」の事をなおざりにしてきた感じがして、最近、「遮熱と風」の事を積極的に学ぼうというのが、マイブーム。
8月の日射量を数値で見ると、東からの日射量も南も西も同じ量で、西面は15時頃にピークをむかえ、17時18時まで、その暑さが持続しているのだと、あらためて数値で知ると、おばあちゃんが、「西日は、ほんま、暑つぅおまっせぇ・・・・」と呟いていた言葉が、耳元にやってきた。
「外付けの日射遮蔽部材の種類と特性」という表によると、「すだれ」は中~大の効果有りとあって、「すだれ」や「よしず」が日本美だけでなく、その性能とその効果を知ると、なんだかちょっと嬉しい。それに、昔の人の「知恵」というものを垣間見るおもい。
「内付けの日射遮蔽部材の種類と特性」によると、紙障子が、ブラインドと同じく「中」の効果があるのだ。という実験結果にも、「障子」に対して、視覚的な美しさだけでなく、その性能に対して、新鮮なおもいを抱く。障子くん、なかなかやるやん。という感じ・・・・・。
(表は、既存住宅の省エネルギー改修ガイドラインによる)
大阪では、西の窓に、「よしず」や「すだれ」や「障子」で遮蔽して、夕方に「打ち水」をし、夜になってから、窓を開け放って、家の中の熱気を出しなが、それなりの風量のある西風を取り込むというのが、「大阪的風景」であった事を、今一度思い出してみる・・・・。
そういえば、先日リフォームをしたお宅では、2階の部屋の暑さ、屋根の熱気を何とかしたいという事で、お客様のご要望もあって、屋根裏にパナソニックの大容量の換気設備を取り付けて、それを稼働させた。屋根裏の熱気を排熱すると共に2階の部屋の熱気も排熱すようになっていて、マニアックな施主の温度測定によると、日中は、3度の温度差があるそうだ。既存住宅の省エネルギー改修ガイドラインによれば、屋根裏の野地板に遮熱シートを貼るのも効果があるとか。
弊社で施工した、コトバノイエの施主と設計の矢部さんが催す、CUT the CORNER「水土書店」が、この土曜日、最終日であって、「売り尽くさないSALEは12時から、PARTYは夕刻からです。お待ちしてます。」http://www.dezanani.net/cutthecorner/ という企画。それで、夜な夜なお邪魔すると、ヨッパライのヤベさんを中心に深夜まで歓談が続く。なぜか「風」の話。ヤベ家は、この夏をクーラーなし、扇風機なし。「風」の工夫だけで過ごすのだぁ。と。
「キャッチャー・イン・ザ・ウインドー」とヤベさんが3階の大開口の北向きの窓から西風に向かって叫んでいた・・・・・。というのは、本当なのか嘘なのか。
ちなみに、IPHONEの容量を迷えば、小さい方。部屋の天井高さを迷えば、低い方。建築家は小さい方を選択するのだ。クーラーは使わないのだ。と酔っぱらう。ヨッパラッタセキナノデ、ビミョウニテキトウ、ビミョウニホンキ。そうそう、それを聞いていた、設計のコンドウさんが、この前、うちの学生は、僕たちの世代はクーラーが自然です。クーラーのある生活が自然な状態で育ってきましたから・・・・と話すのだ。と複雑な心境を語る。
そんな訳で、夏を涼しくすごそうとする、いろいろな工夫やカイゼン。やせ我慢。妥協。日本の家屋は夏を旨とすべしという諺。そんな中に、脈々と流れる、日本文化と日本的な方法を再発見するのだった。
と、言っても、今宵この夜は、クーラー付けて、寝ましたが・・・・。
2010年07月18日
梅雨が明けた土曜日
ようやく夏がやってきた。そんな感覚。梅雨明け宣言が発表された土曜日に、地鎮祭があって、神主さんによるお祓いも終わり、四周の竹を撤去し、テントをたたもうとしているその時に、改めて、周辺を眺める。
東にRC造の高層マンション。南に、西側に建つ、いわゆる洋風の木造2階建て住宅の専用通路があり、その通路の向こう側に趣のある戦前とおぼしき古い木造2階建て住宅が建っている。北側には鉄骨3階建ての共同住宅のテラスが面していて、それから西に向かって、鉄骨の5、6階建ての共同住宅やビルが建ち並ぶ。もともとこの土地には、材木屋さんがあったという。
漠然とではあるが、大きな経済の流れと建築の関係性とそれによって変化する都市の環境を思い描いてみる。こういう環境の中で、木造2階建て住宅を建てる、その地鎮祭だった。周辺の視線を気にせずに過ごしたい。明るい光が入る家。風が通り抜ける家であって欲しい。そんな事を含めて、皆で、良い家が建ちますように・・・・・と、二礼二拍手一礼で、願った。
地鎮祭のあと、雑誌の取材があって、神戸本山で、昨年、新築してお引き渡しをしたお宅にお伺いする。Tさんは、8年ほど前に、芦屋の急な坂道の山手で、RC造の中古住宅を購入し、リフォーム工事をさせて頂いた。中古住宅を購入してリフォームする、うちでの初めてのお客さんでもあった。
それから、お子さんも生まれ、家族との関係性が変化する。急な坂道の上り下り、子供の通学。奥さんの通勤や買い物。それにかかるタクシー代金やその他を考慮して、本山の駅近くに土地を見つけて、住み替えを決意する。ついでに車も手放す・・・・。
幸い、リフォーム工事をしたその住宅は、しばらくして、その素材感や雰囲気を気にいってもらえた購入者に恵まれた。そんなわけで、次の新築工事も木村工務店で、一緒にさせて頂ける事になった事は、何よりも嬉しい事であり、有り難い事であって、打ち合わせを何度も繰り返しながら、一緒に家づくりを楽しむ・・・。
写真撮影の合間に、ダイニングのデーブルに腰掛けたり、リビングでゴロゴロくつろいだり、パソコンコーナーに腰掛けたりしながら、六甲山から吹き抜けてくる風が、ああちらこちらの窓から、家の中を通り抜けていく、心地良さを、設計を担当したタナカくんと現場監督のフルカワくんと雑談を交えながら、風の持つ不思議な力を味わう。家の中を通り抜ける風って、なぜ、心地良いと感じるのかね・・・・・・。いまという時代にとっては、「風」が、ひとつの「贅沢」かもしれない・・・・。
この週の中頃に「既存住宅の省エネルギー改修講習会」というのがあって、参加すると、設計のミサワフミコさんやマイタニさんや環境のノイケさんら馴染みの方々と出会う。休憩の合間に雑談を交わしながら、講習をうける。
新築だけでなく、リフォームにおいても、断熱や遮熱を工夫する事が求められる時代であって、間接的にはCO2削減に協力する、政策的な事であるものの、何よりも、断熱や遮熱の技術的な工夫によって、人それぞれによって違う千差万別な心地良さに、コストも含めて、応える事ができるかどうかが、大切な事だなぁ・・・・と、あらためておもう。
夕刻。中古住宅を購入された方の、リフォーム工事の打ち合わせがあった。どんな仕上がりや設備機器や空間になっていくのかが、当然ながら、もっとも大切な事だけれど、それ以上に、今ある、床の下地はどうするのか、利用するのかしないのか、壁の下地のボードは再利用するのかしないのか、などなど、「下地」という隠れている部分をどう取り扱うかによって、耐震補強の問題や断熱の考え方も変わってくる。壁の仕上げの素材にしても、クロスを貼り替えるので良いのか、珪藻土やペンキ塗りなどは、既存の下地や仕上げの上からは、仕上がりも良くない。
そんな隠れていく部分の「下地」といわれる部分にコストもかかるわけで、特に中古住宅になると、今まで慣れ親しんだ家と違って、普段の生活から体感する部分が欠落しているので、なかなか判断がムツカシイ。そんな目に見えない下地や光や風などの事柄も含めて、コストを重視しながらも、バランスよく判断するには、住まい手と設計者と施工者が、お互いに信頼し合って誠実な態度で、ものづくりをしていく事が不可欠だなぁ・・・と、実感する日々。そうそう、もちろん、その間に入って、お互いの関係性を取り纏める、エエ現場監督なくしては、エエリフォーム工事は出来ない時代でもある・・・・・。
このブログを書くいま、日差しに「夏」をはっきりと実感する。風鈴の音が心地良く感じる季節。朝方、セミの鳴き声も聞いた。梅雨が明けたとたんに、すぐに、「涼」を求めたくなるのだね・・・・・・。
2010年07月11日
選挙のある一日
夏が目の前だ。と感じていたのに、いやいや、まだまだ、梅雨は終わってへんでぇ。と、言われているような、どんよりした朝。もう50年ちかくになる楠の木が大きく育って、その手入れを、植木屋のウミヒラさんが、10年ほどかけて、丹念にしてくれた御陰で、2階のデッキから見ると、木の中にいるような感じで、とっても気持ちが良い。
こんもりとした、外観の形を整えるためだけの植木のカットではなく、一枚一枚の葉っぱを見極めて、奥にある葉っぱが、手前の葉っぱから透けて見えるような植木のカット。そういう。透けて透けて見えていく手法というのは、和室にも通じる、日本的な方法のひとつだとおもう。日本のサッカーも幾十にも折り重なり、透けて透けてパスが通る、スピーディーなサッカー。スペインとは、また形の違うパスサッカーであればエエのかも。と、突然おもう。実は、いま、あっ、ドイツとウルグアイ戦の録画を忘れた事に気付いたからだ。
「木」を眺めていると、突然の豪雨。木々が雨に濡れていく様が心地良い。葉っぱにつく水滴が気持ちよさを誘い、しとしとと落ちる滴が、「情緒」といえる。それにしても、猛烈な雨。猛烈な雨になればなるほど、いままでのいろいろな「建築」が気に掛かり、心配するのは、きっと、建築に携わるプロの人たちの「共通の性」だとおもう・・・・。
雨音を聞くのも気持ちが良いが、その「音」を聞いているうちに、音楽を聞きたい気持ちにさせる。それで、手元にあるレコードをおもむろにとって、針を落とす。レコードプレーヤーをonkyoのイコライザーに通して、コンピュータにつなげば、レコードが聴けるのだ。と知ったのは、一年ほど前の事。スピードが遅くて役立たなくなったノートパソコンに、オンキヨーのイコライザーを通して、真空管アンプにつなぎ、スピーカーを鳴らすのが、エエのかどうかは、問い詰めないで欲しいけれど、部屋全体の素材の調整と相まって、そこそこの音は鳴る。
音楽を聴いている、いわゆるリビングの壁は、戦前の長屋の土壁の上に補強の構造用合板を貼り、胴縁+プラスターボードに、仕上げをエコクイーンという珪藻土塗りと、9mm厚の米杉貼りの面を対角に貼り分けている。スピーカーのある部屋は、2階で、床は構造用合板の28mmで補強し、防音シート+45mmの根太間に羊毛断熱材を詰め+15mmの土佐栂を貼る。一部には目塞の縁なし畳。天井は羊毛断熱材を打ち付けて、カーテン生地をテント状に垂らして貼っている。スピーカーを設置している上には、2000mmの高さに、出幅900mmで30mm厚の杉板を貼って、柔らかく音を前に跳ね返す。「音」の良い空間は居心地も良くなるのでは・・・・という試みでもあって、10年経過してようやく落ち着いてきた感じ。
そういえば、木造で、木製建具で、自然素材の調整によって、「音」の良い空間が出来るのだ。と考えさせるきっかけを与えてくれたのが、吉村順三さんの八ヶ岳高原音楽堂だった。実際、この5月の連休に実物をはじめて見て、そのレベルの高さに、改めて、敬畏の念を抱いた。音響を考慮した木と木の組合せ方。白い壁の位置と割合。高さ関係。全体の形、構造とトラス。柱の素材感。開口部と光。ムード・・・・。
音楽を聴いているうちに、中2の次男の同級生が家に遊びに来て、一緒に昼食を食べる。サッカーの話題になり、なんで、タマダ・・・。オカザキは・・・。どうしてモリモトがでない・・・。ナガトモがいたおかげで・・・。オオクボはなぁ・・・。マツイは・・・。アベのアンカーが・・・。シュンスケもヒデのように最後にグランドに立たせてあげたかったワー。カワイソウ。などなど。なるほど、なるほど、と、それなりに頷いたのだった。
サッカーの監督に「愛」が必要?監督が勝利に導くための「愛」って?トコロデ、ソノ「アイ」ッテ、ナンノコトデスカネ。と、焼きそばを口元で、するするしながら、50代の脳内が、ぐつぐつとした問答を繰り返していたと、書き留めておこうとおもう。
雨が小降りになり、降り止んだ。それで、その間隙を縫って、夫婦で選挙に行くことにする。顔見知りの人たちと挨拶を交わしながら投票箱に投函するが、何を理由として、その人に投票したのかと問われれば、政策?いや政党?いや人柄?いや何かの縁?と微妙なスタンスの「私」を再発見するのだった。特に、全国区においては、候補者の情報をどのように知るのが、最適なのかね・・・・。
雨が降ったり止んだり。ドイツとウルグアイ戦をダイジェストで見て。時間が流れていく。バラエティを見るのもしんどい。ディスカバリーchやナショジオをチラッと見る。先週の勢いが続いて、ダッジオーブンを使いながら、龍馬伝を見終わると、いま、テレビでは選挙速報がやっている。あっ、こんな人も選挙に出ていてたのね。と、夫婦で、つぶやくのは、有権者としての勉強不足てやつかもしれない・・・・・。
2010年07月04日
相互依存
なーんにも思い浮かばない日があって、今日は、まさしく、そんな日。話題というのが、どこからうまれてくるのか、不思議なくらい・・・。
連日連夜、やっぱりサッカーを見てしまう。ドイツの圧倒的な強さを見ながら、あの日本チームが対戦したら、どうなるのだろうか。と、考えてみるのは、それなりに、日本チームが善戦したからなのだろう・・・。日本チームの試合が本当に面白かったかどうかは、何とも言い難いけれど、何かの可能性を示してくれたのは確か。
いつしか読んだ本に、関係性には「依存」という、人を頼りにするだけの関係性があり、それが、やがて、ひとりひとりが自立する、「独立」という、関係性になり、それぞれが、「私」を主張しあう。そういう関係性が、いつしか「相互依存」という関係性になるのが、より自然界に近い関係性だ。というような話。
サッカーを見ていると、「独立」できるような人たちが、「相互依存」しあうと、強いチームになるなぁ・・・と、テレビを見ながら、いつしか読んだ本を思い出した。スパースターの超人的なプレーを見て、「すげぇー」と叫んでみたい一面もあるが、反逆的なスピリットとリスクを冒す勇気を持った、スター不在の普通の集まりが、普段の精進からうまれるアグレッシブな動きで、相互依存をしながら、全員一丸となって活躍する姿。そんな姿を見たいものだねぇー。と考えてみた。どぅ?
先週の日曜日は、6人の客人と庭で、焼き肉をし、なんだか、その楽しかった余韻がその場所に残っていた。そうそう、昨年に、ステンレスのダッジオーブンを買って、一度も使わずに、放置していたのを何故か突然思い出し、それで、物置からひっぱり出してきて、先週と同じ場所で、残った炭を使って、ダッジオーブンを使ってみる。
インターネットで、ダッジオーブンのレシピを見ても、ぴんとこなかったので、奥方に、家にある材料を聞いて、ジャガイモとカボチャとニンジンとトウモロコシ、それに、鶏のもも肉だけをスーパーで買ってきてもらい、それが、実は、奥方には、自分で買いに行けよ!と猛烈に突っ込まれたのだけれど、 それらを、オリーブオイルと塩、コショウと共にぶっ込んで、炭火にかける。こんなのを料理というのかどうかは別にして、アウトドアーであれば、それなりに、美味しいのだった。そういえば、家での「外メシ」の季節だね。
家の外では、大阪市議選の宣伝カーが走り、橋本知事が家の前を歩いて通過した。奥方は握手をしてもらうわと言って、飛び出していった。政治の世界での、昨今の政党どうしの、それぞれの「関係性」を全く理解できていない「私」がいて、誰かが、政党の仕分け作業をして、その内容と関係性と必要性を議論して欲しい・・・。
自然界では、ミツバチがいなくなって、受粉が促進されず、相互依存の関係性が保たれず困っているのだ。という「ハチはなぜ大量死したのか」という本は、途中で放置され、完読されないまま、本棚で待っている。
そういえば、ダッジオーブンと私の関係性が、先週の客人との関係性によって、とりもたれ、そもそもその客人との関係性は、仕事の上での関係性から・・・・・と、様々な枝分かれをし、その関係性が続いてきたのだろう。見事なパスの連続であったり、もしくはスルーパスが通ったり、時にはパスミスであったりして、その関係性に一喜一憂する。
そんな訳で、きっと、物置に放置されて、出番をいまかいまかと待たされていたダッジオーブンにとっては、突然の選手起用に、ビックリしたことだろう。いや、ダッジオーブンに見事なスルーパスが通った。なんて表現してみる事が可能かも。これって、完全にワールドカップサッカー病だね。そういえば、そろそろブブセラの音が快感になってきているしね・・・・・。
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