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2008年05月25日

音の刺激

去年の暮れに竣工した教会の人からお誘いの手紙があって、本日、「みんなで歌おう!」という催しがあるので、是非、お越しを・・・。 ということだった。午前中に打ち合わせが終わったので、完成してからまだ一度も乗車したことのない、地下鉄今里線で出かけることにする。

それにしても、地下鉄今里駅の乗り換えの移動距離が随分と長い。 うちの会社から地下鉄小路駅まで歩けるんやないかと思えるぐらいの距離だった。乗り換えの移動距離が長いのって、距離以上に「しんどいなぁ」 とおもいません?

まぁ、それでも、ごくたまに、電車に乗るだけで楽しいなぁ・・・・と思える時があって、地下鉄で、 な~んにも外の景色が見えないのに楽しいなぁ・・・・って。電車ってそう言う意味では、不思議な乗り物だなぁ・・・・。今日はそんな 「ごくたま」の楽しく思える日だった。

「みんなで歌おう!」は、けっこう年齢層が高い目で、女性が多く、キャッチコピーどおり、皆が楽しそうに歌っていた。その昔、 噂に聞いた事のある、「歌声喫茶」 っていうのは、こんな雰囲気だったのだろうなぁ・・・なんて想像しながら、私は、小さな声で、歌うと言うよりは、 ほとんど呟いていたようなものだった。

やっぱり、私は、歌うのちょっと苦手だなぁ・・・。音楽の授業より技術家庭の方がまだましかなぁ・・・・、カラオケもかなり苦手だし・ ・・。聴く方か好きだなぁ・・・。なんて、それなりの言い訳を皆の前でしながら、和やかに家に帰った。

歌えないのだけれど、「音の刺激」をたっぷりと受けた。帰りの地下鉄で、携帯電話にイヤホンさして「音」を流すと、マイルスの音楽が流れた。 そう言えば、木村工務店で施工した「コトバノイエ」の住まい手のブログ 「本買記」にマイルスの話しが2度ほど出ていて、ブログを読みながら「音の刺激」を受けた事を、突然、思い出した。

家に帰って、久しぶりに、そのブログにある、 「ウイ・ウォント・マイルス」の「Back Seat Betty」を聴く。そして、 「3分04秒のところでのマイルスの鋭いハイトーンのブロウにいつも、必ず、鳥肌が立つ。」と書かれてあるその部分を再確認したりして・・・ ・。

その同じアルバムの一連の曲を、まだ私が20台の前半だった頃に、友達と一緒に、誰もいない山合いで、 カセットレコーダーのつまみをフルボリュームにして聴いた記憶が蘇る。

それを聴いた刺激が「オンザコーナー」「ジャックジョンソン」「インナサイレントウェイ」「マイファニーバレンタイン」「クッキン」 と目の前のCDを適当に掴んで、マイルスの過去へと旅してみる。

外面的には常に変化して、留まることがないのだけれど、その音の内面には、昔から変わらぬいつものマイルスの音があって、凄いなぁ・・ ・・とおもって聴く・・・・・・。

と、先週、八尾の家で2年目の祝宴に招待していただいた際に、お施っさんが、新たに買ったJBLのスピーカーからコルトレーンを流していて、 やっぱり「音の刺激」を受けた。

それで、続けて、「オレ!コルトレーン」「コルトレーン」「バラード」 とやっぱり目の前のコルトレーンのCDから適当に選び出して聴いているうちに、あっ、もう夜の10時。そうそう、ブログ。 ブログを書かなくては・・・と、相変わらず、「ブログを書くというへんな強迫観念」に迫られている、滑稽な私がいて、 それを笑い飛ばすことも今だ出来ずじまいで、やっぱり、慌てて、ノートパソコンの前に向かって、そして、いま、こうして綴る。

昼からは、雨もあがって、それなりに気候が良いので、デッキで、書くことにする。そろそろ梅雨がやってくるのかなぁ・・・・と、 どんよりした気候を感じていると、昨日の地鎮祭を思い出す。

P1150140土曜日の大安で、雨の合間を縫って、趣の事なる2件の地鎮祭があった。

ひとつは、 確認申請がおりるのを待っている間に、神主さんを呼ばずに、設計事務所さんとお施っさんだけで、簡単なお払いをするので・ ・・ という事だった。

 いやいや、それじゃぁ、私たちも一緒にお払いを・・・という事になり、 神主さんなしで、一緒にお祓いをした。そんな簡素な地鎮祭だったのだけれど、それでも、やっぱり、 草ぐらいは刈っとけば良かったのかなぁ・・ ・と、ちょっと、 反省などしたりして。

P1150149もうひとつは、地元の神社を施工していて、その地鎮祭があって、それは、階段を作ったり、 テントとテントの間に樋や、庇を設置したりと、凝った地鎮祭の設営となった。

形態は様々だけれど、皆で、一緒に、柏手のパンパンという「音の刺激」を聴きながら、大阪弁で言うところの 「ちゃんと家が建ちますように!」と祈るのは、施工者にとっても、身の引き締まるおもいがして、素敵な事だなぁ・・・とおもう。

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2008年05月18日

ハイオク

個人タクシーの運転手が、レギュラーガソリン仕様のクラウンを運転しながら言うのには、「私は、ハイオクガソリンを入れてまっせ。 それやぁ、値段は高いけど、車のためを考えたら、車を長く持たそうとおもったら、やっぱり、ハイオクの方がええんとちゃいまっか」と。

あっというまに150円も160円もするようになってしまったガソリン代金を考慮しても、燃費の事と、 何よりも車のエンジンを出来るだけ長く使えるようにするという長期的な視点で考えると、 ハイオクガソリンの方が車のエンジンのために良いのだ。と言うのだった。

少しでもガソリン代を押さえる方が良いはずのタクシーの運転手がそんなふうに、「わしは、そうしってまっせ」と、「信念」 を持って語るのだった。へぇー、へぇーと、何回も相の手を入れながら、後部座席に深く沈み込みこんで聞いていた。

ハイオクガソリンとエンジンの関係の真偽のほどは、定かでないのだけれど、最近、建築界では「200年住宅」 というのが話題にあって、最近の30年ほどの寿命だといわれている住宅を200年持たせるようにするのだという。

『スクラップ・アンド・ビルド(つくっては壊す)」のフロー消費型社会からストック型社会への転換・・・・とか、いい家を「つくって」 「手入れして」「何回も流通させる」・・・・・』というような言葉が並んでいる・・・・。

丈夫なエンジンが自動車メーカーで造られ、運転手は純度の高いガソリンを流し込んで、エンジンを大切に使っい、 エンジンオイルを頻繁に替えながら長持ちさせるのか・・・・。中古車の市場が成り立つのは、エンジンが何年も何年も使えるからかだな・・・・ ・。足回りがしっかりしている事も大切だな・・・・・。メンテナンスという心がけも大切だな・・・・・・・。

などと、大阪のオッサン丸だしのタクシーの運転手が語る、濃ぉ~い大阪弁のハイオクの話が、私の頭の中では、 200年住宅の話題と微妙に絡みあい、二重螺旋のように交わりそうで交わらぬ状態が続いて、頭の中をくるくる回転しているその間に、 自宅近くの地下鉄小路駅の交差点に到着してしまた。

私の住まいの一部は戦前に建てられた長屋をリフォームして住んでいる。建てられておよそ60年目で、内部を大改造した。それで、 あと30年ほど住みたいなとおもっている。それには、そろそろ土葺きの瓦屋根は、屋根断熱をした軽い板金屋根に替えて、 断熱性能と耐震性能を同時に向上させたいし・・・・。外壁もメンテしたいし・・・。

今まで、中古住宅を購入したリフォームを何軒も手がけてきた。また、現在、工事が進行中の現場もあるし、 これから計画しようとする現場もあるし、只今、土地探し中の物件もある。だいたい、使えそうな中古住宅であると、 全面リフォームをしたとしても、その土地に新築の住宅を建てるよりは、かなり安く出来る。まぁ、その「かなり」という金額は、 いたって曖昧な言葉で、スミマセン。

中古住宅として、コンクリート住宅の例も鉄骨造住宅の例も数例はあるのだけれど、ほとんどが、木造の在来軸組工法で、 だいたい2~30年の周期で、骨組みと外壁と屋根を残したスケルトンの状態にしたリフォームをすれば、 様々な補強やメンテや工夫を加えながら、次の30年ほどの維持再生が可能な場合も多い。外壁と屋根は、 住みながらでもぼつぼつとメンテが出来るしね。

こういう中古住宅は、リフォームを繰り返して、いったい何年間「流通」できるのだろうか? だいたい50年ほどか、 100年ほどなのだろうか・・・・・? これからはそれを200年持つような住宅として造っていこうとする試みが200年住宅か・・・?  などと自問自答する。

そういえば、以前乗っていたクラウンのステーションワゴンは20万キロちょっと乗った。 会社のカローラのバンは30万キロを超していた。先ほどのタクシーの運転手は何十万キロ乗るつもりなのだろうか・・・・。だいたい、 車のエンジンの寿命って、何十万キロなのかね・・・・。と、考えながらインターネットで調べてみると、30万~50万キロはざらだって。

家も、しっかりとメンテとリフォームを繰り返しながら、「この家は、私で、6代目のオーナーになりまして、もうこれで、 200年目になります・・・・。」なんていう、家自慢の時代がやってくるという事なのだろうか・・・・。

確かに、それには、車でいうところのしっかりとしたエンジンと足回りにあたる、 住宅の骨組みと基礎を私たち工務店がしっかりとつくらんとアカンのでしょう。また、 オーナーの家にたいするメンテの心がけも必要なんでしょう・・・・。で、ところで、そういう200年住宅というのはどんな家か?というのが、 近々、いろいろと提案されるらしい・・・・。

というような事を、すっかり気候が良くなって、過ごしやすくなった、デッキで、心地良い気候を味わいながら、 ソトメシならぬソトブログなどと称して、ウダウダと書き綴ってみるのでした。

P1130907 そうそう、なんで、こんな話題になったのか・・・・。

昨日の土曜日は、3年前にリフォームした堺のお宅が浄化槽から放流に切り替わるにあたっての相談にお伺いした。

P1130945その日の夜、 2年前に「IAT STUDIO」設計によって新築させていただいた八尾の住宅で、 設計の方や現場監督や大工さんを交えて、竣工2年目の宴会を催していただいた。 (感謝)

と、「メンテ」とか「長く快適に使う」という事にまつわる土曜日があったからだとおもう・・・・・・。

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2008年05月11日

お饅頭を食べた記憶

今日は、ちょっと肌寒い。ゴールデンウィークのあの陽気から考えると急激な変化だ。少し風邪気味になってしまった。

ゴールデンウィーク中に、東京に行く機会があった。めったに行くこともないので、新しい建築が出来た所にでも・・・ とい気持ちもあったのだが、結局、所用をすますために回ったのは、上北沢とか、高円寺とか、西台とかいう地名がついたところを、 移動のためにウロチョロすることで終わってしまい、「見学」など出来ずに、新幹線で帰った。

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それに しても、今更の事だけれど、大阪の町とは随分と違うよなぁ・・・。東京の方が斜めに通った道が多く、アップダウンも多い。 公園や緑は大阪よりずっと多いな。

ある時、東京と大阪に住んだ人との会話で、確かに、東京の街の方が緑や公園は多いけれど、大阪は、山が近くにあって、 道や窓から意外と近くに、山が見えるのがいいよ。と言っていた。

その時はそんなふうな見方もあるのかと、その事が、新鮮におもえて、そう言えば、中学や高校の校歌には「葛城の山」とか「生駒葛城」 「金剛山」とか、山のことを歌ったよなぁ・・・なんていう記憶が蘇った。

平野の広さ大きさが圧倒的に違うのだなぁ・・・。なんて考えているうちに、長屋とか、狭小間口の住宅っていうのは、 東京より大阪の方が多いのかな・・・どうなんだろう?と浮かんだ。

考えてみれば、大阪市内にある弊社では、建てる新築のうち、ひょっとして、半分は、間口が2間の家ではないのかと思えてきた。近々、 整理して、木村工務店で建てた狭小間口の家特集でもやってみようかな。

kawaguchi 003 ちょどう、ゴールデンウィークの大安に地鎮祭があって、その家も間口2間の木造3階建てで、 地鎮祭のテントと同じ巾で建つのだった。先日、 オープンハウスをした家も間口が2間だった。ここ数年で言えば、間口が1間半の新築も2軒ほどしている。

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そうそう、その地鎮祭に、子供さん達が参加した。その場で教えられた作法を見よう見まねで、榊を神棚に供え、 二礼二拍手一礼する姿が微笑ましかった。いったいこの摩訶不思議な儀式が、どんな印象として子供の記憶に刻まれて残るのだろうか。

その姿を見ながら、設計の打ち合わせの時も、両親と一緒に会社に来て、打ち合わせの横で、宿題や本などを読みながら、 傍らで静かに座っていた姿を思い出した。

kawaguchi 024 そう言えば、珍しく、お供え物の中に、出来立てのお饅頭があって、儀式の終了後、 子供さん達がそのお饅頭をほおばる姿が、ほんとうに微笑ましかったのだが、私達にもそれをお裾分けいただいた。

そして、その家の前で、参加したけっこうな年齢の野郎共が、ペットボトルのお茶を片手に、お饅頭を「うまいなぁ・・・うまいなぁ・・・ 」なんて、お互いの顔を見ながら、朝っぱらから食べている姿は、今、思い返してみると、微笑ましいというよりは、 ちょっと滑稽な姿だったなぁ・・・・・。

でも、その日のお饅頭の印象は、参加した皆の中に深く刻まれたとおもう。

そうそう、東京の西台のお宅でもお饅頭を頂いたなぁ・・・・・・。

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2008年05月04日

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いま、5月4日午後10時30分、ゴールデンウィ ークのまっただなかだ。皆さんは、どのようにお過ごしだろうか?

私は、このブログを改めて眺めながら、ゴールデンウィークの過ごし方を振り返ってみると、そうそう、ここ数年、家族と「旅」 をしていたのだなと、気付かされる。

まぁ、しかし、今年は、ちょっとした事情が重なって、家族での旅は、小休止。

それで、「友」と会うためと、少々メタボ気味になりつつある体を鍛えるために、ひとりで、丹沢に行って、知りあいの山小屋で、 友と語らうことにする。

5月3日は、生憎、関東地方は天気が悪く、丹沢は、時折、日が差さすものの、霧雨のような状態で、山を歩く人は少ない。歩いていると、 「」に出くわす。 遠くの虹を見上げた経験は何度かあるが、手が届きそうな直ぐ目の前で、虹を見下ろしたのは、はじめての体験だった。

こうやって、書きながら振り返ってみると、虹というのは、不思議で美しいものだなぁ・・・・・と、 その時の情景と感覚を再体験してみる。「虹に願いを」という言葉も、いま、思いつくが、その時は、そんなこと、全く、思いつかなかったなぁ・ ・・・。

写真をみながら、柏手を「パンパン」と打つことにする。

午前中は丹沢の塔ノ岳の山頂にいた。いま、大阪の自宅のここで、こうして、ブログを書く。そして、今日も終わろうとしている。「いま」 というこの感覚も「ここ」というこの感覚も「今日」という時間感覚も、虹のように不思議な感覚だなぁ・ ・・・。なんて考えながら、「今日」のブログはこんな状態で終わろうとおもう。お休みなさい。

そして、良い休暇を!

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