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2011年07月31日
うしろ姿
夏休みに突入している中学校三年生の次男が、朝のランニングに一緒に走ると言う。今まで、一緒に走ったのは3度目か4度目か、それがよく思い出せない。最近、どうも、記憶が曖昧になってきて、着実に老化に向かっている感じ。朝の5時30分に、息子に起こされて、ランニングに出掛けると、大阪城を周回し終わったあたりから、息子がぐんぐんとスピードを上げていき、どんどん離されていく、その後姿を見ながら、走りに付いて行けないのは、自分のお腹周りのぶよぶよした肉のせいだぁ。いや減らない体重のせいだぁ。あと2Kgほど体重を落とさねば。などなどと言い訳がましく呟く「心」と付き合いながら、走る。
走りながら、なでしこJapan澤選手の「苦しい時は私のうしろ姿をみなさい」というコトバを唐突に、思い出す。いま、息子の後姿をみて走る「私」。こんな状況下では、このコトバをどう解釈すればよいものか。と、少々苦笑いしながら走る。それにしても、その息子の後姿には、それなりの嬉しい気持ちもあるのだった・・・・。
ところが、10Kmのランニングで、その手前3Km辺りから、急速に失速する息子。喉が渇いたというのだが、清見原神社にお賽銭を投げ入れてしまい、生憎、お金を持ち合わせていなかった。親の立場として、ちょっとだけ後悔しながらも、そのまま走り続け、マイペースを維持したまま、息子を抜かして、走り続けた。息子は「私」のうしろ姿をどのように見ていたのだろうか・・・・・。
この土曜日、木造二階建ての構造見学会というのを久しぶりに実施する。長期優良住宅で、木の家整備促進事業でもあって、上棟以降の内装工事までの工事工程を公開する事になっている。沢山の人が、来場するわけでもなく、すごくマニアックな感じ、お施主さんも一緒に参加して頂いて、ご来場頂いたお客さんには、構造的な内容や、吉野の阪口製材の杉材を説明した。
お客さんが帰られたあと、構造設計を依頼している木構造研究所田原のタハラさんと所員の女性が構造チェックにお見えになって、久しぶりにお会いした田原さんと雑談も交えながら、お施主さんの前で、チエックをしてもらう。
辛口のタハラさんが、吉野の阪口製材の杉材の品質の良さを誉めて、こういう天然乾燥の杉材なら米松に近いヤング係数が出る時があって、強度も強いし、何よりも、大工さんが手加工で、仕口をキッチリとビシッと納めているのは見事で、プレカットだと機械が一気に削るので、ガサガサとなって、どうしても仕口がゆるくなってしまう。手加工するとゆっくりと、丁寧に削るのでで、仕口の強度もまして・・・・・・。
ちなみに、ヤング係数とは
木材や鋼材等の材料によって異なる材料の変形しにくさを表す係数。
材料密度、質量などによって変化する
数値が大きいほどたわみにくい材ということになる
と書いてあって、簡単に言えば、木材のの強さで、いえば、
ベイマツのヤング係数が110とすれば、スギは75ほどで、
阪口製材のスギは110近くの数値がでるのではないのかというのが、
先ほどのタハラさんのお話。
構造用合板の釘の打ち方のチエックとその話題になる。最近でこそ、どこの工事現場でも、CN50という釘の仕様をNC50という釘と間違って使用するという事はないだろうが、合板への釘の打ち方には、ちょっとした面倒くさい、ルールがあって、それは、釘が合板の中にまでめり込まないように、表面キッチリに打つ事が必要で、でないと、必要な強度が出にくいと言われている。
木構造研究所田原さんのホームページから引用すると
─▼──────────────────────────────
釘のパンチングまた、現在主流の機械打ちの場合、釘打ち機の圧力設定を高めにして釘打ちすることが多いため、釘頭が容易にめり込み、半ばパンチングが起きている状態となる。(下図)
現場における構造用合板+釘(NC50)の間違った釘を打ち込んだ時の釘頭のめり込み状態
耐力壁2.5倍仕様(OSBパネル厚9)の間違った施工
釘がCN50ではなく、NC50であり、さらに釘がかなりめり込んでいる。
現場における構造用合板
+釘(N50又はCN50)の適切な釘の打ち込み状態
適切なCN50釘での施工
───────────────────────────
フミノ棟梁と施主をを目の前にして、上記の引用と同じようなタハラさんの現場でのナマ説明があって、もちろん、フミノ大工とワダ大工は、合板の表面にキッチリと釘を打つために、機械で釘を打つのだけれど、その釘を合板のちょい手前で止めて、最後は金槌で打つという、もう一手間をかけていて、そんなプロ同士の説明と会話が続く・・・。
タハラさんが言うのには、この前に京都での現場があって、そこの施工が芳しくなかったので、施主に説明をして、合板を全てはがして、もう一度やり替えてもらった。という事だった。この現場は、木材もキレイで、仕口も良く出来ていて、合板の釘打ちも良く出来ていて、ほんと、良く出来ている・・・・・と、フミノ大工を前にして、誉める。
フミノ大工が、今まで、人生で、誉められて育ってきていないので、どうも居心地、メチャクチャ悪いですわ。と、キリッとした笑顔で、はにかんでいた。「私」は、喜びすぎて、帰りに、交通事故に合わんように気いつけやぁ・・・と、ちょっと茶化す。タハラさんは、こういう現場は気持ちエエですね・・・と言いながら帰って行かれた。
まぁ、そんな訳で、そのうしろ姿を皆で見送ったのであった・・・・・。
2011年07月24日
デジタルテレビが省エネ冷蔵庫に取って代わった日。
月に一度、日曜日に住宅相談会を実施していて、3組がお越しになる日もあれば、ひと組の日もあって、今日は、3組で、午前中の、そのひと組目の方は、岡山県在住で、堺にある実家に帰る予定になっていて、その堺にあるコンクリート造平屋の建物が、どんなふうにリフォームの可能性があるかの相談だった。
わざわざ、岡山県から家族でお越し頂いた。初めてお会いした人と、まだ見ぬ現地の建物に想像をめぐらしながら、お話をお聞きし、家族の持つ背景や土地の持つ背景を感じ取り、その家族のライフスタイルに想いをめぐらすのは、素敵な経験であって、個人的にはこちらこそが、感謝したい気持ち・・・・。
正午、ほんの少し前、アナログデジタルの切り替えの瞬間を見るため、会社から直ぐ近くの自宅に急いで帰える。家にはソニーのトリニトロン6インチアナログテレビKV6AD1があって20年ほど前に、車載用テレビとして買って、そのテレビを、10年ほど前に、キッチンのテレビとして、本棚の中にひっそりと置いていた。ダイニングテーブルの前に、シャープの21インチ液晶テレビを買うまでは、その6インチのテレビの前で家族3人が立ったままテレビ番組を見入る。という、とっても不思議な光景の日々が続いていた。
主に、奥方がキッチンの作業をしながら見るテレビなのだが、「私」はこのテレビの大きさと映像が好きで、立ちながら小さな6インチテレビを見るという通称「立ち見」をする時が、かなりあった。それにしても、テレビ映像が映らないテレビほど役に立たないものはないので、今日は、そのテレビとお別れする日であり、奥方などは、これを機会にキッチン用のテレビとして、新しいテレビを買うかどうか、家電の折り込みチラシを、朝から楽しそうに見ていた。6インチのテレビの前に二人で立って、笑っていいともの秒読みを見る。4秒前、3、2、1、・・・と、そこで、アナログ放送のあの「青色の画面」が現れるのが楽しみだった。
ところが、切り替わった瞬間。そのまま、デジタル放送が流れた。あれぇ。えっ。タモリが歌い出している。おかしい。NHKにチャンネルを替えると、デジタル放送の正午のニュースが流れている。そんなはずは・・・。青色のあのアナログの画面が現れるはず・・・。それが、普通に映像が映っている・・・。
という事は、うちのUHF用のテレビアンテナの向きがデジタル放送の向きと偶然に同じだったのか?事前調査をしていた訳ではなく、写らんかったら写らんかったで、まぁエエか。ケーブルテレビに接続しているテレビがあるし・・・、というノンビリした家族のムードだった。アンテナは、今設置しているUHFアンテナが偶然に使えたとしても、地上デジタルチューナーが必要だとホームページにも書いてあるのだが、なぜか、そのまま見れている。なぜなのだろう・・・。シーク機能が付いているからなのか・・・。全く理解出来ていない「私」。
もっとも、大騒ぎしているのは、奥方だった。えっ!なんでぇ!ブルーバックちゃう!見れてるぅ!嬉しい!いや、残念!せっかく、新しいテレビに替えようと思っていたのに・・・嬉しいような嬉しくないような複雑な心境。・・・・と。という訳で、はっきりとした事実は、歴史的といっても、かなり大げさすぎる表現なのだが、兎に角、そのブルーバックに切り替わる歴史的瞬間を見逃したのだった。
さて、昼からのお客様は、大阪市内の鉄骨造3階建て2世帯住宅に住んでいて、家族が結婚をして出ていかれたり、ご主人や祖母がお亡くなりになったりと、奥さんひとりの住まいになった。その家を減築などして、独り住まいの快適な住まいにしたいという事で、娘さんとお二人でお見えになる。
施主というコトバは、家を建てるお客様というニュアンスだが、単に家を買ったり、建てるお客様というコトバを越えて、その家族の背景や、その建物と土地の背景、施主の社会的背景や住む地域風土、果ては地球環境まで含めた、家を建てる人の様々な背景を含蓄する広がりのあるコトバかもしれないなぁ・・・・と、リフォームに至る経緯のお話しをお伺いする度に、そんな事をおもうのだった・・・。
その2組目と3組目の間に、奥方から電話があったのだが、あれやこれやとバタバタしていたので、「只今、電話に出る事ができません・・・」と電話を切った。
3組目は、近所の方で、昨日の土曜日の夜に、突然お見えになって、急遽、本日のこの時間にお打ち合わせをする事になった。工場兼事務所を20年ほど前に施工させて頂いて、数年前に、ご長男の家を中古物件を購入してリフォームをし、今回は次男の方も中古住宅を購入してリフォームする事になって、東成のその現地を設計のタナカくんと一緒に見に行くことになった。その場所が、最近お引き渡ししたばかりで、戦前の長屋をリフォームした工事のその家の前の道路に面する、少し斜め前の家だったのには、いやぁ、実に、驚いたなぁ・・・・・。
その打ち合わせが終わり、会社に帰ってから、奥方に、何の用事かと、電話をすると、もう、エエねん。用事、終わったのぉ。もう、冷蔵庫買い終わったからぁ!、と言う。えっ、それぇ、何のこと?
そう言えば、数日前に、米谷良章設計工房のマイタニさんが製作した。「冷蔵庫買い換え省エネ度合いは何%」というとってもエエ資料があって、それを奥方に手渡していた。そこには、沢山の数値が並んでいて、その数値をたどっていくと、 我が家の冷蔵庫は1998年製で450リッターであり、その消費エネルギーは850kwh/年で、それを2010年製の同じ450リッターの冷蔵庫にすると、メーカーによる違いはあるものの、消費電力は約220kwh/年となり、約75%の消費エネルギーを減らせる。と書かれてあって、今週の我が家のダイニングテーブルの上には、その資料と各社の家電メーカーの冷蔵庫のカタログが、散乱している状況が続いていた。
残念にもデジタルテレビに買い換えられなかったので、省エネするために、冷蔵庫を買い換える事にしたわ!と言のだった。そういえば、最近、急激に、冷蔵庫の調子がおかしくなり、氷がうまく出来ないとか、なんだかんだと、冷蔵庫の悪口をぼやいている姿があって、いやぁ、きっと、冷蔵庫の調子が悪くなるように、念力を掛けていたに違いない。これは、主婦の誰もが共通にもつ、強力な念力だと、信じて疑わない「私」。
そんな訳で、地デジ化の日は、住宅相談会の日で、冷蔵庫を買い換えた日なのだ。
2011年07月17日
日常。
確かに、セミが鳴かない。朝、一瞬だけ、空耳のように、セミの鳴き声を聞いたが、ほんとうに、一瞬だった。いや、ほんとうは、空耳だったのか・・・。静かな夏で、きっと芭蕉さんが生きていたら、静けさがない暑い夏を寂しく思っているに違いない。
今朝の新聞の折り込みチラシには、関西電力のチラシが入っていて、「13時から16時のピーク電力の節電にご協力下さい」というしっかりとした紙質のチラシだった。関電からのこのチラシに対しては、はい協力しましょう。という気持ちと共に、そもそもの原因は・・・という、複雑な感情が湧いてきて、今年の夏は、セミのかわりに、原子力発電の問題によって、多くの人の鳴き声が、ミィミィーと響いているかもしれない・・・・。
早朝にランニングをし、シャワーを浴びてから、朝風呂に行った。なんという矛盾。だと今頃気付いた。家に帰ってから、午前中は端居しながら、本を読んで過ごす。奥方はクーラーを掛けて、自分の仕事をパソコンでしていた。あっ、これじゃぁ、家族全体では節電の協力になっていないじゃないかと、ようやく、その矛盾に気付いた。それで、お互いに、怒号と笑いを織り交ぜながら、昼からは節電に協力するために、クーラーを切ることにし、それぞれなりの端居をすることになった・・・・。
私たち3人家族の一年間の電気消費エネルギーは8000kwhほどあって、大阪府の3人家族の平均は6000kwhほどなので、平均をかなり上回っている、贅沢な使い方なわけで、それは、おもに、冬の電気式床暖房による消費が大きい事に起因しているのかもしれない。「1985プロジェクト」のコアーメンバーのひとりとしては、まったくもって、恥ずかしい数値なのだが、これを平均の二分の一にするのが目標値な訳で、さてさて、これから私たち家族の節電はどうなっていくのか、我ながらちょっと心配でもあるのだが、まぁ、兎に角、工夫とちょっとしたお金をかけて「節電文化」を楽しんでみようかとおもう。
ところで、70代になる両親の住居では、午前中は涼しい風で、窓を開けてすごしている様子。お昼を過ぎてからは、窓を閉めて、クーラーを掛けて過ごしているようだ。これじゃぁ、ピーク電力の削減にはなっていないじゃないかぁ。て奥方に話すと、一番、暑い時にクーラーを掛けてこそ気持ちがエエのよ。我慢ばかりして、気付いたら脱水症状になっていたらどうするのぉ・・・何ための電気。何のための節電なの。と。確かに確かに。ほんとうは、私たちの節電の方が間違っているのかもしれない・・・・。
電気によってもたらされる快適性とは?電気を創り出す技術とは?電力事業とは?本当の意味での節電とは?文明とは?バランスとは?と、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマという原子力問題によって、過去、現在、未来に渡ってのライフスタイルを考えさせられるねぇ・・・・。
そうであっても、電気の事ばかり考えている訳にはいかない、日常は山あり谷ありで、淡々と過ぎていくのだった。
「月曜日」午前中、週1回の朝礼があり、設計ミーティングや経理ミィーティングがあって、また、ホームページの打ち合わせがあったり、施主がお見えになったりと、あっという間に過ぎる。午後から産婦人科の内装リフォームの打ち合わせに参加する。流石に、産婦人科に行く機会がないので、その「感覚」をつかむまで、暫し時間がかかった。夕方には、提出したコンクリート住宅のお見積書のコストダウンの打ち合わせに、お施主さんが来社。夜はパソコンで、あれやこれや。と、月曜日の慌ただしい1日が終わる。
「火曜日」午前中、「まちのえんがわ」というプロジェクトの社内設計打ち合わせをした。
「まちのえんがわ」とは
「住まい」に関する「専門知識」を
「町の人々」に提供する「縁側」
その「専門知識」を
「責任」を持って「設計」と「施工」ができる
「ものづくり」の「ネットワーク」
木村工務店の1階ガレージに小さな店舗として、
小路 まちのえんがわ Garage
木村工務店WorkShop
として10月頃オープン予定です。また、その時には、ご愛顧賜りますよう、宜しくお願いします。午後からは、堺でリフォーム工事の見積提出があって、設計のタナカくんに同行する。その後、東大阪で、「木の家整備促進事業」による木造2階建て住宅の上棟式があり、社員や大工さんや手伝いさんと、上棟を祝った。上棟式というのは、いつも、嬉しいし。楽しい。お祝い事だなぁ・・・・。
「水曜日」タカヤマ設計さんによる木造2階建て新築工事の社内検査があって、トミマス部長と現場担当のツジモトくんと、チェックをする。お昼の時間を利用して、タカヤマ設計、弊社施工によりグッドデザイン賞を受賞した「カットハウス no201」で、ちょっと伸びすぎた髪の毛をカット。髪の毛を触ってもらっている間に、気持ち良くなって、コクリコクリと居眠りしていた。昼間は事務所であれやこれや。夕方には、最近、お引き渡したリフォーム工事の外構の打ち合わせに、設計のヤマガタくんと現場監督のフルカワくんに同行して、お話をお伺いする。
「木曜日」午前中、古いお得意さんの依頼があって、確認申請関係の手続きを依頼しているカシワギさんに同行してもらって、生野消防署に行って、危険物販売所のアドバイスを受ける。午後から、天王寺でのリフォーム工事の契約があり、設計のヤマガタくんとトミマス部長とで執り行う。夕方は堺でのリフォーム工事の契約があり、設計のカワモトくんと現場担当のフルカワくんと3人でお伺いする。重なる時には不思議と重なるというのが、ほんと、世の中の不思議だとおもう。
「金曜日」富士灯器さんという海洋レジャー関係のライトなどを製造販売している会社の社屋塗り替え工事があって、そのお引き渡しに、トミマス部長と現場担当のタツタくんと一緒にお伺いする。社長の息子さんの家を新築させて頂いたご縁で、会社のメンテナンスに携われるのは、ほんとうに有り難い事。感謝です。午後から大阪ガス関係の会社の人が来社されて、お打ち合わせをする。夕方には、豊中でリフォーム工事の見積提出があって、設計のヤマガタくんと見積担当のトミマス部長と3人でお伺いした。
「土曜日」午前中、米谷設計のマイタニさんと、関西大学の授業の件で、下打ち合わせをする。2年前から後期だけ関西大学の木造設計製図の授業を講師として受け持っていて、この2年間はMs設計の三澤文子さんと一緒に授業を担当し、学生と付き合って、私もいろいろと勉強になった。今年は、米谷さんと一緒に授業を受け持つことになり、その下打ち合わせをした。昼前から、野池さんが主催する「暮らし向上リフォーム研究会」の会議が弊社の3階会議室であって、設計事務所さんや工務店さんが12人ほどで、あれやこれやと、ざっくばらんに打ち合わせをした。「部品交換型」ではない「暮らし向上型」のリフォームを研究し、広めていこうという研究会で、10月頃にはホームページが完成し、その活動が、正式な形になるとおもう。夕方には旭区でリフォーム予定の御夫妻が来社されて、計画案の打ち合わせを設計のタナカ部長とヤマガタくんを交えて、2階応接室で、あれやこれやと、賑やかに打ち合わせをする。
そんなこんなで、一週間があっという間に過ぎた。
「日曜日」の今朝、5時30分頃からランニングをする・・・・・。セミの声を一瞬聞く・・・・・。と、そんな日常に、節電が割り込んできたのだな・・・・。
2011年07月10日
端居(はしい)する。
「室内の暑さを避けて縁先や風通しの良い座を占め涼をとることをいう。 また縁先から水が打たれて涼しげな庭の風景を楽しむことや冷房設備が一般に普及した今日においても風呂上がりの夕方など団扇を使いながらの端居は格別である。 」
http://www.a.zaq.jp/haiku/07/4c/4c_003.htm「家の端近くに出て座っていること。特に夏、涼をとるため縁先などに出ること。」http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/175873/m0u/%E3%81%AF%E3%81%97/
「夏、縁側などに出て涼を求めてくつろぐこと。「端」とは家屋の端で、つまり縁側のようなところ。夜分とは限らないが、夕方や夜のことが多い。風呂から上がって浴衣に着替え、涼しい風にあたってほっとするひとときである。「納涼(すずみ)」は外に出て涼を求めることが多いが、端居は家にいて涼を得るのである」 http://kigosai.sub.jp/kigo500a/305.html
「端居」というコトバを知る。恥ずかしながら、全く知らなかった。家の便座の前の壁に貼ってある24節気カレンダーに「端居」とあり、いやぁ、おそらく、去年も、それに一昨年も、そのコトバが書いてあったのかもしれないが、きっと、私の脳ミソは、興味のある情報しか受け入れようとしない、都合のエエ脳だったのだ。全く、そのコトバを気にとめていなかった。
もちろん、風通しの良い家への意識の芽生えは、数年前からハッキリとあって、今にして反省すると、それは、スタイルとして模索し、楽しんでいる程度だったのかもしれない。何と言っても、これほど深刻な原子力の問題と向き合わう機会がないと、「端居」というコトバを本気で考えて、クーラーを出来るだけ使わないような生活を始める気にはならなかっただろう・・・・。
現場で端居する。土曜日。炎天下の中、天王寺区でリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備業者が集まって、器具説明をする。涼しい居場所を求めて、それぞれが、ウロウロする。家の前の、高いマンションに囲まれた3mほどの道路に、なぜか風が、勢いよく通り抜ける。そこに数人が集まって、涼む。昔のヒトが、道路に床几(しょうぎ)などを持ち出して、夕涼みした光景を思い出した。クーラーがまだ設置されていない状態なので、あちらこちらの窓を開け放つと、確かに風の通り抜ける「端」があって、設計のカワモトくんと現場監督のタツタくんと、そんな居場所を見つけては、涼む。いやいや、端居する。
家で端居する。日曜日の午前中、家の中の涼しいところを見つけて、端居する。うちの家は2階にLDKがあって、それに、天井の断熱材は、今の基準からすると低く、たいして入っていなくて、その上、天窓もあって、暑い。先日、お引き渡しをした戦前の長屋では、天井に155mmの断熱材を入れ、土壁の外側に断熱材をはり付けて、いわゆるQ値が2.3ほどになった家を体感すると、断熱材の素晴らしさを、あらためて、感じて、まずは、断熱リフォームだな。とおもうものの、いやいや、それより前に、まずは「端居」なのだ。
1階の座敷に端居して、パソコンをする。北向きの玄関戸を開けたままにすると、風がよく入る。それに、薄暗さが心地エエではないか・・・。暫くして、庭の木陰に出る。庭土に白ツメ草を植えた効果が、なんとなくあって、熱気がなく、草むらにゴロンと寝転がりたい気分にさせる。木陰の下で、キンチョウの蚊取線香をたいて、サーキュレータを掛けて過ごす。じわーっと暑いが、心地よい。椅子を少しずつ動かしながら、風の流れる場所に端居して、短パンランニングで、過ごした。風が吹き、木漏れ日がゆらいで、心地良さを誘う。その「ゆらぎ」がとってもエエ感じ。
そんな「苦労」を「私」がしているのに、2階のLDKに上がると、息子と奥方が、クーラーをかけて、気持ち良くパソコンをしていた・・・・。部屋に入った瞬間、いやぁ、それが、確かに、涼しくて、心地良い。まるで楽園楽園。
いやいや、それじゃぁ、「いま」は、アカンのです。麻薬的な心地良さ。電力マフィアに犯された心地良さと呼ばなくては・・・。まぁ、取り敢えず、クーラーのそばの小さなソファーが置いてあるコーナーに暫し端居する。それが、やっぱり、涼しくて、気持ちエエのですわ・・・。
と言っても、「ゆらぎ」と「薄暗さ」による心地良さにも、ナチュラルハイな魅力があって、今日は麻薬的クーラーと暫し縁を切って、1階に端居する・・・。
午後1時頃になり、ピーク電力の削減に協力するために、家のクーラーを止めて、家を出て、「都市の中を端居」しようと、家族で、話がまとまる。まぁ、単に、息子の買い物があったのと、新しくなった大阪駅を見学しながら、ついでに、都市の中を端居しようという、こじつけに過ぎないのだが・・・・。
都市で端居する。立体的な繋がりが出来た大阪駅のショッピングモール。以前よりっずっとエエ感じ。節電のため、さして涼しくない、店舗で、ショッピングをし、風の広場や空中農園で、端居する。けっこう、大勢のひとが、都市の中を端居しているのだ。それはそれなりに、皆さん、心地良さそう・・・。
日が沈んでも、まだまだ明るい夕刻に、帰宅した。2階のLDKには熱気が溜まっていて、窓を開け、熱気を追い出しながら、クーラーを掛けるが、夕刻になると、西風の吹き込む居場所があり、そこへ端居する。サヌカイト石の風鈴が鳴り響いて、体感温度が下がったような気がし、その居心地の良さを奥方とシエアーした・・・・。
端居を楽しむのが、以外と楽しい。節電にも繫がる。と言うことは、今、求められている建築とは、端居が出来る建築なのか・・・・・。
2011年07月03日
「すまいは夏をもってむねとすべし」かぁ・・・・
暑い。密集した都会。それに節電。
猛暑日の午後の2時。大阪市内、戦前に建てられた土壁の長屋を外側断熱をし、次世代省エネ基準という最新の基準を満たしたリフォーム工事のお引き渡しがあり、設備の業者が器具説明に集まって、使用方法などいろいろと説明をする。メインのクーラーは、後日、家電業者が来て、取り付ける予定になっていたので、隠蔽配管が必要だった1階6畳個室のクーラーだけが取り付いた状態でのお引き渡しだった。
広々とした1階LDKと吹き抜けがある部屋に向けて、その西面の個室の引き戸を全開にして、その小さなクーラーだけをかけて、器具説明をする。断熱効果がかなり高いので、窓を閉めて、その小さなクーラーだけで、吹き抜けを含めた部屋を冷やそうとしていたが、8名ほどが、部屋の中に集まって器具説明をしていたので、人間の熱気というか、人間の持つ熱量だけでもかなりの熱量と暑さで、小さなクーラーの冷気の量をかなり上回っている感じがして、なかなか冷えそうになく、汗が流れた・・・。
そんな事にうっすらと気付いて、東西の路地に面した北窓。インナーガレージに面して西日が入らない西窓。庭に面した大開口のリビングの東窓を開けると、西と北から東の開口部に風が流れだして、それに、西面個室のクーラーの冷気も、その風に乗って流れてきた。いやぁ、実に心地良い・・・。
断熱効果の高い家は、クーラーBOXのように、内部のいちど冷えたクーラーの冷気を貯めておく効果が高いのは、察するとおりだが、内部の人間の熱量を貯めておく効果も高いので、完全に冷え切るまでは、窓を開けて、風を通して、内部の熱を放出した方がエエのだろう。もちろんそのために風の流れる窓を設計しておく事が一番大切だが・・・。
高気密高断熱の家が、冬を旨とすべし的で、夏を旨とすべし的家にはどうなんだろうか、というイメージもあったが、断熱材が外部から侵入する熱気に対しての、遮熱効果もあるわけで、この戦前の長屋の断熱改修では、専用の遮熱材は使用していないが、それでも、その日、33度の外気温に対して、2階でも、あの、むっとした熱気は感じられなくて、我慢できる程度の暑さで、むしろ風を考慮した窓から、涼しい風が吹き抜けて、心地良かった。
そんな訳で、夏のクーラー消費を極力減らすためには、南面の窓は日射遮蔽を考慮して、庇が長いとか、葦簀を使っているとか、ゴーヤで遮蔽しているとか、様々な工夫が必要であろうし、東面と西面にも朝と夕方の時間帯を考慮した日射遮蔽と風通しの、バランスと工夫が必要であろう。それに、北面の風の道も考慮しなければならないのだろ。
夏の住まいには、住まい方の工夫が必要だな・・・と、あらためて思う。クーラーを贅沢に使う事が、今までは、お金の問題で、モッタイナイという程度の問題だったが、原子力発電の問題が大きく絡んできたことで、クーラーは使うけれど、クーラーの消費エネルギーを極力減らすために、時間帯によって、開口部の日射遮蔽をこまめに、面倒くさがらずに、調整する工夫が必要になってきたし、それに、全くクーラーを使わないための工夫と我慢がより大きなテーマなのだろう。特に、密集した都会では、建築的な工夫、それをパッシブな建築と呼ぶのだろうが、そういう建築的な装置にお金を費やして、解決していくしか道はなさそう・・・・・。
吉田兼好の「徒然草」の時代背景とは全く違う、新たな「家の作りやうは、夏をむねとすべし」の「ネオ徒然草」がいっぱい出てくるのかね・・・・。そうそう今回は、戦前の長屋を断熱改修工事した「夕焼けの空」なのでした。
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