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2005年10月30日

シーンとしている。

家に帰って、テレビを付けるとバレンタイン監督がド・アップになっていて、優勝インタビューを受けていた。周囲のシーンとした様子が、 何とも言えぬ雰囲気を醸し出していた。そうか、阪神が4連敗して負けたのだなぁと判った。猛烈な阪神ファンの次男は、この4試合とも、 1回から9回までの全てを見ることは遂ぞなかったよ。と奥方から伝え聞いた。どうやら、どの試合も3回以降になると見てられなくなり、 お笑い番組に切り替え、大笑いをして、鬱憤を晴らしていたらしい・・・・・。

そういえば、私の祖父も阪神ファンだった。阪神が負け出すとテレビを見ている寝室から、もそもそと抜け出して来て、 家中をうろちょろと歩き回り、最後には皆のいる居間にやってきて、私たち孫に「ちょっかい」を出すのだった。そのうち、 それが阪神が負けているサインだと気づくようになった。

うちの会社の阪神ファンもシーンとしていた。大阪の町中がシーンとしているような感じすらした。 某有名ファンドまでもがシーンとなってしまったかのようだ・・・。あまりにも見事な大敗での負けっぷりのおかげで、 監督や選手に批判の矛先が向かなかったのが良かったなぁ・・・。そういやぁ、フロント批判もなかったなぁ。 このボロ負けを演出してしまったかのようにさえ思える某有名ファンドとの結びつきが、皮肉にも、 あの何となくのんびりした雰囲気の親会社を愛おしくさえ思えるようにさせてしまったのだから、ほんと世の中の流れというのは不思議だなぁ・・ ・・。

シーンとばかりもしてられない。まぁ、たまには木村工務店の宣伝でもしようかなぁ・・・・(クリックしてよね)

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2005年10月23日

神無月

「神無月」という言葉はそれなりに美しい響きだなぁ・・・・と思う。「かんなづき」と日本語変換すれば「神無月」となるのだが、 「かみなづき」とも言うらしい。ところが今使ってるATOKで変換してみると「かみなづき」は「過水無月」となり、 日本語と日本語変換の世界も深いもんだなぁと感じたりするわけだ。前にも書いたが、 うちの便所の前に貼ってあるカレンダーに「神無月」を「かみなづき」と振り仮名されてあったから、そんな事を考えた。

そのカレンダーによると「神無月」「かみなづき」の由来は諸神が出雲の国にゆき、諸国の神々が留守になり、「神なき月」 が転訛したものとされる。別に神嘗月(かみなめづき)「神の月」が転訛した説もある。な~んて書いてあった。諸国に「神」がいて、その「神」 が「出雲」にいくらしい。何で、それは「伊勢」でなく「出雲」なのかと疑問さえ沸いてきたりする。 例の靖国問題なんてものがなければそんな神社の事など考えたりしなかったかもしれないが、どちらにしても、 学校の歴史で習ってない日本の歴史というものがまだまだありそうだなぁと感じたりする。不思議な国だなぁと思う。

まぁ、兎に角、日本の国には「様々な神々」がいて、「様々な神社」があり、その上、10月にはその神社を「留守」にまでするらしい。 「千と千尋の神隠し」という映画では諸国の神々が癒しに来る湯屋まで登場したりと、人々を癒す「神」を癒したりもするわけだ。 「山川草木悉皆成仏」何て言葉を聞いたこともあるが、山や川も含め、生き生きとしていけるもの全てに仏性が宿るらしい。何だかやはり、 日本って、不思議で面白い国だなぁと思う。多くの神々が存在すると言われる日本という国と、 ひとつの神だけしか存在しないとされる他国の人々とのギャップを埋める作業も大変だなぁとさえ思えてくる。何より、 我々日本人が日本という国をもっと知らないとね・・・。

っと、書いていたら、「だんじり」の鐘の音が町の中に鳴り響きだした。そういえば、今日は、「生野祭り」というのがあり、 生野区のだんじりが広場に集結してお祭り気分を盛り上げるらしい。当社も長年、その舞台製作に携わっていて、陰ながら、 まさしく舞台裏を支えていたりするのだ。そういえばそういえば、地元の神社の建築に関わったり、お寺の修復に関わったり、 キリスト教の教会に関わっていたり、新興宗教と呼ぶのだろうか、そういう宗教施設にも関わっていたりと、 何ら違和感をおぼえることもなく様々な宗教の仕事に従事していたりもする。

話がそれそうだ。神無月なんだ。そして、ここ大阪も今日は「寒い」と感じる日になってきた。 もう少し厚手の服でも着込もうかなぁと感じていた。そしてそして、どうやら神々が留守にしている月らしい。 神のいぬまにか世の中も様々な問題が勃発しているようだ。

 

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2005年10月16日

一杯のかけうどん

讃岐うどんツアーなるものが存在するな~んて事は、全く知らなかった。前後関係はいろいろあるのだが、兎に角、 讃岐うどんを讃岐まで食べに行こうと奥方が言い出したのだ。どちらかといえば、私はグルメな方ではない。そんなに、 外で食べたいとは思わないのだ。出来れば、黒門市場や鶴橋の市場、近くの市場でも充分なのだが、 買ってきた食材を家で食べるほうが好きなのだ。だが、その日に限って何気なく、「そやな、ほな、行こか」と、 ほんとうに何気なく答えたのだった。

おそらく、その潜在意識の中には、イサム・ ノグチ庭園美術館がまだ、美術館になっていなかった頃、会社の出入りの植木屋さんに連れられて、その工房を訪ねた。 そしてその工房の裏山にある山田屋さんという屋敷を店舗にしたところで讃岐うどんを食べた。そのぶっかけうどんの美味しかった記憶が、 鮮明に残っていたからだと思う。勿論、うどんだけではなく、その時、イサムノグチの彫刻とその工房全体から受けた「心の広がり」 のような印象が讃岐うどんの記憶と密接に結びつき、私の中のある意識を築いていたからなのだろう・・・・・・。

インターネットで讃岐うどんと検索をしてみる。驚いた。讃岐うどんの世界って深いんだ。ネットをうろつくうち「麺聖のうどんグルメの旅」 というサイトに行き当たった。へぇー村上春樹氏も三日間うどんを食べ続けたのかぁ・・・。いろいろなサイトを見るのも、本を買うのも、 めんどくさくなってきたので、そのサイトの中の「うどんツアー」 に書いてある「麺聖おすすめルート」に順ってツアーをする事に決めたのだ。

多くの製麺所を兼ねたうどん屋さんは日曜日が休みらしい。祭日の10月10日の月曜日が調度都合が良かった。 朝の7時50分RIMG0134山越」 といううどん屋さんの広い駐車場に着く。「いやぁ・・全く早く着きすぎたなぁ・・・開店までに1時間もあるなぁ・・・ まぁゆっくりしようか」とあたりを見まわすと、それでも私たちは2台目だった。 駐車場の裏にある民家のおばあちゃんが話しかけてきた。「はよう、着きなはったなぁ」全く、私もそう思った。 我ながらうどんを食べるのに「朝の8時かよー」とそのバカなRIMG0135行為に少なからず恥ずかしく思えてきた。「9時まで待たんでも、もう開けてくれはるわ」 とアドバイスしてくれた。少し歩いて店の前に行くと、既に5~6人が開店を待って並んでいた。普通の町の中の普通の民家だ。 「わー、並んでる」と思うまもなく、既にその「わー」の一員になっている私がそこにいた。

おばちゃんの云う通り、開店時間よりもずいぶん早く、「お待たせしました」という元気で明るい声と共に店が開いた。 後ろを見ると既に10人以上の列だった。朝の8時の出来事だ。恐るべし讃岐うどんの世界・・・・・。 前の人から順番に列に並んで注文が聞かれるていく。「えー、どれにするー。えー、わかれへん・・・・・」 前の人の注文を取るおばちゃんの勢いと、後ろの列を待つ人たちの迫りくる殺気のようなものに圧迫され、そのうえ何度も繰り返すが、 朝の8時だぜぇー、讃岐うどん初心者の私には何を注文したら良いのか全くわからなかった。ちょっとしたパニック状態といえた。 訳のわからぬまま、前の人の注文を真似て、「釜卵うどん」というやつを注文した。店のおばちゃんに、大盛りやね。と聞き返された。 ほんとうはRIMG0136普通で良かったのだが、前の人たちが皆、大盛りを注文しているその勢いに押されて、「はい」 なんて思わず答えている気の弱い私だった・・・・。 裏庭のような、庭園のような、そんな所で食べた。きっと、ブームで、 店を拡張したんだなぁ・・・・。確かに美味い。カルボナーラのような味だった。当然といえば当然だが、 朝ご飯を食べていなかったので、つるつるつるつるとおいしく食べた。天ぷらとかも注文したりして、 その後にまだ6件も回る予定であることを考慮するのをすっかり忘れてしまっていた。

RIMG0139次の店に行くことにする。「田村」 という店だ。改めて今、撮った写真の時間を確認すると 2005:10:10 08:37:04 となっていた。 振り返ってみてもその時間帯に、大阪から讃岐まで出かけ、うどんを食べに、かけずり回ろうとしているその行為自体に驚く。 開店が9時30分らしいが、大型トラックの運転手と、もうひとりのお客さんが店の席に座って待っていた。流石に、 9時30分まで待つのも辛いので、また次回にと、別の店に行くことにする。「また次回」などと思っているあたり、もう既に、 讃岐うどんツアーの魅力にはまっていたのだろう。

山下」という店を探す。 カーナビがあるのは有り難い。綾川という川の土手のそばにあった。ここにRIMG0143RIMG0145行列は出来ていなかったが、先ほど、山越に居た何人かを見かけた。そうだ、 皆、同じように「ツアー」 してるのだ。うどんを注文すると机におろし金に大きなショウガが置いてあっRIMG0149た。壁には色紙のサインがいっぱい貼ってある。そして、うどんが普通に美味しかった。 客は少ないが雰囲気は抜群に良かった。何よりも店の人たちの素朴にうどん作りに携わっているその姿勢と雰囲気を「見習いたい」 とまで思った。そうそう、入り口の正面に大きな釜が鎮座していて薪の炎が燃え、湯気が立ち上がる様子が何ともいえず良かったなぁ・ ・・・・・。

RIMG0154そういえば、「郵便配達員休憩所」な るカンバンが入り口の前に掲げてあった。 そんな看板が存在すること自体がちょっと不思議に思えた。郵政民営化になったらそんな看板はどうなっていくのだろう・・・・。 店を出ると獅子舞が舞っていた。どうも、その日はそのあたりの祭りのようだった。「祭り」と「だんじり」 という結びつきに慣れ親しんでいる私にとっては、「祭り」と「獅子舞」と「讃岐うどん」という結びつきは実に新鮮な体験となった。

もう既に、お腹はいっぱいだったが、ここで辞めるわけにはいかなかった。近くにあるという「蒲生」 という店へRIMG0162行くことにする。カーナビがありながら迷った。 どこだろうと探すと静かな田園の中に車の列と2~30人ほどの行列が出来ている場所を見つけた。「えー、まだ食べるん」 と息子がわめいた。列に並ぶ気力などもうとうない息子は用水路で遊んで待った。もはや一杯のうどんを3人で分けることにした。 ちょっと、しょっぱいなぁと思った。まだ9時30分なのに朝から三杯ものうどん、 これはひょっとして体に凄く悪いツアーじゃないのかとさえ思えてきた。誰かが言っていた。そばは何も混ぜないで練るけど、 うどんは塩を混ぜるからなぁ・・・・。そういえば、先日訪れた岩手で食べたわんこそばは何杯でも結構食べられたっけ。

次の店に行くかどうかは論争になった。息子は全然遊んでないといいだした。確かに小学生には「うどんツアー」 を遊びとは呼べないよなぁ。そればかりか、朝からうどんばっかり食べさせて良いものかと自責の念にもかられる始末だ。 「私は太るからもう食べへん」と奥方が言い切った。このツアーを言い出したのはてめえではないのかと憤りを感じながら、 もはや腹一杯どころか、のど元までうどんの出汁がきているのを実感出来るほどだった。すったもんだしたあげく、 最後の一軒にする事で話が落ち着いた。その後はどこかに観光にでも行こうと言うわけだ。最後の店は「中村」という店にした。 カーナビを頼りに町の中を走ると、あちこちでコンチキチンと祭りが行われていた。その音を聴きながら店を探した。 商店街も何もない静かな町の一角に行列の出来ている店がほんとうにぽつんとあった。RIMG0170RIMG0172RIMG0177RIMG0176

 

 


30分ほど並んだ。もう食べないと言いきっていた二人が一口食べ出すと、やはり美味しいのか、つるつるとすすりだしたのだった。 かくして讃岐富士をバックに一杯のかけうどんを3人で分けて食べる事になった。じゃんじゃん。
                          RIMG0179

追伸
長々と書いてみて感じた。まぁこの楽しかった讃岐うどんツアーが出来たのはインターネットというものがあり麺聖という方が情報を皆にシエアーしていたからだなぁと。 店のリンクは全てそこのサイトからです。この場を借りてお礼を言っておくことにしよう。それと、工務店を営むものとしては、 ここに登場したうどん屋さんのような何でもない、普通の店というか小屋のようなものをつくれて、商売繁盛に関われたら有り難いなぁと。 それとそれともう一つ、どれもが自宅を基盤にして家族で店を営んでいるような感じだった。きっと、 そういう形態でしかつくれない物作りや味があるのだろうなぁとつくづく思った。そういう店に行列が出来るのも良いもんだなぁ・・・・と。


 

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2005年10月10日

テーブルの上に天津甘栗が置いてあった。久しぶりなので、「栗の食べ方」 に順って栗の腹に爪を立て親指と人差し指で力強く挟み込みながら栗を割った。愛嬌のある、あの栗の形に出会えると思ったら、 半分に割れてしまっていた。「なーんや」とほんとうに思わず叫んでしまった。 綺麗に栗がむかれて出てきた時の何とも言えぬあの快感を味わいたかったのだ。くだらないといえば、本当にくだらないことなのだけれどね。

それから、意地になって栗をむき、そして食べ出した。その姿を遠くで眺めていた子供が近寄ってきて、真似、そして剥き出した。「俺、 そんなに上手いことむかれへんワー」生意気に、「俺」なんて言葉を使う年になってきたのだ。 「何でも経験を積んでいくうちに上手くなるもんや」となだめる。そして、綺麗に剥けた栗をさも自慢げに見せながら子供にあげる大人げない私。

何だか、無性に美味しくなってきた。その二人の姿を片付けものをしながら眺めていた奥方が割り込んで入ってきた。そして同じように 「栗の食べ方」に順って栗を向き、綺麗に剥けた栗を皆に自慢し、そしてむしゃくしゃと食べに食べた。暫くして子供が 「2回続けて綺麗に栗を剥けた者が勝ち」なぁ~んて云うルールを作りだし、天津甘栗を食べることが遊びと変化していった。 何であれ面白いものを遊びに変えてしまうという子供の持つ潜在的な能力を興味深く感じながら、勿論、私は、大人げなく、 2回続けて綺麗にむけた栗を自慢したりするのだった。「凄い」と子供に感激されたりすると、妙に複雑な心境に陥るのだった。 気づいたら袋の栗はなくなっていた。

家族で顔を付き合わせて、意地になって栗を剥き、そしてむしゃくしゃと栗を食べる様子は「日本的な光景」なのだろうか・・・・・?  思わず、縄文人と栗の関係性を思い浮かべた。縄文時代には栗を栽培していたと先日訪れた三内丸山遺跡には書いてあった。縄文の家族は、 藁葺き屋根に覆われた竪穴の土の上で、栗を剥き、食べながら、会話をしたのだろうか・・・・・・。焚き火をして、顔が白く照らされるのを 「面白い」というのだぁーと、酔った席で誰かが誠しやかに語ったことがあった。 栗を食べながら縄文人たちは面白い生活を送っていたに違いない・・・・・・。

中年太りというものが私に限ってやってくるはずもないと考え、自分の体は逆三角形のまま一生行くのだと信じ切っていた若い頃、 ガールフレンドがケーキを注文するとなぜか、マロンが入ったケーキを注文することに気づいた。 たまたまデートした女の子がそういう子ばかりだったのかどうかは今では全く聞きようもないのだが、女の子の注文するケーキは十中八九、 マロン系だった。そうだ。きっと、縄文と栗と日本女性の間は赤い糸で結ばれているのかもしれないなぁ・・・・・。

 

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2005年10月02日

遠慮

今日は、秋がやってきたはずなのに、まるで、夏のような暑さだった。確かに、空を見上げると秋を感じさせる青空ではあったけれど、 Tシャツで過ごしていても汗をかいた。そんな暑い秋の日曜日に小学生になる子供の運動会があった。そういやぁ。昨年も同じように運動会の事を書いたのだが、 読み返してみると、今年も相も変わらず、同じような事を同じように感じている私がそこにいた。

子供の頃、私も通った小学校を見渡した。その公立小学校を卒業して34年ほどがすぎた。ほとんどの校舎が建て替えられていた。 公共工事というものが経済の牽引力になっていた時代だったのだなぁ・・・・・・。そして、時代は変わろうとしているのだなぁ・・・・・。 同級生や町の顔見知りの人たちに会い、挨拶をする。そして、あたりを見渡す。子供達の歓声。どことなく照れて、遠慮がちの小学生達だった。 元気なのだが、もっともっとエネルギーを外に解き放つことができそうでいて、何となく、遠慮している、そんな感じだった。

それは、私たち見物席に座る親たちにも共通の事だったのかもしれない。大きな拍手を送りたいのに照れと遠慮があたりに充満していた。 素直な祝福を送ることが出来ないでいた。そういえば、この運動会の始まりは、国旗掲揚ではなく、代わりに小学校の校歌が流れ、 それも無言のうちに校旗が掲揚されるのを見守ることからこの運動会が始まった。何だか変な雰囲気だなぁ。あー、 最近は国歌も校歌も歌わないんだなぁ。と思っていたら、次に校歌斉唱があって、子供達の元気な歌声が運動場に響いた。思わす、 私も昔懐かしく、口ずさんでしまった。

また、あたりを見回した。そういえば、どことなく、先生方に元気がないような気がした。きっと「公立小学校の先生」 という職業も大きな岐路に立たされているのだろう。「先生」という職業にとっても難しい時代なのかもしれない。考えてみれば、 小学校の先生が子供に遠慮をしている。というよりもその背後の私たち親に遠慮をしているのかもしれない。 問題を抱えているのは親の方なのだろうか。私たち親が先生にへんなプレッシャーを与えているのだろうか。かつて、 威厳を持っていた学校の先生がほんとうに遠慮がちに見えた。もはや、威厳などは必要としない時代かもしれないが、 私たちの子供達にとっての良き道先案内人であってほしいなぁと思わずにはいられなかった。あーー、それと、子供たちや親たちに、「元気」 も振りまいて欲しいなぁ・・・・・・と。

思わず、自分達の職業である建築を振り返った。設計者という立場にとっても、現場監督という立場にとっても、 職人という立場にとっても、今まで以上に、お客様の事を考える時代なのだ。と、あらためて思った。そして私たちもこんなに「元気」 のない姿でお客様に接しているのだろうか・・・・。「我がふり直せ」と背後で声が聞こえたような気がした・・・・。

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