2017年06月11日
熊野詣
土曜日の夜、長男の友達ユートが、家に遊びに来て、なんでも、ベルリンからの一時帰国らしい。長男が高校生の時に、うちの家に、よく遊びに来ていた同級生で、一緒に四万十川をキャンプ旅行した想い出が、とっても懐かしく、脳内では、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」なんていう芭蕉のコトバが、唐突に、思い浮かんだ。ベルリンとクロアチアが面白いらしい。カオスの縁なのだそうだ。「日本の将来が、今より良くなる」と、想像することが出来ない、そういう気持ちになっている、日本人の心が、問題なのではないのか、と彼は云う、「若い人が、何かやろうとすることを、おじさんたちが、潰さないで欲しい」なんてことも話題になったけ。庭で、焼き鳥を、炭火で焼いて食べて、焼いて食べての夜会だった。
長男が幼稚園の時に、その友達家族数組で、川遊びをしに和歌山に出かけた。その時、その子供さんのひとりケンちゃんが、溺れた。その一瞬、私の体から、アドレナリンがブワーっと出て、川に飛び込んで、助ける事が出来た。それで、一応、命の恩人ということになっているのだけれど、その彼が、この土曜日に、ユートに誘われて、うちの家に、夜な夜なやって来て、数十年ぶりに、再会した。今年、国家試験に合格したという。穏やかな話し方で、その時の川での話、スキーの時の話、あれからいままでの話を聴いた。偶然のタイミングで、ケンちゃんの母から、彼に電話があり、うちの奥方と共に、再会の会話で一気に盛り上がった。川で溺れたニュースがあると、その時のコトを想い出すというケンちゃんの母。あの時、確かに、アドレナリンが出て、救出した直後は、なんてことなかったが、帰宅する運転中に、その状況を想い出して、足に震えが、ぶるぶる来た。そんな記憶が蘇る夜噺だった。きっと、こんな想い出を、皆で語り合って、再体験し、消化し、お互い、新たなステージに向かい始めるのだろう....。
今週の日曜日、月曜日の「伊賀」と「熊野」の研修旅行の最初の見学地は、室生寺だった。こんなに近いのに、今まで行ったことがなかったが、写真でみる以上に良く、それぞれのお堂へのアプローチが多彩で感じがエエ。五重塔を含め建物の大きさが、心地良い大きさで、あ~、エエなぁ~、また、行こっ。とおもえる体験だった。
伊賀の金谷で、炬燵のような座卓に置かれた鍋を、4人で囲んで、すき焼きを食べる。そんなテーブルが13ほどあり、仲居さんが作ってくれるのが、とってもエエ雰囲気。何よりも、50人ちょっとの大人数で、食文化を共有体験するコトが、面白い体験だとおもう。その後、伊賀の町を自由散策したが、「昭和なデザイン」の店舗が、城下町の町屋と共に残存している、閑散とした町が、エエ感じにおもうのだ.....。モダニズムの坂倉準三設計の伊賀庁舎が、ほとんど観光客に気付かれることもなく、話題にされることもなく、残存している姿が、とってもエエ感じ。それに忍者と芭蕉が絡んでくるのが、妙に、謎。
伊賀焼の長谷園へ行く。テレビにも放映されて、人気らしい。スーベニアとして、「まちのえんがわ」での加工barでの宴会用に、大きな鍋と陶板グリルを買うと、2割引だったが、楽天の方が安いような.....。こんな里山に、立派な登り窯とエエ感じの工房と建物群がある、村的が、エエのだろう。
紀伊長島で、ホテル季の座に泊まる。露天風呂に入り、精親会の総会をし、宴会をする。伝統にのっとり、畳にお膳の宴会。宴会芸もなにもなく、たた、食べて、飲んで、語って、語って、2時間が過ぎ、2次会では、若いエネルギーが、若者らしくはじけて、宴が盛り上がり、そんなこんを通じて、なんだかんだが、リセットされるのが、エエのだろう。
熊野古道の発心門王子から熊野本宮大社まで7kmほどのハイキングをする。里山の古道を歩く心地良さ。蟻の熊野詣といわれるほど、室町時代、多くのひとが、連なって、熊野本宮を目指して歩いた、そんなブームを追体験できたかどうか、精親会の熊野詣。熊野本宮大社の建築が独特で、好きだなぁ.....。これで、2度目だが、車で訪れた時より、歩いて辿り着いたほうが、印象度が増すのだろうか。神仏習合が何より印象的。わたらせ温泉で汗を流して、バスの旅は終わった。
熊野詣を終え、木村工務店と精親会も、新たなステージに向かいたいものだなぁ.....。
投稿者 木村貴一 : 2017年06月11日 23:58 « ポリリズム | メイン | 特異日 »