2016年09月11日
まちのえんがわワークショップ=体験型講座+サムシングエルス
「ワークショップ」というコトバで、「私」の脳の中で、すぐに連想したり、関連付けするのは、JAZZミュージシャンのチャールズ・ミンガスが、ジャズワークショップというコトバを使って製作した1960年前後の一連のレコードで、なぜか、20歳代の「私」に、独特の印象を残して、ま、こんなの、どーでもエエ話なんですけど、その実態がなんであったのか、読んで学んだ訳でもなく、ただ、そういうワークショップというコトバのもとに、生み出されたレコードの持つ独特の雰囲気が、何か、ちょっと気になる「印象」として、私の「印象の残存物」となって、置き去りになっていた。
「まちのえんがわ」を始める時に、それと同時に、「ワークショップ」も始めるコトが、必要だと、ある何人かのひととのコミュニケーションの中から生まれてきて、で、その時に、にわかにその「残存物」が蘇ってきた。そうそう、ミンガスジャズワークショップのようなワークショップをね。と、脳の中では呟いていたが、というものの、ただの雰囲気雰囲気だけで、その実態を全くな~んにも理解していなかったので、とりあえず、あの時の印象の残存物を加味した、「まちのえんがわワークショップ=体験型講座+サムシングエルス」として、スタートするコトになった。
「建築」を生業とするので、それに関連するワークショップをメインにするしか経験値がなく、それにしても、毎回のワークショップが、ひとつのライブ盤のレコードアルバムのようになって欲しいという、あの印象の残存物もあり、それで、全体的なテーマを「職人さんにふれる」「材料とのコミュニケーションを体験する」「ものづくりの心に気付く」なんていう、それらしいテーマを見つけ出して、そういうコトに関連する、さまざまなワークショップを月1回のペースで続けていくコトになった。
ちなみに、材料とのコミュニケーションは、村松貞次郎の大工道具の歴史から引用してきたコトバで、「材料と対話をし、それをモノにするための、その対話の通訳者になってくれるのが、道具である」という文章に接して、あらためて、職人さんというのは、道具を使って、材料とコミュニケーションをするひとなんだと、おもえたコトが、ワークショップを続ける原動力のひとつになっていて、「職人的なひと」が中心になったワークショップを開催することにしている。
で、今日は、「まちのえんがわ」で、参加者が3人だけの板金ワークショップ特別編を開催することになり、教える職人さんも3人で、いわば、マンツーマン状態の特殊なワークショップとなって、コトの始まりは、夜間の工業高校の女性の先生が、ホームページ上の板金ワークショップに興味を持って問い合わせを下さり、生徒に、ものづくりの体験として、板金のチリトリなど教えようとしているが、なかなかうまくいかないので、一度、板金ワークショップに参加して、その体験をもとに、何をどのように造れば良いのか、その教え方も考えたいとのコトだった。
毎回板金ワークショップをやってくれている、うちの板金屋さんの松倉商店のマツクラくんに、その旨を伝えると、快諾してくれて、学校まで教えに行きますよ!という勢いを制止ながら、彼が所属する「東成錻力職人(ヒガシナリブリキショクニン)」という、板金屋さんのボランティア集団が中心となって、教師のためのワークショップを初めて開催するコトになった。銅板の鶴製作、トタンチリトリ製作、トタンペンシル立て、という盛りだくさんの内容を詰め込んで、さまざまな板金用のプロの道具を使ったワークショップだった。
スポーツを通じて学ぶコトがあるように、ものづくりを通じても、生きるためのコツのようなものを学んだりするわけで、私の小学生の頃は、プラモデルが流行っていたので、プラモデル製作や、科学と学習という雑誌にある製作物などから、製作図面の見方や、ものを造る順序や、道具の使い方や、すぐには上手に出来ないコトや、さまざまなコツのようなものや、なんだかんだ。そんな体験が、「私」の一部になっているとおもうのだけれど、スポーツと同じ位置で、ものづくりの授業というのがあっても良さそうにおもえた今日のワークショップだった。
投稿者 木村貴一 : 2016年09月11日 23:59 « 構想力 | メイン | シークエンス »