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2004年11月24日
衣替え
秋がやってきたのか、冬がやってこようとしているのか、何だかよくわからない気候だ。
四季というものがはっきりしなくなってきたのだろうか・・・・・。23日はぽかぽか陽気といってもよかった。春がやってきそうな気分だった。
衣替えをしたい・・・気分はそうなのだ。いつもなら寒さについていくために、急いで衣替えをするのだが、
今年は気候のほうが衣替えの気分についてこない。そんな感じだった。私だけがそうなのだろうか?
新潟の震災に遭ったひとたちのことを見ていると、今年に限っては寒くならないというのは確かに有り難い。そんなふうにも思う。
会社も席替えをしてみようということになった。気分を一新したい。いままでと違う関係性をもってみたい。変化したい。そんな感じがした。
ところが、ちょっとしたマイナーチェンジをするだけでも億劫な気分が支配し、あーーめんどくさぁーーなのだ。
リフォーム工事でいう住みながらのリフォームってやつかなぁ。やってしまえば、出来てしまえば何ということもないのだが、
するまでの気分の大層なこと・・・・。おそらく、リフォームをしたいと思う潜在需要と共に、こんな面倒くさいことするの、嫌だなぁ。
と感じて、思い留まり続けている潜在意識もかなりあるのだろうなぁ・・・・とつくづく思う。
衣替えをインターネットで検索してみると、
http://www.h3.dion.ne.jp/~haujingu/newpage%20gyouji%206.htm
というサイトにこんなふうに書かれてあった。
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衣替えとは・・・平安時代、宮中では中国の風習にならい旧暦4月1日(現在の6月頃)と10月1日にお祓いの意味も込めて「衣替え」
の行事を行っていました。最初は「更衣」と呼んでいましたが、これは天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も同様に更衣と呼ぶためで、やがて
「衣替え」と言われるようになりました。当時は、夏装束・冬装束だけでなく、女房が持つ扇にいたっても、夏は蝙蝠(紙と竹製の扇)、
冬は桧扇(ヒノキ製の扇)に衣替えをしていたそうです。衣替えというと、今では衣服のみでしたが、
平安時代には部屋の模様替えまでも行われていました。その頃にはまだ民衆には衣替えの習慣はありませんでした。
室町から江戸時代にかけては衣替えが頻繁に行われるようになり、江戸時代にはなんと4回も衣替えが行われていたとか…。
民衆に広まったのもちょうどこの江戸時代。どちらかというとお酒落として広まったそうです。
衣替えが今の6月1日と10月1日になったのは明治時代に入ってから。ちょうど西洋文化が入ってきた頃です。当時、
制服を着るのが増えたのですが、いつ着たらいいのか分からず、役所が「6月1日と10月1日に衣替えをすること」
と説明書のようなものをつくりました。それが現在に続いて、特に学校や会社など、
制服を着るところでは6月1日と10月1日に衣替えをしているのです。
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そう言われてみれば、衣替えをしながら知らず知らずに心の「お祓い」もしていたのだなぁ・・・。その昔は部屋の模様替えも年2回、
行っていたのかぁ・・・。そういやぁうちの家でも昨日は衣替えと共に机をほりだしたり、
入れ替えたりとまるでネズミが居るかのごとく深夜までゴトゴトガタガタ音がしていたなぁ・・・・・。
知らず知らずに習慣となっている物事の起源を探ってみると改めていろんな事に気づかされる。
次の衣替えの時は神聖な気持ちで臨んでみようかなぁ・・・・。
2004年11月14日
境界
長屋をリフォームするにあたって、隣地との境界の件で相談を受けた。柱が共有されているので、柱の中心が境界になってしまう、
隣が解体した後などは、お互いが建て替えるのに境界から何センチ引っ込め合うのか・・・というような事など感情的な問題も含めて、
様々な問題が発生する。そんな相談を終えて、その後の打ち合わせ予定になっていた大和郡山へ向かった。
密集した家々が立ち並ぶ長屋街とはうってかわって、盆地に囲まれた田園風景が広がる、の~んびりとした場所だった。
予定の時刻まで随分と時間があった。四方を田んぼに囲まれた道路に車を止めた。、その向こうには山々が囲んでいた。
音楽を聴きながら時刻を待つことにした。ひとりの人が田んぼを宅地にするべく境界にコンクリートの擁壁を構築する作業をもくもくとしていた。
そこには長屋とはまた違った「境界」があった。田園の向こうに見える山々をぐるーりと眺める動作を何度も何度も、ゆっくりと繰り返した。
ゆったりとした時が過ぎていった。IPODのハードディスクに収められた音楽がランダムに選曲されて流れていく。
いままで持っていたCDのいろいろなジャンルの曲が思ってもみなかった組み合わせで再生される。
そのランダムネットワークがいままで聞き慣れた曲に新鮮さと思わぬ印象を与えてくれた。
ふと、四方の山々の名前が気になった。車は南を向いて止まっていた。カーナビゲーションをバードアイビューにして山々の名前を調べた。
南は明日香村を経て八剣山や山上ヶ岳という吉野の山々だった。東に振ると大台ヶ原にある日出ヶ岳から国見山・高見山と続いた。そういえば、
長い間、大台ヶ原も行っていないなぁ・・・国見山から大台に至る台高の山と谷にもあこがれがあるのだなぁ・・・・。いつか行ってみたい・・・
なんて思い描きながらナビゲーションの表示をどんどと拡大していった。すると日本列島の形が見えてきた。
尾鷲の海を経て太平洋が広がっていた。こんどはどんどん西に振った。確か、あそこに見えるのは金剛山や葛城山・二上山、
しかしナビの表示は四国・九州を飛び越え、五島列島や沖縄の島々を表示していた。しかし、もっと向こうに広がる外国の表示はなかった・・・・
。
大和盆地を中心にしてカーナビゲーションで日本を眺めてみることにした。西から北にナビゲーションを振った。対馬・
隠岐が表示され鳥取や舞鶴の向こうに日本海が広がっていた。先日から報道で、
繰り返し繰り返し境界に進入してきた潜水艦の話がなされていたので、思わず、
日本海に深く潜行する潜水艦とそれを追う飛行機の姿を想像してしまった。日本海の「境界」はどこにあるのだろうか・・・・・・。
北から西に振った。東北・北海道を越えて国後・択捉の島々が表示されていた。あ~ぁ、ここも「境界」でもめていたのだなぁ・・・。世界中で、
境界や宗教ををめぐって緊張が漂っているように思えた。
帰りの車でトンネルに入った。バードアイビューの画面が夜間モードになり夜空に見える星座を表示していた。獅子座・・・双子座・・・
この道は、長屋の境界を越え、大和盆地の境界を越え、日本海の境界を越え、宗教の境界を越え、地球の境界を越え、
宇宙が広がっているのだなぁ・・・。宇宙を思い描いてみると、こころの境界も越えていきそうに思えた。
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