2007年09月23日

間伐

先週、山道を歩いていると、台風の影響か、小枝が沢山、登山道に落ちていた。杉の葉が付いた小枝が沢山落ちていた道が、 上に登るに従って、檜の枝が落ちた道に変化する。それを踏みしめながら、山道の左右に広がる「植林」について思い描いてみた。

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下山の時 、木々の間から日が差し込んできた。光と影のコントラストが美しい。どこかで見た、 光景。そうそう、屋久島のカジュマルの木の下のソファーに差し込む日の光と同じだなぁ・ ・・。

木々のざわめきの音と共に、木々の間から吹く風が心地良い。

そういえば、この道は20年以上も前から歩いている道で、1年に1度か2度は歩く。 考えてみればいつ頃から日が差し込むようになったのだろうか・・・? ほんのここ数年の事ではないかなぁ。それまでは、 うっそうとした山道だった。日が差し込む余地がないほど、木々が多い茂っていた。

「間伐」が為されたのだなぁ・・・。と思った。


『ウィキペディア(Wikipedia)』によると


間伐とは

間伐は、樹木の生長に伴って混み合ってきたが主伐には至らない森林で、 樹木の生育を促すために間引くための伐採であり、収入を得る事を目的とする。また、林床に太陽光線が届くようになり、 下草が生育しやすい環境ができ、土壌の流出防止にも繋がることから、土砂災害防止のためにも重要視される保育作業である。

人工林や里山など人の手が入った天然林で行われる。 樹木相互の競争に負けた劣勢木を中心に伐採し、将来木材としての利用価値が高いと思われる樹木を残すなどする定性間伐と、 伐採経費を抑えるために機械的に一定量を伐採する定量間伐とに大別される


全国森林組合連合会のホームページによると


間伐とは・・・混みあった森林から曲がったり弱ったりしているスギやヒノキなどの針葉樹を抜きぎり、 森林の中を明るく保ち、 真っ直ぐ育てる為に必要な作業です。
間伐を行わない森林では樹木の生長がにぶく、根を張ることも難しくなります。
森林の中は暗いため下生えも生えないので、水源涵養力、土壌保全能力の低い森林になります。


とあった。
ここ数年、急速に森林に対する意識が変化してきたという事なのか・・・・・。エントロピーの法則を思い出す。そのまま放置すれば、 乱雑さを増していく森を人間の意識がエントロピーを減少させる方向に向かわせていると考えて良いのだろうか・・・・。

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RIMG0049今月の初めに、 神社の改修工事に使うための檜で製材された材木の検品に奈良県の桜井の製材所まで出向いた。節のない見事な檜材だった。 そういえば、昨年の12月にはまだ、 皮が着いた状態のいわゆる原木を見た。その時の「木」が製材という過程を経て、「木材」 として変身を遂げたわけだ。

小さな小さな苗木の状態から想像すれば、山で苗木として植えられ、成長し、真っ直ぐとした大木になるために、「間伐」 や枝打ちを繰り返し、何百年もの年輪を積み重ねて成長した「木」。その「木」が、ある日、山師によって伐採される。 傷も付かない見事な搬出と運搬作業を経て、原木として製材所で、乾燥されるのだ。

製材所で、「木」が八角形の「木材」として変身する。さらに、大工の手で、八角形が十六角形になり、やがて丸太へと、 さらなる変身を遂げる。その丸太に、木と木を繋ぐための「仕口」という伝統的な加工が施され、やがて、木組みという伝統的軸組として、 ハレの上棟を迎える日がやってくる。

一本の「木」が沢山の人の手によって、「木組み」へと変身する。そして、新たな苗木が山に、また、植えられる。まるで、 昆虫が変態を繰り返し成長するかのようだ。上棟を祝うと言う事はそんな「木」の成長を祝い感謝する事につながっているのだろうなぁ・・・。 木組みという地球規模の循環システムには、日本的な文化が宿っているのだろうなぁ・・・・・。

 

投稿者 木村貴一 : 2007年09月23日 14:04 « お彼岸 | メイン | 建築家という生き方 »


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