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2014年07月27日

めで鯛

「もう2度と自転車には乗りませんわ!」と奥方や社員や職人さんの前で、宣言し、すると、いや、あれは、事故やから。と何人かに言われて、奥方からは、自動車事故にあっても、それから暫くしたら自動車に乗るやろ、そこまで宣言せんでも。肩が直ったら、乗ったらエエんとちゃうのぉ! と、大阪のオバチャンそのものの口調で言われて。え、それやったら乗ろか? どうぞどうぞ…。みたいな。

会社の社員と職人さんと協力会社のしまなみ海道への慰安旅行で、40Kmサイクリングをし、残り1kmのゆるい右カーブで、190センチ近くの身長を誇る社員Aくんが私の右横側近を猛烈な勢いで抜いていき、それに驚いて、きっと私が微妙にバランスを崩したのだろう、Aくんの後輪に私の前輪がすーっと吸い込まれて、いや、それが、一瞬の出来事で、20台以上も後ろに続いていた後続の誰も見たものがいないほど、ほんとうに一瞬の出来事だった。私は空中に吹っ飛ばされて、前転をし右こめかみを擦りながら右胸を打ってバウンドして回転しながら右肩後ろで着地して止まった時は、あっ、しまった!また左の時と同じように右鎖骨が折れた…と思った。

丁度1km歩いたところに病院があったので、そのまま自力で歩いて病院に行って、レントゲンを撮ると、確かに折れているけれども、ま、ギブスしてたらそのうち直るやろ!と言われた。他の皆は、食事とお風呂に入っている間の治療で、こめかみからの出血を止めるために一針縫われて、全ての治療が終わった。それで、旅行自体の行程は滞りなく進んで、私はそれなりの痛みを伴いながらのバスの帰路となった。

大阪に帰って二日目に、つい2週間前に左鎖骨チタン撤去手術をした病院に行くと、どうした!と、とっても驚かれて、それで、MRIや精密検査をすると、すぐに手術をした方が良い!と諭された。たまたま前回の麻酔担当医が、その次の日に限って、偶然、時間が空いているのだそうで、このチャンスを逃すと…という事になって、そのままお昼から緊急入院した。看護婦さんたちには「お帰り!」と笑われる始末。前回外れなかった結婚指輪は、今度の手術後には見事に外れて、しかしこの指輪はもう2度とはめられない状態になった。肋骨も2本ヒビがはいっていて、ちょっと痛くて笑うに笑えない状況。

一年前の海の記念日に、ウィリエールのキタムラくんに誘われて、しまなみ海道にある自転車乗りの市村さんが経営する「LINK 輪空」というペンションに泊まって、それが縁で、会社と協力会社の慰安旅行を、しまなみ海道サイクリングに決定した。そのイチムラさんがこの旅行のインストラクターも引き受けてくれたのだけれど、「私」の事故によって大きな迷惑をかける事になってしまった。これからは出来る限り毎年、海の記念日に、LINKに泊まって、しまなみ海道をサイクリングするという約束をしていたものの、こんな状況では、これから1ヶ月半後の今年の海の記念日はダメだね。と言って別れた。

その間、イタリアのウィリエール本社に滞在中だったキタムラくんには、こんな事故をしてしまった。という報告を言いそびれていて、シャチョウ、今年の海の記念日も、「しまなみ」行くでしょ。と、その1週間前にお誘いがあった。本来なら、断るはずだったのに、それが、手術後1ヶ月半がすぎて、流石に2度目となると慣れたもので、順調にリハビリもこなし、無茶をしなければ、自転車に乗っても大丈夫だという、許可が降りてしまったのだ。もう2度と自転車に乗りません宣言した奥方からは、意外にも、そんな事にめげずに、どうぞどうぞ!とまで言ってくれているし・・・・。

そんなこんなで、LINKのイチムラさんへの謝罪も兼ねて、7月20日21日と海の記念日に、しまなみ海道で、リハビリサイクリングをする「私」を発見するに至る。キタムラくんもイチムラさんも「私」の状況をしっかりと考慮してくれて、リハビリグルメサイクリング&海水浴で私の「心」まで癒してくれた・・・・。

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↑ しまなみ海道の島々をリハビリサイクリングする「私」。 もちろん、完走できなかった残り1kmを自転車で走り、事故現場の現場検証も行って、トラウマと対峙した。
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↑ ペンション輪空の前で、一緒になったお客さんと記念撮影
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↑ 村上水軍とミス尾道と記念撮影する羽目に・・・・。
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↑ 生口島で鯛めし 。ちょっと変わった鯛飯だけれど、おいしい。
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↑ ペンション「LINK 輪空」の前で眺める朝日。
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↑ 二日目は「ゆめしま海道」というらしいが、フェリーで渡りながら島々を巡る。
適度にアップダウンもあって、とっても心地良い島巡りのリハビリサイクリングになった。
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↑ フェリーで島々を渡る
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↑弓削島の「しまでカフェ」でジェラード。
ここのお店の人が ↓ 地元のお好み焼き屋さんまで、案内してくれた。
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↑「みちくさ」という集落の中にあるお店で広島風?因島風?のお好み焼き
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↑因島で、「たばこ屋」さんという名前のお好み焼き屋さんへ。因島風お好みを「いんおこ」というらしい。お好み焼きの「はしご」をしたのは生まれてはじめての経験。昔は生野区の中にもこんなエエお店が沢山あったのになぁ・・・。それにしても美味しかった。

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輪空の夜の食事に特別に出してくれた天然ものの鯛。謝罪するための旅だったのに、無事に自転車に乗れるまで体も心も回復した事を「めで鯛」で祝ってくれたのだった。
「感謝」。

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2014年07月20日

捜しもの


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「まちのえんがわ」が出来て3年目になるのだけれど、時々、ふらりとお客さんが立ち寄ってくれて、なんてことない、コミュニケーションがうまれる。家づくりに関わる話でない、いわゆるシゴト以外の話が、「私」に何かの刺激、新しい印象を与えてくれているのは確かで、そうであれば、出来るだけ多くの時間を「まちのえんがわ」に「居る」のが良さそうにおもうのだが、なかなかそのなんでもない一歩を踏み出せないでいる。

昨日は、小路駅のすぐ近くで、オリジナルマフラーを製作するモリシタさんが、異業種交流会の会長さんを伴って自転車でふらりと立ち寄ってくれて、「まちのえんがわ」の経緯のようなものを説明した。そういば、先週は、関西大学の文学部哲学科での一般参加出来る授業があって、それへの参加のお誘いに、近所に住むジャーナリストとのイマイハジメさんが、「まちのえんがわ」にふらりと来て誘ってくれた。その授業でも「まちのえんがわ」を説明する機会を与えてもらって、その経緯と主旨のようなものを説明した。

本日の夕方、息子さんを連れたお母さんが、「まちのえんがわ」にふらりとお越しになった。お仕事をしていて、何となく、まちに開く、何かを作りたいという想いがつのってきて、それで、縁側をおもいつき、町の縁側と思い浮かぶに至って、ネットで検索すると、うちの「まちのえんがわ」がヒットして、わざわざ枚方からお越しになった。同じように、「まちのえんがわ」の経緯と主旨を説明しながら、縁側は「家」があってこその縁側で、核になるような「my home」があってこそ縁側が機能するのだろう。うちの「まちのえんがわ」の核となる「my home」は、木村工務店であり木村家であって、そうであれば、それをしっかりとやらなければ、縁側が「まちのえんがわ」として機能しないのだろう・・・なんて、親子二人の姿を見送りながら、ふと考えた。

午後6時すぎ、自転車に乗った青年が、ふらりと「まちのえんがわ」にやってきた。なんでも、「まちのえんがわ」が出来た3年前に、この近くの長堂に住むようになって、3年間自分探しをしてきて、ようやく働く勇気と決心がついて、二日後に、東京へ引っ越しする予定だという。聞けば、大学で建築を志していたが、就職するにあたって、建築に違和感を感じて、自分探しを始めたそうだ。東京でコンピューターの分野で働いてみるという。もっとここをはやく知っていれば良かったなぁ・・・と。

きっと、「居場所」のようなものを、「私」も含めて、それぞれがそれぞれなりに、捜しているのだろうなぁ・・・・。

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2014年07月13日

そして蝶々になるのかも

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7月頃になると毎年のようにアオスジアゲハがダイニングにやってきて、なんで、家の中にまで蝶々が入ってくるのか、ほんと不思議で、毎年のように続くと、こちらも、「やぁ!久しぶり」なんて挨拶したりして、蝶々は生まれ変わりだと云うらしいが、確かに毎年続くと、そんな気がしてくるから不思議。

そうそう、今週の10日の木曜日の午後4時すぎ、神奈川県の平塚駅からJRに乗って横浜駅に向かう電車の中で、私の左には、うちの長男、その左に堺の鰻やタケウチくん、右隣には、丹沢の堀山の家の親父の妹さんが、ゆりの花束を持って座っていて、その電車の中の私たちの席の廻りに、蝶々がヒラヒラ飛んできて旋回し、窓ガラスや網棚に留まって、そのまま私たちのまわりで、羽根をとじてじっとしたままの蝶々。そのチョウに見守られ、皆と一緒に語り合いながら電車で移動するという、ちょっと不思議な体験をした。

5月11日のブログ「巡礼のような」に登場した丹沢の堀山の家の親父が、7月6日日曜日の夕刻に、その小屋で心筋梗塞で急死したという訃報の電話がかかってきたのが、その日のブログを書いている深夜の出来事だった。その葬儀が平塚であって、それに参列し、その帰りの電車で、茅ヶ崎や辻堂とい湘南海岸沿いの陽気なイメージに聞こえる駅名アナウンスを聴きつつ、つい先日、「まちのえんがわ」で語り合い、大阪の下町を一緒に歩いたばかりなのに・・・と、とっても寂しい気持ちになりながら、電車の中の蝶々を眺めていると、確かに死んで蝶々になって、一緒に付いてきているのだと、思えてしまうのだった・・・。__ (56)

そういえば、いまこのブログを書きながらも、食卓の上にある天窓の壁にアオスジアゲハが、未だ夜になっても留まっていて、堀山の親父がこの天窓の下の椅子に腰掛けて、夜中まで一緒に語り合ったのが、2ヶ月前の出来事で、ほんまに人は蝶々になってやってくるのかい・・・。

とっても親しいオトコの人が、この3ヶ月間に、二人も亡くなると、「オトコの死に方」みたいなものを考えさせられてしまうわけで、「私」も50歳になるまでは、死というものは、どちらかと云えば、観念的なもので、身に迫る実感のようなものに乏しかったが、50歳を過ぎた頃から、自分自信が何時か死を迎えるという現実を少しずつ実感できるようになってきて、ならば「どんな死の迎え方」をするのだろうかと、なんとなく考えたりするようになってきた。

父は、82歳をすぎて、癌で余命少ないのに、意地でも高齢者の車の免許更新を受けると言い張って受けて、その事で体力を猛烈に消耗して、それはまるで子供が一生懸命運動して疲れたような死に方だった。祖父は84歳のある日、大好きな食材を黒門市場に自ら買いにいって、それを調理して食べた後、夜になって腹痛を訴えて、次の日、生まれて初めて病院に入院し、そのまま静かに息を引き取った。丹沢の山小屋の堀山の家の親父は、小屋に泊まったり、立ち寄ったりしたお客さん全員を小屋から送り出した後、奥さんと二人だけの小屋になり、突然の心筋梗塞かなにかに襲われて、奥さんに看取られながら心肺停止になったという・・・。

きっと、エエ死を迎えるためには、いま、目の前に起こっている、自分自信の人生の楽しみを、一生懸命生ききるコト、なのかもしれない・・・。そして蝶々になるのかも。

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2014年07月06日

軽やかさという立ち位置

今日の「まちのえんがわ」ワークショップは、建築家の林敬一さんが設計したスズメノ巣箱を製作するワークショップで、普通は、巣箱のイメージは「家型」なのだろうが、出来上がった巣箱は、まるでスピーカーのような形をした巣箱で、それは、ハヤシさんの建築のスタイルを彷彿させるわけで、「巣箱=家型」という固定観念を打ち破るユニークなカタチに、ちょっとした「軽やかさ」があって、とっても魅力的だった。

数週間前に、その巣箱をラワンベニヤで試作を作ったが、その完成した雰囲気がハヤシさんのイメージと違ったようで、ラワンベニヤより割高で木目が白っぽくて美しいバーチ合板で、あらためて試作することになった。確かに美くしいが、材料代金が高く付いて、ワークショップ料金がひとり4000円を遙かに越える金額になりそうなので、ハヤシさんは、自分の講師料はいらないので、3000円代で提供できるように、バーチ合板を製作する会社にも、直接金額交渉をして、3800円でなんとか提供出来る事になった。

合板から木取りをして、ノコギリでカットし、それをビスで組み立てるのが、ものづくりなのだけれど、今回は、木取りとノコギリで合板をカットするまでは、前日に、見習い大工のヒラボシくんが、丁寧にその作業をした。参加者の皆さんには、合板をビスでとめて組み立てるだけなのだが、そのビスの位置はハヤシさんが自ら書いた製作図面によりキッチリと決められていて、そのビスを、たかがビス、されどビスとして、いかに美しく取り付けるかが、今回のものづくりのワークショップとしてのテーマになった。それら一連のものづくりの過程そのものが、いかにもハヤシ好みのスタイルだった。

毎日のように深夜や早朝にワールドカップサッカーのテレビ放送がやっているのだけれど、ワークショップをやっていると「丁寧な仕事」を「和」といわれるようなチームワークで、次の作業者に親切にバトンを渡し続けながら、ひとつのモノを完成させて行くというのが、日本らしいものづくりに共通するシゴトのような気がしてくる・・・・。サッカーも、正確で早いパスを丁寧に蹴り、素早く走り、誰もが丁寧なパスを蹴り繋げ続けていくという、そんな日本のものづくり的職人気質なサッカーで、粘り強くパスを回し続けながら、ちょっとしたユニークなアイデアを思いついて相手チームのディフェンスを崩しきり、誰でも簡単に入るようなゴールを決めるという、カリスマ的なゴールを決めるスターがまったくいないサッカーでもエエのではないのかと、日本的なものづくりの視点からは、そんなふうに思えてくるのだが・・・。

それにしても世界のサッカーを見ながら「日本らしさ」について、ついつい考えさせられてしまうと共に、日本のものづくりって何かと思い巡らすのが、工務店という立ち位置で生きている「私」の立場なのだろう。親切丁寧でキッチリしているとか・・・。そうそう、「軽やかさ」っていうのもユニークなアイデアを生み出す大切な心の立ち位置だな・・・。


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