2014年07月20日

捜しもの


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「まちのえんがわ」が出来て3年目になるのだけれど、時々、ふらりとお客さんが立ち寄ってくれて、なんてことない、コミュニケーションがうまれる。家づくりに関わる話でない、いわゆるシゴト以外の話が、「私」に何かの刺激、新しい印象を与えてくれているのは確かで、そうであれば、出来るだけ多くの時間を「まちのえんがわ」に「居る」のが良さそうにおもうのだが、なかなかそのなんでもない一歩を踏み出せないでいる。

昨日は、小路駅のすぐ近くで、オリジナルマフラーを製作するモリシタさんが、異業種交流会の会長さんを伴って自転車でふらりと立ち寄ってくれて、「まちのえんがわ」の経緯のようなものを説明した。そういば、先週は、関西大学の文学部哲学科での一般参加出来る授業があって、それへの参加のお誘いに、近所に住むジャーナリストとのイマイハジメさんが、「まちのえんがわ」にふらりと来て誘ってくれた。その授業でも「まちのえんがわ」を説明する機会を与えてもらって、その経緯と主旨のようなものを説明した。

本日の夕方、息子さんを連れたお母さんが、「まちのえんがわ」にふらりとお越しになった。お仕事をしていて、何となく、まちに開く、何かを作りたいという想いがつのってきて、それで、縁側をおもいつき、町の縁側と思い浮かぶに至って、ネットで検索すると、うちの「まちのえんがわ」がヒットして、わざわざ枚方からお越しになった。同じように、「まちのえんがわ」の経緯と主旨を説明しながら、縁側は「家」があってこその縁側で、核になるような「my home」があってこそ縁側が機能するのだろう。うちの「まちのえんがわ」の核となる「my home」は、木村工務店であり木村家であって、そうであれば、それをしっかりとやらなければ、縁側が「まちのえんがわ」として機能しないのだろう・・・なんて、親子二人の姿を見送りながら、ふと考えた。

午後6時すぎ、自転車に乗った青年が、ふらりと「まちのえんがわ」にやってきた。なんでも、「まちのえんがわ」が出来た3年前に、この近くの長堂に住むようになって、3年間自分探しをしてきて、ようやく働く勇気と決心がついて、二日後に、東京へ引っ越しする予定だという。聞けば、大学で建築を志していたが、就職するにあたって、建築に違和感を感じて、自分探しを始めたそうだ。東京でコンピューターの分野で働いてみるという。もっとここをはやく知っていれば良かったなぁ・・・と。

きっと、「居場所」のようなものを、「私」も含めて、それぞれがそれぞれなりに、捜しているのだろうなぁ・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2014年07月20日 00:21 « めで鯛 | メイン | そして蝶々になるのかも »


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