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2011年05月29日
五月雨の日曜日
雨。それもけっこう降っている。いつもの五月雨とは違う感じ。もはや梅雨入りだそうだ。
会社の社員と協力業者の50人ほどが集まって、バス1台で、毎年旅行をする。それは、6月の第一週の日月で、丁度、来週だというわけ。数えて今年で56回目になり、聞くところによると、弊社の会長が、雨が一番降らない日曜日を調べると、梅雨入り前の5月の最終週か、6月の最初の日曜日だったらしい。そんな訳で、引き渡しなどが重なる事も少なく、この日程が決定されたと・・・・。確かに、私がこの会社に入ってからかれこれ25年以上になるけれど、一度も雨の旅行の経験がない。
運動会というのは、秋のイメージだったけれど、最近は雨の影響をさけての事か、この時期に開催される学校も多く、うちの大工さんの中にも、娘の運動会と重なって、旅行には行けないんです。なんていう人もいて、そうそう、秋は運動会の季節で、社員も重なる事があるかもしれないので、今の時期なら季節もエエし、旅行に行きやすい。と考えて、日程を選択したのだ。と聞いていた。
今日のこの大雨の早朝の8時に、お引き渡しがあって、それは、日曜日の9時から娘さんの運動会があるので、それまでにという事だった。生憎の雨で、運動会は中止となり、そう言えば、うちの息子の運動会も土日と連続して中止だった。あの震災が影響を及ぼして、梅雨入れが2週間も早まったのだ。とは考えにくいが、それにしても大型台風までやってきて、いやぁ、実におかしな世の中。様々な物事が延期や中止に追い込まれていく・・・・・。
無事お引き渡しを終えて、激しく降る雨の中を車で走る。こういう時は、大きなボリュームで音楽を聴くのが、何となくの気分。それで、IPHONEをFMで飛ばして、カーステレオに繋ぎ、ボリュームをかなり上げ気味にしながら、曲をシャッフルすると、いきなりかかった曲が、マイルスのビチェズブリューだった。この嵐のような雨には相応しい、うねるようなサウンド。
音楽の事は良く理解出来ていないが、それよりも、どんな、「ものづくりのプロセス」を踏むと、こんな、うねるようなサウンドを産み出すことが出来るのかが、「私」の興味の中心で、マイルスの一連の全てのレコードが、ものづくりの聖書のような存在。好き嫌いは別にして、そういう意味では、マイルス先生から学ぶ事は多い。ただ、このアルバムは、私にとっては愛重版とは言い難く、まぁ、たまには、これから家に帰って、じっくりと聞いてみるかなという、モードならぬムードだった。それにしても、このジャケットはいつ見てもインパクトがある。
そんな気分で家に帰り着く・・・。
うちのダイニングテーブルは2400の長さがあって、朝食や昼食は、大きなキッチンカウンターで済まし、夕食はこのテーブルで食べる事がほとんど。帰宅時間の都合で、家族一緒に食べるのは、日曜日ぐらいで、ただ、夜な夜な、食卓のテーブルに一緒に座りながら、三台のノートパソコンを机に並べて、別々にインターネットを眺めている時間が増えてきて、これが、これからの家族のコミュニケーションなのだ。と呼ぶのかどうかは微妙な問題。ま、それよりも問題なのが足下。パソコンの電源の配線が、足下に這いずり回って、かなり邪魔な上に、AC電源のアダプターのBOXが大きくて、ごつごつして見苦しく、何とも落ち着かない気分だった。
2週間前の日曜日の夕方に、急に思い立って、家族一緒にホームセンターに行き、白いネットと結束バンドとマルカンを買って来た。ネットを机の天板の下に取り付けて、コード類をそのネットの中にほりあげてみたらどうだろうか?と考えたわけ。ところが、材料は買ったものの、作業は出来ずにそのままで、それよりも、2週間ほど、食卓のテーブルの横に白いネットが鎮座していて、そこから、「早よ、しいや!」と言う奥方の声がかすかに漏れていた。
そんなこんなで、音楽を聴く気分で帰ってきたが、目に飛び込んできたのは、その白いネットと、かすかな奥方の声。まだ10時前でもあったので、重い腰を上げて、作業をやってみることにした。テーブルの下に仰向けになりながら、はさみやペンチや金槌を持って、まさしく日曜大工姿。たいした作業ではないのだが、家では、めったにないみれない姿・・・。
「結婚して、だまされた事は、建築の仕事をしているから、日曜大工みたいな事をしょっちゅうやってくれると思っていたのに、全くせえへんやん。そんな家の事やってくれる旦那さん、憧れやったやけど・・・・」と、机の下で這いつくばる私への奥方からの叱咤激励だった。「大工さんも含めて、建築に携わる人は、家では、似たようなもんと思うけどな・・・」と這いつくばりながら、精一杯の言い訳で応戦をした。
まぁ、そんな雰囲気で、何とか完成にこぎ着けるごとができて、いやぁ、これで、面目も含めて、ちょっとはスッキリした気分になり、さてさて、このコードラックが、本当に、うまく機能して、役立つのかどうか・・・・。
季節はずれの激しい五月雨。このうっとうしさが、配線のゴチャゴチャをすっきりさせたいという気持ちの負荷に置き換わって、「私」を突き動かしてくれたんだろうなぁ・・・。
2011年05月22日
大阪の企業家
堺筋本町の地下鉄に乗るために歩いていると、大阪企業家ミュージアムという看板を見つける。少し時間があったので、ミュージアムの地下の入り口まで降りて、様子を伺うと、こちらで入場券を買って下さい。と言うので、あっ、お金いるのや。と思いながらも、300円という金額でもあり、その行きがかり上、入館することになってしまった。もちろん、ちょっと覗いて、15分かそこらで、帰ろうと考えていた。
大阪は、今日まで数多くの優れた企業家たちを輩出してきた。
これら企業家たちは、時代の変化と人々の暮しや社会のニーズを逸早く察知し、果敢なチャレンジ精神とたゆまぬイノベーションで、社会経済の発展や人々の生活向上に大きく貢献するとともに、自立自助の気概をもって自らの社会や街づくりを担ってきた。 「企業家精神」は、まさに「民」のまち大阪が誇る文化である。
一方、あらゆる意味で構造転換を迫られる現在は、まさに変化の時代である。変化の時代こそチャンスの時代であり、そのチャンスを生かすことが企業家の本領である。 今こそ大阪の財産であり、DNAともいえる「企業家精神」を思い起こし、変化を友として新たな時代を切り拓くべきである。
大阪企業家ミュージアムは、企業家たちの高い志、勇気、英知を後世に伝えるとともに、その気概を人々の心に触発することを通じて、企業家精神の高揚、次代を切り拓く人づくり、ひいては、活力ある社会づくりをめざすものである。
「意志」「自助」「創意」「挑戦」「先見」「変化」「志」なんていう。コトバの「羅列」に惹かれたのだと思う。この7つのコトバが全て揃わないと、こんな企業家にはなれないんだろうなぁと思いながら、ポスターを眺めた。105人の企業家。へぇ、あっ、そうなんや。ぐらいの感覚。
彼らは時代の変化をいちはやく感じ取り、市場のニーズを的確にとらえ、それらを事業化することで、社会・経済の発展や生活向上の原動力の役割を果たしました。 ここでは、明治以降3つの時代ブロックにわけて、紹介します。
クリックして大阪企業家ミュージアムのホームページを見て欲しい・・・
全く名前の知らない人ばかりなのに、その第一ブロックから、以外と引き込まれていく。
こういう人たちが、「近代大阪の経済基盤」を作ったのか。そして、「大阪を東洋のマンチェスターに」しようと志したのか・・・確か、何時か、学校で聞いたコトバだな。「貿易を発展」させ、「新しい金融の仕組みを作る」。へぇ、生命保険制度の基盤を作ったのも大阪なのか・・・。なんていう具合で、聞き込んでしまう。言い忘れていたけれど、首から音声案内のラジオをぶら下げて、イヤホンを付けている状態。
第二ブロックの「大衆社会の形成、消費社会の幕開け」のいきなりが、「都市空間を創造する」で、これは、私のシゴトに関わる話。大林組と竹中工務店と辰野金吾が紹介されていて、この工務店というコトバは、竹中工務店さんが作ったコトバだそうで、そこには・・・
「設計と施工は切り離せない」の考えから「工務」を掲げ、お客様ありきの仕事であるという考えから「店」を用いている。 ちなみに、「工務店」という名を作り、社名としたのは同社が初めてである。
とあって、竹中さんや大林さんの歴史を知ると、流石だなぁ、凄いなぁとおもう。こうしてうちの会社も、工務店という名前を名乗っている限りに於いては、竹中さんに感謝しないといけないなぁ・・・・。なんていう気持ちも湧いてきた。
「製造・化学に新たな地平を拓く」では、薬品メーカーの名だたる会社が大阪創業だと知って、あらためて感心する。武田さん、田邊さん、塩野義さん、藤澤さん、森下仁丹にキンチョール。なるほどねぇ・・・という具合で、妙に感心してしまった。
「鉄道開発で生活圏を広げる」「重工業発展の基礎を築く」「モノを通じて生活の近代化をもたらす」「食生活の洋風化を押し進める」「レジャーとショッピングを演出する」「新聞事業を開化させる」のそれぞれのコーナーでは、あの会社も、この会社も、と誰もが知っている企業ばかりで、もう既に30分は経過していて、時間が経つのを忘れてしまって、早々に引き上げるどころか、こうなったらじっくり見てみようという気持ちに変わっていた。
第三ブロックの「豊かな時代の形成、復興から反映へ」では、「現代大阪の再生に力を尽くす」「エネルギーで経済成長と生活の豊かさを支える」「電化で生活スタイルを変える」「新しい暮らしと都市空間を創造する」「独自の技術でモノづくりに挑む」「流通に革新をもたらす」「現代人の食文化を創る」と、よく知る名前の人がどんどん登場して、ますます興味深さが増す。
それにしても、カテゴリーの分け方が分かり易くて、3.11以前の社会を形成したコトバとして、頭がすっきりと整理されていく感じ。それじゃぁ、3.11以降は、どんなカテゴリーや、どんなコピーライトによって、象徴されていくのだろうか・・・・・。
既に1時間ほど経過していた。帰りがけに、ミュージアムの女性の係員の方と会話をする。こんなに沢山の企業家が大阪から誕生し、日本の経済と文化を創り出していたのだと知って驚いたし、是非、子供や社員を連れて、もう一度来てみたい・・・・と。
そういえば、もともと、この大阪企業家ミュージアムに立ち寄るきっかけになったのは、「おおさか地域創造ファンド」というのがあって、3月に、突然、、それに応募してみようとおもいたち、いままで、一度も書いた経験がない、事業企画書とやらを、いろいろな人に協力してもらいながら、「まちのえんがわプロジェクト」として作成し、大阪商工会議所へ提出したのが、その日の午後3時の出来事であって、採択される確率は全くもって低いのだけれど、取り敢えず、完成し、提出し、ほっとした、その帰り道の遭遇だった。
ほんの小さな計画を考えるのにもアップアップしていたその直後だけに、105人の大きな企業家の姿を見せられると、自分のちっぽけさにあらためて気付かされるのだけれど、まぁしかし、これぐらい大きな差があると、「ふつうのまちのおっちゃん」として、小さな事をコツコツとやね。と思いながら地下鉄に座っている私がいた。
2011年05月15日
静寂の15分間
いやぁ、実にエエ気候、心地良い風。
日曜日の朝は、ランニングをしていて、自宅から大阪城まで走るのだけれど、5月に入って、大阪城内をランニングする人の数が、どんどん増えて、それはまるで増殖中というコトバがあてはまる雰囲気。
早朝、まず、家を出る時に、iphoneにある RunKeeperというソフトを立ち上げて、UEのイヤフォンを耳に差し込み、小銭を手に握って玄関扉を開けてスタートする。今日は、半袖半パン。先週までは、半パンの下に、スパッツをはいていたのだけれど、流石に暑くて。靴は、2月までは、次男の運動靴を借りて走っていて、それを「伊勢神宮とアウトレット」ドライブに出掛けた時に、竜王のアウトレットで買ったランニングシューズのNikeのエアーに履着替えてから、かれこれ11ラン目になった。
走りだして、3分ほどの距離にある、うちで施工をした清見原神社に立ち寄って、その手に握ったお賽銭を投げ込んで、2礼2拍手1礼でお参りする。そんなに信心深い方ではないので、おそらく、自社で施工をした。というのが、そうさせるのだとおもう。毎朝、境内の掃除をしているおっちゃんに、おはようございます。と挨拶をして、なぜか、行ってきます。と声を掛けてから、鳥居をくぐって、走り出す。
途中、ウォーキングをしている知りあいの人に会うこともあって、挨拶を交わしたり、今日などは、家の近くで、数年前に引退した大工のアキヤマ棟梁が散歩している姿に偶然出くわして、「アキヤマさん!久しぶり!」と後姿を見て追い越しながら声をかけると、「おぅ!、なんや、走ってんのかぁ!」と笑顔。「そぉやねん!」と後を振り向きながら会話をしつつも、立ち止まることなく、通り過ぎていく・・・。
本日のランニングは・・・
Just completed a 9.90 km run with RunKeeper
Average Pace 6:49 / km | Average Speed 8.80 km/h | Elevation Climb 25 m
ランニング中にiphoneにあるipodからランダムにシャッフルされてかかった曲は・・・
Neil Young : Only Love Can Break Your Heart [After the Gold Rush]
Charies Mingus : Wednesday Night Prayer Meeting [Legendary Jazz]
Miles Davis : Concierto de Aranjuez [Sketches of Spain]
Miles Davis : Joshua/Go-Go [Four & More]
Miles Davis : Hand Jive [Nefertiti]
Lennie Tristano : Line Up [ Lennie Tristano]
Miles Davis & Quincy Jones : My Ship [ Miles & Quincy Live At Montreux]
Charlie Parker : I Remember You [Now's the Time]
Bob Marley & the Wallers : Jammin' [Exodus]
Tatsuro Yamasita : Funky Flushin [Greatest Hits! of Tatsuro Yamasita]
Michael Jackson : Man in the mirror [This is it]
Miles Davis : Pfrancing [Someday My Prince Will Come]
Bill Evans : Autumn Leaves [Autumn Leaves]
Tom Waits : Little Raine [Bone Machine]
走りながら、JAZZを聞くのが、もう一つの楽しみでもあって、全く、ランニングには相応しくない曲ばかりがかかり、立ち止まって聞き入った方が良いのかもしれないが、勿論、少々のロックやクラシックもシャッフルされてかかり、その軽やかさと単純さにホッとする瞬間も多い。一度、iphoneの調子がおかしくて、曲を掛けずに走った時は、何となく耳寂しいながらも、実に快適で、ペースも一定して乱れる事も少なくて、ランニングそのものには、音楽がない方が、エエなと思った。
それでも、やっぱり、スタートの時に、イヤホンを耳に突っ込んでしまう。汗で、イヤホンがずれることがあって、めんどくさいなと思う。音楽を聴くどころでなくて、走るだけでめいっぱいの時も多い。そんな中で、時折、耳元で印象深く入り込んでくる音。マイルスのトランペットの音であったり、コルトレーンのサックスの音に心奪われて、ハッとする。一時期のマイルスのドラマーであった、トニーウィリアムスの微分積分をするようなドラムに乗る時もある。コルトレーンのドラマーであった、エルビンジョーンズの繊細でリズミカルなシンバルに感動しながらランニングのペースを上げる時もある。ビルエバンスのベーシストであったスコットラファエロのベースに煽られる時もある。おそらく、私の耳が、聞き込んできたJAZZのマンネリ化を打開するために、新たな状況下のもとで聴いて、新鮮な印象を持ちたがっているのだとおもう・・・・。
走り終わって、冷蔵庫に冷やしている水を飲んで、家のデッキで15分ほど、静かに座る。ランニングの後のこの静かな時間も心地良い。今日などは、心地良い風が吹いて、その風の心地良さがランニングの後だけに、「しみいる」感じ。
そんな風をどうしたら家に取り込めて、心地良い家になるのだろうか・・・。また、風力発電として、ほんとうに上手く利用で得きるのだろうか・・・・と、ふと、大まじめに考えていたりして、それは、3.11の、特に、原子力問題が大きな影響を及ぼしているからなのだろう・・・・・・。
という取り組みがあって、1985年当時の家庭の電力消費量は現在の約1/2で、産業部門の電力消費はそのままの状態にして、今の家庭の電力消費量を1/2にすると、その量は現在の原子力発電量の1/2と近い値になり、ということは、1985年当時の家庭の電力消費の生活をすると、原子力発電量を半分に減らす事ができるという取り組み。また、その量は、今のピーク電力の20%減にあたり、その量が、原子力発電による発電量と近い数値となって、すなわち、1985年当時の家庭の電力消費の生活にすると、産業部門の消費はそのままでも、原子力発電所をなくす事が出来る可能性があるよ! という取り組みだという訳。ちなみに前にも書いたが、1985年は結婚の年でもある・・・・。
これは、私も懇意にしている、温熱環境のスペシャリストでもあり、工務店のコンサルタントでもある野池氏が提唱する運動で、「Forward to 1985 energy life」というプロジェクト。で、詳しいことは、バーナーをクリックして読んで欲しいが、私たち工務店にとっては、どういう家づくりとライフスタイルをすれば、家庭の消費電力を1/2にする事ができるかが、工務店に問われているミッションであるとおもう。
また、それは、3月20日のブログ「シーベルト」の後半に書いた内容であり、それをもっと掘り下げて突き詰めたのが、「Foward to 1985 energy life」で、その一部を引用すると・・・・・
パッシブデザインの意義
パッシブデザインとは、設備に頼らず、太陽や風のエネルギーをうまく活用、調節する建物にすることで、室内環境を向上させようとする設計法を指します。もちろんそれによって省エネに結びつくことになります。
わが国の伝統的な建築では、とくに夏の暑さをしのぐ工夫としてのパッシブデザインがありました。ところが安価で便利なエネルギーが使えることになって、そうした工夫は失われてしまいました。たとえば、いまの住宅のほとんどは日射遮蔽にまったく考慮されていないことがわかります。
伝統的なパッシブデザインの発想に加え、断熱性を向上させ、日射熱によって暖房するという現代的なパッシブデザインを行うことにより、快適性と省エネルギーが両立することになります。これから、わが国では様々な場面で「我慢」を強いられてくると思うのですが、十分なパッシブデザインを考えることによって、その我慢が少しでも和らぐことになるはずです。ただ我慢するのではなく、こうした知恵を働かせることで、前向きに、楽しく、省エネや省電力消費に向かっていけるのではないでしょうか。
またもちろん、パッシブデザインが十分ではない住まいにおいても、太陽や風などの“自然の力”をうまく使う知恵はたくさんあるはずです。このメッセージによって、そうした暮らしの知恵を見直し、集めていくことになればとてもうれしいです。以下に、これまでの私の研究や実践から学んだ、快適性と省エネルギーとを両立させる暮らし方を挙げておきます
■パッシブデザイン要素
ここでは何よりも窓に関連する動き(動かし方)が重要です。
●冬の晴れた日の日中には、できる限り雨戸やシャッター、カーテンなどを開けることが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します(とくにパッシブソーラーを導入した住宅では必須的な事柄)
●冬の夜間には、逆に雨戸、シャッター、カーテンなどをすべて閉めておくことが快適性や省エネルギー性の向上に寄与します
●盛夏の日中では、何より日射遮蔽が重要です。使用していない部屋では日射遮蔽部材(雨戸やシャッター、カーテンなど)を閉めておくようにしてください。使っている部屋だけ、うまく日照を採るように工夫して
ください。
●外気温が高い(目安は30度以上)場合は、通風よりも日射遮蔽のことを重視してください。風が欲しい場合には扇風機を活用してください。
●盛夏の夕方以降において外気温が低くなってきたら、室内に溜まった熱を排出させるために、できるだけ窓を開けてください。
■湿気
●梅雨時期など、湿度が高く比較的高温になっているときには、窓を開けることによって室内に湿気を呼び込むことになります。涼感を得たいのであれば、扇風機をうまく使ってください。
■設備
●エアコンは比較的エネルギー消費量が少ない機器です。もしエアコンが設置されているなら、エアコンをうまく活用することに工夫してください。
●もしひとつの空間に複数台のエアコンがあるなら、複数のエアコンを同時に動かさず、まずは1台を使うことを考えてください。エアコンは“一生懸命動いているほど”効率がよくなるからです。
●エアコンなどヒートポンプを使った暖房設備を除けば、電気を使った暖房設備や給湯設備はエネルギー消費量が多くなります。深夜電力を利用していれば電気代は節約できますが、エネルギー消費量は多くなりま
す。そのことを頭に入れて、うまく使うようにしてください。
●エコキュートのモードを確認して使ってください。省エネモードにして使わなければ、エコキュートであってもエネルギー消費量は多くなります。
●家電を購入する際には省エネルギー性能にも関心を持ってください。
長々となってしまったが、、今日のような5月の心地良い風と太陽。そんな自然エネルギーとエエ関係性を持ちながら、断熱や遮熱やライフスタイルを工夫した居心地の良い家づくりをしたいものだなぁ・・・と、ランニングが終わった後の心地良い風が吹くデッキ。そこでの静寂の15分間に、しみいる風の声だった・・・。
2011年05月08日
印象が存在すると心の中の時空がゆがむのか。
朝、3時半に目をさまし、シャワーを浴びて、4時に車に乗り込んで出発する。後の座席には、次男が毛布を持ち込んで、眠たい。とひと言呟いて、いきなり眠りこむ。どうしても行きたいわけやないけど、まぁ、行ったるわ。っていう感じ。昨年一年間は、いろいろと旅をして、お金も使ったので、今年のうちの家族旅行は、自粛ムード。それに、世の中で、今、起こっている出来事に、相応しているのかもしれない。
奥方は家が好きだから、何処へも行かずにゴロゴロするという。というより、一泊二日で、神奈川県の丹沢にある知りあいの山小屋に行こうかと誘うと、「ゴメンゴメン、登山靴の底がとれたままで買っていないから、行きたいけど、我慢するわ。」と大阪のおばちゃん的断り方。「なんやったら、靴、買ってきたるでぇ。」と突っ込むと、「山ガールになる年齢制限を超えているから、絶~~対にいかへん。」と強い、お断り。これが、ちょっとしたホテルに宿泊して、温泉にでも入って、美味しい料理でも食べて、私の奢りで。という事になると、奥方のノリもかなり違うのだろうが、今年のゴールデンウィークの、うちの家族のムードは、こんな雰囲気だった。
近畿道に乗り込んで、すぐに第二京阪に入り、京滋バイパスを通って、ちょっとだけ名神を通過して、新名神高速道路に入る。新名神はトンネルの幅も広く、信楽と甲賀の山里の高いところを通過していくので、天空のラピタとは言い過ぎだが、独特の気分感があってエエ感じ。新名神から東名自動車道路に入り、そこから伊勢湾岸道を通る。途中に長島温泉のジェットコースターを眺め、名古屋港にかかる大きな橋を渡る。この道路も幅が広く。海の眺めや名古屋の工業地帯の眺めもあって、やっぱり独特の気分感があるので好きな高速道路。それで、東名の豊田ジャンクションに辿り着く。
名神だけをひたすら走り続けて豊田まで辿り着いていた時より、道路と眺めの変化も多彩で、それに時間も距離も圧倒的に短縮されて、ここまでのドライブはここ最近のお気に入り。感覚的には2時間ちょっとという時間感覚。ところが、豊田から富士川サービスエリアまでの区間が何とも辛い時間感覚で、浜名湖の眺めとか由比でいきなり現れる富士山には驚かされるが、道路の雰囲気も含めて、ちょっと苦手な高速道路。いつも右車線の車の数の方が多くて、左車線の車の数はパラパラ。その割には、右も左もそんなに車速がかわらないので、とにかくトロトロと渋滞するのだった。
このあたりを走ると、いつもケンミン性の違いを何となく感じる。関西方面で右車線をトロトロ走っていると、後から突っ込まれそうな勢いの車があって、最近でこそクラクションをならしたり、右ウィンカーを付けたりする様子をほとんど見かけないが、かつては、そんな車をよく見かけた。それに比べて、このあたりは、皆でのんびりと右車線を走っているような雰囲気で、ひみつのケンミンショー的違いなのだろう・・・・。
5月3日の早朝も静岡辺りの事故が重なって、眠気を誘うほどの渋滞が続いた。豊田から富士川までに、2時間ちょっとの時間がかかった、早朝の快適なドライブの2時間ちょっとの時間感覚と渋滞の2時間ちょっとの時間感覚との印象の違いは大きい。
アインシュタインの理論実証 米衛星、時空のゆがみ観測
2011年5月6日14時7分
地球の周りの時空のゆがみとGP―Bの観測のイメージ=米航空宇宙局提供
質量が存在すると、ボウリングのボールが載ったトランポリンみたいに時間と空間で構成される4次元の「時空」がゆがむ、というアインシュタインの一般相対性理論の予言が、米航空宇宙局(NASA)の人工衛星「GP―B」の観測で確認された。天才の考えの正しさが改めて実証された。
・・・・・
という、朝日新聞の記事が最近あって、「印象が存在すると心の中の時空がゆがむ。」という理論があるのかどうか知らないけれど、渋滞の中で、パンを食べたり、お茶飲んだり、音楽に聞き入ったりしつつ、印象の違いによる時空のゆがみを矯正しながら運転するのだった。そうそう、このあたりの道路を走ると、2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」の思い出が蘇る。それが、ひたすら遠く長く感じている高速道路の渋滞の心の時空間のひずみに、ほんの瞬間の解放をもたらすのだった。
そんな話を帰宅後に奥方とすると、「今年は質素に生活するけど、去年、一昨年と旅行にお金を使って、時にはもったいないと感じるけれど、エエ思い出が出来て良かったのとちゃう・・・。少々のお金使って思い出を作る事は出来るけど、お金で思い出は買われへんやん。私も家族で旅行した事、たまに思いだして、良かったなぁ・・と、ひとりでニタニタする時あるねん・・・・。」と。
そんな渋滞の影響で、5時間ほど掛かって足利のサービスエリアに到着し、はじめての休憩をとる。サービスエリア内のスターバックスでコーヒーとパンをテイクアウトするために並ぶ。並びながら、別に、こんな所で、結構な値段がするスターバックスのコーヒーをわざわざ並んでまで飲まんでも、安いコーヒーで十分とちがうのぉ・・・と、心の中が呟いていた。いや、きっと、渋滞の影響が心の時空にひずみを作っていて、そのひずみを解消するのに、プチ贅沢が必要だったのだろう・・・・・。渋滞とサービスエリア内のスタバでの売り上げの相関関係はどうなっているのだろうかね。
大井松田で東名を降りて、10時すぎに小田急の渋沢駅前に到着する。東京に住む長男と待ち合わせをしていて、それが、いろいろなタイミングが重なって、兄弟と私の3人で登山することになっていた。車で、仮眠しながら長男の到着を待って落ち合い、コンビニで、昼食のパンなどを買って登山口の大倉に到着する。車を駐車して、登山靴に履き替えて大倉尾根を登山する。途中、知りあいの大倉高原の家のオーナーと震災の事など話しながらコーヒーを飲む。そこを出発してすぐに、「長い時間、休憩して、話をしていたなぁ。」と次男が呟いた。
それなりにきつい登りを登って、標高900mぐらいにある堀山の家が知りあいの小屋で、25年ほどの付き合いになる。そこから標高1490mほどの塔の岳山頂までは、かなりきつい登りもあって、大倉尾根の核心部なのだけれど、もう何十回もこの尾根を登っていて、このかた一度も一気に山頂に行ったことがなく、この堀山の家で、まるで、捕獲されたような生き物のごとく、ここで知り合った友人達と話し込んで、飲んで食べているうちに、気が付けば日が暮れてしまい、深夜遅くまで、アーダコーダと語り合うのが、ここでの正しい登山なのだろう・・・・。心の時空間がゆったりと、でもあっという間に流れるのだった。
次の日は、早朝から起きて、鳥のさえずりを聴きながら、木立の間から垣間見える、真っ白な頂の富士山を眺める。朝食のあと、小屋の数人と一緒に、頂上までの往復登山をする。まぁ、取り敢えず、山登りにきたでぇ。という証拠を残す程度の登山感覚。それなりに急な登山道だが、あれやこれやと世間話をしながら登っているうちに頂上に着く。それにしても、ここ数年で、若い人たちが増え、山ガールも急速に増えて、それはそれで賑やで華やかな山もエエのではないかとおもう。
そんな訳で、午前10時すぎには再び、堀山の家に戻って、また、いろいろな人とあれやこれやとコミュニケーションをしながら時間が流れていくのだった。そして、午後3時すぎに下山する。兄弟二人がほとんど走るかのごときスピードで下山するその後姿を親のメンツにかけて汗を流しながら必死で追いかけていくものの、あっという間に姿を見失い、ところどころで、二人が私を待つ姿に遭遇するのが、妙な喜びであった。
午後4時過ぎに車に乗り込み、コンビニに立ち寄る。渋滞に備えて、普段あまり口にしない、スナック菓子やジュースや甘いものを大量に買い込んで、長男を駅に送り届けて分かれ、彼は東京へ私たちは大阪に向けて渋滞の東名高速道路に突っ込んでいくのだった。沼津から豊田ジャンクションまで、繰り返し何度も何度も渋滞する東名高速道路上の車の中で、渋滞中に巻き起こる心の時空のひずみを無理矢理に矯正するために、常に口に何かを放り込でいた。午後11時すぎ、一度も休憩することもなく大阪に辿り着き、一泊二日の超私流丹沢登山が終わる。
きっと、この登山スタイルそのものが、仕事の質量による心の時空のひずみを矯正してくれているのだとおもう・・・。そうそう、中学3年生の次男は、夜な夜な続く、オトナの屈託のない会話を目を輝かせて興味深そうに聞いていた。大阪に着いてからの「たのしかった」のひと言が嬉しかったねぇ。
2011年05月01日
3・11以前のゴールデンウィーク
ゴールデンウィークがやってくると、旅に出たくなる。個人的で、もっとも大きな要因は、ここ大阪市内の生野区で生まれ、育ち、この場所を離れた最も長い期間が2ヶ月ほどしかなく、おそらくそれが原因だと思うのだけれど、時々、無性に、まだ見ぬ場所に憧れるのだった。それに、建築という仕事をやっていると、現場というのが、土曜日でも工事をしているので、連続して堂々と、皆で、一斉に休めるのは、お盆とお正月とゴールデンウィークぐらいなもので・・・、いや、実は、あれやこれやとそれらしい理由をつけて、旅に出ているだけで、旅そのものに麻薬的な魅力があるのだとおもう。
まぁ、そんな訳で、ゴールデンウィークに、どんなところに旅をしたのだろうかと振り返ってみようと思った。おそらく、振り返ろうという、そんな気にさせたのは、3・11の東北地方の大震災の影響だとおもう。このブログを書き出したのが2004年で、その2004年から2011年までのゴールデンウィークの旅を調べてみると・・・。2004GW「有田」・2005GW「東北」・2006GW「五島列島」・2007GW「直島」 ・2008GW「丹沢」・2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」・2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」 だった。よく見れば、記録から欠落しているのは「東北への旅」で、2005年の3月から5月までの3ヶ月間ほどは、ブログを書く事を滞っていた時期だった。
そういえば、あの震災の直後に思いだしたのは、2005年のGWの東北への旅の記憶で、奥方も同じように旅の記憶を思い出したのだと言う。大阪から車で、猪苗代湖に行き、キャンプをし、磐梯山を巡って一気に北上して青森まで向かい。三内丸山遺跡を見学してから南下した。乳頭温泉に浸かり、遠野で偶然知った風力発電を見学し、宮沢賢治を訪れ、わんこそばを食べ、帰りには、初めて東京暮らしをする事になった長男の下宿を訪れた。そんな楽しい旅の記憶と共に、5月の大阪と東北の寒暖の差に驚き、花粉症なども併発して、体調を崩し、苦々しい経験が、身体の記憶に刻まれた旅でもあった。それでも、何時かは東北地方の太平洋側の海岸線を北上しようとおもっていたのだが・・・・。
2004GW「有田」
10年ほど前に長男と行った有田陶器市の楽しかった記憶が残っていて、その時は、有田から阿蘇へ行ってキャンプをした。この年は次男を連れて、下関と門司を巡ってから有田の陶器市で白い陶器ばかりを買った。会社で今使っている湯飲みは、その時買った、湯飲みだなぁ・・・・
2006GW「五島列島」
森小路教会を設計施工することになり、その勉強も兼ねて、というより、それをダシにして、五島列島の教会巡りをした。ほんとうに楽しかった。、機会があれば、また五島列島に行きたい。特に野崎島での記憶は鮮明で、強烈な印象が残る・・・・
2007GW「直島」
車中泊かキャンプばかりしてきた旅で、久しぶりにホテルに泊まった。泊まるのなら、オーバルかとおもって、チョイ見栄をはって宿泊したのだった。今までの旅では観光地で若者を見かけなかったが、直島は、若いカップルがいっぱいの観光地であり、何よりも、その事に一番驚いたし、若者を惹きつける建築力というものを考えさせられた・・・・
2008GW「丹沢」
次男が中学受験をする事になり、そのためにはゴールデンウィークも塾で勉強するのだという。お父さんが家でゴロゴロしていると邪魔なので、どこかひとりで遊びに出掛けてと奥方から申し渡された。それで、友人が山小屋を営む丹沢へ出掛けた・・・・
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」
2004年以前は、「縄文の遺跡のある場所」というのが、個人的な旅のモチーフだったが、今までの旅と違う新たなモチーフが欲しかった。また、次男も中学生となり、一緒に旅行するのも、あと数回かと考えて、もう少しアカデミックな旅がないものかと模索しているうちに、好きな北斎をモチーフにして富嶽三十六景の描かれた場所を探す旅はどうかと思いついた、それにB級グルメも絡めてみようと・・・・・
2010GW「北斎と諏訪と甲州と箱根」
2009GW「北斎と富士とB級グルメの旅」が、バカみたいだが、かなり楽しかった。いや、楽しかったのは、「私」だけで、奥方と次男は、バカみたいな旅に付き合わされているだけやでぇ・・・と、ニコニコしながら言う。それに奥方は、年も年で、旅館に泊まらない旅は辛い。こうなったら、クラシックホテルを予約するので、それに合わせて、旅程を組んでね!という強い要望が出た。B級グルメはそこそこにして、建築を体験する事を付け加えた。今までで、最も密度の濃い旅だったとおもう・・・・。
2011GW
そんな訳で、今年はどうしようかと考えた。3・11以降のゴールデンウィークなのだ。それに、次男も子供から少年への道を歩み始めていて、それぞれが、それぞれなりの予定があるのだと言う。中学3年の次男曰く、「まぁ、しょうがないから、一泊二日だけ、お父さんに付き合ったるわ!」なのだそうだ・・・・・。
という事で、木村工務店のゴールデンウィークは以下の日程で頂戴致します。皆さんにとって、有意義なゴールデンウィークでありますように!
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