2011年03月13日

粛々

事務所の2階にある応接室で、リフォーム工事の最終見積調整を、設計担当のカワモトくんや、見積担当のトミマスくんと、女性のお施主さんを交えて、打ち合わせをしている時に、揺れが来た。何となく揺れている・・・。大きな揺れではないが、結構、長い間揺れている。地震?と誰ともなく声が出る。施主の方が、ワー、気持ち悪い。と呟いた。

確かに、ゆる-い揺れだが、周期が長い。気持ち悪い揺れだった。応接室を出て、階段を降りて、道路に出ると、会社近くにある、整骨院のお兄ちゃんも道路に出てきて、お互いに顔を合わせながら、揺れたねぇ・・・。地震やね・・・。と言い合う。辺りを見回すと、何人もの人が、家から道路に出てきていて、まわりを見回している。向いの家の2階の窓が開いて、そのお宅の奥さんが、道路にいる私に、揺れてるねぇ・・・と。私もそれに答えて、揺れましたねと頷く。それが、3月11日午後3時前の事だった。

お施主さんとの打ち合わせを終えて、暫くすると、総務のミカワさんが、かなり、東北方面は、えらい事になってるみたいですよ。と言う。それで、3階に上がって、休憩室でもあり宿泊室でもある、和室のテレビを付ける。NHKから地震の報道が流れていて、全てのテレビが、一斉に地震報道だった。阪神大震災の時の事を思いだした。

あの時も、このテレビを付けて、朝から、社員皆で、テレビを眺めた。何となく凄いことが、起こっているなぁという程度だったのが、時間経つに連れて、その重大さを徐々に認識しだした。実際に工務店として、大阪から神戸に関われるようになったのは、1週間ほど経過してからだったと記憶する・・・。

テレビ画面が、ヘリコプターからの映像に切り替わった。海から波が押し寄せる映像で、単なる波でなく津波だった。いや、それが、LIVEな津波というものだと、その時に、初めて、知ったのだとおもう。その津波が、川をどんどん遡上していく。隣には、トミマス部長が横に座っていて、一緒に映像を視る。

以前のテレビ番組で、南海地震が起こって、淀川を津波が遡上し、堤防が決壊して、大阪の町が水没するというシミュレーション映像があった。それを思い出した。そのように、LIVE映像の津波が、どんどん遡上し、堤防が決壊し、木造住宅を巻き込んで、畑を潰して遡上する。まるでアメーバーのように、土地と建物を浸食していくLIVE映像だった。

現実とは思いにくい映像で、まるで映画のシーンのようで、人が、生命ある人が、生活をしている人が、その家の中に居るとは想像しにくいLIVE映像だった。アメーバーのような津波がどんどん押し寄せるその映像の中の、土手を走る車に、おーい、津波が来てる。そっちに行くな。とテレビに向かっておもわず声が出た。LIVEなのか、録画なのかと疑う、キョトンとした状況の「私」。それにしても、その後、あの建物の中の人や土手の車の人たちはどうなったのだろうか・・・・。

時間の経過と共に事の重大さを知る。

翌日のテレビ画面に映る「壊滅」の映像。あの時のLIVE映像のその後が、これなのか? それにしても、大阪でテレビを見る私が、そのLIVE映像で、状況を把握し、その場で、それをリアルに体験しているその人たちに、その事態を伝えられないという、何とも言えない不憫。・・・・。

それでも、震災の影響がない、ここ大阪では、粛々と、日々の業務が続く。土曜日にはタカヤマ設計による高槻の家のオープンハウスが行われた。その日の夜には、矢部達也設計事務所によるcut the corner のレセプションがあった。小学校と中学校の同窓会が、今日の日曜日にあって、それも久美浜までカニを食べる日帰り旅行だった。中止するのかどうかという議論もあったが、最終的には、粛々と行う事になった。同級生のNくんが、震災の影響のない地域では、経済活動を止めない事も、大切な事かもしれない・・・と語った。

いま、被災していない誰もが、心のどこかに、この出来事を気にとめながら、この事に哲学しながら、粛々と日々を生きているのだと思う。

投稿者 木村貴一 : 2011年03月13日 23:35 « シーベルト | メイン | シュールとアフォーダンス »


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