2016年03月20日
散歩
インフルエンザB型が去って、元気が回復するかとおもいきや、微妙な疲れが残った状態と、花粉症のようなアレルギー反応で、鼻水が喉に流れ込み、いまいち体調がすぐれない一週間が続き、周囲からも少し休んだら...と、アドバイスを頂戴するほどで、そんなこんなで、久しぶりに休める日曜日だったが、自転車に乗って体を動かすほどの勢いに欠け、たまには「自重」というものをして、布団の中でゆっくり過ごした。
春分の日。親父が亡くなってから、お墓参りを代表する立場になり、それまでは、小旅行に出かけるのが常だったが、流石に、そんな気分にもなれないオトナな心情がはっきりと芽生えてきて、そういえば、同居している長男家族は、早朝より旅に出かけたので、「一家」の立場というものは巡り巡るものなんだなぁ...とおもたりする。
朝9時すぎに、四天王寺近くにあるお寺の墓参りに家族3人で出かけた。浪人生活をしていた次男が帰省して、確かに、浪人生をかかえる親の心情というのがあって、ちょっとした暗闇をどこかに携えているもので、合格の朗報とともに、暗闇にほのかな明かりが、ぽっとともり、ほっとするのだけれど、ところが、第一志望でなかった分だけ、本人にとっては小さな明かりになったのが、父親のメンタリティーにも微妙な影を落とし、それが妙な体調の一週間になっていたのかもしれないと、こんな事、ここに、こんなふうに書いてみて、そう思ったりするのだった。
親父が亡くなって以降、そのお寺の修繕工事をするようになり、私は永代供養に出かける立場となり、縁とか流れとは不思議なもので、その日、家にいた、そんな次男を誘い、奥方と3人で、読経と鐘と太鼓が奏でる独特の音楽のなかで、一緒に祈りを捧げ、お墓を掃除して、さてと、天気が良いこともあり、そのお寺からすぐ近くの天王寺公園に出来た「天芝」でも散歩しようという事になった。お互いが散歩によって癒やされたいという深層心理のようなものが働いていたのかもしれない。
かつては、あまり雰囲気の良くなかった「公園」が、家族連れがお弁当を広げたりして、多くのひとで賑わう「広場」になっていて、現代社会の都市には、運動する公園より、心を癒やすような「広場=オープンスペース」が必要なんだろう...と、道行くひとと、その日の私たち家族3人の心情も相まって、そんな事をおもいながら、珈琲を飲んで、ゆっくり過ごした。
3人のなかに散歩の気分が継続していて、そのまま歩いて新世界に向かうことにしたが、あまりの観光客の多さに驚き、名物の串カツ屋さんはどこもどこも長蛇の列で、流石にそこまで待って食べる気分でもなく、それで、ホルモンうどんでも軽く食べに入ったのが、まったく口に合わず、そんな話を面白可笑しくウダウダ話ながら、広告塔と通天閣と人混みを眺め、通天閣の下を通って、そのまま日本橋に向かうことにした。それにしても、高校生や大学生ぐらいの時は、行くのもちょっと怖かった新世界だった。
その日、日本橋は、偶然、コスプレ歩行者天国の日で、コスプレの女の子とカメラを持ったおたくの男子が道いっぱいを埋め尽くしていて、新世界を遙かに上回る混雑で、いや今宮戎を上回るほどの猛烈混雑に驚きながら、目をキョロキョロさせて、人混みに揉まれて歩くわけで、コスプレ女子に微妙に興味をそそられる私の心情も楽しみながら、観光客気分で、難波まで歩いた。流石にコスプレを楽しむメンタリティーもそれを撮影するメンタリティーも持ち合わせていないが、でも、なんだか、楽しかったなぁ....。
それにしても、ほとんど残したにも関わらず、新世界のホルモンうどんが胸に残って、どうしようもない味覚が継続していて、口直しというのもエラソウな表現だが、高島屋の福寿司で、ちらし寿司でも食べて、味覚による気分の高低差を調整することになった。それは、父や祖父や祖母を思い出す味でもあったのだけれど、次男は味の天国と地獄みたいやなぁという表現を使い、ま、こんな一連の流れが、街歩きの楽しさで、街や人や味に揉まれながら、ひとは散歩して、自分のなかのスペースを解放してくのかもしれない。
投稿者 木村貴一 : 2016年03月20日 23:48 « お山する | メイン | インフルエンザB型 »