2006年08月20日
モシリ(北海道の旅その2)
モシリとはアイヌ語で大地という意味らしい。確かに北海道を旅すると「大地」という感覚を得る。先日の五島列島の旅で見た 「光」景や富士登山で眺める下界の景色、 沖縄の海、 東北の縄文文化、 それらから「大地」という感覚を得ることは少なかった。いやいや、思い返してみれば、実は、それぞれの風土から無意識的に「大地」 を感じ取っていたはずなのだ・・・・。北の「大地」での旅は、母なる「大地」、どこにでも存在する「大地」が「視点の変化」という、 あらたなる結びつきを持つことによって、「新鮮な印象」をもたらしてくれた。
フェリー、北竜ひまわりの里、旭山動物園、富良野・美瑛のファーム、メロン、塘路湖、キャンプ、カヌー、釧路湿原、鹿、カモ、 カワセミ、丹頂鶴、カタツムリ、木陰、昼寝、温泉、屈斜路湖、夕焼け、露天風呂、コタン丼、アイヌ音楽、モエレ沼公園、スープカレー、 夜の小樽、フェリー。そんな時系列で旅が流れた。12日から16日の5日間、事前に3つの事だけは決めていた。フェリーで往復する。 釧路湿原をカヌーで下る。モエレ沼公園に行く。
釧路湿原の川下りをインターネットで調べて、塘路ネイチャーセンターというところに予約した。
おすすめの時間は何時ですかと聞くと「朝の5時」という答えだった。とりあえず、素直にプロの意見に従うことにした。まぁ、しかし、
暫くして、冷静に考えてみると、午前5時に目的地に「存在」するためには、カヌーの出発地である塘路湖に、午前4時30分頃には目覚めて、
「存在」していなくてはいけないではないか・・・・と、様々な要因を調整する必要があることに、ノンビリと気付いた。
塘路湖キャンプ場への到着が予定より3時間ほど遅れたのは、旭山動物園に急遽立ち寄ることになったからだ。
もうすっかり夕暮れになってしまった塘路湖は神秘的だった。明日の朝、ここからカヌーに乗って釧路川を下るのだなぁ・・・・
というようなセンチメンタルな感覚より、これからテント張って、食事して、キャンプして・・・と、
迫りくる夕闇とのプレッシャーの方が現実的な感覚だったかなぁ・・・・・。
塘路湖の朝5時。前日の神秘的な景色とはガラリと違って、あたりは霧でおおわれていた。 私たち家族が乗るカナデイアンカヌーが2艇用意されていた。カヌーに乗るのはこれで3度目になる。四万十川の天満宮キャンプ場でカヌーを一日中レンタルした。 沖縄でシーカヤック&シュノーケルのツアーに参加した。そんな経験から、水に近い視線から眺める光景は、 座敷の畳に座って眺める庭のような景色に似通っていて、独特の美しさがあって、楽しかった。
早朝がいいのは、動物が活動する姿を見れる確率が高いことらしい。確かに写真には収めきれなかったけれど、鹿が数頭湿原の中にいた。
独特の甲高い鳴き声を湿原に響かせていた。カモの親子も釧路川に生息していた。カワセミが水面から突き出た枝に嘴に何かの食料をくわえて生息していた。
サーと飛び立つと、水面すれすれを飛行しながら青色の美しい姿を光らせた。「宝石のヒスイはこの色に由来して名付けられた。
漢字の「翡翠」は、カワセミ、ヒスイどちらにも読める。」とウィキペディアに書いてある。ガイドさんが「川の宝石」
と呼ばれていると教えてくれた。確かに、上記の写真のようなどんよりとした色の世界の中では翡翠のような青い色は映えるよなぁ・・・
そして、飛んでいるほんの一瞬の青色の美しさが、残像として残る。
ガイドさんが入り江のような場所にカヌーを止め、オールの上にカップを乗せて、コーヒーをご馳走してくれた。 ゆったりとした時間の流れも感じ取れるちょっとした演出だった。釧路川は人間の歩く速度と同じぐらいで流れているらしい。
川を下った後、今度は高台から釧路湿原を眺めることになった。地元の人しか入らない場所へ四駆で案内してくれた。途中、
小さな小さなカタツムリを発見した。子供は見るのが初めてだぁ・・と言う。そうか、カタツムリも見たことなかったのかぁ・・・と皆で驚く。
私も含めて、うちの子は、日常的にカタツムリを見かけない、そういう環境で生息している生き物なのだ。途中、
地道を三脚にカメラを付けてトボトボと歩いている「普通の人」を車で追い抜く。珍しい人もいるものだなぁ・・・
と運転手のガイドさんが呟いた。
今、下ってきた川を上から眺めると、全く違った景色だった。水平面からの低い視線として見た鹿を、今度は上から見た。 緑の湿原の沼地の近くに、かすかに動く茶色の固まりが4つほど見えた。それが鹿だ。と、ガイドが教えてくれた。そして双眼鏡で覗くと、 確かに鹿だった。湿原で水を飲んでいるようだ。湿原の中に獣道が数本、まるでひとつのデザインのよに通っていた。美しい。
望遠鏡で覗いていた息子が、「あれぇ。鶴。かもしれん。」と呟いた。うそやろぉ!と皆で問いかけた。 湿原の中の川のそばに白い固まりが見えた。望遠鏡で覗くと確かに丹頂鶴だった。それぞれに、望遠鏡を回して、眺めた。
近くから眺めてみようと、ガイドさんが地道を四駆でぶっ飛ばしてくれた。そして、発見した。
確かに目の前に鶴がいるではないか・・・・・・。
その地道を、あの、先ほどトボトボと歩いていたおじさんが通り過ぎていった。突然、 奥方がその人に、「ここに鶴がいますよぉ!」
と声をかけた。そしたら、嬉しそうに引き返して、写真をパシャパシャ撮りだした。 そして「ありがとう」と返してくれた。
こんな場所をトボトボと歩いているその姿が、ちょっと、可哀想に思えたのだと・・・。
写真の真ん中に小さく小さく写っているのが丹頂鶴なのだけれど・・・・・。葦のはえる茂みの中から、時折、 潜望鏡のように首を出し、 キョロキョロとし、また足下の水か餌を食べるのだろうか首を下に下げ、そして、 また首を出しながら、ゆったりと歩いていた。 頭頂の赤い色は日の丸のようでもあった。
後日、屈斜路湖畔の店で聞いたアイヌ音楽の歌手が語った。かつては日本各地に生息していた鶴も、 今やこの釧路湿原にしか生息していない・・・・・と。そういえば、私の住む大阪市生野区には 「鶴橋」という場所があり、 闇市の面影を残した商店街と焼き肉で有名な市場がある。ウィキペディアによると「文書に残る日本最古の橋「猪甘津の橋」 はいまの生野区にかかっており、周辺に鶴が群れていることからその後 「鶴の橋」と呼ばれるようになったとされ、現在の「鶴橋」 の地名となった。」と。
長屋が沢山建ち並ぶこの周辺も、かつては葦で覆われ、湿原のようになっていたのだろうか・・・・・。その中を鶴がゆったりと歩き、 そして飛び立ったのだろうか・・・・。そういえば、古代の歴史で日本のことを「葦原の国」と習ったような気がするなぁ・・・。そうそう、 葦簀や葦戸には理由もいないが「好き」という感覚が宿っているよなぁ・・・。「葦」 には日本的な何かを思い起こさせる遺伝的な何かがありそうに思うなぁ・・・・・。
釧路湿原を様々な視点から眺めることによって、また新たなハートが持てたことが嬉しかった。
投稿者 木村貴一 : 2006年08月20日 22:20 « 地下足袋(北海道の旅その3) | メイン | フェリー(北海道の旅その1) »