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2016年07月31日

変動と変化と進化

20160728_233807811_iOSこのところの暑い夏日。なぜか、とっても不思議なコトに、ここ2週間ほど、庭のクスノキの葉が異常に落葉する。新緑の新芽は出て、古参の古い葉が一斉に落葉するのだけれど、毎日毎朝ゴミ袋がいっぱいになるほど落ち葉拾いをする日々が続いて、朝からエエ汗をかくものの、徐々に心配になってきた。

クスノキは、フツウは、春に、それとなく落葉するが、こんなに大量に落葉する事はなく、いわゆる落葉樹は、毎年毎年葉っぱが一斉に入れ替わって、そのことは、誰の目にもハッキリと認識できる分かりやすい落葉だが、クスノキは、落葉せずに何年間も存続している葉っぱが、そこそこの数があるような気がしていたが、いやそれとも1年と数ヶ月後に一斉に入れ替わっていたのだろうか。いや、こんな事、今まで、全く考えたコトもなかったが、今朝もこんなに大量にクスノキの葉が落葉している姿を見ると、いろいろな想像を巡らしてしまう。

49日を終えて数ヶ月経た母の死をクスノキが悲しんで一斉落葉しているのではないのか....とか。いやいや、地球温暖化の影響で、クスノキの体内時計が狂ってしまって、春と夏の境が曖昧になり、春に落葉する予定が、いま、この夏に、慌てて落葉しているのではないのか?。そういえば、この春に、落葉がなかったなぁ....。いやいや、ひょっとして、クスノキは、1年数ヶ月の落葉のペース以外に、伊勢神宮の建て替えのような、20年周期ぐらいの新芽と今までの葉っぱが一斉に入れ替わる、もうひとつの落葉の周期があるのではないのか....とか。あれやこれやと思いを巡らす朝。

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今週は、木村工務店の加工場では、2件の新築工事の構造材の一部の刻み加工を大工二組5人でしていて、その立ち居振る舞いと奏でる音にはワクワクさせられるが、昨年までは、真夏の加工場は、スレート屋根からの熱気がムンムンして、到底、作業が出来るような環境でなかった。「まちのえんがわ」ワークショップの真夏のワークショップの暑さ問題も絡んで、それに近隣への音の問題もあり、今年のお正月明けに、スレート屋根に、断熱材と防音シートを貼り、その上にガルバニュウム鋼板の屋根を葺く作業と、壁の外壁に断熱材と防音シートとプラスターボードを貼り、隙間を少なくする作業をして、ガルバニュウム鋼板の外壁で覆うと、天井高さとも相まって、外より少し温度が下がって、ヒンヤリ感じる環境に改善されて、大工さんたちにも好評で、やっぱり大阪の夏のコトを考えると、木造住宅は、天井断熱より屋根断熱をチョイスして、遮熱効果を発揮させる方が、断然良さそうにおもえる体験だった。

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その大工さん達は、加工場の横にある職人事務所で、朝からクーラーの中で、体を冷やしてから、加工場の作業に就き、汗を流し、10時や15時には、また事務所に入ってクーラーの中で、体を養生して、再び加工場で汗を流しながら作業をするスタイルで、それは、サウナと水風呂の関係性と同じようにもおもえる光景だが、昔の大工さんは、家でもクーラーをかけて、寝ることはせず、次の日が、現場でしんどいから...なんていう感じだったのが、最近の大工さんたちは、夜まで、汗かいてたら、余計にしんどいから、クーラーかけて気持ち良く寝て、仕事でいっぱい汗流して、家帰って、クーラーのある部屋に入ったら極楽やわ....と、クーラーに強い体質に進化していっている姿が面白い。

地球温暖化とか...、気候の変動がある時に、ひとの体質とか、世の中の仕組みとか、そんなのが、変化と進化する兆候なのだろうかね.....。

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2016年07月24日

セッション

日曜日の早朝。自転車に乗ろうとするが、どうも寝起きが良くない。そうそう、昨晩27時間テレビで明石家さんまの時間が面白く、見ているうちに、午前0時を回ってしまっていた。それにしても、さんまさんは、猛獣使いのように、個性的な司会者や専門家を仕切ってお笑いにし、若手芸人とは、セッションのように格闘しながら笑いを創造しようとする姿には、それなりに見応えがあったが、流石に中居くんの時間は、早朝の自転車の事を考えながら眠っていった。

今日の日曜日は、建築家の林敬一さんによる数列カホンのワークショップがあり、朝からゆっくりできる時間があまりないので、その切迫観念のようなものに突き動かされたのだろうか、中途半端な睡眠時間にも関わらず、自転車の振動を体に感じたいという気持ちを大きくすることで、どうにかこうにか家を飛び出して、十三峠をヒルクライムしたが、蒸し暑さと気怠さで、頂上の駐車場ではドバッと汗を流しながらハッハッいっていた。

フツウの椅子にまたがって叩くタイプのオーソドックスなカホンと違うカホンを自分で設計して造りたいというのが、建築家林敬一さんの強い意向だった。「ハヤシさん、フツウのカホンを建築的に格好良く作る方が応募者も沢山あると想うんですけど...」と私が云うと、「誰もが考えるフツウのものと違うカホンをどうしても作りたいのです...」というハヤシさんの強い意志があった。

じゃぁ、使わない時はCDケースになる寸法だけは確保してくださいね。とお願いしたが、一度目の試作では、手で叩くとエエ音が鳴らなかったし少し大き過ぎた。二度目の試作では、丁度良い大きさに調整し、合板の素材も堅い素材にチョイスし直し、それに手で叩くのではなく、マレットという叩く棒も一緒に作る事で、プリミティブで、エエ音がなる数列カホンが出来上がった。10名限定だったが、参加者があるのだろうかと心配していたにも関わらず、意外と音楽に携わる人たちが、ちらほらいて、キャンセル待ちが出来るほどで、そのひとも何とか参加出来るように工夫できて、12名の参加者による楽しいものづくりの時間を分かち合う事ができた。

こういう、今までにない何か別のモノを造りたいという、建築的なものづくりへの強いパッションのようなものに、ハヤシさんは動かされながら、きっとそれを現実のモノにするために、諦めずに、設計的な思索を継続的に繰り返したのだろうし、また、その試作を何度か造ってみるという、面倒くさい事を面倒くさがらずにするという、地道な作業に、ハヤシさんの建築家的なものづくりへの強い意志のようなものを垣間見たワークショップだった。きっと、その強い情熱のようなものが、皆に、ものづくりの歓びを与えてくれたのだとおもう。

その後の懇親会として、ハヤシさんがマスターとなったBARには、蒸し暑い夏の夜にも関わらず、多くの方に来ていただいたが、知己のひとや、口コミを通じてやってきた初めて会う若い人たちのグループもいて、若いひとたちとのセッションのような時間と空間を通じて、お互いの変化と成長を模索していく必要性があるような気がした、妙に長~い一日だった。

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2016年07月17日

不安と躊躇

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外に出て立っているだけで、汗がしたたる昼下がり。真っ青な空と蔵の白い漆喰壁。その一部が剥がれ落ちていて、その修復を見積るために、左官山本組のヤマモトさんと現場監督のオオムラくんとで、東高野街道沿いの住宅にお伺いする。3人ともタオルで汗を拭きながら蔵と空を見上て、クラクラしていた。

「ハナオカ、ウメバチ、ボウシックイ、オガミ」そんな左官の専門用語をヤマモトさんが連発しながら、屋根のケラバまわりの修復方法をあれこれと語ってくれるのを、汗を拭きながら聞くのだけれど、なるほど、そうなん,,,あの部分をそう呼ぶの....。なんて、相槌をうちながらも、まだまだ知らない事はいっぱいあるわけで、特に伝統的な日本建築の大工や左官の工法になると、年配の職人さんの力に頼るしかなく、効率とコストダウンが最優先される、いまという時代にとっては、古き良きモノの保存と技術の伝承とコストという悩ましい問題がいつもいつもついてまわる。

会社に帰ってから、グーグルのストリートビューで、この街道をネット散歩してみると、この蔵が、この街道とまちの景観に良い印象を与える存在だと気付くのだけれど、ところが、所有者にとっては、その蔵の存在とその維持管理費とその活用方法が悩ましいわけで、次の世代に負担にならないためには、解体した方が良いのでは...と考えて、あれやこれやの不安と躊躇で悩むのが、フツウのコトだとおもう。

最近、生野区の空き家プロジェクトに関わっていて、生野区在住の指揮者のハシヅメくん一家の生野区空き家移住計画をモデルケースとしながら、さまざまな問題点を浮き彫りにしていこうというプロジェクトで、生野区には20%以上あるといわれる「空き家」という存在をどのようにすればエエのかというコトなのだが、意外とリフォームの手法はいろいろあり、確かに、コストパフォーマンスの問題が、大きく立ちはだかるのだけれど、それ以上に、空き家の所有者側のかかえる悩みや躊躇の問題の方が大きいのだと気付かされる。

20%以上もあるといわれる空き家のうち、いわゆる不動産情報にあがっている物件は、ほんのわずかで、所有者の抱えるリフォーム費用や相続問題や借り手の事などなど不安と躊躇が、空き家問題の本質のようにおもわれてきて、不安と躊躇を抱える所有者の空き家ゆえに、オープンな情報として公開されることにも不安があり、それゆえに、住みたいひとたちとのマッチングも起こりにくい状況だといえる。

往々にして、空き家をリフォームして住みたい人たちは、「まち」に興味があり、その「まち」の「界隈」を形成する住民になって、暮らしを楽しみたいという、面白いひとたちが、潜在的にいるような気配が、空き家プロジェクトを通じて感じるわけで、ところが、所有者が直面する躊躇と不安をどのように払拭できるかが、「まち」の抱える問題点で、その不安を「表面化」する作業そのものが空き家プロジェクトなのだろう....。

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2016年07月10日

変化

土砂降りの雨の土曜日早朝。丹沢の堀山の家に向かう。山小屋の親父のヒゲさん3回忌が、午後2時からあり、小屋のリフォームも始まったらしく、親父の奥さんや小屋のあの人この人と四方山話をするべく、車で向かったが、大阪から神奈川まで高速道路はず~っと土砂降りの雨だった。

11時頃から雨具を着て歩き出すが、そのゴアテックスの雨具は20年前のしろもので、ほとんど防水機能を果たさず、それに蒸れて蒸れて汗びっしょり。なんというのか歩くサウナ状態で、50分ほど歩いて我慢出来ず、大倉高原山の家の軒下で、雨具を脱いで、傘をさして、Tシャツで歩くことにすると、すこぶる快適になった。登りで、幸いにも風がなく、夏なので、雨は雨なりの印象的な登山となった。いつもは、ここで、景色を眺めながら、湧き水のドリップ珈琲を飲んで、小屋の親父さんとあれやこれやと話をするのだが、生憎の雨で不在だった。

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↑ うちの長男にとっては、幼稚園の頃から通う堀山の家とその親父は、田舎と田舎の叔父さんみたいな存在だったらしく、会社の仕事を皆に助けてもらって、一緒に登った。長男の奥さんと子供も同乗して、小田急渋沢の駅に降ろして、東京に住む妹さんの家に向かったが、何の因果か、長男家族との初めての小旅行になって、奥方は家で、ひとりゆっくりのんびり過ごしたいらしい。

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↑ 夕方からは雨も止み、小屋の前の木々の間からは、雲に頂上が覆われた富士山が見えて、夜には、富士山の山小屋のライトや登山客のライトもちらちらと輝やく様子が見えたが、こんな雨の日に富士登山をやっている人もいるのだなぁ・・・と眺めていたら、そうそう、私も、土砂降りの雨の中を、次男とこの堀山の家の仲間たちと一緒に富士登山をして頂上まで登った想い出があり、あの時はまだこのゴアテックスの雨具は機能していたのだ。今日の小屋で一緒だったひとは、「富士山に登らぬ阿保に2度登る阿保」というけど、私なんかもうすでに90回以上も登山していて、もっと凄いひといっぱいいますよ!という。世の中には、いろんなひとがいるもんだ....。

暫くすると富士山に代わって三日月が見え、その横には惑星が輝いていた。そういえば、20年ほど前は、木々に隠れて富士山は全く見えずその存在すら気にならなかったが、ある時、富士山を隠していたほんの数本の木だけが間引きされて、一気に眺望が良くなった。小屋のひとや登山者のひとが、休憩所のベンチに座って、その眺望を楽しむ姿を見て、自然と、人間の仕業と、人の心理をどのように上手くバランス良く成り立たせるのかを考えさせられた。

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夜はランプのもとで、たわいもない話をあれこれするが、その時々に、誰かが何気なく発したコトバの中に、印象に残るフレーズがあったりする。「ダーウインの進化論の中に変化するものだけが生き残るというのがあって・・・・・。」これ、いま、あらためてネットで調べると、そんなのダーウィンは言ってないよ。とか、主にビジネスの世界で曲解されて伝わってきたコトバで...。なんて、いろいろあって面白いが、生存していくために「変化」に対応して「変化」していかざるおえないモノゴトが確かにあり、いつまでも変わらず残って欲しいサムシングとサムシングエルスもあったりして、それにしても「変化」という現実が唯一の真実として神のように存在している...なんて、この夜の会話にあったような、なかったような....。

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↑ 雨上がりの早朝の日差しのなかで、木にしがみついたセミの幼虫が脱皮し始めて蟬になろうと刻々と変化している姿に出会った。

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↑ 土曜日の雨の道。日曜日の雨上がりの道。確かにいろいろなモノゴトが刻々と「変化」していく....。

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2016年07月03日

唐突な夏

前置きもなく唐突に暑い夏がやってきた感じの土曜日。昼から地鎮祭があって、午前中の現場から直接向かうと、予定より早く着いて、それで、現場近くのすき家に入ることにした。なんとなく、20160702_024919376_iOSうな牛というのを試しに食べてみたくなり、栄養価が高い牛丼と、疲労に効くという鰻の最強タッグぽい同居姿に、少々の違和感と共に、コッテリ感の視覚的相乗効果が相まって、一瞬躊躇もしたが、ま、この唐突な暑さが、その気にさせてくれて、それはそれなりに食べられるわけで、ご飯の味が鰻丼よりなのか、牛丼よりなのか、途中からなにがなんだか、よくわからないまま食べきってしまった。もはや鰻の味がどうだこうだというレベルではなく、これはこれでエエのだ。なんて。こういうのは、コラボレーションというやつなのか、リミックスというやつなのか、リイマジン=再考、再誕生ではなさそう。

DSC08193そういえば、今週の月曜日は、鰻屋さんの改装計画で、現地調査に向かうと、可愛らしい折の鰻弁当を食べさせてもらった。もともとまかない飯からできたそうで、鰻と、特に、タレがしみこませたご飯を冷蔵庫で冷やして、食べる前に常温に戻して食べるわけで、電子レンジでチンせず食べるのがツウらしく、熱々の鰻と違う、熟成肉のような独特の旨味があり、しみこんだご飯の味とともに、食べたあとの旨味が暫く口のなかで持続している感じで、こちらのほうが、リイマジン=再考、再誕生のような気がした。

地鎮祭まで、まだ時間があり、現場の周辺は灼熱で、すぐ近くの川に、涼を求めていくと、橋の下の日陰が心地良さそうで、しばし土手に腰掛けて涼む。なんだか、大きなダイソンの扇風機の中にいるような感じで、風がゆらぎながら心地良く通り抜けて、時折、「強」の風を送り込んでくれると、一気に汗が引いた。それにしても、どうしたら、こんな、風が通り抜ける建築が出来るのだろうかと、目の前をガタゴトガタゴトと音をたてながら鉄橋を通過する阪急電車と、もう少し向こうの高架を疾風のごとく通り過ぎる新幹線を眺めながら考えてみた。

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本日の暑い日曜日は、住宅相談会があり、午前中のAさんは、両親と息子さん3人でお見えになり、生野区で土地を取得して、新築を計画中で、ご両親は、息子さんたちのために、それぞれに家を建ててあげたらしく、いまという時代に、凄いなぁ...甲斐性あるなぁ...とおもった。午前中のBさんは,堺で新築住宅の計画案のプレゼンで、最近は積極的にパースを駆使するようになって、イメージを伝えやすくなり、それなりに気に入って頂いたご様子。午後からのCさんは、リフォームの計画案のプレゼンで、ご両親の家を介護できる住宅として、リフォームするために娘さんご夫妻が打ち合わせにお越し頂いて、最近はこういうパターンもそれなりにあって、新築と同じように、パースで説明をすると、その空間の雰囲気が伝わったようで、父の代わりに私たちが判断していきます。との事だった。

蒸し暑い夏がやってくると、今年の「私」の夏の傾向としては、衣食住の衣では、涼しく感じる下着に新鮮さを感じて、買ってみたくなるわけで、食では、鰻そのものの単価が安くなって欲しいとせつに願い、住では、遮熱と風通しというものに興味が向くわけで、それにしても唐突に、暑い夏がやってきたもんだな....。

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