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2012年11月25日

「意味」の「変化」

そうそう、先週のブログ「トラブルと工夫」で、大阪ガスのオチアイくんから「トラブルが発生したのです。」という電話を受け取ったのが、山本塗装のヤマモトさんが運転するハイエースのワゴン車の助手席に乗っている時だった・・・。

URの古い公団住宅の一室をDIY、つまり自分で塗装とかができる部屋としてお貸しするプロジェクトのようなものがあって、関西大学の研究室から、一室の壁や天井の塗装のやり方を学生たちに教えて欲しいのです。という依頼があり、それで、塗装職人のヤマモトさんと二人で3Kの団地の一室に出向く。

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左の写真のようなこんな雰囲気で、キッチンンと建具で仕切られた6畳間の一室の壁にはクロスが貼ってあり、この壁の一面だけでいいので、クロスの上からペンキで塗装をする、そのやり方をレクチャーして欲しいという事だった。

ペンキの塗り方以前の「道具と養生」というのが塗装の「コツ」だったりする訳で、こんな道具をまず買って・・・・なんていうくだりから、「養生」といわれるペンキがはみ出さないためのテープとビニールが一体にくっついている養生テープの使い方などを、面白可笑しく学生に説明する。

いまという時代は、プロの持っている「専門知識」が、「一般知識」となるように、包み隠さずに、皆に伝えようと努力する事が大切な時代なんだとおもう。インターネットのおかげで誰もが専門的な情報を手に入れられる時代で、秘技のような知識を持っているかどうかではなく、その知識通りに、きっちりと「責任」を持って施工ができる、それに、ただできるだけでなく「センス良く」施工ができる、そんなちゃんとした知識を持った職人さん、そんなひとを「知識職人」というのかどうか知らないが、そういう職人さんが求められているのだろう・・・・。

「まちのえんがわ」でやっているワークショップは、そんな専門知識を一般知識として皆に伝えようと努力する「場」でもあったりする。

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それで、この壁の一面だけを何色に塗ろうかという事で、打ち合わせを始めると、ヤマモトさんが、以前、阪急にあるポールスミスで塗装工事をして、その時の赤い塗料がほんの少しだけ残っているので、これどうでしょうか・・・という。普通の単純な赤色ではない鮮やかだけれど上品な赤色。不思議だなぁとおもう、ポールスミスというブランド力が持つコトバの力がレクチャー参加者の脳内の何かを刺激して、「赤」と「その壁」の「意味」に大きな「変化」をもたらし始めたのだった・・・・。

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塗りあがった壁の出来映えを見て、参加者皆で、壁の劇的変化を笑顔で喜び合う。いやいやそれよりも何よりも塗装職人のヤマモトさんのこのガッツポーズ。スポーツの世界だけではない、職人さんのガッツポーズもエエもんですなぁ・・・。それで、まだ少し時間があったので、和室には、身長ほどの高さの所に「木」が取り付いていて、それを付け鴨居というのだけれど、公団独特のベージュ色が塗ってあり、それだけを真っ白に塗ってもらって、微妙な調整作業をする。

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3時間ほどの超プチリフォームなんだけれど、なんだかとってもエエ経験をして、塗装の仕方、インテリアデザインとしての塗る場所、手法とか方法は、ごくごくありきたりの事で、そんなありきたりのモノとコトであっても、物語性のようなものがちょっと付加されるだけで部屋の雰囲気が大きく変化し、参加者の皆が笑顔になった、そんな瞬間がとっても面白い出来事だった・・・・。そんな嬉しい気持ちで、ヤマモトさんと二人、車の中で、あーだこーだと今日の出来事をフィードバックして喜んでいる時にかかってきたのが、冒頭の「トラブルが発生しのです。」っていうとっても深刻な声の電話だった。

NEC_0441この日に撮影された最後の写真は、ピザワークショップの講師のイワオさんが、トラブルを乗り越えるために、カセットコンロでピザを作る方法を模索している写真で、こうしてあらためて左の写真や赤い壁の写真を眺めていると、これからの知識を持った職人さんに求められているのは、知識どおりに責任を持って仕事ができるだけでなく、アイデアとか創造性とか機転とか親切丁寧とか、そんなのを大切に考える時代だなぁ・・・・とそうおもう。

きっと、「職人」のもつコトバの「意味」も「変化」し始めているのだ。

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2012年11月18日

トラブルと工夫

小さなトラブルというのは、よくある「出来事」で、人生というステージにおいては、何ごともなくスムーズに物事が運ぶコトの方が、最大の「出来事」なのだ。とおもえるようになったのは、40歳を過ぎてからのことだとおもう。

DSC00221本日はピザ料理ワークショップを催して、当初は、皆でつくるダッジオーブン料理というテーマで、大阪ガスのガスコンロに小さなダッジオーブンが付いているガスコンロがあって、かれこれ半年前から10台借りることで、大阪ガスの担当のオチアイくんが手配してくれていた。それで、1週間ほど前に1台だけ前もって段取りし、試作を繰り返した。そのコンロを使って、手作りピザを作ろうというのが、今回のワークショップのテーマだった。

講師は木村工務店から南に向かって100mほどのところにある、あそび菜食堂のマスターのイワオさん。イワオさんは「まちのえんがわ」ワークショップ皆勤賞で、もともと芸大出身で、ものづくりと文学が大好きで、脱サラして、自ら手作りで内装をし、夫婦で居酒屋を開いたひとで、そのお店の手作りピザは店の評判メニューでもある。

トラブルが発生したのです。と大阪ガスのオチアイくんから悲壮な声で携帯に電話がかかってきたのが、二日前の金曜日の出来事。話をよくよく聞くと、ダッジオーブン付きガスコンロは、その前日の木曜日に15台ほど建て売り住宅のイベントとして貸し出されていて、それが、その日の夜にイベント会場で、イタズラの被害にあって、それは、機器を潰されたり汚されたりした、ひどい状況なのだという。つまるところ、前もって届けた1台以外、全く、レンタル出来ない状況なのです・・・・と、もはや泣きそうな声。

さりとて、二日後に22組もの申し込み者と50名ほどの参加者がピザ作りを楽しみにしてくれていて、こんな心ないひとのために、中止になるなんていうのもかなり不愉快な話で、なんとか開催できる道はないものかと、イワオさんとオチアイさんと「私」の3人が顔を合わせて協議する事にしたのが、金曜日の午後3時頃の切羽詰まった状況。

DSC00655そういえば、当初、木村家本舗の開催日に併せて、手作りのピザ釜を設置する計画があって、それが、かなりバタバタ状態だったので、延期し、このワークショップに併せて設置したのが、2週間ほど前の事だった。

ちなみに、ピザ釜の設計は工事部長のトミマスくんと耐火煉瓦を手配し、納入してくれた米田建材の息子さんが。煙突は板金ワークショップを担当してくれた松倉商店の息子さんが施工をしてくれて、オーブンの鉄扉は横井金物のヨコイのケンちゃんが。それに耐火煉瓦に土塗りをしてくれたのは、左官ワークショップを担当してくれた山本左官の職人さんだった。薪は本来的には広葉樹なのだろうが、構造材として端材になった杉を使うことにし、それは材木屋さんの岡房商店から納入された余り。

作ったこともないような「もの」をあーだこーだと考えて、そういう「ものづくり」のために、仲間の職人さんが、材料と技術とアイデアを一緒になって悩んで施工してくれるところに、「工務店」というものづくりの「チーム」としての面白さが宿っているのだとおもう・・・。

それで、ピザ釜の試運転と試食を2、3度していたのが幸いし、いざとなれば、この手作りピザ釜で焼けば、なんとかなるのでは・・・というのが、このトラブルを前向きに捉えて、改善と工夫をしようと努力する精神的バックボーンになっていたのだろう。

そんなこんなで、イワオさんが、カセットコンロで焼けるピザを夜を徹して工夫してくれて、それがそれなりに美味しいピザなのだと試食もし、それに石窯でもそれぞれが作ったピザを焼くという、二つの焼き加減のピザを作ることで、中止を回避することにした。大阪ガスのオチアイさんにはカセットコンロを10台手配してもらう。

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無事が最大の出来事なのだと、幾度も遭遇するトラブルの経験が、そう教えてくれるのだけれど、今回のようにトラブルのお陰で、調理の工夫がうまれ、会場のレイアウトだって、デッキの廃材を利用したベンチを意地のようになって大工に頼んで製作したのは、トラブルを忘れてもらえるぐらいの、エエ会場の雰囲気にしようとする力が、トラブルに対する反力として湧いてきたお陰なのだろう。ものづくりというのは、小さなトラブルや失敗からアイデアや工夫がうまれるものだなぁ・・・と、あらためてそんな体験をもたらしてくれた料理ワークショップだった。

参加して頂いた皆さん、ありがとうございました。
なによりも講師のイワオさん many thanks

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2012年11月11日

家族写真

住宅風呂巡礼というお遊びがあって、本日はその撮影日だった。
ちなみに以前書いた文章を再び引用すると・・・。

「ひと」の存在が企画をよぶのだとおもう。

温泉ソムリエぐっちとの出会いは、木村家本舗という自宅をオープンホームしたイベントで、彼が迷い込むようにやってきて、お互いに温泉入浴自慢を競い合ったのが最初だった。暫くして彼のホームページを眺めていると、どの入浴シーンにも自分撮りした姿が写っていて、それが、とっても不思議だった。いったいどうやって自分撮りしているのだろうか・・・と。 後日、再び木村家本舗に彼がやってきた。曖昧な会話をあれこれしているうちに、そうそう、温泉もエエけど、住宅のお風呂に入って自分撮りしたらどう。それも、いろいろな家のお風呂。有名建築とか無名建築とかのお風呂を巡る旅。住宅のお風呂の写真は数々あれど、ひとが入浴してるシーンはないし。そんなコトバを口走ると、即座にしかも軽やかに、やりましょ!と返事が返ってきた。

西宮の目神山に建築家石井修さんの回帰草庵という超有名建築があって、その草屋根の上で、息子さんの建築家石井良平さんが、炭火串焼き宴会を催してくれた。写真家の多田ユウコさんが同席していて、温泉ソムリエぐっちとの住宅のお風呂を巡る旅の話をした。その日の彼女は、草屋根の穴に落ち込んで尾てい骨を強打してしまうほど酔っぱらっていた。きっとそれが幸いしたのだとおもう。その写真撮影、私やりましょか!と、とっても軽やかに答えてくれた。

2011年12月4日日曜日木村家本舗とも呼ばれている自宅のお風呂で、主演は温泉ソムリエぐっち、撮影は多田ユウコ、企画は木村貴一で、第1回撮影をしたのが始まりだった。ぐっち自身が自分撮りをするか、私が撮影するのかとオロオロしていたのに、プロの女性カメラマン多田ユウコの出現によって手持ちぶさたになった「私」が唐突にとった行動が「making of 住宅風呂巡礼」だった。

ちょうど、12月1日に、自邸直ぐ近くの「まちのえんがわ」という木村工務店の路面店がオープンしたばかりで、そこで、撮影終了後3人でお茶を飲みながら和んだ。その時に多田ユウコさんが撮影してくれた写真が「まちのえんがわ」の写真になった。

そういえば、住宅風呂巡礼と命名をしてくれたのは、建築家の矢部達也さんで、第1回撮影の様子を伝えたブログを見て、第2回の撮影場所に自宅のお風呂でやりましょう!と名乗りをあげてくれた。2012年1月8日日曜日に第2回住宅風呂巡礼が大阪・野田・矢部邸で催されて、ヤベさん自らが演出をしながら撮影をした。撮影後、そこで小宴を催し、それがとっても楽しいひとときだった。その撮影現場を見学するためにコトバノイエの加藤博久さんがやってきた。コトバノイエというのは矢部達也さんが設計した家で、その住人が加藤さんで、その家を施工したのが木村工務店でその会社の社長が「私」だという、施主と設計者と施工者という奇妙な構図。ちなみに、住まい手の加藤さんの古本好きが高じて、本棚か構造体になった家がコトバノイエで、家が出来て暮らし始めてから、自宅でコトバノイエという古本屋さんを開いてしまった。

そんなこんなで、様々な奇妙な縁によって「ひと」が集い、繋がった。主演は温泉ソムリエぐっち、撮影は多田ユウコ、演出は矢部達也、協力は加藤博久、企画は木村貴一、制作は「まちのえんがわ」という住宅風呂巡礼団クインテットが生まれて、どこに向かってどこに連れて行かれるのか、流れるままに何かが広がり始めた・・・。

やり出してみて、もっとも面白い出来事は、住宅風呂巡礼団はチンドン屋さん的だというコトだった。もっとも日常的でプライベートな私たち家族にとってのお風呂という場所に、住宅風呂巡礼団というクインテットがにこやかに現れて、その一員の温泉ソムリエぐっちといわれる怪しいひとが、いきなり服を脱いで、素っ裸で、私たち家族のお風呂に入るのだった。その非日常性が「笑い」をうんだ。撮影された写真はどことなくシュールになった。お風呂の撮影中にそこの家族と交わす何気ない会話には「機微」が生まれた。住宅風呂巡礼にはアフォーダンスがあるのだろう、それが家族写真に独特の表情をもたらし、家族写真撮影がひとつの定番になった。時には、そこのお宅で小宴を催して、一緒に楽しんだ。

きっとこのクインテットからチンチンドンドンと音が鳴り響いているのだ。

そうそう、住宅風呂巡礼って、あれいったい何やってるんですか。と聞かれることがある。いや、それが、つまり、と口ごもりながら、例えば日曜日にゴルフに行くとするでしょ。メンバーを4人や8人集めて、前もってゴルフ場を予約して、それで、ゴルフして、楽しんで、お酒なんか飲んだりもして、健康のためだとか、社交のためだとか、何だかんだ理由を付けて遊ぶ。そのゴルフ場の代わりに、住宅風呂巡礼者は、住宅風呂巡礼のための家を日曜日に予約して、5人ほどのメンバーと一緒に、訪れて、時には、沢山のギャラリーもいたりして、例のごとく撮影を楽しむ。いつも飲んだり食べたりし、そこの家族とのコミュニケーションも楽しむ。そんな「遊び」なんです。

そんな住宅風呂巡礼を続けるには、住まい手の方々の了解とスケジュール調整があって、昨年の12月から今年の11月までの一年間に月1本ずつ合計12回催す計画だった。それで、本来なら10月と11月に予定していた物件があったのだけれど、様々な「事情」が重なって、上手くブッキングが出来ず、そうそう、どちらかといえば、今まで順調にスケジュールが組めたのが奇跡的な出来事だったのかもしれない。

こんな流れになって、「遊び」ゆえに、ここで無理をして、物件を探し、無理矢理なスケジュール調整をするのも気が進まず、そういえば、会社的には、本日は住宅相談会があったのだけれど、設計のタナカくんに住宅相談会はお任せする事にして、住宅風呂巡礼メンバーとのスケジュールを優先し、本日をもって住宅風呂巡礼を一端終える事にした。

そんなこんなで、10月の木村家本舗で催した特別編を正式な10月とし、11月は、設計の林敬一さんの中古住宅を買ってリフォームした自邸をもって最終回とすることで、ハヤシさんの快諾を得て、本日に至る・・・・・。

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ハヤシ邸には、こんなぐるぐる回れる素敵なキッチンがあって、ハヤシさんと奥さんが手料理を作りながら、時には向かいどおしになったり、横の位置関係になったり、平行になったりと、ぐるぐるとキッチンを回りながら、夫婦で料理を用意してくれて、お昼から、ビールやワインで、ワイワイガヤガヤとしたスタート。

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↓ コトバでは表現しきれない、FRPで出来たユニークなお風呂が最終回を飾る。

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↓ エンディングはハヤシ夫妻の写真で締めくくる・・・・・。

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この住宅風呂巡礼での偶然の産物が、家族写真だった。勿論、温泉ソムリエぐっちがお風呂に入るシーンが写真的なメインであるのだけれど、こんな非日常的で、可笑しなシチュエーションを経過したのちに撮影された家族写真には、独特の表情があって、「家族写真」を提供できた事が、住宅風呂巡礼団から住まい手の方々への、ささやかな贈り物とお礼なのかもしれない・・・・。訪問させて頂いたご家族の皆様に感謝です。

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_DSC0910そうそう、この住宅風呂巡礼の家族写真から派生したのかどうか、それは定かでないが、木村家本舗では、カトウさん主宰による「ハニカミ写真館」というイベントを催した。詳細は「2012木村家本舗の5日間」を参照にして欲しいが、期間中に、私たち夫婦も「ハニカミ写真」をIMG_3934撮影してもらった。奥方は写真を掲載するなんて・・・と言っているのだけれど、カトウさん+ハニカミ写真団員へのお礼として、

many thanks!

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2012年11月04日

縄文アイドル

__ (2)土偶といわれる古代のひとが造った人型や人面があって、左はみみずく土偶といわれる縄文人が造った土偶。これを「カワイイ」とおもうのが「私」で、それが、いつ頃にそう思うようになったのか、忘れたが、とにかく写真で見て、カワイイと感じたのだった。

滋賀県にMIHOミュージアムという美術館があって、ルーブル美術館のガラスのピラミッドを設計したIMペイが設計した建物であるというのは、雑誌「新建築」で見て印象に残っていた。一度は行ってみたいと思っていたが、15年間そんな縁が全くなかった。そんな訳で、MIHOミュージアムのある陶器の町、信楽にも行ったことがなかった。

もともと11月4日は住宅風呂巡礼の予定だったが、ブッキングがうまく行かず、別の日程に変更になっていた。10月の木村家本舗の期間中の来客がない合間に、玄関で展示販売していた古本から「土偶・コスモス」という本を抜き出して、2階デッキで読んでいると、木村家本舗プロデューサーであるカトウさんが、「その土偶、信楽にあるMIHOミュージアムに大集合して展示しているよ」という。カトウさんの実家は信楽の陶器の窯元なのだそうだ。それで、なんの脈絡もないそんな出来事が微妙に絡み合い縁として結びついて、本日11月4日にカトウさんの案内で、信楽のMIHOミュージアムで土偶を見るオトナの遠足を催す事となった。

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↑ カトウさんから登り窯の解説をしてもらう・・・・
↓ MIHOミュージアムへ
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↓土偶・コスモス展での土偶大集合の一部

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こんな訳で、「私」にとって「カワイイ」と感じる、こういう土偶たちが、一堂に会するのだから、それはほとんど、AKB48のノリと何ら変わらないのだとおもう。選挙かなんかして投票し、センターを決めたいぐらいのノリとほとんど同じで、「私」の縄文アイドルたちが、美術館の中に大集合していて、それに、そのほとんどが、グラビア写真でしかみたことがなかったアイドルたちで、それが「生」で見れるなんてぇ・・・と感激する「私」。

「生」の醍醐味は、実際の大きさというのは、写真では解らなくて、こんなに小さかったのか・・・。とか、えっ、想像以上に大きいわ。とか、こんなに前後に立体的だったのかぁ。とか、それが意外な驚きだった。それにしても、縄文時代のひとたちは、この土偶たちをどのような暮らしの中で、どんな感情状態の時に、創作したのだろうか。テレビを見る代わりに、土をこね、こんな土偶たちを造形して、それらを焚き火で野焼し、DSC09658その火の回りを皆でとり囲みながら、炎によって顔が赤々と照らされるお互いの顔を見て、「面白い面白い」とコミュニケーションを楽しんだのだろうか。出来た土偶たちをみて褒めたり、カワイイと呟いたのだろうか。まさか、センターを決める投票はするまい。

そんなコトを考えていると、前回のブログの最後に掲載した南部曲屋での写真の光景が、縄文人たちが縦穴住居で、土偶を造って、焼いて、面白がって、楽しむ光景に思えてきた・・・・。

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