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2006年06月25日
何なのかなぁ・・・・。
リフォームや新築の時に、古い住宅を見るのは、それなりに楽しい。 先日訪れた家では、 40年以上前に造られた家を大切に大切に使っておられた。当時のままのキッチンをそのまま今も使っているのだ。お風呂だって、 浴槽以外はそのままのようだ。なんだか、そういう生活の仕方が格好いいなぁと思っ た。設計した建築家の人も、 造った工務店の人も嬉しいだろうな ぁ・・・。設計は古いタイプの住宅建築の教科書のようで、素敵だなぁと思った。住まい手と 設計者と工務店の良い関係性が、 長い年月を快適に過ごせる家として今でも使える住まいとなっているのだなぁ・・・と、 工務店としての自分たちの「いま」をもう一度見つめ直し、問いかける住まいだった。どうも、ありがとうございました。
別 の日、30年近く前に当社で施工し、何度もリフォームさせていただいているお宅にお邪魔する機会があった。 定年退職したYさんが、ずっと、施工に携わっていた家だ。あらためて家を見てみると、それはそれで、上手く施工しているなぁ・・・と思えた。 先輩の名を汚さないように私たちも頑張らんとアカンなぁ・・・と、身の引き締まる思いがした。
別のある日、30年以上前のコンクリートの住宅にお邪魔した。 当時のモダンなデザインが、ある日から古くさいと思われ、暫くの間、
見捨てられる。そして、月日は巡り、今また、それが、モダンに思えたりする・・・。「モダン」って何んなのかねぇ?「デザイン」
って何んなのかねぇ?・・・って、考えさせられるなぁ。
そうそう、当社で施工させていただいた住宅で、デザインって何なのかねぇ・・・っと、 いつも問いかけている矢部建築設計事務所の矢部さんが設計し、弊社が施工した住宅が住宅雑誌に載るらしい。 どんな写真が撮られているのか楽しみだなぁ・・・・。そうそいえば、竣工の宴にお招きいただいた時には、日付がかわるまで、 うだうだと、お施っさんも交えて、話し込んだなぁ・・・と思い出した。その節にはどうも、有り難うございました。
ミナミの難波神社の裏で施工しているカフェ・ドアーズが、もうすぐオープンを迎える。森田建築設計事務所による設計で、弊社施工だ。 杉板の型枠によるコンクリートの打ち放しと古材の大谷石と古材の木材を組み合わせたカフェだ。 大谷石は栃木からわざわざ大阪まで職人さんがやってきて、施工した。大工や左官や塗装やタイルや植栽は木村工務店のいつものメンバー達だ。 ミナミへ出かけた時には、ドアーズカフェでお茶でも如何ですか!
ワ ールドカップサッカーは残念な結果っだったなぁ・・・・。
ブラジル戦の玉田のゴールの瞬間とその後の10分間ほどの、何ともわくわくする不思議な気持ち。それに、
前半終了前のロナウドのゴールの瞬間のあの不思議な空気間は、記憶として残ったなぁ・・・・・。そういえば、
ドーハの悲劇と同じような雰囲気が、 ロスタイムになるとあたりを覆っているようで・・・、それって、
払拭する事は出来ないのかねぇ。また、 払拭するにはどうすれば良いのかねぇ・・・。と考えてみたくなる。また、 それは、
日本社会全体が持っているものなのか、会社という組織の中にも存在しているものなのか、学校にもあるものなのかぁ、
家庭にもあるのかなぁ。っと、いろいろと詮索したくもなる。
それにしても、 個人と組織ってどんな関係性が良いのかなぁ・・・とか、場の流れというのか組織の持つ雰囲気というのか、 空気というのか、 そういうものって、これ、一体、何なのかなぁ・・・と、サッカーの敗戦のショックによって、あらためて、 考えさせられるよなぁ。
いまここ大阪では、外は雨。 あした、天気に、なぁ~~れぇ!っと、願う。
2006年06月18日
ちゃんとした
暫く、旅行の話ばかり書いていたので、木村工務店では「ちゃんとした」仕事をしてるのかぁと、自分自身も疑問に思えてきた。 そんなわけで、5月を振り返ってみようとすると、もうすでに6月も半ばではないか、お正月から数えれば、半年も経過している・・・・、 月日はおもわぬスピードで過ぎていくものだなぁ・・・・・。
先日、大阪市の東成で木造の上棟式があって、楽しいひと時をもつことが出来た。お客様、 有り難うございました。そうそう、これを読んでいただいている、上棟式を催して下さった、今までのお客様の皆さん、ブログ上で、 誠に申し訳ないですが、お礼申し上げます。ついでみたいで、スミマセン(^_^)
上棟式の締めで、大工棟梁の文野さんが「楽しく、一生懸命、家を造れば、家も楽しい家になるとおもうので・・・・・」 ってな意味の事を言って、皆で、一本締めをした。まぁ、棟梁は赤い顔をしていたので、すこし、酔ぱらっていたとはおもうのだが、 それにしても、ええ心がけやなぁ・・・、そういった目には見えない何かを大切にした家造りを心がけたいなぁ・・・と、その時、 皆の気持ちが楽しくなったのは、確かだ。大工の文野さんありがとう。
昨日、同じく大阪市の東成で引き渡しがあった。以前に上棟式の御幣にHappy Houseと書いた家だ。最後にお客様からのリクエストがあって、 引き渡しの器具説明に参加していた設備業者の数名と設計の田中くんと現場担当の守田くんと私で、お客様にお渡しをしていた現場図面の表紙に寄せ書きをし、記念写真を撮影した。表紙には、 やっぱり、四つ葉のクローバーが大きく描かれていた。 ハッピーハウスになれば・・・・・と、願った。
この家は北西の角地に建つ木造3階建て住宅だ。準防火地域で、木造の3階建てで、 構造の「木」 を見せようとすると、燃えしろ設計をしなさい。というような、なんだかよくわからない防火の基準があって、どうも、 釈然としないのだけれど、「お上」の言うことだから、従わないわけにもいかない。そんなわけで、構造計算+燃えしろで、 梁の幅が150ミリを超える事になってしまう場合が多い。それでも、せっかく、木造で造るのだからと、「木」に対する拘りは、 お客様や私たちにもあって、今回は少しの量だけれど、構造材を見せた。
上に書いたどちらの2軒の家も当社から近いので、現場へは自転車で向かう。 信号待ちをしている3人組のかわいらしい悪ガキを発見した。そして、その横に自転車をスーッと並べた。 気分はアメリカングラフティーのリチャード・ドレイファス。いやいや、ETの一場面もダブらせながら、 スタートラインに着いた。 青信号と共に一斉にスタートダッシュをした。当然ながら、結果は4着だったけれど、 なんだか気分をハッピーにしてくれた3人組だった。
そうだ、今日の夜はサッカー日本代表のクロアチア戦だ。どきどきするよなぁ・・・・。
2006年06月11日
五島列島の旅(その7)完
野崎島にいる時から写真を撮ることに嫌気がさしてきた。写真を撮っている間に 何か大切なものを逃しているような気がしてきたのだ。いまここの何かを逃しているのではないのかと思えてきた。そんなわけで、 なんだか、 写真を撮るのがめんどくさくなってきたのだ。きっと、このブログに旅の記録を載せようとする気持ちが、何とか、 写真を撮らせていたのだと思う。
旅はまだ続くのだが、教会を見て、買い物をして、温泉に入って、キャンプして、次の日また、教会を見て・・・と、写真も相変わらず、 ステンドグラスとリブボールト天井とレンガと光だ。読んでくれている人もそろそろ、飽きてきたことだと思うので、 この旅のブログもこの辺りで終えようと思う。
野崎島から冷水教会に向かった。 教会のまわりの植栽の手入れしていた信者の方が話しかけてきた。その話が興味深かった。冷水教会は木造の古い教会だった。 20年ほど前にコンクリートで教会を建て替えることがひとつのブームだったらしい。 この教会もコンクリートに建て替えようかということになったが、周囲の反対を押し切って、 この木造の教会に手を入れて修復して使うことにした。それが、今、この時期になって、修復したことを信者の方々が大変感謝し、 誇りに思っているという話だ。
別にコンクリートの教会が悪いわけではないと思うし、素敵なコンクリートの教会もいっぱいあって、憧れたりもするのだ。ただ、 こうやって何件かの古い教会を見て回ると、古いものに手を入れて修復して使い続けるという、その行為自体に潜むエネルギーによって、 教会の中に不思議な雰囲気が醸し出されるのを感じたりすると、その目に見えない力って、それはいったい何なのだろうかなぁ・・・ と思えてくる。
温泉に入って、キャンプしてという話はもうやめておくことにする。 キャンプをした海岸に十字架が立っていた。関西の海岸にこんなのがあると、少し異様な雰囲気に感じると思うのだが、 ここでは何の違和感も感じられないあたりが、五島列島の空気だなぁ・・・と海岸縁に座って眺めた。
翌日の早朝から福見教会に行った。
朝日を浴びたステンドグラスが虹のように光を放っていた。
土井の浦教会は木造の古い教会を買い受けて建てたらしい。それを最近修復したようだ。リニューアルオープンというような雰囲気で、
空気が綺麗に思えた。そんなことが影響したのだろうか、建物の寸法を知りたいと思った。建築屋さんの職業病かなぁ。
鞄に忍ばせたあったメジャーを取り出して息子に端を持たせて寸法をあたった。しばらくして、面白く思ったのか、私からメジャーを取り上げて、
寸法をあたりながら教会をぐるぐる回り出した。そんな子供が持つ、面白そうなことを遊びに替えてしまう力を見て、
忘れてしまっていた何かを感じた。
水ノ浦教会は白くて明るくてかわいらしい教会だった。
内部に入ると椿の花のモチーフがあった。
そうだ、ここは椿の島なんだなぁ。今まで見たステンドグラスも椿がモチーフなんだなぁ。
と考えながら昨日訪れた津和崎灯台からの景色を思い浮かべた。
旧鯛ノ浦教会のレンガは長崎の被爆したレンガを使用して建てたという。
レンガを見ながら「戦争と平和」を想像してみたら、
ジョンレノンのイマジンのフレーズが浮かんできた。
中は教会としては使わずに、図書館として利用しているらしい、
もったいないなぁ・・・・。
旅の締めくくりは、広場でのサッカーとキャッチボールだった。広場のベンチで横になると、
気がつけば30分ほどイビキをかいて寝ていたらしい・・・・。広場の隣に海があった。女子高生の黄色い歓声に誘われて、
私たちも足を海に浸けてみることにした。足の裏に伝わる綺麗な砂の感触と皮膚に伝わる海水の感触で、最後になってようやく、
身体が五島の海にきたのだと実感したと思う。
五島列島の旅はこれで終わるのだが、奥方の今回の旅の密やかな楽しみは佐世保バーガーを食べることだったらしい。フェリーの中で、
どの店に行くか大騒ぎをしていた。そんなわけで、フェリーで佐世保に舞い戻ると、米軍基地の近くにある「ひかり」
というハンバーガー屋さんに寄ることにした。もうすでに、午後7時近くだった。えー、なんとなんと、行列が出来ているではないか、
ちょっとした、カルチャーショックだった。奥方は並んで食べるという。流石に、沢山の教会を回ったおかげなのだろうか、素直に「イエス」
と答える私がそこに居た。1時間以上も待ってようやく食べることが出来た佐世保バーガーは、もはやファーストフードを通り越して、
スローフードだなぁ・・・・と米軍基地の前のベンチに座って食べおえた。(おわり)
2006年06月04日
五島列島の旅(その6-1)
海岸べりというよりは、曲がりくねった山あいの道をとろとろと走って、ようやくたどり着いた上五島最北端に位置する津和崎灯台は、 あたり一面を椿で囲まれた、眺めの良い岬だった。 なぜが、不思議と一輪だけ、ポツンと取り残されたように椿の花が咲いていた。きっと、 椿が咲き乱れる季節は美しいのだろうなぁ・・・・と想像していると、突然、黒澤明の映画、椿三十郎のクライマックスの場面で、 切り落とされた椿が水路からいっぱいに流れてくるシーンを思い出した。そんな、とりとめのない脳味噌を眺めながら、 すぐ対岸に見える野崎島をなにげなく、眺めた。真っ青な海と空の間に細長い姿で緑に包まれた島が浮いていた。 野首天主堂という教会があるらしい。 そうだなぁ、きっと、野首という、なんともおどおどしい名前が椿と結びついて、 侍の映画のワンシーンの記憶を呼び覚ましたのかなぁ・・・
そういえば、あの島の段々畑の中にポツンと教会が建っている印象的な写真があったなぁ・・・ 。意外とすぐ近くだなぁ・・・。行きたいなぁ・・・。と、まったく、脳天気な状態だった。
展望台から駐車場に下りる階段の景色が心地良かったので、階段を降りるという、その動作が楽しくおもえた。駐車場に着くと、 設置されてあった水飲みで、水を飲んで喉を潤した。突然、奥方が今朝、歯磨きをするのを忘れたんとちゃう・・・、なんて、 突拍子もなく言い出した。それで、家族3人で、海に向かって歯磨きをしたのだ。確かに、おかしな家族の光景だったと思う。 その写真を掲載しようかなぁとも考えたが、そんな、格好悪い写真、絶対、載せんといてぇーと、大阪弁で猛反対にあったので、 写真は止めとくことにしよう。
きっと、この陽気のせいだったと思う。津和崎港にある釣り船屋さんの前に車を止めて聞いてみることにした。 「対岸の野﨑島に行けますか」「10分ほどで行けるよ」「いくら掛かりますか」「片道1万円」「えー、高いね」「ガソリン代もかかるし」 「それだけの値打ちのあるところ?」と尋ねた。「まぁ、行ってみる価値は十分あるとおもうよ」と船屋の感じの良い兄ちゃんが答えた。片道、 といっても、あそこに置いてきぼりじゃぁ困るよな。往復で、2万円とハッキリ言てよね。なんておもいながら、車に戻って、 家族と相談することにした。息子は猛反対した。「そんなとこ、行かへんでぇー」と、朝の公園の一件が尾を引いているようだった。「そのお金、 自分で出すんやったら、行ってもええよ。」と現実的な奥方。
片道10分1万円、大阪から東京まで行ける値段だ。そんなに値打ちがあったのかどうか、 そのコストパフォーマンスは未だに疑問も残るのだが、それにしても、今回の旅行で、最も印象的な2時間の小旅行であった。
五島列島の旅(その6ー2)
朝食の食パンがちょうど3切れ残っていた。パンと水筒だけを鞄に押し込んで、車を船着き場に止め、船に飛び乗った。
船は勢いよく水しぶきをあげて、対岸の野崎島の野首港に向かった。無人島に探検に行 くようで、けっこう、ワクワクした。
人は居ないのかなと思っていたら、島の船着き場には家族連れの釣り客が居た。
船着き場から島に上陸して、舗装された道を歩き出すと、目の前にダムの土手が見えた。川もないような島で、なんで、ダムなんだ。
と疑問に思っていたら、帰りの船で、船長が教えてくれた。対岸の島に水を供給するために水を貯めているらしい。対岸の島まで、
海底の中にパイプも通っているとのこと。「開発」という名の良くないイメージがよぎった。ちょっと、イヤな予感・・・・。
いきなり、ネットフェンスに囲まれた扉があった。なんでも、鹿から守るフェンスらしい。どちらかと言えば、
私たちが檻の中に閉じこめられていくようなイメージだった。ダムの坂道から十数人の家族連れが歩いて降りてきた。
皆が私たちに挨拶してくれる。どうも、キャンプか何かをしていたようだった。な~んだ、人がいるのだ。ちょっと、がっかりし、
そして、安心した。
ダムの横の公園を通過すると、また、ネットフェンスの扉が現れた。まるで、サファリパークに入るようだった。
フェンスの扉を通過して坂道を下る・・・・。 いやぁ、なんとも、かわいらしい教会の後ろ姿が・・・・・・。
この野首天主堂に至る、「道」としてのシチュエーションがあまり良くなかった。そのことが、感動を半減させたのかもしれないが、それでも、
何とも言えない、その独特の周辺環境と教会のかわいらしさが、じわじわと伝わってきた。みたこともないような光景であるのに、なんだか、
懐かしさを感じるのだった。
五島列島の旅(その6-3)
教会の正面に回った。赤い屋根の学校のような建物とグランド。そして小高い山の間から見える海。段々畑と教会と石垣と青い空。
やっぱり、何とも言えない、光景だった。教会の中に入った。今まで見た教会の天井と比べてみると、洗練されていないリブボールト天井だった。
これまで見た天井と比べると素朴な味わいとも言えた。別名コウモリ天井と呼ばれているらしい。まさしく、そんな雰囲気だった。
明治時代に建てられたとのこと。おなじようなことをおなじように何度もおもったのだが、明治時代に、こんな場所で、よく、
これだけの建築が出来たなぁ・・・。工務店の立場として、そのエネルギーに感心するなぁ・・・・・。
二人連れの60才はすぎていると思われる、ふつうの田舎のおじさんが教会の中に入ってきた。そして、 教会のおんぼろピアノの前に座って、いきなり、ピアノを弾き始めたのだった。 そのおじさんの容姿と流れるシンプルな音楽とこの教会の雰囲気がなんともおかしなマッチングをしていた。 (画像をクリックするとちょっとした映像が流れる・・・・・)
五島列島の旅(その6-4)
(その6をアップしようとしたら、なぜか、うまくアップ出来なかった。そんなわけで、四つに分割することにした。 順序がいれかわるのが、すごく残念だけれど、とりあえずということで・・・・、6-1から読んでよね。)
お昼を過ぎていた。お腹が空いてきたので、鞄にしのばせた、食パンを食べることにした。 教会の鐘の基礎に座って、丘の上から、海を眺めながら、家族で食パンを食べた。聖書の一場面にこんなシーンがあったかなぁ・・・、 そんなの、あるはずはないが、教会と偶然の食パンが聖書を思い起こさせたのだ。
下に見える学校のようなところに行ってみることにした。廃校となった小学校が自然学習塾として使われているらしい。ここでも、 ネットフェンスをくぐって、敷地の中に入る。そのことが、何とも不思議な印象を残した。校庭から丘の上を眺める。古い木造の校舎と木造の炊事場と、 まだ新しそうなコンクリート造の便所が建ち並ぶ運動場の丘の上に、明治時代のレンガ造りの教会が建っていた。 その横にはダム建設によって山を切り崩したのか、それとも盛り土されたのか、 緑のネットで覆わ れた丘があった。「環境と建築」 の関係性はどのようにあれば良いのだろうかなぁ・・・・。と、 家族とデッキに寝転がりながら、ボーッと眺めた。
それにしても、雑多なことなど、どーでも良いな、と思わせるぐらい、素敵な場所だった。
それは、 この島に来る前後の船での息子のビフォーアフターを見てほしい。 島に行く時は船の中で、
ふてくされた表情をしていたのだが、 島を離れる時には、船のデッキに出て、
船が引き裂く風と戯れて遊んでいるという変わりようだった。その姿は、まるで、
カモメのジョナサンが風と戯れるような光景を連想させた。 そんなふうに人を変える力がその島にはあったのだとおもう・・・・・。
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(つづく)
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