2017年01月08日
新年のファンファーレ
1月6日が、木村工務店の初出で、この日だけは、ネクタイを締め背広の正装を決まりとしていて、それぞれが、お互いに、あらたまって、新年の挨拶を交わすことが習わしで、そのあと、事務所3階の会議室に集まって、ひとりずつが、新年の出来事や抱負のようなものを語りあう。
社員のT1くんが、昨年、新築した家で、奥さんが、今までの家と違って、暖房がよく効いて、明け方でも室温が数度しか下がらず、暖かい部屋なのが、何よりも最高のお正月で、それは、工事中の様子を見ていて、大工のモリくんが、断熱材をキッチリと入れてくれたお陰だ、モリ大工のお陰だと、そのコトが何度も何度も話題にあがるお正月だったというエピソードを聞いて、笑いとともに、皆がほっこりとした一場面があった。
そんな話を聞きながら、その次の次に自分の順番がやってくる、社員のT2くんが、お腹を痛そうにして、急に、トイレだと、席を立った。そこそこの時間がたって、戻ってくるものの、蒼白な顔で、年末年始の信州方面にスキーに行って雪が少なかった話をしたが、なんとなく具合が悪そうで、全員の話が終わったあと、清見原神社に参拝に行くのだけれど、その前に、またも便所に駆け込み、どうもノロウイルスの疑いがあり、そのまま病院に駆け込んだ。参拝と新年会には不参加になってしまうという、新年早々の心配な一場面だったが、幸いにも、単なる、お正月の飲み過ぎだったようで、それはそれで、ちょっと笑える初出だった....。
T1くんの断熱の話題に引きずられたのか、社員のT3くんが、ひとり暮らしのワンルームの部屋で、昨年話題になった、空調を一日中付けっぱなしにすることを試した結果を報告してくれて、冬の暖房代金もわずかにしか変わらず、家に帰っても暖かいのが魅力だという、建築的な話題でスタートしたが、お正月には、親父と一緒にゴルフに行くのが楽しみで、そこでベストスコアーが出て嬉しかったという、にこやかな笑顔の一場面があった。
そんなこんなの話を社員全員がシエアーしあって、そのあと、社員だけでなく、大工さんや手伝いさんや、協力業者の方々も一緒に、清見原神社に参拝するのが、伝統で、全員が拝殿にあがって、私を含めた代表者数人が、玉串を奉奠し、最後は職方代表として、ベッショ大工が、玉串を奉奠すのが決まりで、その時に、全員が、一緒に柏手を打つ、そのパンパンという音が、乱れず響く瞬間が、なんともいえない心地良さと、身の引き締まるおもいがして、そんなのが、木村工務店の今年一年の始まりを告げる、ファンファーレのようなものなんだろう。
神聖な気分のあとに、お昼から新年会をするのも長年の伝統で、私の年頭所感の挨拶のあと、70名ほどの社員と職人さんと協力業者で杯を酌み交わし、お正月気分を一掃する。昨年からは、午後3時頃に新年会が終了したあと、会社の「加工bar」で、2次会をするようになって、お歳暮に頂戴したビールを皆でシエアーし、お正月気分と明日からの仕事のギャップをウダウダ言いながら埋めて、1月7日の早朝から、いきなり全力疾走するのが、木村工務店の伝統でもある。
そうそう、「私」のお正月後半は、長男夫婦と1歳の子供という新たな家族と、次男も一緒に、スキー旅行に出かけて、そんな、家族による旅が、奥方の、なによりもの願いだったようで、確かに旅は絆をつくるし....、ま、それはそれとして、3年ぶりにスキーをやってみると、いままでは、息子達が、斜面やコブを降りてくる姿を下から見守っている立場だったのに、兄弟二人が「私」を置いてきぼりにして、ビュンビュンと先に降りて、下で、二人が、遅いなぁ...と待っている姿を、眺めつつ、少々悔しい思いをしながら滑り降りるわけで、二人の待つところに辿り着くと、やっぱり悔しいので、そのまま休憩せず、滑り続けるものの、すぐあとから、キレキレに抜かれていき、私のズラしまくるスキー操作に、歳いったなぁ....的余裕の笑いを含めた残像を残しながら、私のすぐ横を抜き去る息子達に遭遇してしまった、スキー旅行だった。
そんなわけで、もうスキーではなく、シゴトに頑張りたいと、あらためて願うお正月で、いまいちど、皆さん、本年もよろしくお願い致します。
投稿者 木村貴一 : 2017年01月08日 23:56 « グルメ的年末年始。 | メイン | 酉年2017年1月1日日曜日。 »