2006年11月19日
ヘタウマ
手作りの良さ。ヘタウマの良さ。というのがあると思う。プロでは出せない味というやつだ。私の感じるところ、プロというのは、 「きっちりとする」「きっちりとしたことをする」というのが基本的な姿勢だと思う。
先日、リフォームの依頼でお邪魔した家では、自分たちで、手作りを楽しんでいる様子が素敵だった。
お便所の扉にシナベニヤをパッチワークのように貼り付けてあった。LDKに入る扉にシナベニヤを短く切って、板張りのような雰囲気で、
切り返しの板を付けて、貼ってあった。レトロなミシンを手に入れて、パソコンテーブルとして使ってあった。どれもが、
ヘタウマでプロに出せない味だった。
左の写真のような、こんなかわいらしい子供向けの家具を、知りあいに依頼して造ってもらったらしい。 右のようにホームセンターで買った板をプロ的な言い方をすれば、「脳天からビスを打つ」 といわれる方法でビスを見せたまま、 隙間も味として、貼ってあった。和室の柱と長押には白いペンキが塗ってあって、それはそれで、とっても、ええ感じだった。 家全体に手作りの心地良さ、きっちりとは出来ていないけれど、ハートのこもった心地よさが満ちていた。 きっちりしたことをしていないという心地良さというのもあるもんだ。
今日は子供の授業参観があった。子供達が造った作品が体育館に所狭しとに並べてあった。親達やおじいちゃん、 おばあちゃんが沢山、見に来ていた。当たり前の事だけれど、どの作品もプロのだせない味わいだった。やっぱりヘタウマというやつだなぁ・・・ ・。何だか、ここにも、きっちりとしていない心地良さがあった。いつしか成長するにつれて、「きっちりとする」事が出来るようになり、また、 「きっちりとしたことをする」という事を覚えるようになって、プロとして生きていけるのだなぁ・・・・・・。そして、それとともに、 小学校時代にもっていた「何か」を失ってしまうのだなぁ・・・・。その両方を持つ事って、出来ないものなのかね。
確かに、子供達の作品は楽しかったが、それを見ている年配の方々の暖かい眼差しが、ええなぁ・・ ・と思った。今、 子供達の身の上に起こる様々出来事には、そういった、暖かい眼差しというのが必要なのだろうなぁ・・・・・。 と、 感じたものの、 なかなか我が子には出来ないというのが、これもまた、親というものだなぁ・・・・。親として、 子供にきっちりと教える。 きっちりとしたことを教えるというのが、これまた難しいのだな。
つい、先日、家の並びのおっちゃんが亡くなった。80歳を超えていたらしい。長屋が建ち並ぶ家の前で、植木鉢に、 いつも水をやっていた。前を通る時、挨拶をかわす。「おはようございます。」とか・・・。時には、絵に描いたような大阪弁の会話をする。 おっちゃんが、私に、「どうでっか、最近、儲かりまっかぁ」と問いかけてくる。私は「まぁ、ぼちぼちですわー」と、それがお互いの、 取り決めされた、決まり文句であるかのような会話だった。会話の内容が大切なのではなかった。会話をするという、 その事が大切だったのだなぁ・・・と、亡くなった後で、水をやる人がいなくなった植木鉢を見て、そう、思った。
近所の人とすれ違ったら、お互いに挨拶をかわしあう。子供達にもなんだかんだと声をかけてくれる。というのが、 密集した住宅地の日常であった。複数の暖かい眼差しが周囲にあった。別に聞いてもいてないのに、自分の事を語ってくるのが、 大阪のおっちゃんとおばちゃんだった。今日の参観の作品展示場では、数人のかつての同級生のお母さんと出会った。「久しぶりです。」 と言うと、「木村くん、久しぶりやなぁ。」と語るまもなく、勝手に近況を話してくれる。このまま、ほっておくと、何十分間、 話し続けるかわからない。永遠と続いていきそうだった・・・・・。
今は自分のことを語り、自からが情報を発信する時代であるものの、社会欄で起こる子供が関わる出来事を見るにつけ、 自分の事を気軽に語るというのは、なかなか難しいものだなぁ・・・・・と、自分の子供を見ても、そうに思う。そんな意味では、 ちょっとだけ厚かましく、ちょとだけ下品で、ちょっとだけおせっかいな大阪のおばちゃんの良さは、 自分の事を気軽に語れる良さなのかもしれないなぁ・・・・・。
今日の授業参観を見ていると、小学校の授業って、自分の事を語る、 練習の場でもあったのだなぁ・ ・・・・と、思えてきた。かつては、大阪の先生が典型的な大阪のおっちゃんとおばちゃんで、 先生の話も面白かったに違いない・・・・。そんな中で、大阪のおっちゃんとおばちゃんが、育っていったのだなぁ・・・・・。
今、世間で騒がれている教育改革なんていうものも、先生がプロとしての意識がもっともっと必要なのだ・・・・と、言われているのかな。 まぁ、それは、建築の世界にも言える事で、「きっちり」と教える。「きっちりとしたこと」を教える。なんてことがやっぱり必要で、そして、 それがなかなか出来ないのが実情でもあるな。と、やっぱり反省する・・・・・・・。
と、締めくくろうと思うのに、なおもウダウダと心が呟き続けるのだった。やっぱり、ヘタウマの良さも捨てがたいなぁ・・・・・・・。 きっちりとした仕事をするプロの良さとヘタウマのハートをくすぐる心地良さ。その両方を持ちたいものだなぁ・・・・・と、 執拗に呟き続けるのだった。まぁ、そんなわけで、最後は、子供を育てるための環境という、「建築」の役目も、重要だな。と語ることで、 心の呟きを制止して、今日は、終わりにしようと思う。
投稿者 木村貴一 : 2006年11月19日 16:49 « 富山 | メイン | will »