2012年12月09日

加工場とカマド

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木村工務店の加工場は、戦前に建てられたらしい。「戦前」というコトバを発声すると、なんだか、いまという時代にそぐわないコトバのような気がしてくるのは、「震災前」とか「9.11以降」とか「あの東北の大震災」などなど、戦争に匹敵するような大きな出来事があったからなのだろうか。まぁ、それはともかく、加工場は、昭和10年代に祖父によって約12mスパンの木造トラス組として建てられた。

そのトラス組の下に木材の加工機械がびっしりと並んでいて、山の製材所にある帯鋸と全く同じ機械がこの大阪市内の下町の中にドカーンとあって、20年ぐらい前までは、加工場に、通称、谷やん、という加工専門の職人さんが常駐していて、加工機械たちが、堂々と現役で稼働していた。その谷やんが、高齢で引退して以降、主をなくした木工機械たちの稼働率が激減し、加工場は、ほこりまみれの機械置き場の状態となって、数年間が経過する。

幼稚園や小学校の低学年の頃は、様々な木工機械から発生する大きさの違う様々な「おが屑」が山積みになっていて、そんな加工場で遊ぶのが大好きで、そのおが屑の中にダイビングして潜り込んでは、体中をおが屑だらけにして遊んでいた。谷やんにも面倒をよく見てもらったものだ。そんな楽しい想い出の記憶が、加工場でのワークショップへと「私」を駆り立てているのだろうか・・・・。

その加工場の中で、今年の1月は、お餅つきをし、2月は、「まちのえんがわ」の正式なワークショップとして、板金ワークショップを始めて、それ以降、毎月のようにワークショップを繰り返せたのは、スペースとしての「加工場」のお陰なのだろう。そしてそれは、戦前の木工機械という「機械」が主役の20世紀型加工場から、「ひと」が主役の21世紀型加工場への「転換」がもたらしたお陰なのかもしれない。そうそう、最近その加工場に加わった脇役があって、それはピザ釜という「カマド」。

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社員とも夜な夜な、ピザ釜ミーティングと称した単なる宴会を何度か繰り返しているのだけれど、そこで社員が、シャチョウ! なんで、こんな!(それはつまりピザ釜の事なんですけど)造ることにしたのですかぁ!と、シャチョウの道楽に呆れ返った様子で聞かれる事があって、その答えに困りはてて、「なんとなーく」と、しどろもどろの歯切れの悪い返答を繰り返へす昨今。

最近読んだ本の中で、お気に入りは、「土偶・コスモス」と「大阪アースダイバー」で、土偶コスモスは、暖炉の横でゴロンとしながら何度も何度も繰り返し眺めるのが好み。もうひとつの大阪アースダイバーには、大阪の下町で生まれてこのかた2ヶ月以上この場所を離れた経験がないないこの「私」にとっても、なるほど、そうそうと、大阪の歴史的経緯に頷かされて、それで、時間ができると、たまに表題ごとに何度か繰り返し読んでいる。その中に、カマドと市場という表題があって、「カマド」に関して、そこにはこんな事が書かれてあった・・・・。

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「物事の「転換」を起こす象徴としての「カマド」という装置を造りたかったのだぁ!」
と「私」。間髪入れずに、「なにをカッコエエ事ゆうて、単なる宴会用のピザ釜ですやん!」と大阪弁のツッコミ。なんていう台詞になるのだろうが、「加工場」にある「カマド」が「暖」と「食」を通じて、コミュニケーションの誘発と転換を図る装置であることは確か。

そうそう、それはそれとして、本日は、「花を生けるとはどういうこと? 生け花ワークショップ」を催して、寒波が押し寄せる、メチャクチャ寒い日に、16組の皆さんがお越し頂いて、暴風シートと石油ヒーターとカマドで、なんとか加工場の寒さを乗り切ったのだけれど、なによりも、講師の横澤さんによるレクチャーの影響力によって、同じ材料を使っても「ひと」によって、出来上がった「モノ」に、これだけの個性の違いがでるのだなぁ・・・と、あらためて、「個性」というものの面白さとその大切さを体験したワークショップだった。詳しい内容は「まちのえんがわ」ブログに譲ろうとおもう。

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こんな訳で、本日は、「加工場」と「カマド」に感謝の意を捧げておこうとおもう。

投稿者 木村貴一 : 2012年12月09日 23:59 « ところで、民藝とは | メイン | サイクリング »


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