2016年01月24日
tradition
寒い!とにかく寒い日曜日。そんな寒波の晴れ間のなかで、お宮参りがあり、いやぁ、こんなこと、このブログに書くなんて、考えたこともなかったが、きっと、長男家族と同居しているコトが原因なはずで、そのマゴが同居家族の主役の座を射止めることになり、「それ」中心に家族が動き出すなんて、想定外で、いや、もちろん、厭な訳ではないが、ただただ、さまざまな「tradition」の流れに身を任すばかりで、私の息子のお宮参りの写真を取り出してきて、母や父や祖母がどんなコトをしていたのかを想い返し、感謝のおもいとともに、日本的な「しきたり」を子供たちに伝える順番が巡ってきた。
お宮参りのような、父親の母が着物を着て羽織を稚児に着せて祖母が孫を抱いて神社にお参りに行くという日本的風習は、全国共通だとおもっていたが、東北福島県出身の長男の奥さんのご両親から、私たちの地域では、お宮参りは簡単に神社に行くだけで、50日祝いといって親族が集まって大宴会を催すのが「tradition」だと知り、会津喜多方地方の風習に従った、祝いの人形が送られてきたりして、初めて「tradition」の違いに目覚めるコトになったわけで、大晦日におせちを食べる風習といい、こうなれば、関西と東北が融合した「tradition」ができないものかとおもうものの、大晦日の忙しい時に、まだおせち作ってるし、ゆっくりおせち食べてる余裕なんかあれへんわ!みたいな商人気質のようなものが、大阪にはありそうだし、きっと50日目に親族に集合かけて祝いをするでぇ!と言っても、なんで集まるのぉ!みたいな気持ちが何人かに芽生えて、小宴になりそうで、そんなのが、代々受け継いで慣行されている「しきたり」の持つ重みのようなものなんだろう。
そういえば、うちの奥方は母親から受け継いだ着物を着ることを楽しみにしていて、参拝が終了し、記念写真を撮るカメラマンに、まず初めに、子供さんを抱いた二人だけの写真を撮影しますからぁ!と言われて、かなりの寒波のなかで、薄ピンクの着物姿で羽織を着た稚児を抱く写真を撮ってもらって、きっと舞い上がったのだろうが、あれぇ、私が主役なの?とのたまう始末で、いや、主役は着物姿のあ・な・たではなく、抱きかかえている「マゴ」ですからぁ!とツッコミを入れなければならなかった。
そうそう、稚児の額の第三の眼あたりに男子なら「大」女子なら「小」と朱印で書くのが日本的な「tradition」だと思っていたら、それは畿内だけの風習なのだと知ったのが、お宮参りをした清見原神社宮司さんの丁寧な説明によるもので、その冊子には、「………… 初宮詣を以て社会の一員として承認を受けるおひろめの意味があるのです。また朱で書くのは、生後一ヶ月ぐらいより、聴覚が発達し音に敏感になるため、額に朱をつけることによって音からの恐怖感を鎮める役割を果たすといわれてます。初宮詣での折、神前で鈴を振って頂くのも、神さまの恩頼(神のお力)を頂き聴覚の発達をより情緒的に生育することを願ったものです。………」陰陽道の風習が息づいているらしい。
一年に三ヶ月ほど建築学科の大学生と接する機会があり、それがここ6年ほど続いていて、日本の木造建築の「tradition」のようなものを3ヶ月間でサラリと学ぶ授業を通じて、「ものづくり」の感覚にも触れるのだけれど、建築というものが「ものづくり」のひとつで、現場でリアルなモノとしての建築を造るためのアイデアであり図面でもあるのだという意識を持ってもらうことが工務店に身を置く私の役目のようなもので、今週の火曜日に建築学科の大学生のプレゼンを見ていた時に、どれもがそれなりにビジュアル的に良く出来た美しいプレゼン図面で、感心するものの、なんだか現実にその場所にこんな建築を造ってみたいのだぁ!という「ものづくり」感が希薄で、勿論それは、社会に出てから学ぶ一番のコトかもしれないが、それでも「モノを造るというリアルな感覚を知るための授業」というのが、小学生ぐらいからもっとあっても良さそうにおもえたりしたのが、今週の「出来事」でもあった。
ま、「しきたり」とか「歴史」から学ぶべきものが、まだまだ沢山ありそうだと、あらめておもえた週だったけれど、それにしても「tradition」に縛られすぎるのもイヤだね。なんて、「寒波」がこんな気分にさせた日曜日の夜だった……。
投稿者 木村貴一 : 2016年01月24日 23:59 « あるある | メイン | 嬉しかったコト。 »