2004年02月08日
水草水槽
会社の玄関ホールに水槽がある。熱帯魚と水草を育てる水槽なのだが、今は熱帯魚は一匹もいなくて、川魚(ハヤ)
が一匹だけ優雅に泳いでいる。
2年前の夏休みに四万十川を源流から海までキャンプして下った時に取ってきた小さな稚魚が15cmほどまで成長して、泳いでいるのだ。
そういえば、四万十川のキャンプ旅行も楽しかった。ハイエースを改造したキャンピングカーで私たち家族(私・妻・長男14才・次男5才)
と長男の友達2人を特別ゲストに迎えた計6人が、すし詰め状態の車に乗って、5泊6日の旅をした。その時の話はまた何時か。
1cmにも満たななかったその小さな魚が今や水槽の主となり泳いでいる。
長らく飼っていたメダカ10匹ほどがいつの間にかいなくなってしまった。やっぱり、食べられてしまったのだろうか・・・。
その水槽が数ヶ月前からコケだらけになってしまった。
私は、毎朝、出勤した時、水槽を見て水草の調子を見る。その水槽が玄関ホールに置かれてからもう5年以上にもなるのだが、
ほとんどコケに侵されることもなく保たれてきたその環境が、見るも無惨にもコケだらけになってしまったのだ。
水草を主とした水槽は面白い。水槽を見ながらいつも「環境」ということを考えてしまう。土・水・水草・魚・蛍光灯・ヒーター・浄化装置・
二酸化炭素発生装置という構成による水槽は人工的に造られた小さな地球環境のようなものでもある。
この地球環境を模した装置のなかで私が最も興味をひいたのは二酸化炭素発生装置であった。太陽のかわりをする蛍光灯があり、
水草が光合成により酸素を発散する。小学校の時に習った、二酸化炭素を吸って酸素を出す。というやつだ。
その光合成を助けるために強制的に二酸化炭素を水槽に送り込む装置を付けるのだ。
二酸化炭素の排出量を規制しようとしているご時世だが、水草水槽の世界では、適量の二酸化炭素を強制的に送り込むことが水草の生長を助け、
水槽を酸素が満ちた快適な環境に造り上げる。そういう、なんだが皮肉っぽいところが好きなのだ。
この二酸化炭素を供給するのとしないのでは、明らかに水草の育ちが違う。
水槽の調子が良い時は、水草が光合成をして葉から酸素を気泡としてブクブクと出す。その様子が何とも心地よかったりする。
数ヶ月前、水槽の水を半分ほど換えた時、二酸化炭素の供給量を少し多くしてみると、水草の葉から一斉に気泡を吹き出した。
水槽に気泡となってブクブクと酸素がいっぱい供給されているその様子がほんとうに心地よかったので、調子にのって、
何時もの倍ほどの2酸化炭素を供給し続けた。4~5日ほど水草から一斉に吹き出すその気泡を楽しんだ。いまから思うと、これがいけなかった。
それから暫くして、水草はどんどん生長し・・・。そこまでは良かったが、今度は一斉にコケだらけになってしまった。
大幅に環境が変わったのか、コケ取りの役目をしていた10匹ほどのヤマトヌマエビもいつしか消滅していなくなってしまった。そして今は、
コケだらけの水草と四万十川から移り住んできた魚が一匹。寂しい・・・。
快適な自然環境を保ち続けるということは難しい。それを活かすのもダメにするのも人間が大きな役目を担っているのは確かだ。
水草水槽だって、「装置」だけでは上手くいかず、意識をもった人の介在なくしては成り立たない。里山の環境だって、
意識ある人が下草を刈ったり様々なことをしながらあの美しい光景が保たれている。NHKの番組かなにかで、糸井重里さんがそのような自然を
「手自然」と呼んでいた。良い言葉だなぁと思う。
自然界の法則に従えばエントロピーは増大する方向に向かうらしい。しかし、「意識ある人間」
こそがその増大を止める役目を担っているのだろうなぁ・・・とコケだらけの水槽を眺めながら考え込んでしまう。
私があの気泡の快楽を強欲に求めなければ・・・・。なんて。ちょっと大げさすぎるかぁ。
投稿者 木村貴一 : 2004年02月08日 23:46 « 吉野の製材所 | メイン | 社員と家族 »