« 2016年12月 | メイン | 2017年02月 »
2017年01月29日
「学ぶ」と「遊ぶ」
生野区全体をキャンパスに見立てた、イクノ大学を作ろうというアイデアを持った生野区在住のSさんが中心となって、「行政」や「大学」や「生野区持続可能なまちづくり」のメンバーが、日曜日の17時30分に集うというのが、考えて見れば「もの好き」な集まりで、もちろん、それぞれが、公の立場で集うのではなく、そういう肩書きがあるけれど、プライベートなボランティアとして集まったわけで、共有しているコトがあるとすれば、自分たちの住むまちを自分たちで良くするコトが大切だよね。そしてそのコトが、自分たちの「遊び」であり、「仕事」にも関わるコトであるというのが、共通事項なのだろう。
金曜日に名古屋で、「Forward to1985 energy life」 の総会があり、新幹線に乗って、大阪から名古屋で降りたのは、なんと初体験で、会社がある地下鉄の小路から名古屋駅まで、1時間30分ほどで行けるのは、あらためて、近いな...っと、今更ながらにビックリし、だって、小路から、京都の北部や神戸の北部には、車で1時間30分なわけで、「距離感」って面白いものだ.....。
それはさておき、「1985」は、家庭の省エネが、地球環境や原子力発電を含む、エネルギー問題の解決に至るのだという、主催者のノイケさん個人の強いパッションが、皆を引っ張るわけで、それはノイケさんにとっての「仕事」であり「遊び」でもあるのだろうが、「1985」の発足と、「まちのえんがわ」の発足はほぼ同時期で、ノイケさんのアイデアが加味されて、「まちのえんがわ」が始動し、何よりも、東北の震災が、「1985」と「まちのえんがわ」のアイデアのきっかけになったわけで、「まち」という存在と「会社」や「個人」がどのような関係性を構築するのがエエのかを模索しているのが「まちのえんがわ」で、「地球環境」と「家庭の省エネルギー」の関係性を模索しているのが「1985」なんだろう。
木曜日の夜に、生野区防火協力会の新年会があり、戦前から続く懇親会で、祖父や親父からバトンを渡されて、参加しているのだけれど、そこで、現役の消防署の若手署員の二人が、漫才コンビとして舞台に出て、消防署員の防火訪問や救急車でのエピソードを「笑い」を通じて、伝えてくれて、あらためて、「笑い」のもつ、心に素直に入り込む力を学んだ懇親会だった。ちょっとした「遊び心」というのも大切だよな.....。
今日の日曜日の朝、久しぶりに自転車に乗って、十三峠を往復し、体を動かす。もちろん、冬の寒さと遅い日の出で、おっくうがる「私」も存在するが、そんなことに耳を貸さずに、だらだらながらも起きて、「遊び」として体を動かすと、それなりの活気もやってきて、元気そうな「私」になるのが嬉しかったりするわけで、そのあと、スーパー銭湯で、温泉やサウナにたっぷり入って体調を整え、コメダ珈琲で、たっぷり珈琲と味噌カツサンドを食べるという、とってもベタな、日曜日の朝で、おそらく「名古屋」の潜在意識がどこかにあったのだろうね。
2017年01月22日
「Skype参加」と「お餅つき」
木曜日に、設計事務所による新築工事の現地説明に赴くと、暫くして、なんとなく寒気がし、会社に帰って、外は寒かったわ!と云っても、皆から、今日はぜんぜん、寒くないですよ!と言われ、あれぇっ、ひょっとして、風邪かな...とおもいながら、夕方に、近所の内科で、熱が38度、インフルエンザA型だと告知された。
薬と、点滴と、吸引と、どれにしますかと問われ、点滴をチョイスし、今日から5日間自宅療養して下さいと宣告された。家に帰りつき、会社に報告しながら、金曜日と土曜日と月曜日のスケジュールの調整に電話で奔走したが、土曜日は、恒例の「お餅つき」の日で、当然参加できるはずもなく、社員の皆に、お任せすることにしたものの、参加出来ない残念な気分と、皆に申し訳ない気分と、それはそれで私抜きでやってみる良い機会だなという気分の複雑な心境が入り交じった心模様だった。
昨年の3月には、インフルエンザの予防接種をしていたにも関わらずB型に感染し、今年は予防接種をしなかったが、まさかの2年連続になって、宣告をされてすぐに、またかという開き直り状態に陥って、高熱との戦いを楽しんでみる覚悟をしていたが、点滴がよく効いたのか、今年のインフルエンザの特徴なのか、夜中に、体の節々の痛みに、少々うなされたものの、次の金曜日の朝には熱も下がり、わりと元気な状態になった。
その前回のインフルエンザの時に、どうしても外せない打ち合わせで、会社の応接室と自宅の寝室をSkypeで繋いで打ち合わせをすると、そこそこの成果があったので、金曜日の午前中の会社応接室での打ち合わせには、Skypeで参加し、夜の現地での打ち合わせは、私のiPadを持参してもらってのSkype参加で、それはそれで、笑いも含めた面白い打ち合わせとなった。で、それに気をよくして、土曜日の「お餅つき」も、寝室のベットからSkypeで参加することにした。
私のパソコンから垣間見るお餅つきの光景はこんな感じだったが、当日の加工場は、こんな感じで、「まちのえんがわブログ『お餅つきワークショップ2017』」だったらしい。準備中の11時ぐらいから最後の片付けの19時まで、8時間近く、テレビ画面を見て参加すると、お越し下さった多くの方が、笑いながら声をかけて頂いたり、画面に向かって、一緒に記念撮影をして頂いたりと、それはそれで、とっても臨場感のある双方向テレビドラマに出演しているかのような感覚だった。
お客さんが帰られて、片付けが終わったあと、社員皆で、一本締めをするのだけれど、私のiPadを起点に、皆がぐるっと取り囲んでくれて、私の掛け声で閉めるという、まるで、テレビのスタジオ中継中に、海外からライブ映像中継で参加するレポーター的「のり」で閉めた今年のお餅つきだった。
ご迷惑をお掛けした社員をはじめとした皆さん、誠に申し訳ございませんでした。また、お餅つきに参加して頂いた皆さん、ありがとうございました。
2017年01月15日
グルメ的年末年始。
とっても寒くて冷たい日曜日。フェースブック上では、あちらこちらの雪だよりが美しい一日だったが、暖炉の横で、コーヒー飲んで、テレビ見て、本読んで、音楽聴いて、ゴロゴロしながら気づいたら眠ってしまうのが最高に気持ち良い日曜日の昼下がりだった。
いろいろな新年会が続いて、飲んだり食べたりする日々で、年末年始に美味しいもんを食べる日が、ちょっと続くと、食べている時と、食後の暫くは、満足感で喜びのようなものもあるが、次の日あたりから、どことなく気だるい感じになって、ゴロゴロ度が増し、ちょっとのことが面倒くさい感じになってくるような気がし、そんな意味では、「精進料理」とは、よくできた料理だなぁ....。
年末は、クリニックの院長先生と看護婦さんたちという繋がりのもと、うちの奥方も一緒に食べた、奈良の夢想庵での料理が、どの器の料理もひと味違って美味しく、そのわりには、想い出して、説明が出来ないわけで、それは、さほどグルメでもなく、舌もたいしたことない証拠なのだろうが、ま、美味しかったという記憶だけで良しなんだろう。
年末の黑門で食べた玉子サンドが、自転車で走ったあとの空腹感が伴っていただけに、美味しさの印象が深く残ったが、たまに、奥方の母が、うちの家に遊びにくる前に、病院に行って、ここの玉子サンド買って、うちの家に持ってきてくれて、それを食べるのが好きだという長男の奥さんの笑顔と玉子の味が、年末の印象のひとつだった。
大晦日31日は、小学校の同級生の居酒屋げんこつで購入した、イベリコ豚が、とっても美味しく、なりよりも脂がしつこくなく旨味があるのが特徴なのだろうが、鍋用の出汁も一緒に分けてもらい、鍋の作法も教えに従って、最初にその出汁と野菜で煮て、それからイベリコ豚をいれるとエエ出汁がでるのや!という、そのとおりにしたのも良かったのだろう。最後に中華蕎麦を入れ、それを年越し蕎麦として食べたのが、良い想い出となった大晦日だった。
最近「おせち」は、どこかのおせちを買うのが恒例で、それは、父や母が健在だった、あるお正月がら始まったことで、さまざまな料亭ものなど、いろいろ食べてきたが、それでも最低限、黒豆だけは、母の味として、奥方も受け継ぎながら、鶴橋の豆屋さんで黒豆を買う。豆洗って、洗った汁を捨てたらアカンで、それ使うんやで!という、鶴橋の豆屋のおっちゃんの助言に従って、家で作っている。もちろんお椀は白味噌。黑門の炭火焼きの鯛を買って食べるのも習慣なんだけど、味というより、縁起もんなのだろう。今年は、甘辛手帳の編集顧問の門上武司さん監修によるおせちを大丸で注文して食べたが、今まで食べた料亭もんの高級なおせちより、コスパも含めて、一番良かったような気がした、お正月だった。
お正月のスキー場で食べた料理で、記憶に残るほどの食事はと聞かれると、スープカレーとか、ジンギスカンとか、朝食のイタリアンとか、ま、そんな程度の感じで、それより、思い返してみると、ほとんどの食事をマゴのイッケイを目の前にして食べたのが、一番のご馳走だったような気がするわけで、先ほど、さんまのテレビを見ていると、関根勤が、孫を可愛がりすぎている話や、所ジョージが待ち受け画面に入れている孫の写真を見せてくるとか、ま、そんな気持ちを、わかるわかる!とテレビに向かって応えている「私」もいるわけで、ま、そういうこちゃわ!という大阪弁が、「私」の心情を表現するのに相応しいのだろう。
ちなみに、女優写真の光のように、偶然の美しい光で撮れた写真は、ちょっと高級イタリアン。皆に囲まれてご機嫌の目の前の孫。カメラを持って「マゴ」の写真を撮る気まんまんの「私」。白いテーブルクロスと顔に反射する光。なんていう、微妙な条件が揃ってのコトで、奥方と面と向かって食事する時にカメラなど持った経験がなく、自分の息子たちの時も照れがあったのだろ、カメラを持っての食事の経験などなく、孫に対するこういう立ち位置と心情がとっても不思議な心情として存在するのが不思議なわけで、歳に伴う感情の変化とはオソロシイものですな。
今週、北浜での打ち合わせがあり、お昼を少し越したので、現場監督のモリタくんと一緒に食事をする。前日に、その資料作成のために深夜までモリタくんが作業をしていたこともあり、それに、昨年、槇文彦さんの講演会の帰りに、設計のササオさんやタカノリと一緒に食べた、あみ彦さんの鰻の美味しかった味を急に想い出して、それで、地下鉄の帰りがけに一緒にお店に入る。やっぱり炭火でじっくり焼く関西風の鰻が好きだな....。こんなん書くと、社員のなかには、オレはどうなってるんや!っていう不公平感みたいなものが、でるのかどうか(笑)。ま、タイミングが会ったときに、一緒にランチを。
鰻の次の日の夜に、ちょっとした新年の会合が、シャラトン都の日本料理の上町であって、数人で会食をする。うちの祖父の代から続く、ある大きな工場の協力業者の会で、昨今のコンプライアンスやクリーン調達などの見解をうけて、今後の協力会社の会のありようを話し合う会合になった。こんな話の時は、確かに、こうゆうちょっとええ日本料理が相応しいような気がしてくるのは、やっぱり歳のせいもあるのだろう。
その会合が終わった直後に、小中のプチ同窓会が、例のげんこつで、貸し切ってあり、2時間遅れで駆けつける。私の一人前分を残してくれていたので、高級料理とは違うが、エエ素材の美味しい料理を連チャンで食べる事になり、当然、断る訳にもいかず、それなりに食べるが、流石に、いくら美味しくても料理の写真を撮る心情と余裕はなかった。それでも笑顔になれる楽しい同窓会で、深夜、布団に入る前には、明日は、絶対に、一日中、何も食べないと、強く決心しながら眠った夜だった。
その翌日の夜は、昨日の夜であり、長居の又三郎で熟成肉を食べることになっていて、深夜の誓いなどなんのその。高校時代の同級生で、美章園で眼科医をしているクリニックの新年会に誘われた形で、プチ同窓会を兼ねながら高校の同級生4人が集まったが、うちの奥方も、20歳の時から、皆を知っているので、一緒に参加し、四方山話で盛り上がった。ここ何年かは、同級生とのなかで、設計したり施工したりと仕事の関係も少々あり、新年の挨拶がてらの食事になった。熟成肉というのは、赤身のあっさりしたコクのような旨味がその良さなのだろうが、確かに美味しく、店も美しく、満員で活気があった。
そのあと梅田のバーで、看護師さんや奥方も一緒に、深夜まで飲みながら、クリニックの話をいろいろ伺ったが、工務店もクリニックも、社内システムや体制やスタッフとのコミュニケーションなど、共通の問題点や悩みを抱えているのだと、あらためて気付かされた深夜でもあった。
そんなこんなで、美味しいもんを食べすぎて、ゴロゴロ度が増して、極寒の日曜日とともに、暖炉のまろやかな暖かさに包まれながら、心身を休めた昼下がりで、なんとなく、「精進」せなアカンな...とおもった暖炉横の日曜日だった。
2017年01月08日
新年のファンファーレ
1月6日が、木村工務店の初出で、この日だけは、ネクタイを締め背広の正装を決まりとしていて、それぞれが、お互いに、あらたまって、新年の挨拶を交わすことが習わしで、そのあと、事務所3階の会議室に集まって、ひとりずつが、新年の出来事や抱負のようなものを語りあう。
社員のT1くんが、昨年、新築した家で、奥さんが、今までの家と違って、暖房がよく効いて、明け方でも室温が数度しか下がらず、暖かい部屋なのが、何よりも最高のお正月で、それは、工事中の様子を見ていて、大工のモリくんが、断熱材をキッチリと入れてくれたお陰だ、モリ大工のお陰だと、そのコトが何度も何度も話題にあがるお正月だったというエピソードを聞いて、笑いとともに、皆がほっこりとした一場面があった。
そんな話を聞きながら、その次の次に自分の順番がやってくる、社員のT2くんが、お腹を痛そうにして、急に、トイレだと、席を立った。そこそこの時間がたって、戻ってくるものの、蒼白な顔で、年末年始の信州方面にスキーに行って雪が少なかった話をしたが、なんとなく具合が悪そうで、全員の話が終わったあと、清見原神社に参拝に行くのだけれど、その前に、またも便所に駆け込み、どうもノロウイルスの疑いがあり、そのまま病院に駆け込んだ。参拝と新年会には不参加になってしまうという、新年早々の心配な一場面だったが、幸いにも、単なる、お正月の飲み過ぎだったようで、それはそれで、ちょっと笑える初出だった....。
T1くんの断熱の話題に引きずられたのか、社員のT3くんが、ひとり暮らしのワンルームの部屋で、昨年話題になった、空調を一日中付けっぱなしにすることを試した結果を報告してくれて、冬の暖房代金もわずかにしか変わらず、家に帰っても暖かいのが魅力だという、建築的な話題でスタートしたが、お正月には、親父と一緒にゴルフに行くのが楽しみで、そこでベストスコアーが出て嬉しかったという、にこやかな笑顔の一場面があった。
そんなこんなの話を社員全員がシエアーしあって、そのあと、社員だけでなく、大工さんや手伝いさんや、協力業者の方々も一緒に、清見原神社に参拝するのが、伝統で、全員が拝殿にあがって、私を含めた代表者数人が、玉串を奉奠し、最後は職方代表として、ベッショ大工が、玉串を奉奠すのが決まりで、その時に、全員が、一緒に柏手を打つ、そのパンパンという音が、乱れず響く瞬間が、なんともいえない心地良さと、身の引き締まるおもいがして、そんなのが、木村工務店の今年一年の始まりを告げる、ファンファーレのようなものなんだろう。
神聖な気分のあとに、お昼から新年会をするのも長年の伝統で、私の年頭所感の挨拶のあと、70名ほどの社員と職人さんと協力業者で杯を酌み交わし、お正月気分を一掃する。昨年からは、午後3時頃に新年会が終了したあと、会社の「加工bar」で、2次会をするようになって、お歳暮に頂戴したビールを皆でシエアーし、お正月気分と明日からの仕事のギャップをウダウダ言いながら埋めて、1月7日の早朝から、いきなり全力疾走するのが、木村工務店の伝統でもある。
そうそう、「私」のお正月後半は、長男夫婦と1歳の子供という新たな家族と、次男も一緒に、スキー旅行に出かけて、そんな、家族による旅が、奥方の、なによりもの願いだったようで、確かに旅は絆をつくるし....、ま、それはそれとして、3年ぶりにスキーをやってみると、いままでは、息子達が、斜面やコブを降りてくる姿を下から見守っている立場だったのに、兄弟二人が「私」を置いてきぼりにして、ビュンビュンと先に降りて、下で、二人が、遅いなぁ...と待っている姿を、眺めつつ、少々悔しい思いをしながら滑り降りるわけで、二人の待つところに辿り着くと、やっぱり悔しいので、そのまま休憩せず、滑り続けるものの、すぐあとから、キレキレに抜かれていき、私のズラしまくるスキー操作に、歳いったなぁ....的余裕の笑いを含めた残像を残しながら、私のすぐ横を抜き去る息子達に遭遇してしまった、スキー旅行だった。
そんなわけで、もうスキーではなく、シゴトに頑張りたいと、あらためて願うお正月で、いまいちど、皆さん、本年もよろしくお願い致します。
2017年01月01日
酉年2017年1月1日日曜日。
新年明けましておめでとうございます。
12月28日に、会社の大掃除を、社員と大工さんと手伝いさん皆で一緒にやりきったあと、打ち上げの乾杯の音頭をとり、大きく長いテーブルを一緒に囲いながら寿司を食べ酒を酌み交わし和むうちに、徐々に年末の気分になってくるわけで、最後の一本締めの音頭をとって、よ~ぉ、パン、と一緒に響く柏手の音で、今年一年を閉めると、ようやく開放感のようなものが訪れて、そんな、つかの間の開放感が年末の魅力なんだろう。
12月29日は、家庭の大掃除で、会社ほど一生懸命掃除をする気になれない、居直り型ダメ夫の立ち位置を望みつつ、なんとなく奥方のご機嫌のお伺いを立て、それなりの掃除をすると、もぉエエわ!、これぐらいで勘弁しといたるわ!的お許しを得て、ようやくプライベートな休み感が一挙に押し寄せて、開放感に浸りながら音楽を聴き本を読み出すと、主婦は31日の夜遅くまで、ず~と、一年中シゴトですからね。みたいな呟きが、音楽と同時に聞こえてきて、こうなったら、感謝以外に残された道はなく、ゴクロウサマ、アリガトウ!を年末大売り出しのごとく連呼する29日。
12月30日は、休み気分満々で、早朝から自転車に乗って、葡萄坂あがって、朝護孫子寺にお参りして、堅上から大和川をぐるっと回って家に帰りついてからお風呂に入ってすぐに、奥方と一緒に黑門市場へ向かう。朝から何も食べずに走っていたので、お腹がぺこぺこで、真っ先に、喫茶「おいで」の玉子サンドを食べに入った。同じような年代のカップルの女性が、玉子サンドを食べて、幸せやわ!幸せやわ!といって店にお礼を言いながら帰って行くお客さんの姿をみて、こんな感謝される商売をせなアカンよなっ。と年末最後の刺激をもらった。
何十年も年末の黑門に通い続けているが、ここ最近は身動き出来ないくらいの人混みになってきて、威勢の良い掛け声と共に聞こえるのは韓国語か中国語の会話で、きっと半分以上が外国人なんだろう。店舗も様変わりしてきて、店の奥で、食事ができるように改装している店がどんどん増えてきて、なので、もはや、いつもの店で鯛とか、まぐろの刺身とかを少し買うぐらいで、ほとんど買い物する気などなく、人混みに揉まれながらお店とお客さんの変化を見に行くのが楽しみの黑門。なぜか、この日だけは、人混みに揉まれるのが嬉しい「私」。
12月31日は、朝からゆっくり過ごして、同居するマゴが身近にいるので、戯れたりするだけで、楽しい気分になるのは、大晦日の気分との相乗効果なのだろう。お昼からは、小中学校の同級生が新深江で営む「げんこつ」という、有名人もお忍びでやってくる居酒屋があって、お正月の食材を段取りしてくれるというので、おすすめに従って注文した河豚と牛肉とイベリコ豚を取りに寄る。抜群の食材を取り寄せてくれるお陰で、今年からは、黑門や鶴橋は、年末の気分を味わいにいくだけの、ちょっとした余裕がうまれた。
30日から長男の友達家族が沢山やってきて、加工場がクラブ化し、飲んだり食べたりしている状況で、この31日もそのまま二日間居着いてる友人達もいて、若い人たちが、楽しむ姿を嬉しく思える年齢になってきたので、間接的だが、そんな「場」を提供できたコトが喜びになった大晦日だった。録画した真田丸の総集編を見て、紅白を見て、行く年来る年を見て、新年がやってくるという。いたってオーソドックスな年末年始だった。
2017年1月1日日曜日。未だにリフォーム工事中で、いつ完成するのかめどがつかない母屋の減築リノベーションだが、ほぼそのままの姿で残す数寄屋の和室だけは健在で、壁は補修中だが、例年通り、その座敷を使って、家族で、お屠蘇をした。木村家のひとびとの移り変わりを見守り続けている、その和室とお正月のお屠蘇は、いわば、メンバーが入れ替わり、今年からは若い出場メンバーが中心になった、ちょっとぎこちない紅白のようで、そんな日本の歌を見守り続けているNHKホールでの紅白歌合戦のようなものなんだろう。
元旦は、うちで施工をした地元の清見原神社にお参りに行くのが、なんとなくの習わしで、ここ3年ほどは、家族一緒に拝殿の中で、ご祈祷してもらい、玉串を奉納するコトが、ちょっとした気分で、冒頭はそのワンシーン。宮司さんの祝詞を奏上する、しゃきっとした背中が、気分を引き締めてくれる元日の朝で、先祖や家族や社員職人への感謝という気持ちとともに「私」も背中で語れるように精進したいと願った元旦だった。
皆さま、本年も木村工務店に変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い致します。
« 2016年12月 | メイン | 2017年02月 »