2013年01月13日
恵み
お正月の挨拶回りや挨拶にやって来た人との賀詞交換が終わった頃に、「えべっさん」があって、若い頃は商売繁盛を願うより、お祭り気分のデートのために、何度か今宮戎にいって、そのあと食事して、なんていうパターンだった。30代40代はそんなん行って、神頼みして、どうすんねん!。みたいな、反発心もあり、あまり行かなかったが、ここ5年ほど、また「えべっさん」に行きだした。心底、商売繁盛を願う立場と年齢になってきたのだ。自分のためだけでなく、家族や木村工務店と関わるいろいろなひと達のことをおもうと、商売が繁盛しますように!と願う、素直な気持ちだけがあれば、それでエエのだ。とおもえるようになってきた。
新年の挨拶回りは、おもに、企業の所にお伺いする。1年にこのお正月の挨拶の1回だけしか会わない社長さんもいて、いまの木村工務店は住宅の新築とリフォームがメインの仕事なのだけれど、中小企業の改修工事のお手伝いをするのも大好きな仕事で、世の中の景気の変化やその時代を牽引する産業、職種、それにその会社の経営的手腕を学べて、現場の変化を肌で感じ取れるのが嬉しい。
そうそう、うちの協力会社に建材の販売をするイナバという建材商社があって、新年の挨拶には5、6人ほどで、笛と太鼓を打ち鳴らしながら、日の丸の扇子を持って、337拍子で、景気づけにやって来てくる。こちらがちょっと赤面するほど派手なのだけれど、バブルの頃は床材などの初荷をトラックに満載してやってきたものだった。ここ十年ほどは、お客様の好みが多様化し、床材の好みも千差万別で、床材を在庫することが、まったくなくなって、初荷のトラックもなくなった。
そんなこんなで、初荷はないのだけれど、若いひとたちが、「活気」という初荷を積んでやってくるのだった。かなり馬鹿げたスタイルで大きな声を出す。それ故に活気づくのだろう。丁度、2階の応接室で設計の打ち合わせをしていたお客さんは、あっけにとられて見守り、たまたま通りかかった、ご近所のくるみ保育園の園児たちも、いったいなんだこりゃぁ。というポカーンとした表情をし、保母さんが馬鹿みた~いを含む満面の笑みでお返しし、周りを取り囲む社員やお客さんも笑顔を送る。これが新春に相応しい「工務店的光景」なのだろう・・・。
新年会で正月気分をリセットし、挨拶回りで新年の心意気を示し、えべさんで商売繁盛を願っているうちに、通常の設計の打ち合わせが始まり、現場での作業も一気にトップスピードになって勢いよく進む。そういえば、この土曜日のこと、新築の木組みの家の上棟が今月後半にあって、その構造材の「木配り」のためにお施主さんと一緒に吉野へ向かう。「木配り」というのは、どこにどの木をどちらに向けて使うかを決める作業で、昔は棟梁がやっていたが、最近うちの会社では、お施主さんと設計担当と現場担当と材木屋さんと「私」が集まってあーだこーだと言いながら決める。
↑ 吉野についたら、「こばし」で焼き餅を買う。社員も楽しみに待っている。
↑ 吉野の「丸岡木材」で床の180mm幅、30mm厚の杉板を検品する。
↑ 吉野、「阪口製材」で木配り。
↑ 蔵王堂近くの「やっこ」で、柿の葉寿司とあんかけうどん。
↑ 蔵王堂はいつ見ても軒の出の持ち出しの木組みが圧巻で、ため息がでるばかり・・・
「木の家」の良さは「自然の恵み」をなんとなく肌で感じられるところがエエのだとおもう。特に吉野に行けば、吉野という風土が持つ歴史的記憶のようなものが漂っていて、阪口製材近辺は、日本で一番古い木材団地だそうで、「木」との「対話」に歴史的重みを感じさせる。山と川。自然の恵みからできた素朴で美味しい食べ物。自然の恵みの木を何代か先の人たちと山や川や海や自然のために育て、住まいを潤す。そういえば、この木のこちら側が「いの一番」ね。という番付をしたのだ。「木配り」が「気配り」になったそうな。自然の「恵み」に感謝できる今年となりますように。なんだか吉野に行くとこんな気持ちになった・・・・。
投稿者 木村貴一 : 2013年01月13日 23:59 « 水蒸気 | メイン | 風土と変化 »