« 2016年07月 | メイン | 2016年09月 »
2016年08月28日
工務店の流しソーメン
早朝、自転車に乗って、十三峠からフラワーロードを抜けて、信貴山に向かうと、それとなく秋の気配を感じて、ようやく、この、特別に蒸し暑い夏が終わるのかと、ふと思えて、すると、何となく足取りも軽やかになり、ペダルも軽快に廻わる感じがし、アップダウンを楽しめる気分にもなって、信貴山に着くと、少し自転車を手で押して、朝護孫子寺を参拝し、朝の誰もいない境内にひとり佇んで、鐘をゴーンと鳴らして、手を合わすと、清清しい気分にもなって、やっぱり、人間って、かなり、気分に左右されるわけですな...。
45kmほど自転車を漕いで、汗だくで家に帰り着くと、午前9時で、お風呂が沸くまで15分ほど静かに座って待っていると、心の静けさもやってきて、そんな時に、熱いお風呂に入った瞬間、あっ~気・持・ち・エエ~なんて、想わず声を出してしまうと、ふと我に返って、自分のおじさん度を実感し、ひとり苦笑いなどもして、そんなこんなのうちに、午前10時なり、そうそう、今日は「まちのえんがわ」で「流しソーメン」をする日で、それで、加工場に出向いて、ほとんど、前日にスタッフが準備をしてくれていたが、前日の夜に上棟式があって、準備が出来きれなかった、扇風機など、準備作業をしているうちに、オープン時間になった。
流しソーメンを始めた最初の年は、まっ、試しに、一回ぐらいは、やってみよかぁっ!ていう程度だったが、やってみると、意外に面白く、子供達がとっても喜ぶ姿に接し、いや、大人だって、結構楽しめたりするわけで、すると、工務店としては、どんな流しソーメン台を造るかに、面白さを見出したりしながら、一直線の流しソーメンが、コの字型の流しソーメンに進化し、皆で囲みながら食べるソーメンは、それなりに楽しく、ところが、その連結部分に水漏れやソーメンの詰まりが発生し、今年はそれを解消すべく、うちのトミマス部長とシノダくんとベッショ大工が工夫し、ナンバくんとトンちゃんが道具を揃えたりしながら、お風呂の柄のついた木のお湯掛けとペットボトルの口を組み合わせた連結部分を完成させ、それを見て、皆で、微笑んだりしながら、自己満足し、褒め合うのが、工務店としての、ものづくりの面白さなんだとおもう。
毎年、少しずつ口コミで、ひとが増えてきて、今年もそこそこのひとで溢れかえり、蒸し暑さも相まって、扇風機では到底おぼつかないほど暑くて、参加された方々には申し訳なかったが、皆さんの笑顔を見られるのは嬉しいかぎりで、ところが、毎年盛り上がるスイカ割りでは、その歓声が響き過ぎて、近隣にご迷惑をおかけした様子で、こういうところに、イベント事の難しさがあると、反省したりする。
自転車のコースも流しソーメンも流れとともにぐるぐる回ったりするのが面白かったりするのだけれど、そうそう、木村工務店では、現場監督を募集していて、工務店としてのものづくりを探求しながら一緒に働きたい方を募集しております。是非ご一緒に働きましょう!
2016年08月21日
熱帯夜
お盆に、八ヶ岳で宿泊し、大阪に戻ってみると、むちゃくちゃに大阪が蒸し暑いことにあらためて驚き、夜になっても蒸し暑いままで、八ヶ岳は避暑地であるから当然涼しいわけで、それにしても、その前日に宿泊した東京の夜の方が、大阪の夜より断然過ごしやすく、夜にブラブラする気にもなったが、大阪に戻り、夜になっても、クーラのかかった部屋から一歩外に出ると、ムッとした空気が身体を包み、まるでサウナの扉を開けた瞬間のような感覚で、夜でもブラブラする気に到底なれず、でも、なんとなく、そんなのが当たり前で、慣れているような気がしていたが、今年はことのほか蒸し暑い気がする。
昨日の夕方は、うちの会社に、偶然居合わせる事になった、建築家のイシイリョウヘイさんと建築家のハヤシケイイチさんと一緒に、近くの居酒屋のあそび菜さんにいって、あれやこれやと建築談義をしていたら、ハヤシさんが、一日のうち、神戸の自宅から、京都行って、それから、生野区の小路まで、来て、いやぁ、神戸京都大阪のなかでも、ここ小路が、一番蒸し暑いとおもいましたわ!っと云う。
それ、ほんまでっかぁ!と、ツッコミを入れるのが、当然、大阪人としての礼儀だが、それにしても、昔は、長屋が連なる街並みの路地に、西風や北風が吹いて、大阪湾から生駒山へ抜ける涼しい風が通り抜けて、そんな風を路地の地窓から取り込んだり、道端に床几を置いて、「ショウギ」っていうのは、庭や露地に置いて月見や夕涼みに使う細長い腰掛のことで、道端で夕涼みをしたりしていたが、最近は、路地はクーラーの室外機置き場となり、おそらく、今や、全ての長屋の家にクーラーがあり、それが、一斉にかかっている熱帯夜の夜は、路地に置かれた室外機から熱気が吹き出すわけで、きっと、路地という路地から熱気が道路に吹き出して、まち全体に熱風が充満しているのかもしれない....。
最近、竣工した新築住宅の堺市・F邸では、お客さんの希望もあって、断熱気密に力を注いで、少し古い断熱性能の表現だが、Q値1.3で、隙間風の性能を示すC値は0.35の住宅が完成し、最近訪問した設計担当のササオさんが、嬉しそうに「私」に報告してくれて、外気温が35度の時に、室内温度がどの部屋もほぼ均質に28度で、家に入ったとたんに、凄く心地良い感じで、それも10畳用のクーラー一台で、2階も含めて、45坪ほどのほぼ全ての部屋が涼しく、たまに2階の6畳用のクーラーを補助に動かす程度だそうです。と報告してくれた。
ちなみに、その住宅は、屋根断熱で、60mmのQ1ボードに100mmのグラスウールを付加断熱していて、やはり、天井断熱より屋根断熱のほうが、夏の事を考えると圧倒的に良さそうに体感するわけで、壁は120mmのグラスウールに気密シートと、床は100mmのポリスチレンホームの通常の床断熱で、ササキ大工がC値が0.5以下になるように挑戦しますから!というコトバ通り、建物の隙間風を少なくした事が、どれだけ、快適性に貢献しているかを判断しにくいが、それでも、室内と室外の温度差が大きくなればなるほど、C値の低い家は、冷房や暖房の効率が良くなるだけでなく、心地良い温熱環境を体感できる。
それに、今回は、遮熱を考慮して、2階の窓には遮熱スクリーンを取り付けたり、1階の南面の大開口部には、スクリーンタイプの電動シャッターも取り付けて、葦簀に替わる現代的なチョイスで、夏の暑さを凌いでいたりする。そうそう、第三種換気で、自然吸気と機械排気により、家全体が、ゆるやかに空気が循環しているのも、温度ムラが少ない家の要因だとおもう。断熱や気密や換気された住宅が、冬だけでなく、大阪のような蒸し暑い夏に、どのような快適性を生み出すようになるのかも、問われているのだろう。
少しだけ誤解があるのは、気密住宅というのは、決して、風通しの悪い家ではなく、C値の低い家の方が、窓と窓を開けると、風がすぅーっと抜ける心地良い家になることを、工事中でも体感出来たりするわけで、確かに気密が高いので、家の換気に気を使う事が必要になり、それに、断熱か効きすぎると、暑い夏は、人の熱気で、熱も閉じ込めてしまいがちで、やはり、外気温が、28度から30度以上になると、クーラーを入れるのが、断熱の高い家の効率と居心地の良い快適性で、密集市街地では、クーラーをかけない自然通気だけで過ごせる家になりにくいのは、温暖化の影響なのかもしれない。
なんていう話もイシイさんやハヤシさんとしていたのだけれど、そういえば、昨年のお盆にイタリアのカルカータやサンチミジアーノなど山岳都市を旅した話をしていたら、あのイシイオサムさんも、40代にイタリアに3ヶ月ほど滞在して、いくつかの山岳都市を気に入って、旅していたらしく、そうそう、以前からなんとなく、ミヤザキハヤオさんの醸し出す建築の感覚とイシイオサムさんの建築の感覚に似た空気感を感じていて、それは、どちらも、カルカータなどのイタリアの山岳都市からインスピレーションを得て、それを自分流に再創造していたからかもしれない...。
などと、とっても蒸し暑い大阪の生野区の小路で、ゆずのソーダ割を飲みながらイタリアの山岳都市を想像したりして、あれやこれやと建築談義をした、とっても楽しい熱帯夜だった。
2016年08月14日
お盆と早朝と東京。
今年のお盆休暇は、11日が、山の日という祝日になって、11日から16日までの夏の大型連休が、違和感のない雰囲気になってきて、それはそれで、これだけ暑い夏になってくると、良さそうに思うし、特に、異常に暑い日に働く職人さんの仕事の効率や身体の事を考慮すると、それぐらいの長い休暇も良さそうにおもうのだけれど、ただ、一般的な給料制でない職人さんの多くは、一日の仕事量に収入が左右されるわけで、休暇が長いと、一ヶ月の収入が減る傾向にあり、それはそれで問題だったりする。
13日から16日が一般的なお盆だが、木村工務店では、昔から習慣的に、13日から17日の5日間をお盆休暇としていて、17日の1日だけ多い夏休みが、ボーナスのような感じがして、そんな事を考慮すると11日から17日の7日間の長期休暇を頂戴することになって、現場によっては、12日や16日や17日に仕事をする現場もあるが、少し多い目の休暇で、リフレッシュするのも必要なことだとおもう。
さて、「私」は、母の初盆もあり、7日間を使い切るような旅はせず、大阪3日、東京2日、八ヶ岳2日と、数日間ずつ細切れに居場所を変える予定で、ほぼ家でしか書いた事のないこのブログは、いま、東京の次男の6畳の下宿に奥方と一緒に3人で寝泊まりして、クッションにもたれ掛かりながら書いている状況で、もちろん、よくあるあるとして、親父としての余計な一言二言で、次男と気まずい関係になったりもしながらの居候な東京宿泊だったりする。
そうそう、早朝は、自転車に乗って、代々木から表参道の坂を登って、乃木坂、六本木、東京タワーと増上寺から築地まで走って、たまたま築地の中に自転車で立ち寄ると、朝7時過ぎなのに、こんなに沢山の観光客がいて、朝から海鮮丼を食べていたりする勢いに驚いて、本来ならパンの美味しいお洒落なカフェでモーニングの予定が、海鮮丼を食べるベタベタな大阪の親子3人の姿になった東京の朝だった。
それにしても早朝に、代々木公園の車もほとんど通らない道路越しに、自転車のサドルに座った状況からう見る丹下さんの代々木体育館が、以外に小じんまりして、爽やかな印象を持った事や、車も人もガラガラの状況で見る植栽とファッションビルが関係しあう朝の表参道の上り坂の印象が心地良く、もう一度この時間に行ってみたい気にさせる雰囲気で、その後通過した六本木の早朝は、朝帰りの外国人が路上に溢れかえって、妙な活気があって、それはそれで、健康的もエエけど不健康的もエエよなぁ...って感じで、ちょっと羨ましくおもいながら通過したりし、東京タワーに行ったのは小学生の時に連れられて以来の事だと想い出しながら、初めての増上寺と東京タワーをサドルに腰掛けて、下から見上げてみたりする東京の朝だった。
そんなこんなで、皆さん、素敵なお盆休暇を....!
2016年08月07日
旅的
「尾道空き家再生プロジェクト」を生野区のメンバー5人と車の日帰りで見学に行くことになって、予約が取れたのが午後2時で、それで、それまでの時間をどうするかを相談して、朝6時、「まちのえんがわ」を出発し、鞆の浦(とものうら)に向かうことになった。なんとなく、機会があれば、行ってみたい町だったが、どうしても行きたい訳でもなく、ま、それぐらいの関心度が「旅的」として、丁度良いわけで、前の夜にインターネットで調べて、Evernote にスクラップした程度の期待度で、午前9時過ぎに鞆の浦に到着した。
朝食がてら、宮崎駿がお気に入りだというパン屋さんに行くことにして、市営駐車場から歩き出すと、鞆の浦のランドマークの常夜灯が小さな漁港越しに集落とともに見えて、港町ののどかな光景と、海と港と集落とのごく近しい関係性と、何となく醸し出される時間感覚に、いきなりすぅーっと引き込まれて、これからどんどん暑くなりそうな真夏の太陽の光に照らされながら、誰もが、ちょっとしたハッピーな気持ちに包まれた。
まちで出会ったひとの話によると、道端で女子高生に語りかける地元のおっちゃんから漏れ聞こえる語りや、喫茶店のママや、食堂のおばちゃんなどの話なんだけれど、スタジオジブリの社員旅行で、鞆の浦に宿泊した宮崎駿が、まちを気に入って、連泊し、その後、別荘を借りて3ヶ月ほど宿泊して、崖の上のポニョの構想を練ったとの事で、宮崎さん、この店の前の道を毎日ひとりで歩きよったんよ。と食堂のおばちゃんはちょっと自慢げに話をし、もはや歴史的スターの坂本龍馬より、宮崎駿のほうが圧倒的なまちのスターで、崖の上のポニョのモデルはどこか明らかにされていないけど、アニメのあるシーンを鞆のひとが見たら、これ、鞆の光景やと誰でもわかるけん。と嬉しそうに語る。
常夜灯で記念撮影して、村上製パンまで、とことこ歩いて、あんパンとかメロンパンとか揚げパンとか買って、牛乳飲んで、歩きながらやったり、堤防に座ったりしながら朝食のパンを食べて、また町歩きして、歩くだけで、汗びっしょりになる暑さで、ま、生野区空き家探しのモデルになっているハシヅメくん以外は建築関係者なので、まちを歩いて、建築を見て回るだけで、歓びが込み上げてくる建築好きメンバーで、汗かいても、まち歩きが楽しいのだけれど、それでも流石に、暑すぎて、喫茶店で休憩することにした。
珈琲を飲みながら喫茶店のママに、どこを見学したら良いのかと聞くと、とにかく、眺めがエエ対潮楼をお勧めするのと、民俗資料館から見る港町全体の景色なんかも...と勧めてくれた。ついでに、どこで昼食を食べるのが良いのかと聞くと、鯛飯が有名やけど、水曜日で休みの店が多く、それに地元のひとは鯛を食べんけん。小魚とか刺身とかが有名やから...というので、それどこで食べれられるんですか...と尋ねると、この道行って、左に曲がったところにある「おてび」。芸能人とか地元のひとも行くけん。
そんなこんなで、民俗資料館から景色を眺めて、穏やか海と瀬戸内海の島々と小さな港と長屋の屋根が密集している町屋の光景が視覚の中に収まるワンシーンを見ていると、やっぱり宮崎駿がお気に入りだったときくイタリアの山岳都市のカルカータの町を訪れた時の事を想い出したりし、おてびで小魚の定食を食べながら、火野正平さんは時代劇でも来て、自転車でも来て、プライベートでも寄ってくれて...なんていう飾られた沢山の芸能人の写真を眺めながら、まちの世間話をし、対潮楼での日本的な海と島の景色を見て、癒やされたりもした鞆の浦だった。
尾道までの道中に、今ちょっと話題で人気のベラビスタ尾道というリゾート施設に立ち寄って、リボンチャペルとエレテギアというレストランを見学するのも旅的で、昔からある宿泊施設をリノベーションし、チャペルとレストランとプールを新設したらしく、山でなく、日本的な海をモチーフとした、瀬戸内の穏やかな海のリゾート施設と近くの鞆の浦や尾道の海と近しい歴史的な街並みとの組み合わせに新鮮さがあるのだとおもう。
午後2時丁度に「尾道空き家再生プロジェクト」の拠点に到着して、専務理事のニッタさんに、あれやこれやと質問し、お話をお聞きし、2軒のリノベーションを案内してもらい、その後ロープウェイで展望台まで登って、その下にある、本格的に大工でリノベーションされたゲストハウスを見学して、それから猫の小道を下った。夕方になったので、お好み焼き屋さんを探して、尾道の商店街を歩くと、生憎の定休日で、ほとんどのお店がお休みで、仕方なくウロウロと彷徨っているうちに、もう一軒の、ワークショップ的にリノベーションされたゲストハウスに辿り着いて、偶然居合わせた、ニッタさんに案内してもらう事になった。ならば、旅的の締めは、夕食にありつくために、この日この時間に空いている、尾道焼きのお好み焼き屋さんを紹介してもらう事で、砂ずりとイカ天とそばが入ったお好み焼きで満腹になり、建築的にも満腹状態の脳内の印象を落ち着かせ定着させるためにも高速道路を飛ばしながら大阪に向かった。
肝心の空き家の話が少ないブログになってしまったが、鞆の浦でも、尾道でも、生野区でも、空き家の問題解決の模索と設計と施工と完成が胎動し始めていて、どうも、持ち主と借り手と設計と施工と不動産屋さんの間に入って、潤滑油になれる、建築的センスとコンテンツのある集団が求められていてるような気がした、旅的尾道空き家ツアーだった。
« 2016年07月 | メイン | 2016年09月 »