2015年12月20日
ピザ笑顔
長男に男子が誕生し、「孫」と呼ばれる生命体と遭遇して、月並みに「カワイイ」というコトバを発した事が、今週の大きな出来事で、フェースブックに孫を抱く私の写真を載せると、多くの方々の祝福を頂戴して、そんなのが、いまという時代性なのだろうが、それは、3月の「私」が誕生した日の一週間後の大相撲の大阪場所で、栃錦という横綱が優勝し、私の祖父が、病院から私をこっそりと連れ出して、その横綱に抱かれている「記念写真」があって、その写真を額に入れて私の子供部屋に飾っていたのが母で、そんなのが記憶のどこかに定着してあり、きっとその潜在意識のようなものが、こんな行動に駆り立てたのだとおもう。
祖父のように喜びを素直に単純に表現出来るのは、ある意味、大したものだな。とおもうのだけれど、父は、そのような素直な表現がわりと苦手なタイプだったし、私も、周囲から「じいじ」として祝福されると、なんだか照れる感じがして、嬉しいのだろうが、微妙な戸惑いがあって、ま、辛うじてフェースブック的な表現手段とこのブログに頼ることで、なんとか表現しているのだろう。
朝8時頃、長男の奥さんが陣痛になって、急いで病院に行く姿を、自宅の庭の掃除中に確認して、無事を祈って送り出すと、そのまま8時30分頃から、うちの家のリフォーム工事の断熱材の件で、北海道キムラのサトウさんと現場で打ち合わせをしていたら、9時過ぎに携帯電話に無事に誕生したというメッセージが飛び込んで来て、そのあまりにも早い速攻に驚きと喜びと安堵が同居しながら、ちょうど、長男が生まれた時は、私は、帝塚山で住宅の設計と現場監督として、現場の作業中で、午前8時30分頃に急に呼び出されて、それでそのまま軽トラックに乗って病院に駆けつけて、同伴分娩をして、午前10時過ぎに回転しながら出てくる生命体を見た後、暫くしてまた現場に戻った、そんな記憶が蘇った。
それはそれとして、本日は、「まちのえんがわ」では、ピザ釜でビザを作るワークショップで、3年前に蓄熱暖房も兼ねて、ピザ釜を作ろう!といい出すと、うちのトミマスくんが、インターネット等で調べながら設計施工して、ピザ釜を製作してくれて、これがなかなか効率が良く、美味しく焼けるピザ釜で、なのに、そのわりには、活動率が低かったが、料理ワークショップを担当してくれているあそび菜マスターのイワオさんが、生地とソースから作ってピザ釜で焼く料理ワークショップの提案があって、それが、今まで以上に良い料理ワークショップになった。
↑2012年 製作途中のピザ釜
↑ イワオさんのレクチャーでワークショップ開始
↑ ピザのソースとパン生地を皆で一緒に作る
↑ ピザ生地が発酵するまでの1時間30分を隣の人間国宝でもあるイワオさんのLIVEで楽しむ。参加した子供達がカスタネットやシンバルを持ってバックバンドをやってくれて、カワイイ!が会場内に。
↑生地の発酵に喚起する。
↑ 発酵したピザ生地を伸ばしてソースをつける。
↑ いよいよソースを塗った生地をピザ釜へ入れて、焦げないように回転させながらエエ色具合で完成!
↑ ピザが焼けた喜び。
↑ ピザを切り分ける喜び。
↑ ピザ笑顔!
なによりも沢山のピザ笑顔が誕生したことが嬉しかったのだけれど、ピザ生地発酵待ちコンサートで、カワイイ少年少女バックバンドをしゃがんで眺める私の姿を見て、「すっかりじいじのシャチョウ。笑」と、いじられるフェースブック投稿があり、また、このブログを書く背後では、長男の奥さんのお母さんと妹さんが、東北から赤ちゃんを見に来て、嬉しそうにしている姿もあって、ま、そんなこんなで、数々の喜ぶエネルギーにあと押しされて、「じいじ」としての人生もトライしてみようかとおもう。
投稿者 木村貴一 : 2015年12月20日 23:59 « 未年な一年。 | メイン | 風邪の心象 »