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2015年03月29日

足長おじさん

土曜日の朝は、まだ蕾みだった庭の桜が、夜になると3分咲きになって、桜の足下あたりにあるミニスイセンもあちらこちらで黄色い花を咲かせて、紫色のベロニカも小さく咲き、白のローゼンタイムも開花して、ピンクやイエローやパープルやホワイトの色とりどりが、春がやって来た事を告げてくれて、いやそれが、桜の木の周辺にお花畑を私自身が作ろうと思ったわけではなく、2015-03-30 07.48.59というより、ほとんど興味がなかったが、父と母が望んだお花畑で、不在になった父母に成り代わって、この一年間そのお花畑の世話をしてみて、もちろん自ら植えたわけでなく、ガーデニングのタマンサリのヤマダさんに依頼して、それで、初めての春を迎えると、そのちょっとしたお花畑の彩りが、気分をとっても軽やかにしてくれるわけで、この複雑で微妙な感覚をどのように説明したら良いものか…。

朝から生憎の雨の日曜日となり、「まちのえんがわ」ワークショップは、ステンドグラス作家の田中共子さんによるステンドグラスのサンキャッチャーを製作するワークショップで、募集早々に15名の定員が直ぐにいっぱいになって、窓ガラスの近くに、自から製作したステンドグラスのサンキャッチャーを吊すことで、色とりどりの硝子の光と影を楽しむワークショップで、降り続く雨音が響く加工場で、ほとんどが女性の参加者だったが、ものづくりに黙々と集中する独特の静けさが、加工場に心地良い空気を溢れ出させてくれて、そんなエエ時間を共有できたコトに、こちらが参加者に感謝したいくらいだった。

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DSC09940ワークショップ中は、川田珈琲店の出張もあり、ちなみにカワタさんはうちでリフォーム工事をしたお施主さんでもあるのだけれど、商売度外視のエエ豆をドリップで一杯一杯丁寧に珈琲を煎れるてくれて、ものづくりに集中する独特の静けさの中に、道具と材料が触れ合う心地よい音が響いて、クリエーティブな空気感のなかで、そんな美味しい珈琲を飲みながら、ワークショップの参加者の方々や、ワークショップを見学にくる何人もの人たちもいて、そんな皆さんと一緒に、あれやこれやとコミュニケーションをするのが、とっても楽しいひと時で、このブログを読んでる皆さんも、よろしければ、ワークショップカフェに遊びに来ませんか…。

サンキャッチャーの製作には思いのほか時間がかかって、夕方の5時頃をすぎて、ようやく最初の完成者が出来て、ところが、その頃になると雨も止んで、まんまるな夕日が、西の大阪湾の方角に沈んでいて、それで、その夕日をサンキャッチャーした完成記念写真を撮るコトにしたののだけれど、日没に間に合わないひとも続出し、それでも皆さんが一緒に4・5時間ほど集中して製作したその甲斐あって、丁度、南東の空に月の光が道を照らしていて、そこで急遽ムーンキャッチャーとして完成記念写真を撮ることにした…。

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そうそう、土曜日の夕方に「まちのえんがわ」の前の道に佇むと、丸くて赤くて大きな夕日が、私の足をこんなに長~く伸ばしてくれて、きっと、春がやってきた気分を助長してくれたのだとおもう…。

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2015年03月22日

フクロウとお彼岸

フクロウを見に来ませんか。と誘われて、それはある日の事、「まちのえんがわ」にフラリとお越しになったTさんが、小路在住で、家で宝石デザインの仕事をされていて、60歳近くに大阪府南河内郡河南町の標高250mほどの集落の古民家を購入されて、自分でリフォームしながら、別荘のように使って、そこにフクロウを飼っているのだそうで、あれやこれやと、縁側話をしているうちに、「まちのえんがわ」の横の加工場で、一日だけの「フクロウカフェ」でもやってみましょうか…と、な~んとなくの話題になった。

その日が今日の日曜日で、昨日のお彼岸の祭日は、久しぶりに良い日和だったが、お昼から来客があり、その打ち合わせが終わって、その古民家をグーグルマップで調べているうちに、明日も良いお天気で、それなら自転車で、サイクリングがてらお伺いしようかという気分になった。丁度その時、社員のシノダくんが、祭日出勤の現場から帰ってきて、机で事務作業をしていた。彼はピストサイクルで通勤していて、いつか一緒に、自転車で葡萄坂登りましょうよ。という事になっていたので、フクロウと古民家を見に富田林の方までどう?と誘うと、軽やかな行きますわ!という返事がきた。

昨日の祭日の朝は、天気も良く、打ち合わせまで少し時間があったので、自転車で柏原の葡萄坂を上がって、信貴山朝護孫子寺と龍田大社を参拝して、三郷のカフェフェンチーナでひとりモーニングをしたのが、潜在意識のどこかに、引っかかっていたのだろうが、小路在住で「まちのえんがわ」に遊びに来てくれていたヨネクラくんと、1ヶ月に2度ほど、先ほどのコースで、一緒にモーニングをしながら、あれやこれやの四方山話をするのを日曜日の楽しみにしていたが、その彼が、和歌山県熊野の下里に移住して、「compi コンピ」というセレクトショップを開業することになり、その店舗内装のアドバイスに何人かで熊野旅をした時のメンバーに、シノダくんが、ヨネクラくんの友達として、参加していた。その時が初対面で、もちろん現場監督をしていることも知らずに、一緒に遊んだのが縁で、それが、いろいろな経過の末、今年、うちの社員となったのだ…。そうそう、その旅の時に、自転車で一緒に行きましょうよ。という事になっていた。

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朝の7時に「まちのえんがわ」に集合して、久宝寺緑地を通過し、八尾の寺内町を抜けて、長瀬川沿いに南下し、大和川から石川のサイクリングロードを進む。臥龍橋から竹之内街道を進むつもりが、そのまま石川沿いを進んでしまって、河南橋から東に向かうことにすると、聖徳太子御陵のある叡福寺の前に出たので、この道間違いを生かして、ついでに参拝する事にした。横穴の古墳の前に、檜皮葺の唐屋根とその後ろに瓦の切り妻屋根が2段にドッキングしているのが、とっても不思議なデザインで、振り返ると、朝8時半の誰もいない静寂の境内越しに葛城山と金剛山と穏やかな青空が見えて、一気に気分が良くなった。
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竹ノ内街道の集落の中をぐねぐねしながらすり抜けて、太子カントリー沿いの道をアップダウンし、そうそう、途中上り坂で、ローディーに抜かれて、そのひとが、シノダくんがピストで走ってる姿を見て、追い越しながら、ピストで登ってるんですか、変態ですね!と声援を送りながら軽やかに抜き去っていった…。ちなみにピストサイクルとは変速機のない自転車のこと。平石トンネルを抜けて、登り坂をくねくね漕いで、河南町持尾の集落の坂に汗を流しながら、ふぅふぅいって登ってると、民家からフクロウTさんの声が聞こえてきて、ようやく到着したことを知って、ほっとするのだった。

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古民家を10年近くかけて、自分でコツコツリフォームしたそうで、デザイナーでもあるのだろうが、センス良くまとまっていて、こういう「味」はプロには出せないセンスで、好感のもてるリフォームで感心したのだけれど、そうそう、フクロウは、その特徴的な目と首の動きや仕草とその姿形に独特の静かなムードがあって不思議な気分にさせる鳥だとおもう。で、話を聞くと、羽音を鳴らさずに静かに獲物を捕るらしく、羽に風を整流するノコギリ状のギザギザが細やかにあって、その構造と形態を模倣し、新幹線のパンタグラフに応用して、高速で走る新幹線の騒音を解消しているらしい。

車で5分ぐらいのところに安藤忠雄さん設計による近つ飛鳥博物館があって、そこの地下でTさんによるフクロウの写真展を開催中だというので、車で送ってもらって、一緒に見学することになった。そのついでに博物館も見学することにし、周辺の古墳群も散策したが、そういえば、これで二度目で、完成した数年後に、丹沢の山小屋の主人が、大阪に遊びに来た時に、まだ小さかった長男を連れて家族で行って以来だった。ちなみに、その山小屋の主人も、かつては、青梅街道の終点にある集落の民家を借りて、リフォームして住んでいて、そこで初めて出会った時のことを、なんとなくシンクロさせながら想い出した。

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IMG_7047その持尾の集落の近くに、西行が没した弘川寺があり、一度は訪れたいと思っていたので、自転車でアップダウンしながら到着し、西行の墓を見学して、晩年に過ごした庵のあった周辺環境の空気感に触れてみた。桜の開花までは、今暫く時間がかかりそうだが、桜を日本人の心の花にしたのは西行らしい…。それにしても、聖徳太子の御陵にはじまり、推古天皇の墓の横を通り、近つ飛鳥の古墳群を眺め、西行のお墓を見るという、ちょっと陽気なお墓巡りになったのは、フクロウとお彼岸が招いたフォースなのかね…。

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2015年03月15日

オモシロイ現象

住宅相談会の日曜日だったが、午前中に地鎮祭があって、それは施主の方が、あるひとに、良き日をお尋ねすると、今日の日曜日が良い日だと云われて、それで、うちの会社と同じ地元の方なので、いつもお世話になっている清見原神社の宮司さんが、地鎮の儀を執り行いにやってきたのだけれど、なんでも、この地で、ものづくりをされているのだが、あるひとの進言もあって、ここ数年、地元の氏神さんを大切にして、お参りをするようになったそうで、氏神さまを大切にするとか、さまざまな物事の「良き日」というものをどのように決めるのかとか、そんなのが、それぞれの人生や商売のメンタリティーに、それなりの影響を及ぼすのが、不思議でオモシロイ現象だなぁ…とおもう。

午後からのAさんは、ご夫妻とベビーカーに乗せたお子さんを連れてお越しになって、以前にリフォーム工事をしたAOさんのご友人で、土地を探して新築するか、中古住宅を探してリフォームするのか、のご相談で、うちの設計のタナカくんと共に日住サービスのナリタさんにも参加してもらいながら、あれやこれやとお話をしたのだけれど、ご主人の実家がある守口か、奥さんの実家のある吹田をご希望で、もちろん、予算と希望の土地の価格とのバランスが、新築かリフォームを決めるわけで、ま、それはそれとして、ほとんどが、奥さんの実家の方角に吸い寄せられて行くのが、オモシロイ現象なんですよねぇ…と、一緒に笑い会いながらのコミュニケーションがはずんだ。

午後3時からのBさんは、ご夫妻とまだ小さなお嬢さんと一緒にお越しになって、現在お住まいの住宅の全面リフォーム工事をご希望で、それはご主人の祖父の家だったそうで、最近は、若い世代が祖父母や両親の家を受け継いで、リフォームするコトに、ほとんど違和感がなくなってきたのが、オモシロイ現象で、スクラップアンドビルドだけでない、受け継ぎリノベーションする、そんな考え方が普通になってきたのだろうが、その背景には、ビフォーアフターのように、新築に引けをとらないデザインや空間性をもった家が、実例として見ることができるようになったのが大きいのだとおもうけれど、家の耐久性を向上させる耐震技術が一般化されたコトや、暮らしを向上させる高断熱高気密の技術の一般化が、陰の立て役者だとおもう。

AさんもBさんも断熱の入った暖かい家にして下さい。と異口同音なご要望があって、もちろん今が、寒い季節だからそうなのだろうが、断熱に関して、はっきりとした意見が出るようになってきたのは、ここ数年のオモシロイ現象で、そのご要望に答えるべく、北海道に高断熱高気密住宅を体感しにいったり、ごく最近では、打ち合わせのための応接室に、プロジェクターを設置して、国土交通省補助事業の住宅省エネルギー技術の講習テキストを引用したパワーポイントを作って、断熱住宅を説明をするようにしていて、インターネットによる情報化社会の中で、工務店は、さまざまな現象を理解して、説明できるスキルを求められているのだと、ひしひしと感じるのだけれど、いや、それが、なかなか、タイヘン。

昨日の土曜日は、午前中は西宮でお引き渡しがあって、最後まで参加出来ず、途中でおいとましたのは、午後1時から生野区役所のサポートによって、「まちのえんがわ」主催で、「生野区ものづくり百景ツアー」というのを開催して、理容鋏を手作りで製作して黄綬褒章も受章しておられる「濵口鋏製作所」さんと、関西の超有名お好み焼き店やたこ焼き屋さんの鉄板とガス器具を製作している「有限会社旭進ガス機製作所」さんと、へら絞り加工といって、アルミのバケツとか照明器具の傘などのように一枚の平板をロクロで回転させながら立体手加工する「吉持製作所」さんにツアーをし、ツアーの締めは、町工場のソケット工場をBarにしたソケットさんで懇親した。 当日の写真はこちら

11名の参加者は、実際にものづくりをしている男性や、ものづくりの好きな主婦や学生や生野区で起業したい男性など、さまざまで、それなりに喜んで頂けたようで、ほっとしているのだけれど、なによりも、いずれの工場(こうば)も長屋の中にあって、その技術の世界では有名で、地元以外の全国各地からの依頼があるのも特徴で、それよりも、狭い長屋の町工場の中で、道具を使いやすいように工夫して配置し、さまざまな道具も自分たちで作って、手作業をしているのが、共通していることで、機械を別の場所に持っていくと同じような製品が出来ないような、職人さんに馴染んだ道具と作業場になっているのがオモシロイ現象で、そういう町工場(まちこうば)が格好エエのだなぁ…。

村松禎治郎著の「大工道具の歴史」に、「材料と対話し、それをものにするための、対話の通訳者になってくれるのが、道具である」という一文があって、それが「まちのえんがわ」ワークショップのモチーフになっていて、ワークショップでは、材料とのコミュニケーションを楽しむコトに焦点をあわしているのだけれど、プロフェッショナルな世界は、材料との「繊細」な対話をするために、独自の道具を作って、その通訳者としての道具をいかに上手に使いこなすかが、もっとも重要なコトで、年月をかけて技術を習得するための「辛抱」が必要だと、どの製作所でも異口同音に語ってくれて、そんな雰囲気を体感できるのが、生野区の「まちこうば」だとおもう…。

そんな「まちこうば」で、職人さんのオーラに触れると、まだまだもっと辛抱と工夫をして、ものづくりをせんとアカンなぁ…と、クリエーティブなメンタリティーに多大な影響を及ぼされるのが、もっともオモシロイ現象なのかもしれない。

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2015年03月08日

「まちのありよう」

前日から降り続いた雨がやんで、どんよりとした日曜日の朝だったが、自転車に乗って司馬遼太郎記念館の前を通ると、植木鉢にたくさんの菜の花が黄色く咲いていて、どんよりたした気持ちに、春がやってくる前触れのような明るさが、残像のように心に残って、ひとりの有名な作家の好きな花に、共感したのだろうが、このあたりの通り沿いのあちらこちらに植木鉢を置いて、黄色く菜の花が咲いている、そんな「まちのありよう」が、ちょっとエエなぁ・・・とおもう。

先週は札幌に断熱住宅を体感する視察に行って、毎年の恒例になってきたのだけれど、昨年から社員を一緒に連れて、見学と慰安がてら旅することにしていて、今年は、設計のタナカくんと現場監督のトクモトくんの三人で出張した。何十年ぶりかの雪の少ない札幌のまちだそうで、例年は雪で、アスファルトの色を見ることがなかったし、車道と歩道との間にどっさりと雪が積もってあるのに、今年はほとんど雪がなく、冬のすすきのは、酔いもあるのだが、足下の雪に滑らないように、寒いなぁと言いながら注意して歩くのが風情があってええのだと、雪が「まちのありよう」をつくっていたのだと、あらためてそうおもった…。

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札幌の住宅街のなかの道に入ると、雪はいっぱいで、新しい住宅はフラットルーフが多く、断熱の玄関建具になっているので、風除室はないが、古い住宅は勾配屋根と風除室の組み合わせが多く、それに門や塀もあまりないのが、独特のまちの雰囲気で、それは大阪の「まちのありよう」と全く違って、特に木村工務店がある生野区は長屋が多いまちで、ひとがギュギュと寄り集まって住んでる感が強く、ゴミゴミしているともいえるわけで、それに冬を重きにおいてつくる札幌の住宅と春や秋の心地良さや夏の暑さを気にかけてつくる大阪の住宅との違いを感じると、気候風土が「まちのありよう」をつくるのだと、あらためて感じたりする。

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居心地の良さを建築的に表現するために、天井の高さを高くしたり低くしたり、自然素材の素材感を生かしたり、開口部をさまざまにディテールしたりするのだけれど、札幌の冬の住宅を4年連続で体感してみると、居心地の良い暖かさの「質」に拘っている事に気づくわけで、同じ暖かさでも、より心地良い暖かさが存在する事に気づかされて、ピーエスという温水暖房の工場に見学に行くと、30度以下の低温で24時間暖房することによる室内環境の心地良さを体験すると、凄いなぁとおもうわけで、それは大阪で、心地良い風が通り抜ける居心地の良い部屋をつくりたいとおもうメンタリティーと基本的には同じなんだろう。

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居心地の良い温熱環境をつくるためには、断熱材をきっちり入れて、隙間風のない家をつくる事が基本だというのが、当たり前の時代になってきて、そのうえに、どのレベルの断熱が必要なのかとか、どんな隙間のレベルで良いのかとか、どんな断熱材を使うのか良いのか、どんな暖房設備器具が良いのかが問われていて、大阪では、梅雨時のじめじめした感じや、夏の蒸し暑さへの対策の問題もあり、居心地の良い冬の温熱環境をつくるための丁度良い断熱と隙間レベルの模索と、居心地の良い夏のための日射遮蔽の模索が、まだまだ続くのだとおもう…。

「まちのえんがわ」も4年目に入り、生野区との関わりも徐々に増えてきて、生野区の「まちのありよう」が、どのようであればエエのかと一緒に考える機会だったりするわけで、長屋と町工場(まちこうば)が、「まちのありよう」を形成してきた事にあらためて気付かされて、この3月14日の土曜日は、「まちのえんがわ」ワークショップとして、はじめての町工場ツアーを開催することになって、そういえば、北海道に断熱住宅を見に行くようになったのと、「まちのえんがわ」のワークショップの開始が同じ年の2月で、潜在意識のとこかで、札幌と大阪の「まちのありよう」を比べていたのかもしれない。

そうそう、本日は、輸入壁紙ワークショップで、初めて女性だけの参加者になったワークショップでもあって、輸入壁紙でエコバックやブックカバーを作ったりコーヒーカップを巻くカバーをスリーブというそうなんだけど、そのスリーブに壁紙を貼り付けてオリジナルデザインにしたりし、持ち込みのお盆などに壁紙を貼ったりもして、それに壁紙を貼る施工体験もあり、「ものづくりの好きな層」というのが、これからどんどん増えてくれば良いとおもうのだけれど、それにしても、そういうものづくりが好きだったり、関心を持っているひとたちと一緒に、ワークショップや家造りが出来る事を願うわけで、それに、そんなひとたちと一緒に、「まちのありよう」にも関わっていけるのも、大切な事だとおもえるようになったのは、ここ最近のコトだなぁ…。

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2015年03月01日

カルチャーショック3

IMG_6806「日々是好日」というコトバが、先日の茶事の初座の床の間に飾ってあって、それが、今日の日曜日の朝から雨が降って、久しぶりに朝から自転車に乗るのを楽しみにしていたのだけれど、朝の6時過ぎに雨音を聴いているうちに、今日は次男の高校の卒業式であるのを思い出して、別に、高校生の、しかも、18歳の誕生日を迎えた、息子の卒業式典を見るつもりなど全くなかったが、いや、それはちょっとだけ、嘯(うそぶ)いていて、舞台の前で、クラス代表の答辞を読むらしく、その姿は父親として、少しは気になっていたのだが、ま、「雨」が、気分を変えてくれて、奥方と一緒に卒業式を見に行った。

久しぶりに国歌斉唱と蛍の光を歌い、仰げば尊しを聴いたのだけれど、公立の高校に通っていた「私」の高校の卒業式の時は、最も親しい友人のひとりのナンブちゃんが、卒業式の真っ最中のあるタイミングで、突然ひとりで起立して、もちろん友人の誰にもいわずに、予告もなく、立ち上がって、仰げば尊しをひとりで歌い出した。当時は、歌わないことになったいたのだけれど、それが、朝日新聞の天声人語にもなったりして…、そんな光景を思い出させてくれた。

そういえば、一週間前の土曜日の夜に、そのナンブちゃんとイナモトくんとツカモトくんの何人かで阿倍野昭和町の五源大喜で串カツを食べ、キタのバーを2軒はしごして、新地でラーメン食べて、住吉の北畠のバーまで戻って、その時に、あの卒業式の話も出て、そんなのが、潜在意識のどこかに潜んでいたのだとおもう・・・。

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18歳の若者たちが、名前を呼ばれて「はい」と返す返事に、喜びと不安と照れと反抗が微妙に入り交じったトーンがあって、舞台のような通路を、ひとりひとりが歩く姿にも、個性とともに、共通する同じようなムードがあり、それぞれの教室に戻って、ひとりづつが手渡しで卒業証書をもらい、ひとりづつがコメントを言い、笑い涙する姿を見ていると、徐々に徐々に涙を誘われるのは、歳のせいでもあるのだろが、確かに「私」にも高校生の卒業式があったのだ。そして18歳のあの時あの場所で、同じような感覚を持ちながら、同じような返事をして、同じような姿で歩いていたのだろう…。エエ雨が降ってくれたものだ。

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この学校の卒業式の最後の締めは、室長による「キリツ、レイ」生徒が一斉に「アリガトウゴザイマシタ」で締めくくったのだけれど、「夜噺の茶事」での初座の茶懐石の締めは、箸をお膳の端にかけておいて、一斉にお膳に落とす時になる音をもって、終わりの合図とするのだと教わり、その作法をやってみると、なんだか、それをやっている自分が、とっても格好良く思えるような演出で、最も印象深い作法のひとつだった。

そうそう、「千鳥の杯」の後、「湯斗」と香のものが運ばれて、それから箸を落とす作法をやって、それで終わりと思いきや、亭主が、「縁高」と呼ばれるらしい5つ重ねの重箱を持ってきて、その上に黒文字の楊枝が乗せてあって、まず正客の私から懐紙にとって、順に送っていくわけで、それを食べて、ようやく初座が終わって、その見事な「おもてなし」の演出と作法に感嘆するのだけれど、あれぇ、考えて見れば、肝心の、濃茶を飲む作法はなく、これからが茶事の本番らしく、一端、茶室から外に出て、内腰掛けに座って次の合図を持つことになり、それを「中立」と呼ぶそうだが、それにしても、茶事というものが、こんなに長時間かけてするのだと、全く知らなかった。

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庭の腰掛けで待っていると、しばらくして銅鑼(どら)の音が合図として鳴るわけで、ほんとに随所で「音」を遊ぶ演出があって、茶釜の音、炭の音、お手前の音、箸の音などなど、音で再び気分の高揚を促され、にじり口から二度目の突入を試みると、今度は、床の間は掛け軸から箒に変わっていて、それより、これだけ長時間のおもてなしの演出があって、ようやく「茶事」の本番である濃茶の一服を頂戴するお作法が始まるわけで、食事とお酒で、リラックスした心身の状態に、ビシッとした緊張感のある空気が流れて、サウナのあとの水風呂のような空気感でもあり…なんていう表現は、通俗的すぎるかね。

リラックスと緊張を伴う瞑想的な静けさのなかで、濃茶が正客の私にふるまわれ、それが、次々にのみまわされて、何かが共有されるわけで、それより、さすがに、長時間の正座で、足が痺れてくると、横に座るそれぞれも、足をごそごそし出して、それに自分の番のお茶が終わると、余計に足のしびれが強く感じる始末で、なのに、道具を拝見することも作法のひとつであり、そのうえ、もう一度薄茶を飲むおもてなしがあり、もはや修行とも呼べるわけで、もし、利休が亭主で、5人の侍の客人が招かれていたとすれば、それぞれがどんな性格の人柄なのか、一目瞭然に見破られそうな、そんなのが茶事でもあるのだと、足のしびれとともに感じるのだった…。

それはそうと、次の日に客一同のお礼を言うのも正客の作法であると、あらためて知るのだけれど、いやそれよりも、一度は亭主として客人を招いてみたいとおもうわけで、しかしながら、流石に、仮にお金があったとしても、仮に手伝ってくれる人がいたとしても、自らが修練を、しかも年月をかけて修練をつまないと、茶事としてのおもてなしができないところに茶事の奥深さを感じるわけで、ま、まずは、「日々是好日」として生きていくコトから始めてみようかとおもう。

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