2016年04月10日

だるまさん

日曜日の早朝、3週連続で、自転車で峠に登ると、山の変化は劇的で、冬の凍てつくような寂しさから、サンシュウの黄色の可愛らしい花が咲きだして、それを追うように、ピンクな桜が満開になり、その満開だった桜はハラハラと散って、枝から緑が芽吹きだし、新緑の季節へと山が移り変わろうとする姿があって、そういう「うつろい」のような感覚に、感じ入ったりするのが、日本人の心の中に、知らず知らずに刻まれているのだと、坂道を下りながら、ふとおもった。

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さて、今日は、谷口智則さんのワークショップで、今年は「だるま」に色をつけて描こうというワークショップで、「だるま」といえば、赤い色をして、祈願成就と共に、黒い目を大きく丸く描くのが通常なのだが、写真のようなさまざまな個性的な「だるま」が誕生した。

子供の頃に「だるまさんが転んだ」という遊びをしたが、大阪では「ぼんさんが屁をこいた」と言ったりもして、鬼がそのコトバを発声したあと、すぐに後ろを振り向いて、その直後に、鬼に近づこうとしている鬼以外の子供達は、一斉に静止し、呼吸をするのを止めるほどの勢いで、体の動きを全て止めるのだけれど、その静止の時に、体や顔の筋肉や心の動きが一瞬止まったあと、むずむずして動き出そうとする筋肉や心の葛藤の面白さが、体のどこかに記憶されていて、何よりも、誰かが静止できずに動き出してしまったその動作とともに、笑いが起きるその感覚が、楽しかったのだろうなぁ....。

そういう、合図とともに、いきなり動きを止めて、ストップをするというのが、瞑想のひとつの手法でもあると知ったのは、20歳を過ぎてから偶然知った事で、その時期と前後して、9年間白い壁に向かって座禅を組んで、瞑想をし続けて、悟りを開いたという、達磨大師という中国のお坊さんがいて、それが「だるま」さんの置物の起源であると本で知り、日本の禅宗では、達磨さんは祖師として敬意を持たれ、少林寺の武術とも関係しているらしいと知って、そういう「だるま」さんが、生活の中に浸透している事に、妙な面白さを感じたりした。

そういえば、最近、大阪では、「だるま」といえば2度漬け禁止の新世界の串カツ屋さんの事だし、札幌のすすきのに行くと、ジンギスカンで有名なお店の屋号で、どうも「だるま」と聞いて、すぐに置物の「だるま」さんをイメージできない世の中の雰囲気があって、なので、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんから、今度の、ワークショップは「だるま」の置物に絵を描こうとおもうのですけど....、ひとり3体作って、小さな「だるま」さんは、タニグチさんに描いてもらおうとおもうんです...と云われた時は、へぇー、そう、そうなん。ま、とりあえず、それで、やってみよか。なんていうかなりエエ加減な返事だった。

ワークショップが始まる1時間30分ほど前に、タニグチさんがやってきて、だるまの下準備をしながら、あれやこれやと話をしているうちに、達磨大師の事や、禅の十牛図の絵図を想い出した。

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禅の十牛図というのは、悟りに至る10のプロセスを書いた絵図で、確か、龍安寺で購入したが、なんでも、8番目の真っ白な図が無で、その先に9番目の『分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている。そこでは、ただ川が流れ、花が咲き、鳥が鳴き、雨が降り、風が吹き、生死があり、そして人の営みがあった』という境地や、10番目の『「さあ、酒でも飲みに行くか」童子は徒然なるままに町の歓楽街へ出かけた。身なりは貧しいが、柔和な顔で微笑んでいる童子に感化されて、町の人々は、苦しみや不快の感情が取り払われ、不思議と救われた気持ちになった』なんていう境地があるらしい。ならば、「だるま」さんに、7転び8起きする修行中の赤い姿だけでなく、9番目や10番目の酔っ払ってフラフラしている姿形を与えてあげるのも面白そうでないのかと...。

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そんなこんなで、さまざまな個性的な「だるま」さんが誕生して、こんなんで、エエのかどうか、それはそれとして、ま、何よりも、うつろいゆく「だるま」さんの姿形を創造するための「ものづくりの」時間と空間を共有した、いまとここが、楽しかったりするのだった....。

投稿者 木村貴一 : 2016年04月10日 23:59 « 「まち」 | メイン | 桜のフォース »


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