2008年08月10日
これでいいのだ
昨日の夕刻から中学校の同窓会があって、深夜まで続いたその時の熱気とざわめきが、今、こうしてブログを書いている、 その頭のどこか一部で、ゴソゴソ動き回り続けているのが、なんとも不思議だ。
50歳近くになると、そういう事が生きるエネルギーの一部になるのか・・・・。私の卒業した大阪市生野区の中学校は、 ひとクラス40名ほどの4クラスで、それもひとつの小学校から持ち上がり、ほとんど、同じ生徒が9年間一緒だった。 中学校の同窓会=小学校の同窓会だった。そして、いわゆる優等生も劣等生も男子も女子も皆が同じ仲間で、隔たりが少なかった。
それでも、そんな中にも女子のなかには、一度も会話を交わしたことがない生徒もいて、それは、何で、だったんだろ・・・・。と、 自分の当時の性格も含めて、振り返りながら、今、あらためて会話をする。
先生も一名来ていただいて、美術の先生だった。挨拶をした、ある生徒が、中学一年生の一番最初の授業で教えられた、 「12の色相」 の事を鮮明に覚えていて、「補色残像現象」 なんていう言葉も忘れずに記憶に残っている・・・・という話をすると、私も含めた多くの参加者が「そうだ」と頷いた。
建築を生業とする事になって、いつしかその図を思いだし、それを元に「色」を考えている「私」に気付くようになり、そして、 あらためて、その授業とその先生に感謝の念を抱く・・・・。
記憶に残る授業とはいったい何なのか・・・・・。と、その酒席で先生の横に座りながら、脳裏が問いかけていた。
ある女子が、私に「小学校の時に呼んでくれた誕生日会の記憶があまりにも鮮明で、良い思い出やったん。」と語る。一瞬、戸惑う私。 確かに、小学校2年生の時、クラスの全員を家によんだ。それは、誰をよんで、誰をよばないかを決めることなど出来なかったからだ。
「私は、その思い出が良かったので、毎年、今、自分の子供のために誕生日会をひらいているのぉ」「あなたも、ちゃんと、 子供のために誕生日会、開いてあげてるのぉ・・・」「あなたの、おとうさん、おかあさんが偉かったとおもうわ。感謝しぃや・・・・。」と、 諭された・・・・・・・。
そして、いま、これを書きながらも、胸に、不思議な感情が渦巻く・・・・。
今朝、日曜の朝のテレビを見ていると、ノーカットで放映された、赤塚不二夫のその葬儀での、 白紙の紙を読みながらマイクの前で語るタモリの弔辞が実に印象的だった。
同窓会の余韻があって、タモリの弔辞を見て、今までの「いろいろ」を反省しつつ、「これでいいのだ」は有り難い言葉だ。
投稿者 木村貴一 : 2008年08月10日 14:54 « お盆気分。 | メイン | 朝の滴 »