« 2013年10月 | メイン | 2013年12月 »

2013年11月24日

道を尋ねるというコト

西淀川の歌島あたりで、方向感覚を失い道に迷う。普通ならiphoneの地図を見れば良いのだが、そのiphoneを出掛ける前に、玄関に置き忘れてしまった。地図のソフトも立ち上げ、いつものようにrunkeeperで記録もとる準備をし、指先が寒いので、手袋をし、iphoneを操作すると、動かない。そうそう、つい最近までは、指先が出るタイプの手袋をしていたので、そりゃそうだと、その指先がでる手袋を取りに行って履き替えたが、やっぱ、寒いので、普通の手袋にはめ変えて、さぁ、出発と、自転車で飛び出して、大阪城のお堀の周りの紅葉が綺麗なので、写真でも撮ろうかと思った時に気がついた。

5kmほど進んだだけなので、一度戻ろうかと思ったが、ま、ええかぁ、携帯がなかったら、どうなるのか・・・、みたいなノリで、そのまま進む。母が入院している病院が西淀川区にあって、天候も穏やかで、最高の天気なので、自転車で出掛ける事にした。15kmの距離なので、ヘルメットも被らず、レーパンも履かず、チノパン。上着だけは自転車用のジャージとサコッシュに母へのお菓子だけを入れて、軽い気持ちで、家を出たのが朝の9時のことだった。

携帯電話がなく、事故でもしたらどうしようか・・とか、奥方と、途中に連絡をとる事になっていて、そうそう、公衆電話を探してみたが、世の中から、公衆電話が消えている・・・。それで、川にぶつかり、高速道路や電車が横切り、道をふさぎ、東西南北にほとんど通っていない歌島あたりで、まったく方向感覚を見失い、途中の大野川緑陰道路という快適な自転車道路に迷い込んで、あまりにも気持ちが良いので、淀川まで行ってしまい、今、地図で見ると、正反対の方角だった。

もはや、誰かに尋ねるしかないのだ。大阪のオバチャンのように、あたりかまわず誰にでも道を聞ければ良いが、それが、なかなか出来ない。道を尋ねる時に、誰に聞こうかなぁと思いながら、それなりに躊躇する気持ちが芽生えるのは、これ、いったい何なんだろうかねぇ・・・。そういえば、家族旅行で、携帯もナビもなく、地図を車に積んでいなかったりする時代。そんな自動車旅行中で、道に迷い、母親が、誰かに、道を尋ねたらと言うと、父が、なんとかなるわ。とか言いながら、道を聞くことに躊躇する姿があって、そんなのを後部座席から眺めながら、兄弟それぞれが、尋ねぇな、ほっとけ、みたいな野次を飛ばしたりする光景があって、そんなのも、今となっては懐かしい想い出。

小学生ぐらいの子供が2人連れで自転車に乗っていた。丁度、同時に信号待ちになった時に、「この辺に○○病院という大きな病院があるとおもうけど、知ってるぅ?」と、丁寧に聞くと、「この道をそのまま、まっすぐに行ったら、右側にあります。(暫く間があって)一緒について行きましょうかぁ」という、泣けるではないか・・・。「ありがとう。お願いするゎ」といって、子供用のMTBに乗る2人に先導され、ゆっくり漕ぎながらロードバイクに乗る54のオッサン。無事到着し、ありがとう!と右手を挙げて感謝を伝え、それに対して、軽く会釈する少年。

天候がすこぶる良く、快適な自転車道路に遭遇し、心地良く快走して、気持ちの良い淀川河口で休憩し、少年の親切な心に接して心が開き、母も体調を回復していて、直ぐに「私」の顔を認識し、手を握って、喜んでくれ、久しぶりに二人っきりの数十分を過ごして、心がほぐれ。こんなコトが重なったお陰で、「気」が溢れたのだとおもう。ここ西淀川区の歌島から、西宮の苦楽園にある「kica」まで15kmほど、家とは、正反対の方向に行く事にする。「kica」のママには、木村家本舗でお世話になり、今は「まちのえんがわ」の棚には、kicaの商品が並んでいて、それに、木村家本舗の打ち上げでは、うちの会社の和室で寝て帰るという、オモロイママで、そのお店に、まだ、行ったコトがなく、そんなあれやこれやの事情があった。

1456116_606899429367015_941573502_n伊藤 泰子さんの写真伊藤 泰子さんの写真伊藤 泰子さんの写真

iphoneがないので地図がなく、頭の地図は大きな国道しか認識されず、後ろから車がどんどん追い越していく国道2号線をひたすら走り続け、夙川沿いを北上し、無事にkikaに到着する。携帯電話を忘れた旨を伝えると、Facebook上で、「まちのえんがわ」や奥方に向け、メッセージを発信してくれて、ま、こういう時代なのだ。こんなふうに、行く先々で、誰かが連絡をしてくれるのなら、携帯を持っていないのも、気楽でエエか・・・。でも、何度か、脇道の交差点で、横切る車や自転車にヒヤッとするたびに、この先でアクシデントがあればどうしよ・・・という不安が、時々、心の中を横切るのも事実。

写真のように女子に囲まれ、珈琲とおいしいケーキで、甘い気分になり、とっても気分良く送り出してくれたので、きっと気分が高揚していたのだとおもう。おじさんになると、以外と単純な事で、エネルギーが湧いてくるものなのだ。西宮の苦楽園から北上して、川西の一の鳥居にあるコトバノイエまで、25kmほど、やっぱり家と正反対の方向に向かう事にする。「コトバノイエ」は、月に何度か、古本店としてオープンしていて、今日の日曜日が、そのオープン日で、「私」個人の事情としても、まったく予定がない、こんな土日の祝日は久しぶりで、それに、この天候とこの気分。このチャンスを逃すと・・・・。地図がないのが不安だけれど、向かった。

なんとなく知っている道なのに、自動車で走れば、まったく、不安にならないのに、携帯の地図がなしで自転車で走ると、不安な気分が時々襲ってくる。仁川近辺で、一の鳥居までどうやって行けばいいですかと、道行く人に尋ねる訳にもいかなく、はっきりと目的の場所を伝えにくい漠然とした状況なので、それで、コンビニに入り、飲み物を買って、地図を見る事にする。久しぶりにマップル関西版の地図本を広げて行く先を確認するが、どうも、ハッキリとした映像で頭に入らない。歳のせいだな。そんなこんなで、阪神競馬場、宝塚市役所、176号線を通って、川西市街にはいると、偶然にも、南花屋敷に住む妹の家の近くに迷い込んでしまった。それで、突撃訪問することにして、チャイムを鳴らした。

インターホーン越しの、驚いた声と、自転車の姿をみて、アホちゃうという、有難いお言葉を頂戴したのだけれど、母の面倒を見てくれている主治医が、妹の旦那で、そんな事もあって、今日の病院での出来事を説明する。それに、この家はうちで、新築したのだけれど、最近、ちょっとしたリフォーム工事をして、それが、身内の方が、打ち合わせ不足や、所謂、「なあなあ」に、陥り易く、それで、それなりのご迷惑を掛けていて、そんな事情もあって、ちょっとした謝罪の機会を与えられたようで、休憩と共に冷たい飲み物やスープやチャーハンをご馳走してもらいながら謝罪するという妙なシチュエーション。

すでに午後3時頃になっていて、「これから坂もあるし、もぉ、大阪に帰った方がエエでぇ・・」と強く勧められたが、妹のご主人に、お礼と謝罪を当時に出来る偶然の機会が巡ってきて、そのお陰で、ちょっと気になっていた心のモヤモヤが晴れて、すっきりしたのが良かったのだとおもう。川西の一の鳥居のコトバノ家まで向かうことにした。何度か通っていて、車なら間違わない道なのに、なんとなく猪名川に向かう坂道を登ってしまい、その途中で気がついた。引っ返そうとおもったが、この坂道を登り切りたいという、欲望のようなものが湧いてきて、それに裏道のようなものがあるはずで・・・。

登り切った鴬ケ丘の交差点手前で、偶然歩いてきた、ハイキング姿のおじさんに、道を尋ねる事にした。「方角は、あっちの方角なんやけど、この道をこのままではアカンわ。」と指をさしながら、、「右折し、坂道を下って、鴬の森の駅まで行って、国道に出る事やね。」と教えてくれる。「携帯電話を忘れて、地図が見れないのです」と、それなりの言い訳しながら、「ありがとうございました」と、お礼のコトバを言って、右折するも、折角汗をかいて登ってきた高度を失っていく、何ともいえぬ虚しさ・・・。今、地図を見ると、抜けていける道はあるが、確かに、教えるのが、ムツカシかったのだろうなぁ・・・。

写真: 生野の社長さん、ただ今到着デス〜能勢街道のだらっと登る坂道を上がり、一の鳥居の駅前から住宅街に入るための急坂を汗をかきながら登り切って、コトバノイエに到着した。コトバノイエオープン日の常連メンバーが居て、突然の子供連れ家族の訪問もあったりして、建築家が設計した家で、普段、住んでいる家の古本屋さんっていうのは、とっても珍しいし、独特の落ち着いた居心地の良いムードがあって、勇気がいるかもしれないが、是非、機会があれば、訪問して欲しいとおもう・・・・。そんな訳で、居心地良く1時間ほど過ごす。わざわざタオルを提供してくれて汗を拭いたり、冷たいお茶やスープやオードブルやコーラをもらったりし、Facebookで状況を伝えてくれたりと、親切を頂戴したのだけれど、夕方の5時を過ぎ、暗くなってきて、これから家まで35kmほどもあり、それにこのブログを書くという、「仕事」のようなプレッシャーもあって、これからはじまりそうな宴会に後ろ髪を引かれながら、生野区小路を目指すことにした。

事前にiphoneの地図を見て176号線をなるべく通らない道を頭にいれようとしたが、やっぱり全然ダメで、ぼやっとした映像しか入らず、庄内近辺の住宅街の中で迷う。もう真っ暗で、人通りも少なく、なんとなく道を尋ね易そうな人にも出会わず、やっぱりコンビニかなと、コンビニの駐車場に入ると、偶然、タクシーの運転手が、入り口から出てきて、車の扉を開けようとした時に、条件反射のように、道を尋ねた。「スミマセン、十三までの道を教えて欲しいのですけど、携帯電話を忘れたんです・・・」と言うと、人柄の良さそうな運転手さんで、ニタッと笑いながら、「このまま真っ直ぐ行って、島江町の交差点を左折れするのがエエけど、それより、そのまま、真っ直ぐ行くと、阪急電車にあたるから、それ沿いの道を進むのがエエとおもうわ」と、流石、タクシーの運転手で、今、地図を見ると、遠回りだけれど、自転車を考慮した親切で、改めて感謝の気持ちがわく・・・。

神崎川あたりで、工事中の迂回があって、大丈夫だと思いながらも、初めての道なので、暗闇と共に不安も押し寄せてきて、迂回路の交通整理をするカードマンのおちゃんに、確認することにした。建築という職業柄、なんとなく、親しみが湧くのだ。それに、偶然、目の前に、しっかりしてそうな、若いガードマンが立っていたので、「十三に行くのどっちですか」「このまま電車沿いに行ったら大丈夫、踏切越えて、そのまま」「ありがとう。携帯忘れて、道がわかれへんねん!」「あっはは」と吉本新喜劇のように笑顔で受け止めてくれたのが、気分を晴れやかにしてくれた。

そんなこんなで、無事に帰宅し、それでも、「まちのえんがわ」閉店の午後7時には間に合わなかった事が、ちょっと残念だったのだけれど、それにしても、お見舞いに行って、すぐに帰るつもりが、携帯電話を忘れる事で、道を尋ねて、多くの「親切」を頂戴したのが、気持ちを高揚させてくれたのだとおもう。嬉しかったなぁ・・・。thanks。

image

Share (facebook) 


2013年11月17日

月夜の晩と日の出の朝の出来事

月夜の晩に、木村家本舗のスタッフによる打ち上げがあって、ミナミで、15名ほどで、一緒に食事を共にした。べつに取り立てて、反省会をした訳でもなく、次回に向けての談義が沸き起こった訳でもなく、和やかに談笑し、一本締にて、終わったのだけれど、解散後、tonちゃんが、どっか飲みに行こっ!と、いつものような陽気な発声があって、同じ方面の地下鉄に乗ろうとしていたメンバーが、そのままゾロゾロと引っ張られて、川田珈琲店を出店したカワタさんの知り合いの店になだれ込んだ。

写真: 木村家本舗打ち上げ二次会♡
明日は住宅相談会(笑)

午前1時を回り、終電もなくなり、タクシー2台に分乗して木村工務店に戻り、3名ほどが3階にある和室に泊まった。仮眠もできる和室を造ろうと発案したのは、弊社の会長で、そうそう、先日大阪市民表彰を頂戴し、橋本知事から表彰状をもらったわ。とハニカミながら語った、父でもある弊社会長なのだけれど、その和室の宿泊率が一番高いのが、京都から通勤している、4人家族のKくんで、それで次が、弁天町の実家から通勤しているひとりもんのTくんで、いや、それが、流行のブラック企業だから泊まっているのでは、決してないので、ほとんどは、飲んで、終電かなくて、泊まることの方が、多いはずで、シャチョウの「私」としては、いい訳をしておきたいのだけれど、それで、「まちのえんがわ」が出来て、最近になってから、「まちのえんがわ」関係者の終電がなくなってからのお泊まり率が急激に増えてきて、社員以外、しかも何人もの女性宿泊者が増殖したのが、いわゆる「驚愕の出来事」。

「私」は、午前6時30分に、近所のヨネクラさんと、サンデーモーニングライドの約束があって、それに、何よりも10時から住宅相談会があり、本日は3名の予定で、そんな事情もあって、打ち上げ終了後、すぐに帰ろうとしていたが、あlれよあれよと2次会に引き込まれ、どちらかといえば、そういう流れに流されやすいタイプで、流石に、タイミングをみて、フェースブックで、サンデーモーニングライドのお断りのメッセージでも送ろうかと、一瞬だけ、脳の一部をかすめていったが、ま、なんとかなるかぁ・・・みたいな楽観的な気持ちが、その日の「私」の一部には居座っていて、そんなこんなで、午前6時にジリンジリンジリンジリンと唸る目覚ましをかけることで、なんとか目覚めて、自転車に乗った。

image

秋の穏やかな気候、丁度、自転車の目的地、信貴山の方角から、見事な日の出があって、ペダルを漕ぎながら、うっとりとみとれるほどで、きっとその天照パワーのお陰で、眠気が吹っ飛んだのだろう。曇天なら、どっと疲れが出ていたのかもしれないと思うほど、人間の心理なんて、気候や、きっと天体の運行にも、左右されているに違いない。葡萄坂をはぁはぁいいながら苦しんで登ったあとは、信貴山の紅葉を期待したが、まだちょっと時期尚早で残念だった。それでも、楽しみは青垣への急な下り坂とちょっとした登りで、2人で、なんか、ラファのプロモーションビデオみたい・・・と、映像のように流れていく景色を肌で感じながら、峠から奈良盆地の日の出を眺め、ちょっとだけ調子に乗ってみる、ふたり・・・。


 

そうそう、本日の住宅相談会の午前中の生野区のAさんは、家族4人でお見えになって、8年ほど前に買った、間口3600の3階建て鉄骨造住宅で、1階が工場になっていて、2階に玄関とテラスとLDKと洗面脱衣室と浴室と便所があって、その北向きのテラスに、増築して、洗面脱衣室と浴室を待ってきて、部屋を広くしたいというご要望で、リフォーム工事では、木造2階建てで、10平米までは増築が簡単に出来る地域もあるが、この建物が建つ準防火地域では増築をするためには確認申請が必要で、それに、構造的にみても、許認可が下りそうな確率はかなり低く、うちでは、ご要望にお応え出来ない旨を説明する。

それでも、お話をお聞きするうちに、3階には個室が3つあって、その2階にある洗面脱衣室と浴室と便所を3階の個室のひとつに移して、幸い、子供さんは女の子お二人なので、6帖の部屋を2人うでまく分割すれば、3階は寝室とウオークインクローゼットと洗面浴室便所と3帖ずつの子供部屋。2階は玄関を小さくして、収納の充実したキッチンと大きなダイニングテーブルが置けるスペースと北向きの少し大きめのテラスが眺められるリビングを、その場で簡単に、設計のタナカくんが手書きでスケッチして提案する。

お昼からの東成区のBさんは、「まちのえんがわ」のワークショップにも参加して頂いた方で、以前に弊社でリフォーム工事をした奥さんとお友達で、悩んでいるのなら、とりあえず相談会に行ってみたら!という、あと押しもあって、参加された。間口3150という狭小間口鉄骨造3階建て住宅を中古で購入され、奥さんと20を過ぎた2人の娘さんとの3人で住んでおられて、将来の事を考えると、この家にひとりで住む事になるかもしれず、売ってマンションを買うことも考えたが、いや、この家をもう少し快適にしたいという思いもあって、揺れ動いているのです。というご相談だった。

狭小間口という条件もあって、1階が玄関とフリールームと浴室があり、2階はダイニングキッチンと便所と6帖の寝室で、3階は個室2つとベランダがひとつ。ただ、1階は、フリールームを通ってしか、お風呂に行けず、2階は、キッチンの奥に便所があって、便所の扉と冷蔵庫の扉が干渉するようなシチュエーション。それで、建物の真ん中にある階段室近辺に、1階はお風呂洗面脱衣室と便所を移し、2階も階段近辺に便所を移動して、ごく「普通」の間取りに近づける提案をして、出来れば、断熱改修をし、省エネな家として、光熱費の負担が少なくなる心地良い家を、設計のタナカくんが、その場で簡単にスケッチして、あれやこれやとコミュニケーションをした。

午後3時からの東成区のCさんは、何度か、この日曜日の住宅相談会に、二世帯4人でお見えになっていて、このブログにも登場しているのだけれど、ようやくプランと概算予算に合意が出来て、本日は、これからの実施設計を進めるための打ち合わせで、2世帯それぞれに浴室やキッチンがあるので、流石に、同時に親子世帯の打ち合わせを一緒にする事は、時間的にも無理なので、平日の夜など、それぞれの世帯とのスケジュール調整と、大まかな収納の方針が、メインの打ち合わせだった。うちの会社では、実施設計の打ち合わせは、展開図といわれる、それぞれの部屋を4方向から見た図面を1面ずつ説明し、お互いに開口部や収納など、部屋のイメージと「寸法」を共有する事に時間を割いていて、そんな意味でも、これからが、「ものづくり」としてのリフォーム工事の設計打ち合わせの本番なのだとおもう・・・・。

 



満月の夜のはずなのに、早朝の見事な日の出の快晴から、一転して、しっかりとした雨が降る晩になって、月は全く見えない夜。雨音を聞きながら、このブログを書き終えて、昨日の深夜から続いた、長~い一日を終えようとおもうのだけれど、木村家本舗にご協力頂いたスタッフの皆さんや、相談会に参加して頂いた皆さんに感謝をするとともに、明日も良い一日となりますように・・・・。

Share (facebook) 


2013年11月10日

木村家会議

清洲会議を映画館で見る。今日は映画が、10日で、1000円の日、らしい。「まちのえんがわ」の生け花ワークショップが終わったのが午後5時で、片付けやらなんだかんだして、急いで夕ご飯を食べ、奥方と高校生の次男と3人で、自転車に乗って、そうそう、私は、もはや自転車に乗れなくなってしまった母愛用のママチャリに乗り、奥方と次男は、ここだけの話ですが、身長1m80cmを超す高校生になるサッカー少年と大阪のオバチャンとの妙にヘンな光景の2人乗りで、ま、とにかく、布施の映画館まで自転車で5分ほどで、夜の7時上映に滑り込むように到着し、いや、それでも、ポップコーンとコーラを買う時間だけは残っていて、3000円とカップル用のポップコーン&コーラセット700円で3700円也。

DSC06155

午後から激しく雨が降ったり止んだりする中、「まちのえんがわ」の加工場では、横澤さんによる生け花ワークショップがあって、横澤さんによる、生け花の実演は、まるで建築空間をつくるような雰囲気で、花台や器や花や実や草や枝や加工場の空間が、それぞれがある「関係性」を構築しながら、「生け花」として完成し、それを見て、エエなぁ・・・と、感嘆した。

そのオーラを浴びながら、参加者それぞれが、ブーケを造り、生け花をし、その創作する姿を眺めている時間は、とっても心地良い空気感が漂っていて、それに、それぞれが完成した生け花には、それぞれの個性が反映されていて、画一的でなく、その生け花が並んだ佇まいを眺めていると、なんだか、とっても幸せな気持ちが湧き上がってきた。
image

DSC06197

「生け花の持つ力」をあらためて感じて、それぞれの家庭のテーブルに、こんな生け花が、毎日、置いてあったら、幸せで、家庭円満になるのだろうな。と想像するのだけれど、それにしても、テーブルの上の生け花って、心にちょっとした余裕とお金にもちょっとした余裕がないとできないのだろうなぁ・・・。

そういえば、早朝になんとなく目覚めると、曇り空で、それに、なんだか腰が痛くて、そうそう、昨日は、社員だけの遠足の日で、ゴルフ組と釣り組と温泉組に分かれて、それぞれ楽しんだのだけれど、今回から、若い社員6名が、初めてゴルフ組に参加して、とっても賑やかなゴルフ組になって、それなりに嬉しかったにもかかわらず、私は相変わらずのヘタな成績で、ま、それはさておき、ラウンド前に、防水工事のツジイエさんからゴルフのレクチャーを受けて、打ちっ放しを50球ほどし、それが、腰の痛みの原因なのだな・・・・と、朝の枕元で、前日の出来事を思い起こしながら、自転車に乗れそうもない天気に、ちょっとほっとして、再び熟睡した。

それで、朝8時過ぎ、次男と一緒に朝食を食べ、私はコンピューターで、会社のサイボウズに入って、メールなどをチェックし、次男は、いつものようにキッチンの大テーブルで、教科書をあちらこちらに広げながら勉強をするものの、それが、高校生に、時としてよく起こる、ふて腐れている姿があって、それを見た「私」こと親父が、これもよくある、叱咤激励の行き過ぎという過ちを犯し、そんなこんなが、大きく行き違って交錯し、親子喧嘩が始まってしまい、次男は激怒しながら家を飛び出してどこかに行き、「私」も家を飛び出して、「まちのえんがわ」の準備にむかい、奥方は呆れ返るという、どこの家庭でも一度は起こりそうな出来事が勃発してしまった。暫くして、ゴメンという、親父としての気持ちが湧き上がってきたことも事実なのだけれど、こういう時の親子関係の修復ほどムツカシイものはないのだと、長男の時も何度も何度も験しているのに、懲りずにやっぱり同じ出来事が起こるわけ・・・・。

その「出来事」を、奥方が、修復するために、メールなどで、清洲会議のごとく根回しを試み、偶然にもその当日に催された「まちのえんがわ」ワークショップの「生け花」が、私の心を大きくもみほぐしてくれるという、講師のヨコザワさんと参加者の皆さんに感謝したい気持ちにすらなる訳で、それに、珍しくも私の親父自らが、市場のお肉屋さんで、ステーキを買ってくれていて、その夕食の重みと旨みが、父と息子と母のしこりを和らげてくれるという、役目を担ってくれて、その上に、三谷幸喜の清洲会議を布施の映画館で、3人で見る予定が既にブッキングされているという、そんな状況下での、親子3人で、ポップコーンを食べながら見る「清洲会議」。

日本史上、初めて、会議の席上で歴史が動いたのが清洲会議らしい。木村家史上、初めて、一日の偶然が重なる出来事の連続性の中で、会話することなく親子関係の表面上の修復をみた訳で、いやいやしかしながら、清洲会議の秀吉のように、天下を取ることを目指すと、その後の骨肉の争いと滅亡を招く訳で、ここはやはり、お互いに、天下や一番を目指さず、「普通の人」を目指す方が、良さそうにおもうのだ・・・・。

Share (facebook) 


2013年11月03日

JAZZ的

雨が降り出しそうで、降り出さない、どんよりとした曇り空の日曜日。お昼になって、お腹もすいてなく、ランチを食べたい気分でもなく、で、珈琲を入れて、なんとなくソファーに腰掛けると、JAZZを聴きたい気分に、突然、襲われる・・・。

20代や30代の頃は、こんな気分に襲われた日曜日のお昼は、ひとりで、天王寺のJAZZ喫茶「ムゲン」に行くことが多かった。たまに天王寺の「トップシンバル」とかミナミの「やかた」とか。でも、もうそんな、黙って、喋らず、静かに、音楽を聴くお店など、壊滅状態。ま、スタバで、人の流れでも見ながら、パソコンするぐらいが、ひとりで行ける喫茶店で、誰もしゃべらないJAZZ喫茶が、また復活して欲しいとおもうのだけれど、そんなこんなで、しかたなく、自分の家で、オーディオを楽しめるようにしたのだな。と、10年前のリフォームの心境を、今頃、思い出した。

JAZZを聴きたいと思った瞬間に浮かんだのが、コルトレーンの「ole coltrane」で、それは、奥方の知り合いの某大手保険会社の若い男性社員が、うちのこのオーディオのある居間に来て、並んでいるルジャケットを見ながら、コルトレーンのファンなんです。あっ、まだ、この「ole coltrane」聴いたことがないです。というので、かけてあげたわ。という奥方のコトバが、どこか耳の奥に残っていて、今の20代でもコルトレーンのファンがいるのだな。とそうおもったその印象が残っていたからだとおもう。

エルビンジョーンズの呪術的にさえ聞こえるシンバルと砂をぶっかけるような、波がおしよせるような、マッコイタイナーのピアノからうまれるリズムが、いつ聴いても瞑想的でエエなぁとおもう。朝、箒で掃除をしていると、たまにエルビンジョーンズのシンバルやブラシの音を思い出すぐらい、体のどこかに染みついている。そのリズムの中からブワーと登場するコルトレーンが心にぐっと来て、エリックドルフィーのフルートの息づかいと音色に不意をつかれたようにあっとおもい、フレディーハーバードのフレッシュなトランペットにも好感を抱き、へぇー、ダブルベースなんや!とじわーと驚く。なんていうのが、JAZZ的評論なのだろうが、とにかく、「私」のマイフェバリットシングスのひとつ。

静かに吹くドルフィーを聴いているうちに、激しいエリックドルフィーも聴きたくなってきて、それで、ドルフィーのリーダアルバムにしようかと一瞬だけちょっと迷ったが、コルトレーンのもとで吹くドルフィーに対して、ミンガスのもとで吹いているドルフィーを選択することにした。

チャールズミンガスの「プレゼンスミンガス」を初めて聴いたのが、大学生の頃に偶然の巡り合わせで訪れた山梨県の塩山にある山小屋で、そこで、これが、勿論、レコードで掛かっていた。これを聴くと、いつも、その頃の出来事を思い出すのだけれど、それにしても、ミンガスが観客に向かって、今日は拍手はいらないので、グラスの音もたてないように静かに聴いて下さい。みたいなアナウンスがあって、そんなのを含めて、独特の泥臭いムードが漂う好きなアルバム。ま、でも、しょっちゅう聴く気はしないけどね。

ミンガスが、最後に、静かに聴いて下さってありがとう。とかなんとか言いながら紹介する最後の曲のタイトルが「汝の母、もしフロイトの妻なりせば」で、このタイトルに、今までは、オモロイタイトルぐらいのイメージしかなかったが、今日は、母の事を思い出してしまった。2年ほど前に母が突然失語症になり、それから認知症がすすみだして、先日、病院に行くと、暫くの間、「私」の事が息子か誰なのか認知しなくなっていて、10分ほどしてから、ようやく思い出してきた雰囲気で・・・・。自分自身の「不安」「ストレス」「老い」というものを深く深く考えさせられた瞬間だった。


それで、やっぱり次の曲は、エリックドルフィーのリーダーアルバムの「out to lunch!」を聴くことにする。ドルフィーの事は脇において、ボビーハッチャーソンのヴァイブが妙に怪しいムードで好きなのだけれど、ドラムのトニーウィリアムスにも心惹かれたりする。コルトレーンとやっていた、エルビンジョーンズと全く違う、なんというのか微分積分するかのようなドラムで、マイルスの「フォー&モア-」でのトニーのドラムを聴いた時などは、仕事中でも四六時中、頭の中で、あのドラムが鳴り続けている時があったぐらい。

そうそう、ブルーノートの録音で、ジャケットデザインもカッコエエのだけれど、レコーディングエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーによる録音が独特の空気感があって、面白いとおもう。レコーディングエンジニアによって、「音」がこんなに違うのかと興味を持つきっかけになった人でもある。前出の二つのアルバムに比べると、あっ、これ、ヴァン・ゲルダーぽい音やねって、おもって、ジャケットのクレジットを確かめてみるという動作を久しぶりにやってみた。ま、何よりも、久しぶりにこのアルバムを聴いて、やっぱりエエわ。とおもう「私」。

トニーウィリアムスのドラムを聴きたくなってきたので、「ライフタイム」でもエエなのだろうが、やっぱりマイルスの演奏による「ネフェルティティ」にした。恥ずかしながらのマイルスファンなのだけれど、若い頃は、まったく、このアルバムの良さを理解できずにいて、40歳を過ぎて、いや、50歳になってからようやく好きになって、よく聴くようになり、電車の中でも、楽しみで聴いたりする。このアルバムのような、「ものづくり」のスタッフや職人さんとの関係性による工務店的建築を造ってみたいものだなぁ・・・。

3時間近く、黙って、座って、聴き続けると、流石に集中力もきれてきて、お昼ご飯を食べていなかった事を思い出して、急に、お腹が空いてきたりして・・・・。それにしても、2枚目に掛けたチャールズミンガスが主催するミンガスジャズワークショップに、憧れのようなものが、昔からあって、それが、「まちのえんがわ」ワークショップになったりするわけで、マイルスが常に変化し続けながら、作り続けるアルバムのコンセプトとか技術とかは音楽のプロでないので、イマイチ奥底まで把握できないが、「人材」のチョイスとその「関係性」などは、「工務店的ものづくり」にとって、大いに参考になったりするわけで、「JAZZ的」でありたいとおもったりするのだ・・・・。

Share (facebook) 


« 2013年10月 | メイン | 2013年12月 »