2010年11月07日

ささやかだけれど、役に立つこと

久しぶりに、ゆったりとした日曜日の朝。木村家本舗という、ひと騒動があって、人が沢山集まるのが、とっても楽しかった4週間で、感謝というコトバを大安売りしてしまったので、もはや、その出来事への、お礼を表現するコトバが残されていない状態。それにしても、この朝の静けさが大好き。と、書くと、突然、朝日に照らされたキャベツ畑の光景を思い出した。

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お盆に、嬬恋にある無印のキャンプ場でキャンプをし、朝5時頃に、ブラッと散歩に出掛けると、高原の上に、突然、サッカー練習場が現れ、その先をおそるおそる進むと、一面のキャベツ畑が、突然、出現し、驚いた。朝日に照らされたキャベツ畑。静かに、せっせっと、その収穫をする農家のひとびと。

ほんとうに、見事な光景で、「高原キャベツ」が、「ほんとうに高原キャベツだった」、その事実に、あらためて、感動している私がそこに居て、朝日と労働と静けさと雄大な光景が同居している、その空気感が記憶に残った。

そうそう、11月3日、文化の日の朝が、木村家本舗騒動が終わった、初めての休日で、その上、とっても良い日和りで、静かな朝だった。その朝に、突然、このキャベツ畑の光景を思いだしたのだ。と、今、気付いた。

木村家本舗の本の引き上げは、その11月3日の午後の予定であって、まだ、本が沢山残っていた。なぜか、キャベツ畑のあの空気感が記憶の中から蘇り、きっと、同じ空気感が木村家本舗のその日の朝にもあったのだろう・・・・。それは、宴会の後の空虚な静けさとは違う、エネルギーに満ちた静けさ。

本がキャベツに見えたのか、キャベツが本に見えたのか、それは定かでないが、きっと、収穫の衝動に突き動かされたのだ。とおもう。それで、残った本の中からセレクトと収穫を試みる。もちろん、あの高原と同じように、朝日の中で、静けさを伴いながら・・・。

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その中の一冊を手に取る。「ささやかだけれど、役に立つこと」レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳。もし、誰も買わずに残っていたら、収穫しようとおもっていた本だった。何気に、読み始める。玄関の本棚の右端の上にあった本で、杉板の床材の上で立ち読みを始める。短編集が10数話入っている中の第一話目。少し引き込まれたので、階段の杉板に腰掛けながら読み進む。もっと引き込まれる。それで、2階に上がって、デッキの椅子に腰掛けながら、ソトの、とっても良い日和を肌で感じながら、第一話と二話を読み終えた。

こうなれば、タイトルの「ささやかだけれど、役に立つこと」が、中程にあって、他を飛ばして、それを読む事にする。キッチンのコーナーにある座面高さ300mm、幅1000mmの「ちゃっちいソファー」に座る。この場所で本を読むのが、好き。ほんとうに、ぐいぐい引き込まれる。寝転がったり、ダラリと座ったりしながら、読み進む。そろそろラストが近づいてきた感じがして、キッチンの高さ900mmのカウンターテーブルに移動して、その座面高680mmのハイスツールに座り、背筋をただす。背後からは、秋の穏やかな日差しが差し込んできた。ラスト4ページ。少々目頭が熱くなる。あっ、左目から涙が一粒流れ落ちる。

・・・・・・

絶望的な話なのに、なぜか、暖かい読後感があって、それが一粒の涙となったのかもしれない。涙は、50を越えた年のせいだとおもうが、それにしても、なぜ、左目から、それも一粒だったのかは、なぞ。

「A small,good thing」が「ささやかだけれど、役に立つこと」と訳すのは、通常そう訳すのか、それとも村上春樹がそう訳したのか、知らないが、このストーリーとは、全く関係なく、「ささやかだけれど、役に立つ木村家本舗」であったのかどうか・・・・・。

それに、何よりも、「A small,good thing な木村工務店」で、ありたいね・・・・。

投稿者 木村貴一 : 2010年11月07日 18:10 « 白朝行。 | メイン | 集う・繫がる・広がる »


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