2011年08月21日

ケセンヌマとツイッター

ツイッターやフェースブックというのは、面白いメディアだとおもう。まったくもって、くだらない呟きだが、そのくだらない呟きを自ら発することで、今までと違う、コミュニケーションが生まれたりする。

木村貴一 Takaichi Kimura
@kimutaka1木村貴一 Takaichi Kimura
夕刻、自宅を出発し、今、北陸道、富山立山ICを通過。新潟を経由し、気仙沼へ。
8月12日 HootSuiteから

こんなツィートを発したのは8月12日の夜の11時過ぎで、前日に、旅行に持って行く予定のこのノートパソコンの調子が悪くて、再インストールをしていて、その作業が長引き、深夜2時頃までかかってしまった。そんな状況下で、12日の午後7時に、旅行の準備も中途半端な状態のまま、無理矢理に旅立つ。奥方と中3の次男との3人旅。大阪から気仙沼、気仙沼から那須、那須から東京、東京から大阪。おそらく、次男と一緒にする、こんな旅行も、あと2、3回なのだろう。

そんな訳で、たった2時間ちょっと運転しただけで、睡魔がおそってきた。今までの旅は、何千キロあろうと、ほとんどひとりで運転してきたが、年のせいもあるのだとおもう。大阪から長浜のあたりで、運転を代わってもらうことにした。奥方も、こころよく引き受けてくれて、後ろの席で1時間ほど仮眠をし、目が覚めて、「いまここどこ」とあたりを見回して、寝ぼけ眼で、ツィートしたのだった。

ツイイターからは・・・
BOOKS+コトバノイエ
kotobanoie BOOKS+コトバノイエ
@kimutaka1 服部さんが気仙沼にいるはずですよ。気仙沼小学校だったかな。
8月13日

フェースブックからは・・
8月12日 23:25 (HootSuiteから)

河田 昌裕 お気をつけて
8月12日 23:33

Mari Koga Have a safe drive and good time

自分の事を「発する」というのは、なかなかムツカシイもので、「私」にとっても、まったくもって、得意ではないのだけれど、なんらかの「貢献」をする。ということが必要とされる、この時代においては、待ち受ける情報より、まず、自らが自らの情報を発信することで、新たなコミュニケーションを作りだす事が、求められているのかもしれない・・・・。そうそう、今、こうやって振り返ってみると、ひとつのコメントは、ニューヨークに住む、知り合いのJAZZシンガーからで、それを北陸道の富山あたりで読んでいるのだから、不思議といえば不思議。ツイッターやフェースブックというのは、確かに、新しいコミュニケーションのツールだとおもう。

目が覚めてからは、奥方と運転を代わり、走り、仮眠し、また走り、福島あたりの渋滞に巻き込まれ、運転を代わってもらい、また走り、一関のインターチェンジを降りたのが10時頃で950kmほどのドライブだった。一関から気仙沼の国道を走る間に、突然、携帯電話が鳴る。いったい、誰、仕事?、と思っていたら、grafの服部さんからの電話で、ツィッターが取り持つ縁で生まれたコミュニケーションだった。

先ほどまで、気仙沼にいたのだが、今、一関から電車に乗るのだという。DSC00110ほんとうにすれ違いだった。ほんの数十分前まで、一関を通過するついでに、JAZZ喫茶ベイシーを一見したところだった。もちろん、こんな朝にジャズ喫茶が開いているわけがない。聞くと、気仙沼で子供達のための家具を作るらしい。また食事でも。と会話しながら、それぞれの旅へと向かう。

気仙沼のフェリー乗り場で、気仙沼大島でボランティアをする上野くんと落ち合い、grafの服部さんとの間を携帯電話でつなげて、ちょっとしたハブの役目をする。関西に住む、「私」を含む3人が、この東北地方の大震災と貢献と携帯電話とツイッターによって、なぜだかよく理解できないが、「ケセンヌマ」という縁で繋がる不思議。

さてと、「東北と地震と津波と建築」をどのように理解したらよいものか・・・・・。津波や地震に強い建築を造るという以前に、どんな場所に住むのか、どんな場所で仕事をするのか。何を職業としてそこで住むのか、もしくは仕事をするのか。そこで、どんな自然災害のリスクを負って住むのか、もしくは仕事をするのか。気仙沼では、そんな問いと思考が脳内を巡っていた。

「沈黙」が覆っていた。車から降りて写真を撮るなんていうムードと気分じゃなかった。それでも、車の運転席から、窓ガラス越しに、数枚だけは、撮っておきたいという、外者の微妙な心境・・・・。
DSC00173DSC00169
DSC00191DSC00164

聞いた話だが、ある漁師が言うのには、「海からの恵みものを頂戴して生活をしてきた。この津波も海からの頂き物なのだ。だから・・・・」と。海に生きる人たちは、そういうリスクを背負って、海と共に生きてきた、逞しい人達なのだろう。そんなリスクを負う必要がないひとは、津波という自然災害の大きなリスクを伴う場所に住まない方がエエのだろうし、そんな場所を住宅地として開発しない方がよいのではないか。旧市街地以上に新市街地のより悲惨な状況。「傲慢」さというコトバ。それらが、その場所での思考回路だった。

沈黙とともに、フェリーで気仙沼大島に渡って、キャンプをしながらこんな夜のツィートをした。 家族3人とウエノ君で、焚き火と満月の下で語り明かした夜でもあった。

DSC00233木村貴一 Takaichi Kimura
Photo on 2011-08-13 at 22:14.jpgkimutaka1 木村貴一 Takaichi Kimura
焚き火と満月の夜 ow.ly/i/fHPc
8月13日

DSC00339

投稿者 木村貴一 : 2011年08月21日 22:44 « テーブルを囲んでゆったりと時空間を共有する。 | メイン | 沈黙 »


Share (facebook)