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2012年04月29日

モーダルコーダルな旅

ゴールデンウィークが始まって、いや、それが、いつものGWは、仕事の様々な状況で、少々の心配事があったとしても、休むために、奮闘努力しながら、345あたりに、キャンピングカーで各地を彷徨う事に、じわじわとした喜びが迫ってきて、GWに突入する。

ところが、そのキャンピングカーのエンジンが焼き付いて、動かなくなって、廃車にするかどうかの瀬戸際で、自動車屋さんで、動けないまま、静かに横たわっている。キャンピングカーといってもハイエースを改造した小さなキャンピングカーで、かれこれ15年ほど乗っているので、もはやうちの家族にとっての別荘。

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25年以上前に結婚してすぐ、ステーションワゴンで、キャンプをし、観光地の駐車場やサービスエリアで車中泊をしながら旅に出掛けた。後部席で寝られるようにカーテンなんかもつけたりして・・・。それで、子供も生まれて、数年してからタウンエースを改造したキャンピングカーを手に入れて、北海道や東北北陸四国山陰九州屋久島など各地を旅し、16年ほど前には、写真のようなハイエースのキャンピングカーに乗り換えて、主に、GWとお盆を中心に旅を続けていた。

「私」にとってのキャンピングカーの魅力は、例えば、午後10時すぎに家を出て、夜中の適当な時間にサービスエリアで仮眠をし、夜明けと共に起き出して、車を走らせて、目的地を目指す。なんていうスタイルで、適当な駐車場で泊まる事もあれば、キャンプ場で泊まる事もあり、ホテルにも泊まる事もあって、夕方にホテルに到着して、翌日の朝、ゆっくり過ごし、朝遅く宿を出る。という、「ゆとり旅」も贅沢な感じがして、それはそれで大好きなのだけれど、ホテル泊とは違って、泊まる場所を気にせずに、夜や早朝に自分たちのペースで食事して移動してどこでも寝れられる自由度がキャンピングカーの魅力で、移動できる距離や、訪れる場所にも幅が広がった。そうそう、大きくゆったりとしたキャンピングカーより、せせこましい、小さなキャンピングカーの方が好みで、かといって軽では、ちょっと小さすぎるかな。

「旅」を大まじめに考えると、旅行の移動や食事や宿泊の時間配分には汎用的なパターンがあって、それがうまく旅行ができる「コード」として存在しているようにおもう。飛行機旅行のコードや、電車旅のコード、レンタカーの旅コード。車でも車種によって微妙な旅コードが変化するようにおもうし、歩き旅のコードに自転車旅のコード。などなど。それに、北海道な気分や沖縄な気分、高級ホテルに泊まる気分やキャンプな気分、建築を見て回る気分、山を歩く気分、スキーな気分、縄文な気分、北斎な気分、アートな気分、B級グルメな気分、などなど様々な「モード」をその汎用的な旅「コード」の上に乗っけて旅行する。

「短期間」のキャンピングカーによる車中泊の旅をしばらくするうちに、私たち家族にとっての、あらたな旅「コード」がうまれてきて、それをうまく使えば、短期間の旅で、様々な旅「モード」を同時に多彩に組み合わせられるコトに気がついて、それに、家族それぞれの個性の違いによる気分(モード)の違いまで、同時に反映させるには、キャンピングカーの旅が最適なように思えて、ここ10年ほどは、そんな旅のスタイルを成熟させてきた。それをマイルスの「in a silent way」な旅だとか、モーダルコーダルな旅だとか、独り言をいいながら楽しんでいた・・・・・。

ここ5年ほどは、長男と二人でこの車をシエアーしていて、長男はそんな旅のスタイルを受け継いでくれて、休みのたびに、いろいろな友達と旅に出かけて、ところが、帰ってくる度に、車のあちこちが傷だらけで、ボコボコになって、その度に長男の友達が入れ替わり立ち替わり、私に誤りに来てくれて、そして、その度に、将来うちで家を建ててくれたらエエので、それでチャラね。と何人に言ったコトか・・・・。

そんなボコボコゆえに愛着のある車が、老朽化と長男のちょっとした不注意も重なって、水漏れを起こしていたことに気付かずにエンジンを焼き付かせてしまい、四国からレッカー車に乗って、帰還したのがつい先日の事。落胆する長男。まぁ、でも、ボロボロな事もあって、これからの休日は「まちのえんがわ」で過ごしなさい!という暗示でもあるのだと解釈して、未練なくスッパリとキャンピングカーを諦めようと決意してみた・・・・。

が、本当に、GWがやってくると、なんとなく寂しい気分が襲ってきて、それが、ボロボロだけれど、なんとなく愛着のあるキャンピングカーが「居ない」からなのだと気付き、そうそう、12年間ほど飼っていて、毎晩、私の右足下に体を寄せて寝ていたミニチュアシュナウザーが亡くなった時と同じ気分なのだ・・・・・と。

そんな訳で、少々センチメンタルな気分のゴールデンウィークですが、木村工務店では、暦通りの休日で、1日、2日は営業し、3日4日5日6日とお休みを頂戴します。「まちのえんがわ」は29日、30日、5日、6日と営業しております。

それでは、皆さん! 素敵なゴールデンウィークを!

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2012年04月22日

「まちのえんがわ」の縁

うちの協力業者が25社ほど集まって、年に2回、ゴルフコンペをしていて、それが、かれこれ80回ほどになって、これだけ続くと、これもひとつの伝統といえば伝統になるのだろう。それを率いる「私」が、あまりゴルフ好きでない事もあって、存続が危ぶまれるのだけれど、成績は最悪にも関わらず、気心の知れた仲間とゴルフするのは、それはそれで楽しい。まぁ、そんな訳で、続けることに意義を見いだしながら、存続していこうかとおもう・・・・。

そのコンペが終わって、夕方、会社に戻ると、中古住宅を購入したリフォーム工事の請負契約があって、会社にお見えになったTさんご夫妻と、引き締まった空気の緊張感の中、でも和気藹々の雰囲気も宿しながら、それに、少々ゴルフで日焼けした顔の言い訳もしながら工事請負契約をする。この住宅は、住宅医ネットワークの長期優良住宅先導事業の補助金をもらってリフォーム工事をすることになっていて、耐震改修工事と断熱改修工事をする。

ところで、そのTさんとの初めての出会いは、昨年の10月の協力業者のゴルフコンペが終わって、会社に戻ってきて、まだ、「まちのえんがわ」が正式オープンする前の準備期間中として、店をオープンしていた時だった。たまたま自転車で通りかかって、「まちのえんがわ」に興味を持ったTさんが自転車から降りた時、ゴルフが終わって会社に戻ってきた「私」と、「まちのえんがわ」の前で、偶然出会ったのが始まり。契約の日と出会った日が、協力業者とのゴルフコンペが終わった後の会社に戻った時なのだ。というのが、「縁」とか「巡り合わせ」の不可思議だなぁ・・・・。

小中学の同級生に通称、エーパンがいて、「私」は、自宅も会社もこの小路にあって、ここにずっと住み続けているのだけれど、エーパンは、仕事や結婚で八尾に住んでいた。同窓会で一度、再会したことはあるが、それもかなり前の事だった。それが、フェースブックのお陰で、改めてお互いが友達になり、それぞれの日常の様子を垣間見るようになった。エーパンは、SHOW-COMPANYというミュージカルの音楽製作とプロデュースをしているのだと知る。「私」が「まちのえんがわ」というのを造って活動している様子を知ると、小路に住むエーパンのお母さんにその事を伝えて、いちど覗いて見たらどぉ。と、言ってくれた。

ある日、エーパンのお母さんが「まちのえんがわ」に遊びに来てくれた。昔の思い出が蘇ってきて、エーパンの家に遊びに行って、一緒にプラモデルを作ったり、ミニカーで遊んだり、壁新聞や人形劇の製作を一緒にしたり・・・。その同じ部屋で、エーパンのお母さんが、仕事として何かを造っていて、遊ぶ背後で、ミシンか何かの、「ものづくりの音」が聞こえてくるのが、「印象」として深く刻まれていた。

そんな思い出話を「まちのえんがわ」に腰掛けて、お茶を一緒に飲みながら、エーパン母に伝え、あれやこれやと四方山話をする。その話の中で、エーパン母は、「折り紙」をやり続けていて、教えているのだと聞かされると、折り紙ワークショップを「まちのえんがわ」でお願いできませんか・・・・と依頼する。

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その折り紙ワークショップをこの20日の土曜日に催して、参加してくれた人たちは、こんな方々だった・・・・・。

タカヤマさんの設計で、うちで家を建てた、高槻のSさんが、子供さん達と一緒に来られた。ちなみに、プランターのワークショップにも参加。うちの近所に住んでおられて、インテリアデザインのお仕事をするKさんの娘さんが、姉弟で参加された。ちなみに娘さんは小学生だけれど、全てのワークショップに参加されている、「ものづくりガール」。

八尾で造園をするTくんが、木村家本舗の縁で、お友達になって、今回、奥さんと娘さんを連れてワークショップ初参加。西宮の苦楽園で施工した家のオープンハウスにお見えになったAさんは、設計の石川さんと先輩後輩の仲で、それも和歌山の建設会社の娘さんで、現在はその会社にお勤めとの事。和歌山からお子さんと一緒に車で参加。

DSC0022350代になる、「おっさん」お二人が真剣に、いや、それも、めちゃくちゃ大まじめに折り紙に取り組んでいて、ひとりは、近所のお食事処「遊びな」さんのマスターで、ワークショップ皆勤賞。いまひとりは、プランター製作のメインコーディネーター家谷さんで、このコンビの折り紙姿は、ちょい笑える・・・・。

70代のエーパン母と、何と今日は、「フェースブック友達」になって、その上に、こんなメッセージまで頂戴した。「今日はありがとうございました。若いエネルギーを、たくさん、いただきました。」と。こちらこそ、「まちのえんがわ」の縁に感謝です。

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2012年04月15日

多肉男子

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多肉植物を育てる男子を多肉男子と呼ぶらしい。
今日、「まちのえんがわ」では、「廃材プランター製作と多肉植物」というワークショップを催して、参加して頂いた、赤ちゃんから初老までのまさしく老若男女の皆さんと、楽しい時間を過ごせて、いやそれ以上に、「ものづくり」のハートを皆さんに教えようとした私たちが、どちらかと言えば、参加者の皆さんから、ものづくりの姿勢やその喜びを教えられたような雰囲気で、それが今日のこのワークショップをお手伝いしたスタッフ全員の共通認識だった。

その、参加された皆さんの熱気に煽られて、うちの現場監督のツジモトくんとトクモトくんが、皆さんが帰られた後に、ゴソゴソと自分たちの廃材プランターを製作しはじめ、それに多肉を植え付ける時のとっても嬉しそうな姿があって、そしてその完成した作品を眺めて喜ぶ、その瞬間の写真をもって、彼らはめでたくも「多肉男子」となったわけ。

その勢いがそのまま持続して、このワークショップのメインコーディネーターの家谷植景研究所の家谷さんと、多肉男子となった現場監督二人と、「まちのえんがわ」スタッフのアオキさんと「私」の五人で、近くの居酒屋の「遊びな」さんに慰労会に行く。ちなみに、遊びなのマスターは、このワークショップに毎回参加してくれている。そうそう、ミスチルのコンサートが当たったといって、高校一年生の息子と二人でコンサートに行った奥方が、午後10時過ぎに合流して、つまり、言いたいコトは、皆さんから頂いた、エネルギーの余韻で、気がついたら午前零時をとっくに回っていて、「私」はそそくさと、このブログを書くために家に帰って、これを書くいまとここ。残り5名は、一緒にどこかに行ってしまった・・・・。

あの五人、こんな時間、つまりもうすでに午前2時になっていて、なのに、どこでなにをしてどんな話をしているのだろうかと、「私」のある一部分が時折気にかけながらも、「私」の別のある一部は、ワークショップのシーンがフラッシュバックしていて・・・、そうそう、全体的には、女性の参加者の方が多かったのだけれど、なんだか、小さな男の子の印象的なシーンが蘇る。

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ワークショップにお見えになった時、背中に背負うバックパックから収納に包まれた「差し金」がニョキッと出ていて、それがとっても印象的で、「私」は、大学生の頃に、ケルティーのベージュ色のバックパックにウイルソンのテニスラケットさしていて、それが、忍者のようだと、よく親から揶揄されたのを思い出した。スポーツ道具や楽器などより、「差し金」が出ているのが、想定外のカッコ良さだった。

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フィニュシュという道具、それは、コンプレッサーからのエアーを利用する、少々危険な道具であるのだけれど、前々日から、安全な使い方が出来るための下準備を社員や大工と模索したこともあって、また、事前にその危険性をパワーポイントで説明した事もあってか、なんとも、カッコエエ姿勢で、男の子がフィニュシュを打つのだった。その姿勢、その姿に、スタッフ全員が感激した。

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近所の4人の男の子の兄弟が、祖母に連れられてワークショップに参加してくれた。やんちゃそうな男の子が、フイニュシュを打つ時には、ふざける事もなく、慎重に、交代交代で、仲良く打つ、その姿が印象的で、最後に多肉を植える、その姿にも、心奪われた。4人兄弟の多肉男子の誕生の瞬間だった。

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お父さんが設計をしているという、ひとりの男の子が、腰袋をさげて、参加者の机の周りの足下に気配りしながら、木くずが溜まっているのを見ると、箒で、掃除をして回っていた。その姿が、可愛さを通り越して、「さま」になっていて、とってもカッコ良かった。後で聞くと、親から指示されたのではなく、自主的にそうしていたのだと・・・・。


新しい世代の男の子たちは、ちょっとセンチメンタルな多肉男子を遙かに超えて、逞しく、成長していくのだろうか・・・・・。

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2012年04月08日

家を楽しむ。

4月1日日曜日。
この日、第五回住宅風呂巡礼を目神山でする。第四回は、お風呂に入る温泉ソムリエぐっちと、建築家のギターリストという、とんでもない設定で、「いったいキムラさん、あれ、何ですかぁ!」 と、喜んでくれる人もあったのだが、顔をしかめる人もあって、住宅風呂巡礼というのは、本来的には、各地の温泉を巡り、気持ちよさそうに温泉に浸かる温泉ソムリエぐっち氏が、様々な住宅のお風呂に入って、気持ちよさそうに浸かるシーンを通じて、「家を楽しむ」というスタイルを見つめ直してみようよ。という真面目に住宅のお風呂を巡礼する旅であって、ここは、もう一度、その原点に戻って、普通に楽しくお風呂に入るシーンを撮影するコトになった。
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4月2日月曜日。
午前10時すぎ、社内で設計担当の3名と定例のミーティングをしていると、突然、顧問で、見積を手伝ってくれている、75歳になるフクモトさんが、てんかんを起こして、倒れる。それIMG_3017で、救急車に同乗して八尾の徳修会病院に行った。幸い、無事で、お医者さんも淡々としていたのだけれど、そのフクモトさんは、「私」がまだ、幼稚園に通う前の頃に、その私を仕事中の車に乗せて、寝かしつけたのだという。急ブレーキをかけたら、前にゴロンと倒れよったわ。なんて事を時々若い社員にも話す。その「私」が、フクモトさんの付き添いで2回も救急車に同乗することになった。ちなみに、病院からの帰りにタクシーに乗り、小路まで。と伝えると、お客さん、ひょっとして、昨年の暮れにも乗りませんでしたか?と聞かれた。偶然にも同じ運転手さんだった。「巡り巡る縁」の不可思議。

4月3日火曜日。
IMG_3020加工場では、大工が構造材の刻み加工をしていて、ここ最近は、加工場をワークショップのためのスペースとして利用しているのだけれど、元来は、木材を加工するための加工場であって、その、「ものづくりの空気感」があってこそのワークショップ会場。久しぶりにその本来的な用途としての利用だった。ところで、大工が鉋の刃を研ぐ姿はカッコエエとおもうし憧れもする。その大工が研ぎものをする時に、その台に対峙して、先日のワークショップで、谷口智則さんのライブペインティングで描かれた絵があって、その絵の、ほのぼの感と、大工の研ぎの緊張感とが、絶妙のバランスなのか・・・・・。

4月4日水曜日。
午前中に現場監督になりたいという、現在は住宅の営業をしている男性が面接にやってきた。職業として、何をしたいのか。何になりたいのか。何がむいているのか。なんていうのは、本当にムツカシイコトだとおもう。職業っていうのは、一種の賭のようなものかもしれないが、「続けること。好きこそものの上手なれ。」が、自分に合った職業としての確率を高くしていくのかもしれない。しかし、そんなコトバが、いまの時代に通用するコトバになりえるのかどうか。そうそう、昼からは、お施主さんとの設計打ち合わせが3件連続で続いて、もちろん、それぞれに設計担当者がいるのだけれど、流石に3本目が終わると少々疲れて、いや、そんなコトより、きっと「私」は打ち合わせが好きなのだ。と、振り返って見ればそう思えてくるのは、単に、そんなコトをもうかれこれ30年近くも続けているからだけなのだろう・・・・。

4月5日木曜日。
タカヤマ建築事務所のタカヤマさん設計による堺の長屋のリフォーム工事で、着工のお祓いをお施主さんと設計者と施工者で執り行う。その様子は、現場ブログに書かれてあるのだけれど、それはそれとして、以前の長屋の住人が、随所に、デザインを施してあって、それがなんとも楽しげで、それを発見する度に、ウキウキした気分になる。そのデザインが、イマという時代に通用するデザインとはいえないかもしれないけれど、「家を楽しむ」という、その雰囲気がとっても嬉しい。デザインって何かねぇ・・・と考えてみた。

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4月6日金曜日。
午前中、打ち合わせで、京都の長屋にお伺いする。住まい手が、長年パリで住んでいたこともあって、その「家を楽しむ」センスに魅了される。建具も古建具屋さんで、本当に上質な建具を購入して入れ替えているので、なおいっそう、空間が引き締まって見えた。前日に見た堺の長屋のデザインセンスが南蛮的なら、この京都の長屋のデザインセンスは、数寄屋的なのか。
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夕方から、木村家の自宅で、枝垂れ桜の花見があって、7分咲き程度だったが、それでも、花見はやっぱり楽しい。もともとこの枝垂れ桜は、私たち夫婦が結婚した年に、奥方の実家がある堺の金剛の園芸店で購入した、ほんとうに小さな桜の木だった。それが、庭の片隅にひっそりと植えてあったのだけれど、10年前に、海平造園のウミヒラさんが、庭の主役として、枝振りを整えて、「家を楽しむ」桜として、育ててくれた。お陰でここ5年ほど、社員と大工さんと手伝いさんら30人ほどで、花見をする。そうそう、うちの若手も、最近は花見の段取りを覚え、手伝い、片付けてくれるようになって、こんな宴を通じて、あれやこれやと学ぶ事が、日本の文化なのかもしれない・・・・。

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4月7日土曜日。
暮らし向上リフォーム研究会なのでご一緒している、女性設計士の澤木さんの自邸のオープンハウスが神戸の住吉山手であって、お伺いする。雑木林に囲まれた立地の素晴らしいこと!暖炉だけで家中が暖かくて・・・。「家を楽しむ」っていうのが、とってもエエ感じだった。そういえば、下には住吉川が流れていて、10年ほど前に、ひとりで、この住吉川の上流にある西山谷を渓流シューズを履いて、沢を登り、六甲山に上がったその日のコトを久しぶりに思い出した。

4月8日日曜日
朝から地鎮祭があって、うららかで、雲ひとつない天気で、あっ、ようやく、ほんとうに、春がやってきたのだ。という穏やかなムードが参列者の中に漂った地鎮祭だった。
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昼から設計の石井良平さん主催によるお花見が目神山であって、ほとんどが設計の立場の人たち。それが、生憎、桜は蕾のままで、生まれて初めての、花の咲かないお花見となった。流石に、浮かれた気分までには昇華しきれなかったかもしれないが、それはそれで、印象深いお花見だった。そういえば、夕方の花見を終える頃には、開花しだした桜もちらほら。
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そうそう、今年の目神山でのお花見のハプニングは、イシイリョウヘイさん案内による、目神山12番坂にある石井修建築の解説だった。その12番坂にある様々な建築を皆で巡っていると、「日本の家」というものを、どのように造っていけば良いのだろうかと考えさせられた・・・・・。

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その後は、故石井修さん設計の自邸である回帰草庵で寛ぐ。かつて、石井修さんが健在だった時に、このコルビジェの椅子に寝転がって北向きの庭を眺めて寛いでいたのだと聞かされた、その椅子に座り、笑顔で、家のコーナーを楽しむ設計のヤベさん。この名作の居間で、堂々とギターを弾き語る、設計のオオタさんとそれに併せて熱唱するヤベさん。故石井修さんの奥さんから拍手が起こったのがせめてもの救いだなぁ・・・。造園のイエタニさんは、不法侵入者のごとく、外を歩き回って、外から家を眺める。それぞれが、回帰草庵の広いリビングダイニングで、それぞれの居場所を見つけて、家そのものを楽しんだ。そうそう、「家を楽しむ」コトへの回帰・・・・。

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2012年04月01日

パスポート

月曜日の朝、8時まえ、会社にいると、奥方からお呼びがかかる。会社と家とは歩いて数秒。何か、とんでもない事態が起こっているのだと、悲壮な声で叫んでいる。なんや、それ、なんのことなん。と大阪弁で答えて、パソコンのクリックを止め、2階の事務所の階段を下り、一方通行の4m幅の北向きの道路を数十歩歩いて、ごちゃごちゃとした行き止まりの西向き道路を左折する。数十歩で、家の前に着いて、電子錠の暗証番号を指先で押しながら、ピピピピと鳴る音とともに数字を確認していると、電動モーターのジャァーという作動音とともに解錠し、ヒバの玄関扉を開ける。

DSC02106玄関に入ると、左側に本棚があって、陽気のいい日には、朝日を浴びて、フロスト硝子越しに写る木の葉の陰と面陳の本がエエ雰囲気に見える時があって、その朝は、そんなエエ日和の朝だった。その玄関を開けると、杉の床板の上に、大型の旅行鞄が二つ、バァーンとオープンして置いてあって、その横に奥方が鎮座していた。そして、兄弟二人が、もうやってられへんわ。というような顔をして、鞄を開けて、何かを探している。奥方は、なんだか高校生が修学旅行に遅れそうになって悲壮な顔をしているような雰囲気で、と言っても、もうすでに50代なわけで、とってもアンバランスで、滑稽な雰囲気。

その日、奥方のお父さんが、自分の娘姉妹と娘の子供たち孫を連れて、シンガポール旅行に行く事になっていた。今年80歳になることもあって、死ぬ前に皆をどこかに連れて行くのだという。本人は、ヘルニアの手術の失敗で40年以上も車椅子の生活をしているのだけれど、その事をもろともせず、活発に出掛ける。数十年前に、車椅子のまま、ひとりで、玄関を出入りし、車にも乗れて、もちろん、便所やお風呂にもひとりで入れるように、「私」が設計しリフォームした。いや、そんな事より、「私」もその歳になった時に、そんな旅行に連れて行ける甲斐性があるのかどうか・・・・。

朝、8時すぎには、ここ小路を出ないと、関空の出発に間にあわなかった。「あんたら兄弟二人だけで、旅行に行って!」と奥方が、叫ぶ。話の断片を聞くと、自分のパスポートを何処かになおしこんで、解らなくなって見つからないのだという。玄関の扉を開けて、その様子に唖然として棒立ちになって、眺めている「私」。その私にむかって、「ちょっと、これ夢、夢やよね」と聞く。本人はメチャクチャ真面目な顔をしているのだけれど、とっても滑稽で、でも、そこはぐっと笑いを堪えながら、「現実!夢ちゃう!」と答えると。ワぁーと涙が出ない鳴き声で叫ぶ。旅行に行かれへんやん・・・・・。

確かに、数ヶ月前から、娘と父親の間にある、「私」が知る事も出来ない、微妙で深い愛情関係があるのだろう、親子で楽しみにしていた。その旅行当日の朝、うちの玄関での大騒動。兄弟が、折角、綺麗に整理して納めてあった鞄をひっくりかえしながら、「ほんまアホちゃう。俺らに、パスポートだけは、絶対大事やから、なくしたらアカンでぇーとあんだけエラソウに言っときながら、このザマね。」怒っているのか笑っているのかそれが同時に共存するとっても微妙な表情で、なんか、吉本新喜劇。

前日は、日曜日で、このごろ、夜遅くまで、宴会とかがあって、このブログを書き始める時間が午後10時や11時をまわって、気がついたら夜中の2時になっていた。その横で、明日の旅行の用意を、いわゆる「完璧」やわ。と声にまで出して片付けていた奥方。そして、時折、四方山話をする。そうそう、知り合いのレイコちゃんが、泥棒に入られて、それも午後4時頃から午後7時ぐらいの間らしいわ。彼女の見解によると、目線から上のものは荒らされなかったけれど、目線から下のものはメチャクチャ。隠す時は、目線から上ね。と、ブログを書く横で、呟きながら、旅行の間の「私」の食事も含めて、綺麗に整理整頓していた。

玄関から2階のLDKに向かう。流石に、悲壮な空気が家族間に漂い始めていて、時間も迫ってきた、このままでは、旅行、どうなるのぉ・・・・と。その整理整頓されて美しい状態だった部屋が、一瞬にして、パスポートを探すために、まるで泥棒が入ったように散乱した状況だった。「それにしても、つい数時間前の午前2時までは、あったのだから、この家のどこかにあるのだし、まさか、この短時間に泥棒でも入ったのではあるまいし。」と捨て台詞を言う「私」。

その「泥棒」というコトバに奥方が反応した。唐突にドタドタとキッチンに向かってゴソゴソしながら鍋の音がカランカランと聞こえてくる。それで、「あったわ!見つかったわ!」と叫ぶ奥方。だいたい、物語の結末は、あっけないものだし、この騒動の結末も、あっけないものだった。息子たちから、一斉に、「ほらな!」と、それはまるで声援。

出発に遅れないために、車で皆を送っていきながら、車の中には、旅行に行ける喜びと、この騒動の笑いと、呆れが、ぐるぐると渦巻いていて、奥方から言い訳のような、顛末のような話を聞く。つまり、旅行の間に、うちに泥棒が入ったらアカンので、といっても、「私」は、仕事が終われば、家に居るのだけれど、兎に角、旅行中に、泥棒が入られた時のために、目線から上のキッチンの収納の中の鍋の後ろに、いろいろと隠したのだという。ついでにパスポートも丁寧に隠して仕舞ったのが夜中の2時のコトだったと・・・。

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